「越えるか、越えないか」カニバ パリ人肉事件38年目の真実 KinAさんの映画レビュー(感想・評価)
越えるか、越えないか
「パリ人肉事件」も佐川一政がメディアに出ていたことも、リアルタイムでは知らない。
人肉を食べたい、人を殺したい。
自分を含めきっと少なくはない数の人が抱いたことのある興味や欲望を、倫理観の壁を越えて実行しちゃった人。
佐川一政とはどんな人間だろうと、悪趣味は承知で鑑賞。
どうせならと、実弟の佐川純も登壇したトークライブにも参加し、「まんがサガワさん」も読了。
皮脂のにおいまで感じられるような映像の距離の近さに少し戸惑った。
フォーカスが当たったり当たらなかったりするカメラワーク。
視界いっぱいに顔面のどアップが映し出され、すぐ目の前に佐川氏がいるような感覚に。
感情の見えにくい、まばたきを全然しない一重の目にジッと見つめられて、居心地が悪くなる。
別に今はただの身体の自由が利かない初老の男だけど、この人が、本当に実際に、女性を殺して食べたんだよな、と思うとどうしても緊張してしまう。
いくらホラー映画を観ていても、実感としてまた違うものがあった。
脳梗塞により衰弱してまともに立ち歩きもできず食事も補助を必要とし時折咳き込むその姿は、哀れに見えるし老い先短いようにも思える。
しかし、食べ物をムシャムシャと食べ水をゴクゴクと飲み好きな女性との再会に喜び、自分の性癖や死への恐怖を話すその姿からは、強い生命力すら感じた。
「サガワさん」を読んだときに感じた、突き抜けたテンションはあまり感じられなかったけど。
ちょっとした後悔の念と、それでもどこか悪びれない態度。従うしかない衝動についてもっと聞きたかった。
事件当時とメディア露出全盛期と映画撮影時では彼の考え方や精神構造も全然変わっているんだろうな。
2015年の撮影当時は人肉食への興味が凄く薄くなっていた時期らしい。
今はまたせん妄状態の時に人肉への欲求を零しているらしい。(トークライブより)
自分が死ぬのも他人が死ぬのも怖いという言葉に心底共感する。
欲望を満たすために人殺して喰っといて何を言うか。
でも、この人でもそうなんだな。
自分の手で他人に死をもたらし目の前で経験したこんな人でもそう思うのか。
なんだか安心した。死に対する価値観が共通しているのは、相手が誰であっても嬉しい。
何の前触れもなく突然頭を打たれて死ぬなんてもう恐怖でしかない。それをやったのがこの人なのか。うーん嫌だな。
自覚を存分にして自らの意思で犯罪者になった佐川一政と、自分の意思とは関係なく突然「カニバの弟」になってしまった佐川純。
その葛藤や苦しみは直接的には描かれないけど、彼の半生が易しい道ではなかったことは容易に想像できる。
家族として話すトーンのリアルさが心地良かった。事件に関連する話の延長線上で日常会話があるアンバランスさ。
「チョコレートくれる?」のやり取りがとても好き。いや今かよ!っていう。「チョコっとね、フフフ」と笑う純氏の口調もなんだかかわいらしい。
そして失礼ながらも「さすが佐川家!」と言いたくなってしまう佐川純の秘めたる性癖。
先日のトークライブ時に目の前で実践されていたので(ネタバレじゃないか!とちょっと思った)、その中身は知っていたけど、なぜかナマで見るより映画で観るほうが強く迫ってきた。ヒェェ〜
カメラの前で、集まった人々の前で、それを披露する時のイキイキとした表情。
気持ち良さそうで何より。なんだかちょっと嬉しかった。
おそらく驚きや仲間意識的な反応を期待していただろうに、それを裏切る兄のシレーッとした態度に笑ってしまう。
フラれたみたいな純氏の声色が少し切ない。
それを知ってどう思ったんだろうな。どう思うのが正解なんだろうな。
目の前で見た時に私はあまりのことに笑っちゃって、めちゃくちゃ写真を撮ってしまった。
他人の性癖を笑うなよと少し反省。いやでもさ…ちょっと想像以上に斜め上のインパクトでさ…。
でも本人はそうやって見られることにまた快感を見出していたようだし、まあいいか。いいとして頂戴。
理由不明の衣装を着せられた里見瑤子と佐川一政のツーショットは、二人の関係性を踏まえて観ると結構面白いものがある。
もうちょっと違うアプローチは無かったのかなと思いつつ。
せっかく家族以外でプライベートの付き合いがあった人の登場なのに、もう少し色々会話して欲しかった。まああの状態じゃ難しいか。
「牛です。」でまた笑う。絶対犬だと思う。
ゾンビの話も面白くてもっと聞きたかった。
トークライブにて聞いた話では、佐川一政は里見瑤子に、「ルネの家族を知っていたら実行はできなかった」と話したらしい。
向こうの目線を意識すると自分の目線はやっぱり霞むものなのか。
佐川一政は危険なサイコパスというよりも、衝動的な欲望を突き通してしまった、ただの人間だなと思った。
頭のネジは明らかにぶっ飛んでると思うけど。
実際にこの人に殺されている人がいる以上、若干の後ろめたさと罪悪感を覚えながらの鑑賞。
若くして理不尽に命を奪われ喰われた被害者の無念、今もなお苦しんでいるかもしれない被害者遺族や交友のあった人たちの悲しみ、犯罪を犯罪とする真っ当な倫理観はとりあえず脇に置いておくとする。
私の好奇心や興味や欲望を最優先とする。
でも、彼女彼らのことを考えずにはいられなかった。
どうしても抗えない自分の欲望やフェティシズムを優先する視点で見れば、佐川一政は大成功を収めているんだろう。
しかし、人を殺めた人間が正当な罰を受けることなく注目され書籍を出しメディアに出演し、月日を重ねてもなお映画になり何らかの利益得ることについて、被害者側の目線で見たらどうだろう。
欲求を抑えることが自分を大きく苦しめたとして、他者の命を奪ってまで叶えなければならないことなのか。
創作物とは全く別の話。
私は越えない。