ドラゴンクエスト ユア・ストーリーのレビュー・感想・評価
全551件中、461~480件目を表示
良作!
呆れて悲しくなる
内容の真意を理解出来ない批判者に言いたい。
それそれのドラクエがあるってことを
批判者はラストボスのミルドラースを自己投影された姿だと気が付いてない?
…哀しい過ぎる
サブタイトルの真意
君を生きる
仮想世界であれ確かに冒険をした
幼少期から生きた
リアルなドラクエ世界観。
全てが本作ゲームのレールの上で良いのか?
自分で創造した感動さえ忘れ去り
もし、仲間達と草原を、山を、河原を走りぬけ、飛び跳ね
襲いくる魔物との闘いを冒険を…
仮想世界ドラクエ世界
発想的にとても
面白いと思うけど?
ずっと遠い未来に我々よりずっと遠い未来には
可能になっている世界観
素晴らしい映画演出であったと思う。
過去に戻ったリュカが
幼少期の自分に語りかける&ゲレゲレが二人を見比べる、そして
みおくるシーンに涙が出そうになった。
映画のコンセプトと結末の壮大なスレ違い
私はこちらのドラクエをプレイせず鑑賞した1人です。ですのでストーリーを知らず観た者としての評価となりますが、この映画のテーマとタイトルを回収する上での製作側と私たち観客のスレ違いこそが、最大の評価の変わり目だと思います。
eスポーツなどで認められる世の中になりつつも、やはり疎まれたり理解されないことの多いゲームを、私たちの人生観や人格を形成する1つのコンテンツなのだと主張することがこの映画の最も伝えたかったことだと思います。(個人的な意見ですので異論は認めます笑)
ただ、純粋にドラクエのストーリー楽しみたい人、公式の結婚相手を知りたい人、アクションを楽しみたい人など、これら全てのゲームファンや映画ファンを最後の展開で裏切ってしまった。ファンである客はきっと、原作通りに終わったとしても「your story」の文字を見れば、コンセプトに気づけたと思います。しかし、客に考えさせる事をさせず、ストーリーを捻じ曲げることでコンセプトを簡単に伝えようとしてしまった。これこそが今の全体の評価に繋がっていると思います。
ゲームで育った世界中の数多い勇者の内の1意見としてこのレビューを見て頂けたら嬉しいです。
何はともあれ、映像と音楽は最高です。気になるのならレビューを見るより映画を観にいきましょ!!
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恣意的な「作品化」-ドラクエを信じきれない弱さ
以下、ネタバレを含み、ドラクエ5の用語の使用をします。ご了承ください。
自身でドラクエ5をプレイしていたのもあり、3Dでの映画化ということで興味本位(怖いもの見たさ)で映画館に足を運んだ。公開初日ということもあり前情報もなく、映画館は同じような心持で集まったであろう往年のドラクエプレイヤーが集まっているような雰囲気だった。この段階ですでにあまり期待はしておらず、「映画館でドラクエを見る」という経験をすることが第一の目的であり、3Dで画面を動き回るキャラクターが見られればそれでよいかな、と考えていた。もとよりゲームがもとになっている映画なのでストーリーは既存のものをアレンジしたものになるであろうし、むしろ一時間半という時間にいかにして長大なストーリーを編集してその要点を組み込むかというところが見どころだと考えていた。
映画が始まってまず目に入ってくるのは、ファミコン版のドット絵のスライドショーからなる少年時代のダイジェストである。この導入の段階で、描写される対象が「ビデオゲームの世界」であることが強調されるのだが、個人的にはそのような形ではなく、「ゲームによって虚構的に作られた世界観」の内部から出発して、最初から3Dの描写でカットインするくらいでよかったのではないかと見ていた。しかし、このような「ビデオゲームであること」の強調は、後述するこの映画の構造を示す伏線であった。
少年時代は上記のダイジェストにより「スキップ」され、パパスとの旅およびパパスがゲマにやられてしまうところにつながる。子供時代スキップということ自体は、映画としての都合上仕方のないことであるのかもしれないと思いながら見ていた。パパスがゲマ一行にやられてしまうシーンから始めるということは、その後のシナリオ進行上の動機づけの強調としては一つのやり方であろう。個人的には、ビアンカとの冒険を描写してほしかったし、そこを描写しないとビアンカと結婚するということの「必然性」の要素が薄れてしまうところがある。この部分のカットは映画としての尺的な都合であろうし、この部分もまた、後述する映画の構造に起因する問題だったのである。
ゲマに敗れ奴隷となった主人公とヘンリー(マリアはいない)は肥溜めの中身を利用して死体のふりして神殿を脱出。その後マスタードラゴン扮するプサン(トロッコには乗っていない)に助けられなんだかんだでラインハットに戻り、ヘンリーと別れる(にせたいこうはたおさない)。その後サンタローズの実家の地下室でパパスの手記を見つけ(サンタローズがラインハットに壊滅させられたかは不明)、勇者としての役目を自覚し天空の剣をもつルドマンのもとへ向かう。道中でスラリンとゲレゲレをさらっと仲間にして、サラボナへ到着。サラボナではブオーンが暴れており、ルドマンはブオーンを倒した者にフローラと結婚する権利を与えるとのお触れを出している(リングは集めなくていい)…等々の展開を加速させる変更も、初見では急な展開の大味さに違和感を覚えるものの、まあ仕方ないし、映像もきれいでふつうに楽しめていた。
ドラクエ5において「ビアンカ―フローラ論争」は避けられない問題であり、映画でそれがどう処理されるのかは興味があった。この映画で主人公は、フローラに求婚するという方向で話が進められる。首尾よくフローラにプロポーズした夜、ある老婆が「本当の気持ちに気づく聖水」を主人公に渡し、それを飲んだ主人公は、「じこあんじ」によってフローラを選んでおり、本当はビアンカと結婚したいということに気づき、フローラとの結婚を解消し、ビアンカと結婚することになる。聖水を渡した老婆は主人公のビアンカへの思いを察知したフローラが変身したものであった。この展開は、賛否あろうが、ビアンカとフローラを双方立たせるという点ではよい落としどころだと思ったし、フローラを選ぼうとしてもビアンカを選んでしまう心理をよく表しているとも感じた。しかし、「じこあんじ」とゲームのセリフ枠が深層心理に表示される演出は、どこか醒めた感情を引き起こすものであり、先述したようなゲームであることの強調の必要性を疑問に感じさせる部分であった。そういう演出もありか、とその場では納得したのであったが、これも、映画の構造の伏線であった。
その後、ビアンカと主人公の間に男の子が生まれる(双子の女の子はいない)。同時にゲマ一行が襲撃、主人公とビアンカは石化、その後成長した男の子が石化を解き、なんやかんやでマスタードラゴンに乗って大神殿へ行ってゲマと戦う(イブールはいません)。ヘンリーやブオーンが助けに来たり、最終決戦的な雰囲気。主人公はマーサを殺したゲマに突撃、ジャミとゴンズを一撃で粉砕(えぇ…)、ゲマを息子と協力してやっつけるも、ゲマが魔界の門をなんか開いて、そうはさせまいと息子がそこに天空の剣を投げ込む…と、ここでも急展開ですが、映画の進行上、ああここでミルドラースを封印するか、もしくは戦って倒して終わりかな、という気持ちになり、大味だけど映像よかったからいいか、と心を締めに向かわせていたとき、急に停止する世界。現れたのはミルドラース?に組み込まれたコンピュータウイルス。なんでも、このゲームの世界を破壊するためにハッカーがたわむれに入れたもので、その意図は「大人になれ」(こんなげーむにまじになっちゃってどうするの)。
この映画の構造として、ここまで見てきた映像は、体験型ドラクエ5VRの世界であり、それを遊ぶドラクエ好きな青年(ドラクエ5をやった世代ならいい歳)の見ていた映像だったことが明かされる。消え去るドラクエ5の世界、そこでスラリンが山ちゃんの声で急にしゃべりだす。なんとスラリンはウイルスに対するワクチンだった。スラリンから出てきたロトの剣?ワクチンでウイルスをやっつける主人公。ゲームは虚構世界に遊ぶものだが、それ自体がリアルな経験の一形態であり、そうした経験の場において、ゲーム内の世界およびキャラクターもまた実在する。そうした経験は「あなた」たちひとりひとりによって生じるものであり、それに合わせてたくさんの「ストーリー」ができたんだ。という趣旨のメッセージによって、ドラクエ世界は復活、大団円でエンディング…?ということになる。
この結末に関しては、賛否、というよりも否のほうの意見が多く出るであろうことが予想されるが、実際に見た時の感想は、虚無感に近いものを感じた。まさに、RPGをやりこんでやることがなくなったとき、ああこれはゲームでしかなかったのか、という感覚、エスタークをヘルバトラーとかで数ターンで倒せるようになって、「ひとしこのみ」とかで散々遊んだあとに残る虚無。そして、いままで見てきた世界が虚構でしかなかったと悟った時の虚無。そして、楽しかった時間とか、レベル上げの作業とか、すべて終わった後の虚無感とか、そういうもののすべてがリアルなんだって、そういう感覚(こういう感覚を与えることも含めて意図されたものだと思うし、その点は成功していると思う)。
こういう構造が設定されていると知ると、前半に感じていた違和感がすべて説明されることになる。冒頭のダイジェストは「スキップ」設定だし、参加者のインタラクションで生成されるゲームシステムがシナリオを都合よく改変していたし、フローラを選ぼうというのは「じこあんじプログラム」だし(ここでゲーム内でフローラが聖水飲ませてビアンカと結婚させてるのどういうこと?ってなって???ってなる)、その他の諸々も、「ゲームだった」で済ませられる。正直このオチは納得できないところがあるが、ドラクエを映画として成り立たせる手段としては苦肉の策的に(実際にどう思ってこうしたかはわからないが)一つのやり方だとは思った。
真面目に原作ゲームの内容を踏襲することは困難だ、そこでかなりはしょった内容にしなければならないし、エッセンスだけは抽出しなければならない。おそらく、ドラクエ5で行きましょう、ということもなんらかの都合で決まっていたのだろう。パパスの「ぬわーー」とか「ビアンカ―フローラ論争」とかひっくるめて「人生を体験できるゲーム」として作られた5の理念はそもそも「your story」だった。その要素を端的に示すために、メタ的要素として映画=ゲーム画面という設定を使った。動いてるドラクエキャラを見たいという気持ちと、それを一つの映画に落とし込もうということを手軽に解消できる手段として。
しかし、こうした処理は、結果として恣意的に映画を完成させようとする強引さや短絡さのようなものを醸し出したのではなかったか。私の感想として、以下のような過程が推測された。まずは普通にドラクエのストーリーを映画の尺に収めて王道に仕上げようとしてみたものの、制作上の都合や予算の関係もあり、ぶつ切りの急展開プロットになってしまった。そこで、そうしたまとまらなさの口実として、ゲームオチを持ってくることでそれなら仕方ないか…という逃げを打ったようにどうしても思えてしまった(監督の意図としては映画化することが最優先であったであろうから、最初からオチは決まっていたのだろうが、客観的にそう見えてしまう)。
なぜ、最後にミルドラースとの決戦を描いて、普通に終わらせられなかったのか。それは、ドラクエを真面目に映像化することに、制作側がマジになれなかったからではないかと思われてならない。「勇者ヨシヒコ」に代表されるように、5はパロディにも恵まれている。いまさらベタベタな周知のストーリーをなぞって映像化することに意味があるのか?この問いに対して、心からあるとは言い切れなかったのだろう(実際、監督はドラクエの映画化に難色を示していた。もし作るとしても、「ゲームの副産物」にならず、映画として自立するものを目指しており、この姿勢自体は評価したいが)。心のどこかで「大人になれよ」と「ウイルス」がささやくのだ。そうした葛藤を吹き飛ばして、ドラクエの世界を完結させることができず、逡巡をスクリーンに映さざるをえなかった、そうした迷い、あるいは作家としてのポリシーが効果的に働かなかったがために、未消化感の残る結果につながったと私は思う。
私は、普通に、王道に、魔王を倒して凱旋する勇者一行が見たかった。動いているその姿を、フロー状態のままドット絵に重ねて心のうちにもって帰りたかった。しかし、結局は、醒めた自己言及の虚無感を再び抱くことになった。ああ、ゲームなんてしてないでその時間勉強してたら、もっと変わってたかもしれないのになあ、というゲームの存在意義を失わせる悲哀とともに(たぶんこういう思いを「ゲーム世代」のわれわれが抱くことも、この映画のメッセージには含まれているのだと思うが)。
以上に大筋の感想となるが、もう一点指摘したいことがある。それはBGMに関してである。この映画では5と6(それ以降のものもあったかな?)のBGMが使われているが、その選択が?である。なぜ6のBGMが入ってきているのか。これは何らかの意図もあるだろうが、結局は先述したメタ的要素の補完の一環であろうと私は考えている。それよりも気になったのは、ドラクエのBGMを使うというのはゲームを主題としている以上そうなのだが、映画の画面とあまりシンクロしていないように思えたのである。そもそもゲーム音源はゲームプレイの場面を想定して作られたものだ、それを映画のシーンに当てはめるように使うことは、既プレイ者には懐古的によいものではあるかもしれないが、映画のために作られた音源や、映像に合わせて特別に作られた音源などの音響効果と比べれば、どうしても「とってつけた」ような印象を受ける。私はドラクエのBGMは大好きだが、映画としての「BGM」というものはそれはそれであるように思うのである。
思い出を踏みにじられた
この映画の制作陣に少しでも悔しさを伝えたく、レビューします。
私にとってドラクエというもの、特にⅤは小学生の時に遊び尽くした思い出深いものです。
ですから、この映画の告知を目にした時、その当時の気持ちを思い出し、たとえ難い高揚感に包まれたことを覚えています。
ドラクエⅤは昔から映画化ドラマ化アニメ化できる内容と思っていて、いつの日かいずれかが実現されないかと頭の片隅で願い続けてました。
それが叶うと分かった時の嬉しさが分かるでしょうか?本当に幸せでした。
反面、一抹の不安があったことも確かです。
正直なところ、あの壮大なストーリーを2時間弱で収めるには無理があるのは理解していたので、多少のカット、改変が入ることは覚悟していました。
なので、冒頭のゲームシーンやオープニング曲までの流れは、尺詰めを実現する上のある種の工夫、捉えようによってはファンサービスも兼ねた上手い手法だな、と好意的に解釈し受け入れていました。
もちろん初見の方には理解し難く、一見さんお断りの映画となってしまい残念だなとは思いましたが、それでも当時ゲームに没頭した私からすると些細なことでした。今さら新規層の獲得を狙うわけでもなし、プレイしてから見に来いと思うほどです。
冒頭の駆け足が終わり、颯爽とスラリンやチロル(私はチロル派)が仲間になり、そのテンポにも慣れて中盤に入った頃、あの語り継がれる名イベントを迎えます。結婚イベントです。
個人的には、改変はありつつも結婚イベントに手厚く時間を割いていたことを非常に嬉しく思いました。ビアンカもフローラも本当に尊く、プロポーズのシーンではこの映画唯一涙腺が緩みました。ビアンカ派の私は心でガッツポーズしてましたよ、ええ。
それからグランバニアは犠牲になりつつも出産、石化、ストロス、勇者発見と物語の主要イベントは消化していきます。そして天空のつるぎが抜かれた時に二度目のオープニング曲が流れ、この制作陣はわかってるなと信じ切ってました。
その勢いのままマスドラと合流し、出会ってもいない妖精と過去イベントをこなす頃には、思い出補正でイベントが勝手に補完され、いい感じに映画に没入してました。
大体この頃合いからラストを想像し、主人公がゲマを倒して、ミルドラースが出て来て全滅して敗れそうなところにヘンリーやサンチョ、なぜか仲間になったブオーンが後から駆け付けて総力戦でミナデインとか撃つのかなぁと考えを巡らせてました。
そんなこんなで、ある程度予想の範囲内で物語は進み、ジャミとゴンズが瞬殺され、ゲマも朽ちます。なんかデスタムーア最終形態みたいな形で朽ちていくなぁと思いながら見てると、ミルドラースが復活し、ゲマの悲願が成就するという王道な流れに。
ですよねー、と見守っているとアルスが自慢の強肩で天空のつるぎを投げてしまいます。あれ、それないとダメじゃない?もしかしてミルドラース出ないの?確かにポッと出のラスボスだけど、エスタークはともかく、ミルドラースくらいは出さないと、、、
そう思った矢先、画面が停止したので、てっきりミルドラースが出てくる演出だなと早とちりし、そうこなくっちゃとなってました。
グラビティOFF。ん?
コリジョンOFF。あ、、、これ、、、
もうね、この時に瞬時に悟ったんですよ。これやっちゃいけないやつだって。同時にそうであってくれるなと強く願ったんです。
でも駄目でした。一番行って欲しくない流れで映画は進行してしまいます。
ここの描写は本当に辛くあらためて書きたくもありません。
わかりますか?
少し前までの文章を見ていただければわかるように、私は確かにドラクエⅤの映画を観ていたんです。多少の改変もカットも思い出補正で受け入れながら楽しく、本当に楽しく観ていました。長年思い描いた理想に近い映画を観ていたんです。
それが最後の10分で、なぜそうしたかも理解できない脚本で、簡単に別物に変えられてしまいました。
なんでこれをドラクエⅤでやったんですか?
ドラクエⅤでやる必要ありましたか?何を伝えたかったんですか?伝わりましたか?何が代償になったか理解してますか?
ドラクエⅤを題材にして、長年ファンが夢見た映画化という権利を得て、尺調整が難しい壮大なストーリーを創意工夫しながら短縮することも概ね出来ていて、それでいて最後の最後でああする理由はなんですか?
あれをやるならドラクエⅤじゃなくてもいいというレビューを見ました。そうだと思います。
魔王を出して倒してハッピーエンドにすれば完璧だったというレビューも見ました。そうだと思います。
もしあのオチをやりたいだけならオリジナル脚本でドラクエⅤを巻き込まずに勝手に作れば良かったのでは?その実力がないから根強い人気の原作を取り上げ、話題の作りのため、ファンの気持ちも考慮せず、自分のしたいことだけを押し付けるだけの本作が生まれたんでしょうが、本当に勘弁してください。
表現の自由という意見もあるでしょうが、題材としてドラクエⅤを扱うものとして、最低限の責務があるんじゃないですか?本作はドラクエⅤを私物化し、ファンがどう思うかも考えず、制作陣が悦にいるだけの最低な作品でした。
制作陣にファンはいなかったんでしょうか、何故誰もこの脚本に対して異議を唱えなかったんでしょうか。決定権ない人もいるでしょうし、ちゃんと仕事をした声優さんや音楽担当の方もいるでしょう。ですがこの結果は制作陣全体の連帯責任だと考えます。自分たちの仕事がどういう影響を与えるものかよくよくご理解いただきたい。
そう思うとラスト10分の前に容赦出来ていたことが容赦できなくなります。
特に、子どもが双子じゃないことのガッカリ感、ブオーンが仲間になることの必要性の無さは心に引っかかります。
極め付けは思い入れあるという設定の主人公が幼少期をカットするという行動。同じファンとして全く共感しませんでした。幼少期をカットするファン?それこそ未プレイ者の発想じゃないですか?
あの10分です。あの10分でありきたりな魔王討伐を描いてくれれば、本当に単純なそれだけのことが出来ていれば良かったのに。
おそらく本作の制作陣の中でストーリーに携わった人の中には本気でドラクエⅤを愛してる人はいないのでしょう。
映画化を夢見て待ち続けてきたファンとして、今回映画化の権利を持った人がそういう人達だったということ。心の底から残念でなりません。
最早レビューではなく、愚痴だということも分かってます。これは私なりの呪文です。制作陣の誰か一人にでもこの悔しさが伝わればと思います。
悲しい気分で映画館を出ました
予告のCGが出来た時からとても楽しみにしていました
まとまるのかな?どこまでやるのかな?
お嫁さんはどうするんだろう?
ゲームより多少違っても受け入れる覚悟をし映画館へ
開始からこのSFC表現はやった人じゃないとわからない笑
ダイナミックに王子さらわれたーなどゲームとの違いをも楽しんでいました
途中、おばあさんが薬を渡すあたりから あれ?ちょっと無理やりすぎない?
と、突然のお嫁さん変更。まぁやっぱりそっち選ぶんだね程度
でもふった彼女の町でプロポーズはどうかなと・・・
そこからゲームとは違う映画の世界は特に気にせず世界に浸っていました
しっかりものの娘ちゃんがいなくて子供たち二人の会話が無くて残念でした
パパスとの再会も父親に話かけ、わかった占い師だろう!?と言ってほしかった・・・
CGで時間もかかるし削られたのはしょうがないかなーと
ここまでラストにかけて映画作品でのドラゴンクエストを楽しんでいました
どんなラストに向かっていくんだろうと念願のゲマを倒し・・・でも魔界の門が・・
むすこー!とラストバトルに向かって息を呑むような展開です
ですが、ここです・・・
映画館の中が無音になり、不気味な静寂
まわりにいる人のポップコーンを取る音まで聞こえてしまうほどの
でてきたのは大魔王では無く、まったく関係ない物
それから言われる言葉、ドラクエ映画の世界の話・・・
VRのゲーム体験という話に切り替わり、私は頭がまっしろになりました
スラリンがなにかしてくれてた、リュカがロト剣もってた
少し覚えています もう終わってほしいと言う気持ちになり早く外に出たい
平和になっているドラゴンクエストの世界
ビアンカと息子が楽しそうに平和になった世界のこれからの話をしていました
リュカの顔も映っていましたが、かれはこれから現実に帰ります
エンディングでたくさんの文字、映像が流れました
とても悲しかったです 私はこんな映画を見に来たんじゃないのにって
どうしてこんな終わり方にしたのでしょうか
私はテレビゲームをプレイしている動画なども好きで見ます
お嫁さん選びはもちろん、色んな冒険のしかたをみて楽しかった気分になります
この映画では何も感情が浮かびません ただ悲しかったです
映画を作った人の中に最初から最後まで見た人たちがいるはずです
こんなことをされて映画館を笑顔で出れますか?
これを出せると言うことは、どうして悲しんでるかもわからないでしょうし
私もどうして何も残らないように感じさせてしまう作品が作れたのか不思議です
映画を見て映画館を出るとき誰かと話したくなります
この作品ではただ映画館から早く出たい逃げ出したくなりました。
この作品を公開する前に、誰一人嫌な思いをしなかったのなら
私はこの作品に関わった人は、人の心をわかっていない人たちだと思います
ずっと苦笑いだった…
ドラクエⅤはプレイ動画で見たので話は知ってます。
知ってますが……未プレイの人これ話分かったのかな?お母さんが連れてかれたシーンとか ビアンカとの旅とか パパスが死んだシーンとか あまりにもサラッと終わって「エエ!?」ってなった。
いや、まぁそこはいい……しょうがないよな、2時間弱に収めるのは難しいよな。うん、分かるよ、分かる。
いや声優……上手い人は上手いですが、ゲマ以外の主要人物が尽く棒読みチックで「これ、本物の声優さんが声当ててたら最高に惹き込まれるのになぁ……」という思いでいっぱいだった……。声優がうまい?どこが?“俳優”としてじゃなくて“声優”として評価してくれ。
いやもう最早そこもいいんだよ……豪華声優陣と名を打ちたかったんだよな……うん、分からないけど分かるよ、しゃあないしゃあない。
ゲマを倒すところまでは普通に見入っちゃったし、主人公お調子者だな!?でもちゃんと闘って偉いぞ!息子もビアンカも凄い!そしてヘンリー!ブオーンお前まで!!
これでハッピーエンドだな!!!!!よっしゃ!!!息子受け止めたってくれ!!!!!ってめちゃくちゃいい感じに惹き込まれてたのに、
なんだあのオチ…………。
世界が止まった時点で冷や汗が出てきて、「やめろ頼む……このオチだけはやめてくれ……」って願いも虚しく クソ茶番の始まりよぉ!
予告であんだけ「ドラクエ!映画!胸アツ戦闘!」って感じで呼び込んだくせに、その呼び込んだファンに対して「大人になれ?」……いや、は?
ラスボス倒したー!やったー!あとは倒したあとのエンディングだ!って時に、突然親に「いつまでゲームしてんの!」って電源切られるみたいな…… 。なんならあと一撃で倒せる!って時に切られたみたいな……。
ドラクエの映画化を見に来たドラクエファンに対して見せるオチがこれ?伏線回収?タイトル回収?いや、知らんがな……。
ユアストーリー を回収したいにしても、あのタイミングで、ああいう演出をする必要は完全になかったですよね。ベタに、クリアした後に満足感溢れるテレビ前の青年が出てくる、とかでいいじゃん……この演出だったらなるほど!と心地よく膝を叩ける。
いやそもそも、多くの人が仰ってるように、ドラクエでやらなくていいじゃん。何が “オチを思いついたのでオファーを受けた”だよ。ドラクエでやるべきがどうかは考えなくても分かるし、やりたいなら自分で1からRPGの世界を作り上げてそれやってくれよ。
アルキメデスの大戦がとても面白かったので(まぁ菅田将暉の演技を目的に見に行ったので)少し期待してたのですが、これはハズレだったようです……。
他にも、メインテーマ擦りすぎ!とか、現実押し付けたくせにラストに現実世界の描写ないんかい!とか、あれ?双子じゃなかったか?とか、ゲレゲレとマスタードラゴンとスライムは最高に可愛かったなとか!!色々あるけど!
オチが微妙な映画は沢山見たけど、こんなに驚きを通り越して苦笑いになった映画は初めてでした……。
賛の意見は否定しないし 心の底から楽しめた強いハートが羨ましい限りだけど、頼むから「否定する奴らはこの意味が理解できなかったんだなフン」と言わないでほしい……。十分理解した上で、そういう意見も辛いんや……。特に、ゲームが生きがいになってる人には、とても酷なオチだよ……。
(あと、リュカの使用クレジット入れてあげてね……)
近年稀に見る駄作
初めて映画のレビューを書きます。
と、いうのも誰かに愚痴を言いたくてという気持ちの発散場所を探してたからというのが理由です。
小学生の頃何度も繰り返し遊んだ名作ドラゴンクエストV。
この名作ゲームが原作となったドラゴンクエストを見ることが出来るというのを心から楽しみにしていました。
100分という時間の都合上カットせざるをえない場面だったり登場人物が少なくなることは覚悟していました。
映画が始まり、スーファミのドット絵で冒頭のダイジェストが語られる。
この表現にはグッと来るものがありました。
CGで描かれ始めるのはヘンリー王子と会うちょっと前から。
そこから、原作と超大筋の流れは合わせるもののストーリーはもうめちゃくちゃです。
まぁでも映画だし脚色するのもありかなと思って見てましたし、なんだかんだ楽しんでました。
一気に冷めさせてくれたのは、ラストでゲマを倒しミルドラースが復活するという場面。
ここで、ミルドラースではなくこのゲームシステムに入り込んだウイルスが登場。
頭の中は???????です。
なんと、この世界は主人公がVRでプレイしているゲームの世界だったのです。
なにこれ?
私はドラゴンクエストを見に行きました。
ダイの大冒険や、ロトの紋章のようにドラゴンクエストの世界の物語で完結してほしかった。
これはさすがにタイトルにドラゴンクエストという名前を使わないで欲しい。
詐欺にも等しい映画。
おそらく、映画料金1900円を初めて高いと感じ後悔した映画です。
観賞後にどこまで寛容でいられて、良いところを見つけられるかが重要
サブタイトルのユア・ストーリーと付けた意味は?というのが疑問でしたが、観賞後に一応納得。
昭和のアニメを劇場版にしたときの感じに似ています。テレビ放送時と違って哲学的とか監督の想いを込めすぎたりと言う意味で…
ただ時間の制約は有りながらもドラクエVの雰囲気が感じられたのと、音楽や声優された方々が上手で各キャラと合っていて良かったのと、ビアンカが可愛かったので星三つ。
終盤のアレは、さすがに一瞬思考停止しました(笑
最後のオチで全て台無し(星5→星0)
序盤~中盤までは、シーンの簡略化もありましたが、キャラクターデザイン、戦闘シーン、映像も綺麗ですし、素晴らしい映画だなと思いました。ただ、ゲマ撃破後の最後の夢オチがあるまでは。
どうして最後にいらんことするんですかねぇ。。最後のミルドラースの代わりに出てきたウイルス?が出るまでなら、間違いなく星5つだったのですが。
結論としては、ゲマ撃破後、ミルドラースの代わりに最後に変なウイルスを名乗るよくわからない敵(ドラゴンボールの敵キャラみたいなの)が出てきて、「この世界(これまでの物語や色んなエピソードがあったキャラクター含め全部)は全てVRゲームとして組み込まれたプログラムである。いい加減ゲームなんてやめて大人になれ!」と言って、ビアンカやアルス(主人公とビアンカの息子)含めてみんな消滅させられます。これまでのエピソードはなんだったの?登場したキャラクターとの愛や友情、物語ってなんだったの?って感じです。最終的に、実は仲間のスライムがウイルスバスターだったので、アンチウィルスソフト(スライム)の力を借りて、ウイルスを駆除して終わり、というもの。
はっきりいって、全てのドラクエファンを冒涜し、馬鹿にしている。ドラクエ5という名作に完全に泥を塗った。普通に作れば面白くできあがるし、最後の最後間では面白くできあがってたのに、どうして最後で余計なことするかなぁ。映画監督ってのは自分の独自の発想、ひねりを入れたい!というクセのある人間が本当に多いんだなと思いました。王道で原作通りにやればそれこそ名作で終わってたのに。山崎貴は本当にクソ。映画を見た人にひとりひとり土下座して回ってもいいレベル。
ドラクエ5が小さい時から本当に好きだったがゆえに、頭のおかしい映画監督にめちゃくちゃにされて、本当に悔しく残念な思い。これまでの思い入れの詰まったキャラクターや物語が、「ただのプログラム」と言われて消されていく様子に、感動とは逆の意味で涙を流しそうになった。
この映画に関わった人間は、映画を観る側の人の気持ちに立ったことがあるのかな?(あるなら、間違いなくこんなゲスなオチにはしないはず。)単に、映画を「オリジナルやと工夫なくてつまらんから、カリスマ映画監督の私の機転を活かして、ちょっとスパイス入れたろか~」と、作る側視点でしか考えてないように思えた。
結果、山崎貴のクソみたいな自己満足(監督本人は、前衛的・斬新的・天才的なオチと思い込んでいる模様)によって、他の製作関係者の職人技・努力の結晶(映像・音楽等)や、この映画、ドラゴンクエストシリーズを心から楽しみにしていたファンの人達の気持ちをグチャグチャにされた。
長々書きましたが、この映画をあのオチに持って行こうと促した人間は全員首つって死んでほしい。大好きだったドラクエ5の物語、パパス・ビアンカ・フローラをはじめとした魅力的な思い入れのあるキャラクターに泥を塗られ、滅茶苦茶にされたのが本当に悲しいです。正直この映画はかなりトラウマでした。ドラゴンクエスト(特に5)が大好きだったので、山崎貴の自己満足にグチャグチャにされた精神的ショックと怒りに言葉も出ません。間違いなく、過去何十年日本で公開されてきた数多の映画の中でも、ダントツで、史上最低最悪の映画であると断言できます。
ラスト15分がね。。
ドラクエ1~全てリアルタイムでプレイしてきたゲーム好きのアラフィフです。
壮大なVのストーリーを短時間の映画に省略する為には、双子の妹が出て来なかったりビアンカのリボンのくだりが省略されているのは、やむを得ないだろうと思ってました。
それよりもすぎやまこういちさんの音楽や綺麗な映像を充分に楽しんでいました。
ラスト15分前までは。
ゲマを倒した後の、「実はVRでした~」という実に安っぽいオチ。
「それがYour Storyです」?
タイトルを上手く回収しました、とでも言いたいのか。
意外性があった、と書かれてる方々もおられますが。。
意外性??
いわゆる「夢オチ」と同類で、最近よく見るありきたりな終わり方だなーと思いましたけど。
ドラクエの壮大なストーリーをオリジナル脚本で台無しにされた気分で、後味の悪い作品でした。
ありゃないわ・・・・・・
最初の入りは百歩譲ったとしても・・・・・
中間は、まぁまぁ・・・よかったけどね・・・・
最後の5分で「完全にストーリー崩壊!!!!!!!!!」
はっきり言って、「ミルドラース→ウィルス云々・・・とか」
スラリンがワクチンとか・・・・・
ドラクエの世界観を重機でぶち壊すエンディングって何??
はっきり言って「金返せ!!」です。
ストーリー展開出来ないんだったら、最初からやるんじゃないよ!!
あんな駄作を演じなきゃいけなかった声優・俳優陣は本当に
かわいそうだわ。
他の方も最後の5分は・・・ってコメントが多かったけど、
よぉ~く理解できました。
3DCGだけ綺麗な、ストーリー××な大失敗作です。
ラストを差し引いても酷い
ラストのメッセージはむしろ見ている人をバカにしているわけではなく、「ゲームをしていることに否定的なことを言うやつもいるだろうけど、ゲームをしている時の思いは本物だし自分だけのストーリーでいい。誰かに何か言われようとゲームを楽しめばいい。」というのが制作サイドの意図なのかと感じました。
なので否定された様な気分で怒ってる人は落ち着いてもう一回観てもいいかもしれません。
「今回はそういう設定なの」みたいなセリフやモンスターのやられ方からメタ落ちも予想できたので余り驚きもなく。
メタ落ちも斬新ってわけでもないのでプラスに振れることもなく。
その後の展開も陳腐すぎて何も褒める点がない感じ。
が。
そこに至るまでの本編が雑すぎだったなと。
あそこまでドラクエ5に対してリスペクトのないものを作るくらいならオリジナルストーリーのドラクエをやるべきでした。
・大事な場面で何故5ではなく6の音楽を使うのか
・ただの小屋しかないサンタローズ
・門と城しかなくトムしかいないラインハット
・魔物使いとしての主人公が全く活かせていない
・天空伝説において大事な天空城もエルヘブンもカット
・妖精に頼る経緯が意味不明
・序盤ダイジェストなので何がどう昔から背中を預けてたのかわからないビアンカ
・登場するモンスター少なすぎ
等々他にもありますが、雑な点は枚挙に暇がないです。
全部VRゲームだからって言われたらそれまでなんですけど
諸々が余りにも雑すぎて、好きなものにウンコを塗りつけられた気分です。
声に関しては、一部の下手すぎなのを除き、芸能人声優な割には悪くなかったと思います。
話が壊れている
オリジナル作品で映画を作るなら、このストーリーでも良い。
しかし、原作付きで、このオチは話が壊れている。
終盤までは満足の行く展開で、良かった。
ただ、終盤のオチが、ゲームにウイルスが混入して自説を視聴者に話すという展開で、意味がわからなかった。
監督は賛否両論がある展開になる言っていたが、
話がくだらないので白けた、というのは否定以前の話。
DQの原作付き映画でこれをやるというのは、意味がわからないし、単に脚本が壊れているだけではないですか。
百歩譲ってメタ視点でゲーマーを肯定したいのだとしても、
話が稚拙すぎて、白けてしまいました。
奇を衒ったとしても、作りが雑なのではないですか。
この壊れた脚本を通してしまった映画業界の構造が疑問です。
終盤までの展開、画、特にゲマを演じる声優の演技は素晴らしく、
これを作れるクリエイター、職人が揃っているなら、
ドラクエの世界を真摯に描く作品を作って欲しかったです。
関わる人が作り上げた仕事の結晶を、雑に泥で塗って壊して、
それが前衛的だと言って遊んでいるだけの、残念な作品を見てしまった気持ちです。
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当たり前だが、原作付きの作品であるなら、顧客はある程度は原作から「このようなストーリーでこのような作品なんだな」と想定して映画館に行く。
ただ、今回はDQの世界を描いたフィクションではなく、メタ視点で自説を話す作品という別物を見せられてしまった。
こんなことをされると、意表を突かれたとか、奇を衒ったとかを通り越して、もはや別物なので、ただ映画というメディアに対する信頼を裏切られたという気持ちにしかならない。
この国の映画業界では、顧客の信頼に応える映画作りよりも、炎上商法のような話題作りが優先になっていると、そんなことを思う映画だった。
「ぬわーーーーっっ!!」
※レビュータイトルは本作を観終わった直後の心の声を表したものです。
ドラクエはもちろん強く思い入れのあるシリーズで、特に本作の原作にあたる「Ⅴ」は、リメイク版なども含めると優に10回以上はクリアしているほど大好きな作品です。予告編の中で、フルCGで再現され、動き回っているモンスターたちを見て、少し心が躍り、期待したのが大きな間違いでした。
大切な作品を人質に取られ、のこのこと劇場に足を運んだばっかりに、身動きも取れないまま(精神的に)ボコボコにされ、挙句の果てにラストの“アレ”をくらい、とどめをさされたような、そんな心境です……。
1.一見さんを置き去りにした不親切な脚本
本作はサブタイトルに「ユア・ストーリー」(かつてドラクエVをプレイしたあなたの物語)とあるように、ドラクエファンを意識したシナリオになっています。というか、原作をプレイしていないと、話が飛び飛びで全く意味が分からないと思います。
さらにNPC(ノンプレイヤーキャラクター)は、端折ったストーリーを強引に進めるため、説明的なセリフばかりを話しますが、「天空人」だの「マスタードラゴン」だの「ドラゴンオーブ」だの「大魔王ミルドラース」だのといった意味ありげなワードを並べるだけで、それらについての説明や描写はほとんどありません。有名な「パルスのファルシのルシがパージでコクーン」と同じような状態になっています。原作未プレイの人は全くついてこれないでしょう。
そのくせ作中でまともに描かれている場所が「サンタローズの村」(のパパスの小屋)「サラボナ」「大神殿」の三ヶ所ぐらいのものなので、世界がすごく狭く感じられます。「グランバニア」や「エルヘブン」すら出てこないので、パパスやマーサの出自もよく分からないままです。「世界観をちゃんと作りこんでいないのに、意味ありげなワードだけ並べて無理やり世界観を広げようとする」という、クソゲーRPGにありがちな事態に陥っています。
2.原作ファンを蔑ろにした不誠実な改変
原作をプレイしていないと、ストーリーも世界観も意味不明で魅力を感じにくい“一見さんお断り”のつくりになっているくせに、原作ファンにとってはいちいち引っかかる改変が多すぎます。
➀天空の剣をルドマンが持っている
原作では、パパスが伝説の勇者を探す長い旅路の果てに「天空の剣」を見つけたことになっています。パパスから主人公、主人公から息子へと剣が受け継がれていくところに、この物語が親子三代に渡る壮大なドラマであることが象徴されていると思うのですが……。ちなみに原作では、ルドマンが持っているのは剣ではなく「天空の盾」です。
➁ブオーンが弱すぎる
原作でのブオーンは、有名な“詰みポイント”にもなっているぐらい強力な中ボスです。戦闘前の演出と相まって、多くのプレイヤーに絶望感を与え、下手するとラスボスの「ミルドラース」以上に強烈な印象を残しているモンスターではないでしょうか。それがまさか、「バギマ」程度であっさり倒されるなんて……。なんか、思ったよりちっちゃいですし。
➂主人公と息子の名前
主人公の名前が小説版由来の「リュカ」なのに、息子の名前は「ティミー」ではなく、なぜか「アルス」。細かい部分かもしれませんが、ファンへの配慮(あるいは監督のこだわり)が感じられません。これなら、デフォルトの「アベル」(主人公)と「レックス」(息子)でよかったんじゃないでしょうか。(そうすれば、小説版の原作者に訴えられることもなかったでしょうし。)
➃娘(タバサ)はどこにいった!?
原作では、主人公に息子(レックス)と娘(タバサ)の双子が生まれるのですが、映画ではなぜか息子だけになっていて、娘の方はいないことになっています。これだけの重要キャラクターをあっさりと切り捨ててしまえる監督には、不信感を抱いてしまいます。
➄軽いノリでしゃべりまくる主人公
映画化にあたって仕方のないことだとは思いますが、ゲームでは一言もしゃべらなかった主人公がべらべらとしゃべっている姿には違和感を覚えてしまいました。いや、別にしゃべるのは構わないのですが、あのヘタレ男子中高生みたいな軽口はなんとかならなかったでしょうか。物語中盤は「ビアンカかフローラか」という話を、ラブコメのような軽いノリで延々とやっているのですが、出来の悪い二次創作を見せられているようで、気恥ずかしくなりました。
あとBGMに関しては、すぎやまこういちさんによる元の楽曲が素晴らしすぎるので、否応なくアガる部分もありますが、「V」以外の楽曲も見境なく使いまくっていますし、いくらなんでも節操なく流しすぎです。「このBGMはこの場面には合っていないんだけどな……」と思う場面が多々ありました。
3.とどめの“メタ”ゾーマ!
さて、極めつけがラストの“アレ”です。そもそもの意味深なサブタイトルに加え、冒頭に出てくるスーファミ版そのままの映像や、モンスターが倒された時のデジタルな処理(消えてなくなり、お金をばら撒く)、また、時折メタ発言とも取れるセリフが散見されたので、なんとなく嫌な予感はしていたのですが、まさかこんな使い古されたネタを最後の大オチにもってくるなんて、たまげました。ダサすぎです! 負の衝撃度でいうと、まさに「メラゾーマ」級。心の中でパパスのように「ぬわーーーーっっ!!」と叫んでしまいました。
メタフィクションにすることで、先ほど述べた違和感や不満点のいくつかを説明することもできますが(例えば、主人公が男子中高生みたいな軽口でしゃべる点)、はっきり言ってそれは作り手の“逃げ”です。ドラクエの世界をきちんと作り上げることができなかったことへの言い訳のようで、本当にダサいと思います。
主人公がのたまっているのも、要は「ゲームだけど、これも現実なんだ!」ってことですが、そんなことは言われなくても分かっていますし、言葉にするのは野暮ってものでしょう。主人公に直接セリフで説明させてしまってはおしまいだと思います。
4.『ダニーの奇妙な冒険』
最後に余談ですが、私が大人になってから出会い、感銘を受けたドラクエVのプレイ動画『ダニーの奇妙な冒険』を紹介させてください。
「ダンスニードル」の「ダニー」を筆頭に、通常のプレイではあまり使われることのない“マイナーモンスター”たちをフィーチャーしたプレイ動画なのですが、「本筋のストーリーとは全く別の“もう一つのドラクエV”が生まれている!」と猛烈に感動し、実際に同じパーティーでゲームをクリアしたこともあるぐらいです。シリーズ最後の動画に付けられた「いらない子なんて、いなかった」のタグは、今でも深く心に残っていますし、一緒に冒険した「ダニー」「ピーコ」「マーリン」「ロッキー」「アイリン」「エミリー」「ネレウス」はいつまでも私の心の中で生き続けます。
この『ダニーの奇妙な冒険』に限らず、ドラクエはプレイした人の数だけドラマが生まれるゲームだと思います。だから、映画のことなんて早く忘れて、ドラクエVを実際にプレイしてみてほしいと思います。ぜひ本当の「あなただけの物語」を紡いでいってください。
「大丈夫、あなたの物語は山崎貴・脚本じゃない」
大好きドラクエを馬鹿にしたクソ作品。
レビューが大変長いです。ご了承ください
酷いです。酷すぎます。
ここでは何が酷かったか具体的に書いていこうと思います。
共感して貰えたら嬉しい限りです。
① 1時間40分
そもそもこのストーリーを1時間40分でまとめるべきではない。
これから説明していきますが、オチが〜とかビアンカが〜とかどうこうよりもまずこの問題ですね。
制作陣は何を考えているんだ。
幼少期からのビアンカとの絡みやボロンゴ(ゲレゲレ)の救出イベント。故郷が滅ぼされ怒りに狂う主人公やら妖精の町での物語全てカット。
おかしいだろう。
それに描かれてはいるが、ボロンゴ(ゲレゲレ)との再開イベントはビアンカのリボンを必要なくしていつの間にか仲間になっているとか有り得ません。
奴隷期間の10年間でお互い心のどこかの記憶を無くさないで、いざ再開した時にビアンカのリボンのおかげで打ち解ける。
他にもまだまだ感動するべきイベントがあるはずなのにそれら全てを尺のせいでカットした監督には怒りが収まりません。
要は前編後編と分けてしっかり作って欲しかったです。いや作れ。
②キャラデザ
これに関しては私が鳥山明先生のデザインで見たいと感じているだけか?と思っていましたが、やはり同じような投稿がいくつかありましたので私の考えは間違っていませんね。
フローラはとても可愛かったです。しかしビアンカは可愛いと思いませんでした。
女らしくないキャラだとゲームの中でも言っていた彼女ですが、鳥山先生の描くビアンカはとても可愛いですよ。
それなのにあのビアンカは自分には受け入れられませんでした。
あと主人公の絵も好きじゃないっすね。
③オチ
皆さんが仰っているように、オチです。
これね。本当にクソですよ
何がクソかって?ラスボスがプログラム?
笑わせんなよ。
もしこれがオチではなく、ラスボスであるミルドラースをしっかり倒した上で、プログラムの下りを入れないで、「昔も今でも、僕達は勇者なんだ。」みたいなフレーズが流れてきたらもう最高ですよ。
こんな事を脚本したことも無いど素人の俺でも考えられるのに、なんで監督はそのようにしなかったんですかねぇ…
オチが酷いと言うより、ミルドラースをしっかり描いて、上記のようにしろって話ですね。
まあだいたいこんなもんです。
理由にもありますが、①と③が酷かったですね。
②に関してはまだ妥協出来ますし、これだけなら十分良作になっていたはずですよ。
本当にガッカリで、自分のテンションもスーパーローテンションですよ。
ですのでこの作品の良かったところを最後に紹介して終わろうかなって思います。
それはずばり音楽とボロンゴ(ゲレゲレ)、スライムが可愛かった!!
くらいです。
以上です。長々と語ってしまいましたが、最後まで私のレビューを見てくれた方、ありがとうございます。
ワースト1位
最初から面白かった。
観ててドラゴンクエスト5やってた頃のストーリーも少しずつ思い出してきて楽しかった…でも、あのラストはないな。。。
ウィルス?ゲーム?データ?
そんなオチならドラゴンクエスト5をベースじゃなくてもいい。どんなゲームをベースにしても使える最悪なオチ。
普通に映画としてのドラゴンクエスト5のストーリーを楽しみたかった。
映画館に行って100本近く観てるはずだから中には駄作もたくさんあったけど終わってからここまで憤りを感じた作品は初めてだった。
自分の中のワースト1位になりました。断トツの!
がっかり
自称ドラクエファンで、5は10週はクリアしたくらい好きなタイトルです。正直この映画は期待が大きかっただけにがっかりしました。
時間に限りがあるため、展開が早くなるのは仕方ないでしょうが、本編で好きだったシーン、苦戦したボスキャラが出てこなかったのは残念でした。一番最悪だったのは子供の数が2人でなく1人だったこと。これは致命的でした。また本編のサブタイトルが「天空の花嫁」なのに、結婚式のシーンがなかったのも最悪です。
結末は賛否両論ありますが。きちんとドラクエ5の物語とすべきだと思います。現実味はありましたが、僕は夢を見に映画館に行ったので…。
良い点を強いて挙げるなら、映像と音楽は素晴らしかったです。
もし尺の問題で仕方ないのであれば、最近の映画でありがちな前後編にし、内容をもっと濃くして欲しかったです。
万人向けではない映画
この映画を見終えて、設定やオチに対して抵抗がある人もいるのではないかと思いました。よかったと感じた点は、3DCGならではの戦闘シーンや、ゴリ押し感も少しありましたが今までのドラクエシリーズの曲(特にドラクエ5や6の曲が多かった印象です)がドラクエらしさ感が出ていたと思います。しかし、違和感に感じた点も多く、主人公の少年時代が駆け足だったことや、キャラ設定の改変(プサンやヘンリー、双子の妹がいないこと)はドラクエ原作から変える必要があったのか、尺の都合ということもあるためか、個人的にはまだ妥協はできましたが、VRオチについては結構戸惑い、今までの盛り上がりが冷めてしまいました。なのでこの映画は正直ドラクエファンとしては賛否両論だと思います。とはいえ、特に序盤は感動できる部分はあると感じたのでこのような評価にさせていただきました。
否定意見が多いのはよくわかるけど
僕自身子供の頃にPS2版のdq5を何度も何度もプレイしていました。
それぐらい思い入れがある作品が映画化されたので、不安な気持ちと楽しみな気持ち両方を携えて映画を見てきました。
途中までは設定が色々変わっているし展開が早いな〜と思いながら映画を見ていました。
いろんなキャラがちょくちょくメタいセリフ(マスタードラゴンとか)を言ってて気になりましたが、2週目の主人公なのかな、ぐらいにしか思いませんでした。
そして賛否両論、いや否定意見多数と言われているラストの15分ぐらいはとても衝撃を受けました。
突如現れたウィルスが、「この世界はVRの中の世界で、君はたった数時間しかこの物語を体験していない。
設定も何もかも全てがプログラム上で、簡単に崩れ去る物だ。」とそんな感じの事を言い放ってきました。
しかし主人公がそれを含めての僕の人生だ、的な感じの事を言ってそいつを倒します。
とてつもない急展開です
僕はひどく驚きました。
でもそれは決して不快感だとかドラクエを汚された、とかいうマイナスな気持ちではありません。
むしろ自分のゲームありきの人生を肯定してくれるような話でした。
私たち自身人生の中でゲームを通して違う世界のストーリーを体験し、また現実に戻るという事を繰り返しています。
この映画自体も「違う世界のストーリー」であり、映画を見ている我々は「設定に沿ったストーリー」を眺めているだけです。
つまりは私達自身もリュカ自身(現実の姿)となんら変わりないわけです。
否定意見を出す方々はこの映画に何を求めていたのでしょうか?
とても思い入れのあるDQ5のフルCG映画、とみんなは言うでしょうね。
けどこれは「ドラゴンクエスト YOUR STORY」です。
どこにも映画版DQ5とは書かれていません。
勝手にDQ5の映画だと期待して観に行って、期待通りの映画じゃなかったからクソ認定、というのは流石に「大人」がすることでは無いと思います。
作品に込められたテーマをよく理解してください。
この映画は「ドラゴンクエストの物語を体験してきたあなたの人生」なのです。
そこら辺を理解してからレビューを投稿して欲しいな、と私は思いました。
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