ドラゴンクエスト ユア・ストーリーのレビュー・感想・評価
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ダサい大人のなり損ない
わたしはこれだ。リメイク版ではあったが、随分長い時間、このゲームで遊んだ。
ラストのオリジナル要素だが、私的にはぜんぜんアリの展開だと思う。
ゲームばっかしてるとダメになる!という発想は、悲しいけど厳格な大人たちの間にはまだまだはびこってる。ほんの少し前までは、彼らの歪んだ思想でゲームオタクは犯罪予備軍なんて荒唐無稽なレッテルも貼られていたくらいだ。
いまでもまだまだ、海外も日本も、過激な有名人が子供のゲームハードを破壊しては、動画にしたりつぶやいたりして「いいね!」が集まる時代だ。
だが逆説的に、そういう勢力の思念体がラスボスってのは、はっきり言ってゲームの世界にとってはやっぱりイレギュラー(ウィルス)なわけだし、ゲームにおいては最凶の敵なワケじゃないか。
ソレを撃退した世界で物語はつづいていくんだろう?
それはリュカたちにとってもゲームの世界にとっても、最高の環境だと思うんだ。原作と違っても、原作以上にハッピーエンドだと思う。ゲームをとりまく理不尽な環境から、ドラクエの世界を解放したのだと脳内補完した。
映画はこの通り、オリジナル要素も含めて面白かった。
冒険はつづくわけだが、他にも面白いのはここからだ。映画に関するクレームがもっと面白いことになってる。
ホワイト国から外されるときいたときのあの国みたいなことになっとるぞ。
絶対に分かり合おうとしない偏屈さや、向こう見ずに初投稿者が熟練の投稿者宛てに星の数を下げるよう意見具申する様子は、まさに「大人になりそこねた子供」と呼ぶに相応しいし、これこそが「大人になれ」というメッセージの奥に潜む「ゲームばっかりしてると...」という発想の根源になるのかもしれない。
何がいいたいか分かるか?
ここでワガママに騒ぎ立てて、他人の評価にまで口を出し、自分と違う意見を尊重もできず愚弄に走る行為は「大人たち」が私たちゲームオタクに負のレッテルを貼り直す絶好の素材となるんだよ。迷惑なんだ。
未成年も投稿できるので言葉に迷うが、ガキじゃないんだからバカみたいな荒らしは控え、そういうの見つけたら黙って運営に問い合わせるか、コメントで優しく諭してやってくれ。
アレは言っちゃダメってのはわかる
連休3日目。
ソコソコ埋まった客席は、30代〜40代の男性が大半で一部そのお父さんに連れられてきたお子さん。とにかく成人女性の姿はほとんど無かった。
で、見終わっていろいろ心の中を整理する。
個人的には、それほど感情的に怒りをぶつけたくなる様な作品ではなかった。
もちろんドラクエをちゃんと初代からクリアしてきたファンとして、また単にゲーム好きな大人としての怒りも無くはない。
ただ、何しろ「つまらない」んだもの。
怒りをぶつける気力も起こらない。
この映画は、多少のアレンジはあるものの、基本的にドラクエ5をトレースしていくだけ。観客はそれを眺めているだけの存在。
「いやいや、ストーリーは知ってるし」
当時ドラクエ5が話題になったポイントの1つは、フローラ・ビアンカ問題でプレイヤーに『物語を選ぶ』という展開を与えてくれたことなのに、当然ながら観客は見てるだけ。
あのフローラ選択の自己暗示オプションっていう伏線も全然成立してないし。結果としてドラクエ5の良さまで否定してしまう。
(ただフローラ・ビアンカ問題はそもそももてはやされ過ぎだよね。プレイヤーから見ても只のいちイベント。むしろ大きな時間の流れの中で語られるストーリーこそが素晴らしかったはず。)
で、またそのトレースしたお話がホントに「しょーもない」んだ。
演出が、すべて子供合わせ?って感じ。
まあそういう映画かぁ…と諦めて頭の中をそのモードに切り替える。午前中の「Eテレ」を見てる感じ。
そして問題のラスト。
あの「ウィルス」が登場。明らかにキャラクターの後ろにいるプレイヤーたる観客に「大人になれよ」と語りかけてくる。
え?このお話、大人に向けて作ってたの?…だとするとこの脚本書いた人はよっぽどですよ。
もちろんこの「大人になれよ」に怒ってる人の気持ちはすごくよくわかる。
ウィルスはもちろん「敵」ってことになる。
ただ、この敵で象徴される「ゲーム世界に入り浸ってる我々をバカにしてる存在」って、そもそも「ゲームに価値を見出して楽しんでいる我々」とは並行する世界にいる訳で、実は衝突どころか接点さえなく、本来対立関係にはなり得ない。
そこを無理矢理ラスボスとして登場するもんだから、あのウィルスに対しても「はあ、そうですか。あなたにはわからないだけだと思うんですが…」としか思えないし、ヤツがゲームを妨害しようとする目的もよく分からない。
ただの悪趣味な嫌がらせに、瞳に炎浮かべて「させるかぁぁっ!」ってはね返して終わりってのも何だか空々しい感じ。
その悪意が生まれた経緯とか、苦悩とか、主人公に気付かされるとか、ソコを表現するのが物語ってもんでしょ。
最終的にスラリンのワクチンで駆除する訳だけど、ウィルスの製作者(がいるとして)はそのままなんでしょ?目の前の火事を消しとめた!って喜ぶのは良いけど、放火魔はまだ火をつけて回ってる訳だから何の解決にもなってない。
で、結局私が何に腹を立ててるかっていうと、こんなくだらないオチの為に、1時間以上あのしょーもない「ドラクエ5の焼き直しコント」を見せられたのか、と。
声優陣は頑張ってたし、映像も音楽もいい。
材料は素晴らしいのに、シェフがダメだったっていう典型的なパターンよね。
日テレのドラゴンクエスト5
1番最初に日テレの文字を見た瞬間に嫌な予感はしましたがやはりその通り。
ドラゴンクエスト5のストーリーを斜め読みして日テレお得意の余計な色を付けた作品って感じの映画でした。
堀井雄二さんが作ったドラゴンクエスト5の世界を見たかったんですがね。
イブール、ミルドラース、エスターク、ピエール、シーザー、ロビン、はぐりん、バトラー、どうか製作者を許してやってくれ。
日テレが関わるといつもこうなんだ。
ゲームをやっていなくても大丈夫
とても良い映画だと思います。何度も原作をプレイした身ですが、よい思い出とすることができました。
ドラクエ歴代最高傑作といえばドラクエVといっても過言ではないと考えています。本作は、その世界観を踏襲した映画であるという点をアピールポイントとして世に出されたものです。
原作ゲームでは主人公の人生をお嫁さん別にセーブデータ2つ作るといった女々しいプレイスタイルをとったのは、私だけではないと信じています。
当時の限られたゲームシステムとしては伝説級の拘りっぷりが思い出されます。選ぶお嫁さんによって子孫の髪の色まで変わるほか、幼少期と青年期で主人公の見る世界の広さが異なるなど、随所に拘りが光る素晴らしいゲームでした。拘りだけではなくシリーズを通してボリュームもものすごく、原作の主人公は歴代シリーズの中でも最も過酷な目にあってきた主人公かもしれません。それゆえに、どの作品よりも本作の主人公に感情移入するプレイヤーが多いと思います。
結婚のシーンや世代を繋ぐ場面の再現を現代の技術で3Dアニメにするという画期的な試みにはとても楽しみにしていました。
実際見に行ってみると、冒頭のシーンでは当時を思い出し、とても懐かしくなります。思い出補正によってはここでもう泣けてくるかもしれません。
物語はそれなりに省略されてしまい、急ぎ足であったり物足りないと思うところもありますが、必要十分は確保していると思います。逆にこれ以上は詰め込めないというギリギリまで情報量は多く、ドラクエをそこまで知らない客層を置いてきぼりにしない限界をよく攻めた方だと思います。
アニメーション、音響は圧巻です。これだけのアニメはポンポン作れるものではないと思います。何部作にもザクザク切り分けられて、製作陣がファンの顔色うかがいながら、費用・脚本と相談し微調整しながら何年もかけてダラダラ作っていくよりは、一点モノの思い出として一作品にまとめて仕上げてくれたことで生まれる利点もあると思います。例えばですが、親子またはドラクエVを未プレイの客層でも見に行ける作品となったと思います。ドラクエVについてそこまで思い入れのない客層をこれひとつだけで魅了できる作品として仕上がったであろう点は評価したいです。
ラスト数分のせいでレビューサイトもツイッターも荒れに荒れていて、悲しく思います。
原作には存在しないメタ発言を敵が唐突にぶちまけるという乱暴なものですが、つくりものの世界であっても、大切なものです。ゲーム会社がつくりあげたニセモノの世界であっても、私たちは何度でも、勇者を介して救ってきたじゃないですか。
今更そんなことを言われたって、私としては「うるせぇ」の一言で片づけておしまい。倒す手段を模索して、手段があるなら倒して冒険を続けるだけです。このラストのあたりから、ただのドラクエVの再現から副題の「ユア ストーリー」へとシフトしていきます。ご都合主義というのもアレですが、ゲームシステムで仲間にしたモンスターがボスを倒すカギとなります。それ以降は、どんなにドラクエVをやりこんだコアなファンでもたどり着いたことのない新天地です。主人公リュカの物語から、主人公を介してこの世界を救おうとしていた私たち自身の物語に昇華されるのです。使い古された感じはありますが、最後の最後で観客参加型に切り替えるための工夫だったのだと考えたら、あの原作改変の乱暴なセリフに対する嫌悪感や違和感は払拭できると思います。
とても良い映画だと思います。何度も原作をプレイした身ですが、よい思い出とすることができました。
改悪どころじゃなく最悪
途中までは色々改変してあったりしますが、まだ許せます。ラストで改変じゃなく只の改悪映画に成り下がりました。
とても惜しい…ここまでやるなら原作に忠実にやってほしかった。
ネタバらしされてから観た感想です
ドラクエVの映画化だと思って観る場合と、ドラクエを題材にした作品だと思って観る場合とで、ひどく評価が分かれると思います。
前者を期待していくと、たまったものではありません…
ただ、ラストを知った上で、Vではないと割り切って観るなら、そこまで悪い作品ではない、と感じました。
Vの映画化だと(恐らくはわざと)ミスリードした予告編などが元凶だと思います。
Xならさほど問題もなかっただろうに…
余談ですが、『光のお父さん』と発想が被っている上に時期も近く、見劣りしてしまいました。
あのラストはないわぁ
ラストを抜けばそこまで悪い映画ではなかったと思っております。
ただあのラストは禁忌であり、ドラクエ5の映画を観に来たのであり、「ドラクエ5ベース作品で何故あのラストにした?」「あのラストにしたいならドラクエを使わずにしろよ!」というのが私の感想で、メタ要素を出したいなら最初にそういう縛りですということを最初に出しておけばここまで批判していません。
それにしても監督は脚本を書く際に自分の力量や見に来るであろう観客層を理解した上でリスク・覚悟の上であのラストを作られたのでしょうか。覚悟のない自己承認欲求の結果があのラストだと思っておりますし、ゲームへの概念は監督の中では平成初期あたりで止まっているんでしょうね。監督のメッセージが「それはそれぞれがその人にとってかけがえのないものだから」なら
こう言いたいです。
「ごめん、それドラクエ5を含めRPGをプレイした人なら誰でも知ってるし、ゲームのキャッチコピー「冒険という、もう一つの人生」だし、ドラクエ5ベースの映画ならそれは折り込み済みだと思ってたんですが、シナリオが秀逸のドラクエ5でラストを使い古しのメタ要素オチで興ざめでないわぁと思っている人多数なんですけどエンターテイメントは多数の観客の期待に応えて喜ばせることだということをご存じ?」
親子で見ても楽しめる映画でしたよ。
ドラクエ好きな嫁と息子のために、みんなで映画館に見に行ってきた。これは私と嫁のレビューとなる。
私は昔から別ジャンルゲーが好きなので、ドラクエシリーズはよく分からないまま大人になった新参者だ。ドラクエと聞いて思い出すのは、嫁が買ってきたマインクラフトみたいなゲームを何時間か息子と一緒に遊んだ思い出くらいだ。
このシリーズにそんなバリエーションがあることも、ドラクエVがその中でも特に名作だということもよく知らなかった。
嫁から事前に、原作は三世代に亘る壮大なストーリーなんだと教えてもらった。キャラ名やストーリーはドドーッとまくし立てられたので聞き流してたが、映画には嫁のお気に入りの何名かは登場しなかったようだ。
さすがにゲームのボリュームすべてを納めることはできなかったらしいが、スピード感のある進行は見ている者を飽きさせなかった。
息子は魔法発動のシーンが特にお気に入りで、問題になってるラストシーンはよく理解できてなかったかも知れないが、総じて楽しんでたみたいだし、良かったと思う。嫁は嫁で「わたしも息子にそのうちラスボス視されるかも」なんて笑って話せる程度には、この映画に嫌悪感を抱いていなかった。私も同意見だ。家族の時間に息子がゲームばっかりやってたら、ウイルスではなくワクチンとして、倒せないラスボスを演じなければならない。
ともあれ、総じてこの映画は見に行って良かったと思う。エンタメとしてとても面白いモノだったと思うし、ドラクエファンを卒業しないまま人の親になった嫁が見ても楽しめたようだから。
このことをオススメしようとレビューサイトに登録することにしたのだが、こんなにも酷い評価を受けているのか。にわかには信じられない。
挙げ句になんだこれは。ぼくはウイルスとか、彼はネトウヨとか。
訳の分からん荒らしまで沸いていて、今の私はドラクエファンの一部の頭のおかしい連中に対する怒りと残念さでいっぱいだ。
色々な意見があっていいと思う。しかし、感情的な投稿が蔓延し、放置されている。
ずーっとゲームばっかりやってきた人たちからしたらこの映画は許せないのだろうし、彼らには彼らの論理があることもわかる。しかし、一部の過激な投稿は明らかに規定に違反しているではないか。
以下は嫁のコメントだが、嫁も等しく一部のドラクエファンの暴挙に対して不快感を示している。
原文ママで載せる。彼らに対する煽りもこもっているので、注意して読んでほしい。
『さすがは勇者ばっかりプレイしてきた連中だ。ドラクエよろしく、人のテリトリーに土足で上がり込んで荒らし回るのがお上手ですコト。王族生まれでもない分際で。』
現場からは以上です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
最後のアレは魔王が勇者に見せた幻想なのでは?
魔王ミルドラースが勇者を諦めさせるために「この世界は仮想現実で虚無だ」という幻想を見せた。
つまり、実際の世界の実情と全くかけ離れた真っ赤な嘘を勇者に信じ込ませることによって、勇者を絶望させ気概を挫こうとした。
しかし勇者はそれを見事に打ち砕きミルドラースを倒した。
私はそう捉えました。
ドラクエとしては駄目。
私はドラクエが、特にVは最初に手に入れたゲームであり、SFCもPS2もDSも持っており、一番好きで何十回とやっています。
まずは、ドラクエを完全に無視し、映画としての感想。
グラフィックも綺麗だし、スピード感やアクションは楽しめるものでした。ストーリー的にはまぁ、ドラクエを知らないと分からないことは多いだろう、石化解くアイテムとかそういうのは説明いるだろうが。
しかし、まぁ、こんなもんかな程度。
んで、本題。
ドラクエVファンとして。酷い。
ストーリー的には、時間が短いからまとめる、はしょるはある程度は仕方ないが、
まぁ、大事なイベントとか設定飛ばしすぎ。
幼年時代を5分で終わらせ、パパスもあっという間に死ぬのは駄目だ。
しかも、ビアンカとのレヌールイベントもないから結婚イベントでの、葛藤もなくて、軽すぎる。
幼馴染とお嬢様で悩むイベントの醍醐味なし。
あれなら100%フローラ選ぶだろ。
フローラが変化の杖持っていて占いババになってるのとかも意味わからんし。
奴隷終わったらあっという間にサラボナ、ブオーン。は?
まずヘンリーイベントがかなり友情を気づく意味でも大事なんだが、ないし。
さらに、恐らくかなりのプレーヤーが苦労したブオーンがバキマで倒されるって舐めとるんか。
主人公レベル16でバキマを覚えるわけだが。ブオーン弱すぎるだろ。
魔物使いとしての能力もほぼ皆無。スラリン、ゲレゲレだけ?
ありえん。ピエール、ブラウンあたりを仲間にしないプレーヤーいるのかなぁ。
後、グランバニア、エルヘブン、天空城などや、ベラとかも出てこないし、天空装備も剣だけ。
息子生まれてから、テルパドール行ってから初めて伝説の勇者になるはずなんだけどなぁ。
そして、主人公、なんで自分がエル・ケル・グランバニアって知ってるんだよ。名前が小説設定も気にくわない。
100歩譲って、主人公がリュカなら、息子はペペルじゃないのか?なんでアルスなんだよ。
そしてなんで娘いないんだよ!あり得んわ。
最後に話題のラストバトル。
いやいや、ミルドラース戦だけはきちんとやってほしかったな。
なんだよ、あれ。
スターオーシャン3のFD世界みたいだ。
きちんと戦った後にエンディングしてからVRでした、ならまだいいけど、あれはないわ。
BGMもVで統一してほしかった。たまにVIとか出てくると萎える。
ブオーンにベギラゴンで戦いビアンカと、天空の剣を抜いたところと、ゲマ戦だけは見ごたえあり、胸アツだったかな。
ゲマ終わったら帰るべきかな
多分、これを見に行く人はドラクエ知っていて、ドラクエ好きだと思う。非常に残念。
ゲーマーに対するメッセージなんだろうけど、
ラスト15分で全部ぶち壊し。
愛情もないし、感動もない。
ドラクエ名乗るなよってレベル。駄作通り越して劣作。
評価に値しない。
ネタバレ厳禁なんだろうけど、
これは、結末を知っといて見た方がよいのでは…。DQファンにとって、二重の苦しみ。
「DQ世界が壊された」とお嘆きの方も多いでしょうが、話の内容や映像に関する批判が一段階目の苦しみとして、、
「DQならではの仕掛け」て、VR夢オチのこと? 別にDQで仕掛けなくてもいいよね。すでに多方面でされてるし。VR夢オチなら、魔王=ウィルスってのは、もっと匂わせとくべきだと思うなぁ。「自己暗示」や主人公の性格が妙なだけで、夢オチに繋げるのは話の作り方としてアンフェア。いきなり、スラリン=ワクチンて言われても…。
(え?ロボット…って、あれは「メタルハンター」な。そもそも「ロボット」て単語自体、DQファンは使わないし、DQのVR体験できんのに「ロボットと戦いたい」って言うの違和感あるわ。「ユア・ストーリー」なのに、主人公の中身にも共感できない、という二重の苦しみ泣)
ちょっと物語の作り方として、DQファンとして、センスを疑う。映像美とキャストの演技に星2つはつけるけど…。
ゲーム脳患者を炙り出す映画
ドラクエファンとして言うが、しっかりと映画についてレビューしてくれ。
自分の気に入らないことを敵ボスに言われただけで最低評価にして喚いてる連中が多過ぎる。ガラスのハートなのか?ヒステリー持ちなのか?
監督はこういう連中を炙り出したくて試験的にあのような構成の作品づくりを決断したのではないかと邪推したくなる程に、人間の醜い部分を露わにして作品叩きをする人間が多く見受けられる。
ドラクエファンは皆、作品を通して素晴らしい体験をし、人間的に成長してきたんだろう?その結果がこんなに口汚い投稿群なのか?人間性を疑うような罵詈雑言の数々に、ボスのセリフ以上の衝撃を受けた。ドラクエファンとして仲間だと思ってた人々が、ちょっと煽られたくらいで次々発狂していくようで、とても悲しいよ。
こんな体たらくでは、あのボスの言葉もあながち間違いではなかったのかもしれない。
コトの顛末はちゃんと理解できている?嫌なことを言う敵ボスは倒されたじゃないか。「ここからは皆が勇者としてこのゲームの世界で冒険をつづけて成長していってほしい」という、ユア・ストーリーというタイトルの伏線回収も綺麗に決まっていたし、100分ちょいの映画としてまとめるなら、私としてはよい締め方だったと思う。
最低評価の人たちよ。
その評価はストーリーが気に入らないというものだろうが、この作品の美しい音響、声優の努力、CGの緻密さ、魅力的なキャラクターの再現度などを全部無視できるほどのものだったのか?
熱烈なファンを気取ってるけど、最低評価の人たちは映画作品づくりにかける各種プロフェッショナルの情熱や努力を頭ごなしに否定して、馬鹿にしてるようにしか見えない。
ドラクエがゲームなんだということくらい、みんなわきまえて観てるだろう?ゲームと現実の区別もできなくなるゲーム脳の保持者でもあるまいし。敵の言葉にプッツンして、途端にわめき散らすなんて、ちょっと情けないんじゃないかな。
挙げ句、「この映画のせいで怒りにまかせてスマホを破壊した!」とレビューで報告したり、自称年収1300万円の人が「スクエニのゲームアプリを怒りにまかせて全部アンインストールした!」とレビューで報告したり、映画空母いぶきからの流れ者が高評価者をリストアップしてレビュー工作者だと決めつけて公表する事態にまで発展している。コメントの中には、何故か韓国人差別に関する単語まで飛び交う始末だ。
これでは低評価の人たちの民度の低さが際立つばかりだ。攻撃が過激な人ほど「ボクちん傷つけられたくない」のか、相手からのコメントは受け付けないのも程度の低さをよく表している。はっきり言って、みっともない。
今一度明言しておく。
ドラクエファンとして言うが、しっかりと映画についてレビューしてくれ。
こんなけ" ーむにまし" になっちゃってと" うするの
ドラクエはダイの大冒険シリーズから入って、受験期間中に発売された作品以外はだいたいプレイしました。もちろん、ドラクエ5についてもクリア済みです。
ただ、やりこみガチ勢の人には「お前はドラクエファンじゃない!」と怒られそうですが、どのシリーズも一度クリアしたらそれっきり、強くてニューゲームなどの複数回遊んだりはしないタイプのライトプレイヤーでした。
今作はドラクエ5のオマージュと聞いて、楽しみに見に行きましたが、確かにラストシーンは裏切られました。
真っ先に思い浮かんだのが稀代の迷作「たけしの挑戦状」の名言「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」。30年前のゲームと全く同じお説教を、映画の中でボスがしてみせたのです。
たけしの挑戦状と違うのはここから。
ある程度視聴者を絶望させた後、ボスに太刀打ちできる唯一の剣が姿を現し、不要な説教をするボスに一太刀浴びせて、物語は続きます。
ユア・ストーリーという副題はこのためのものだったのか!と思い至り、かつての思い出と共に、ゲームキャラクターに感情移入しまくっていた私たちをひとまず冷静にさせ、しかしそれでいてゲームの世界を引き続き生きていてもよいのだと許容してくれる。この作品はその点はとても大らかだと思います。
映画を見終えて、なんだか毎日ゲームに没頭していた頃が懐かしくなってしまいました。
私としては非常に珍しく、再プレイしてみたくなり、ゲームを買い戻しました。今は届くのが楽しみです。
たしかにこれはない
ドラクエのゲームに対する思い入れはあまりない。結構フラットな状態で鑑賞。
始まりはドット絵のドラクエ。そこから3Dアニメに移行していく。気になるのはゲームっぽい動きとセリフ回し。なんで普通のアニメっぽい映像にしなかったんだろうと思ってた。
あれもそれもあんな展開にするためだったのか!
ゲームをそのまま映画の脚本にしても面白くないと思ったのかもしれない。だから追加要素を入れたのかも。そんな同情をしつつ、これはないよなーと感じた。
エンドロールが終わって明るくなったときの館内のザワザワした感じ(悪い意味で)は初めての体験かも。
皆に問題の本質を理解してほしい
原作との差異は個人の嗜好で些細な問題だ。
映像脚本音楽等も自由に評価すればよい。
メタ展開の是非は大きな争点だが肯定派の多くは「これはこれで」の域を脱せず、王道ドラクエを求めた人はもちろん映画作品視点でも雑さが目立つ。
それでもこれだけなら面白いのかという評価軸の話だけですんだ。
そこじゃない。本作最大の問題点はメタ展開の中で
なぜあんな表現をし、あんな言葉を使ったのか。
脚本上の表現には全て意図がある。無数の選択肢からこの表現を選んだ事に悪質な表現の暴力が潜んでいるのが問題なのだ。メタ展開で作品が台無しになった事以上に、メタ展開内で投げつけられたメッセージに多くの人が憤っているのだ。
説明の為、一連の演出を列挙する
主人公以外の時が止まる
ウイルスが現れ、虚構だと暴く演出
「私を作った人間はこのくだらないバーチャル世界の住人達が嫌いで嫌いで仕方ないようです」
「天才プログラマーのただの暇つぶしです」
「彼からの伝言です。大人になれ」
このシーンの胸糞悪さは未視聴者には到底伝えきれない最高のクオリティ。
ダイレクトアタックで死亡者続出。
さてこのウイルスは何か?ゲームに無理解な昔の大人のメタファーとする意見が多いが、人格やセリフにそういったニュアンスが感じ取れず、個人的嗜好による攻撃的ニュアンスが支配的だ。全てセリフで説明する癖を持つ優秀な脚本家のセンスが光る。
ラストバトルに没入していた観客はカタルシスを得る間もなくメタを展開され、ウイルスが世界を虚構とする演出によって血の気が引くように映画館にいる現実へ引き戻される。ウイルスが言う。「私を作った人間は」と。現実世界において感情移入できない目の前のスクリーンから発せられる「私を作った人間」というセリフ。それは目の前の作品を作った人間と咀嚼されるのも無理ない話だろう。しかもどのセリフも狙っているかのように腑に落ちる。
かくしてダイレクトアタック死亡者、ドラクエ愛の有無問わず没入していた人、素直な子供等多くの観客にこの傲慢なメッセージが放たれた。質の悪いことに、メタ展開のカタルシスを大きくするために事前の公開情報はミスリードを誘っている上、原作改変に憤らず真摯に制作側の努力を認め多くの矛盾を許容した心優しき大人なファンであるほど、各所の伏線が矛盾の許容に紛れて伝わらず裏切られる最悪の構造になっている。
これ以降の脚本上のセリフが伝わるかは作品への没入度合いで決まる。
本作に没入し先ほどの経緯で醒めさせられた人達にとってはウイルス撃破も全て虚構、堀井さんが拘った最後のセリフも空しく響く。耳に届かなかった人も多そうだ。
俯瞰で作品を観ていた人、作品から距離を保てた人はウイルス撃破の少なすぎるカタルシスと説得力に欠けるゲーマー賛歌を受け取る。その中でもドラクエ愛やゲーム愛をもって本作に臨み、青年の回想に自分の回想を重ねられた幸運な人達が重みある賛歌を受け取れたのだろう。刺さる人がいるのはおかしくないしそれが脚本の狙いなのだろう。作品愛の多寡で肯定否定が一律に分けられないのはこれらが原因だ。
肝心の肯定方法はというと殴った本人が慰めるDVのような手法。知りもしない相手に上から目線で一方的に罵倒され「はいこれ君の大事な思い出。これで俺殴るとスッキリするんじゃない笑」とお為ごかしに解決させられた挙句そのウイルスを作った人間はのうのうと生きている。まさに現実に。
皆が喜べるやり方を含めた無数の選択肢からこの表現を選んだ脚本の意図を作品肯定者にも意識して欲しい。本気でゲーマー賛歌として作ったなら脚本の稚拙さと言葉選びの無神経さ、ファン心理への無理解さに呆れる。もし全て意図通りなら偉大な作品を餌に客を集め一方的に罵倒する筆舌尽くし難い悪辣さ。
そういう事は自分の作品で堂々とやるべき。
没入できる事は能力であって大人であることと両立可能。元より多くの人は俯瞰と使い分けている。信頼して没入できるはずの作品に他人が罠を張ったから悲劇になったのだ。制作者に誠意があるならもっと導入を丁寧にすべきだった。被害者はゆっくり傷を癒してほしい。
何より、子供も触れる可能性が高いコンテンツにこんな表現があって誰も指摘しなかったのか?業界の未来に不安を覚えさせる作品なので警鐘を込めて評価させてもらった。
堀井さんはじめ制作上層部にこの危機感が届いて欲しい。誠意を持って制作に取り組んだ開発現場や演者の方々に罪はない。作品としては良いところもそれなりにあった。
反響で原作アプリ版が売れているようだ。訴訟を踏まえて名作と名高い小説の新装版や電子版配信はどうだろう?良い作品を広め、ファンが支払った重い対価をスクエニは大切に扱ってほしい。間違っても炎上商法などと奢らぬよう。
監督はブレない方なので言う事なし。ルパンファンの健闘を祈る。
敢えて言おう
監督と脚本家は腹を切れ!
あ、その前に金返せや~~!!
これこそが「原作レイプ」!何のために映画化したのかさっぱり分からん。
ミルドラースがウィルスだと!?発想が10年遅れてる!!
途中のバトルは結構良かったけど…終わり悪けりゃ全てダメ!
ついでに言うと、パパスの死ぬシーンとかさ、感情移入する前に死んじゃうから、
「あ、そ、で?」ってなるんですけど?
製作側はもう一度「ドラクエⅤ」をプレイしてみなよ。
それでも「この映画の結末に自信がある」って言えるんかな?
様々な意見の中で思うこと
皆さんの言ってることは非常によく分かるし、
たしかに最後の展開は冷める部分ありました。
ただ、昔、初めてドラクエをプレーした時の高揚感、
そして、自分の好きな名前を主人公につけ、
進めていける、自分が勇者になった感覚、
それを表現したかった映画なのかなぁと…
単にドラクエ5を映画化しただけではなく、
むしろオリジナルストーリーとして見た方が
気楽に見れたのかなぁと思います。
いっそのこと、最後はミルドラースと決戦して
勝利し、ゲーム終了の流れからのデータでしたー
の方が収まりがいいんではないかと…
まぁ、無難な映画にはなりますけど。
ネット上のウイルスと闘うっていうのは
ちょっとなー…とは思います。
あと、スラリンがいい声で喋り始めた時は
少しがっかりしました。
あそこの場面は喋らずに、
ドラクエ特有のドットの吹き出しで表現して欲しかったと個人的に思いました。
映画を見終わって思ったことは…
とにかくドラクエしてぇええええ!って感じ(笑)
エグい
ドラクエの中で5が大好きだ。
ゲームで泣いたのは初めてだった。
映画になると聞いて、絶対見に行くと決めてたし
実際に観て、音楽もストーリーもゲームに忠実で
再現度が高く、CGも素晴らしかった!
世界観に引き込まれて、とても楽しく観れた。
ラストまでは。
ラスボスの言葉。
「大人になれよ。」
シーーン。
という音が聞こえ、背筋が凍る。
ドラクエの世界から一気に現実に引き戻され、
言葉が胸に刺さる。
大人になっても
昔を懐かしんで、映画を観に来ている
自分のことを言われているような、
そんな気にもなった。
結果、そのラスボスを倒し
ハッピーエンドのような流れになるけど
私のしらけた気持ちはそのままだった。
帰り道もずっと、なんだか落ち込んだ気持ちだった。
映像はとても綺麗だし
懐かしく、楽しく、観れてたのに、、、
とても良かったのに、、、、
ストーリーは否定しない。
ユアストーリーという意味も分かる。
主人公の気持ちが勝つのも観た。
でも。あの言葉はキツイ。
あの映画を観て、何週間か経ち、
街中でポスターを見ることがあるけど、
やっぱり嫌な気持ちになってしまう。
こんな気持ちになるのなら
私はあの映画を観たくなかった。
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