「地獄⋯けれど人による」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー Ayaさんの映画レビュー(感想・評価)
地獄⋯けれど人による
この映画がこれほど賛否両論になったのは、人によって許容ラインが違うからだと思います。否定してる人も許せないポイントは千差万別なので。
個人的には、以下の3点が大きいです。
1.キャラ改変
ヘンリーの口調。おそらく幼少期カットによって印象に残らないだろう王子様設定を観客の心に残すため(最後で出てくるからね)の「余」。そしてリュカの敬語。
結果、ヘンリーとリュカの親友設定が壊滅!悲しいのう。
王女の存在消失は⋯許せぬとしか⋯こちらは制作費の都合ですか???
サブキャラでショックが大きかったのはこの2人。
2.花嫁候補平等化による弊害
堀井さんから花嫁論争を再び盛り上げて欲しいとお願いされたからでしょう、ビアンカに関するエピソードが激減。悲しいのう!
キャラデザの変更は全く気にしてません。めちゃくちゃ魅力的でした。
でもリボンの話は無いし、大人ビアンカがどんな生活してる人なのか説明は皆無だし、リュカの態度は悪くて二人の間に絆は(男女として以前に友人としても)感じられないし、綺麗な滝の洞窟でのしっとりした冒険がブオーン退治になるし、「お前」呼ばわりだし⋯
確かに元々のストーリーはビアンカが正規ルートであることをひしひしと感じさせるものでフローラ派からすれば不公平だという思いがあったのは分かりますけど。
じゃあフローラのエピソード増やせばいいじゃないですか。ビアンカのターンを削って、かわりにやたらダラダラ引っ張ったのが占いオババのターンってどうなんすか?ここも全然納得できない唐突な流れで終始ポカーンでしたよ。え?フローラは一体どうしてそう感じたの?って。
そんで結局ビアンカなんかーい!!って誰もが心で叫んだことでしょう。
ビアンカの涙に「良かったね⋯良かったのか⋯?」と、この時点でモヤモヤ爆発。酷いのう!
3.オチ
と言うと一言で終わるけど、このオチの存在によって色々と悪影響が発生してますね。
正直なところオチは副題から覚悟してましたよ。伏線もあったし。それでも酷い。
a.主人公リュカについて
彼はドラクエ5主人公ではなく、単なるゲーマーでした。だから性格も軽いし弱腰だしチャラいし2人の女性両方にプロポーズしてしまう。
クソか!
花嫁選びは結構よかったという意見も見られますが、いやー、理解出来ませんわ。これが個人的に結構きました。序盤からじわじわと⋯HPを削ってきた⋯。
ただ、後半はそんなことも忘れてゲマとの戦いを夢中で見てたんですよ。でも最後のウイルスとの戦いでは、もはや彼は私たちにとって「単なるゲーマー」。
私はほんっと主人公に感情移入が出来ませんでした。ここも人によって大きく評価のわかれるところなんだと思います。リュカという名前に思い入れがある私はひたすら残念でした。
b.ネタバレの仕方が酷い
あのタイミングが。
緊張が最高に高まるクライマックスで、あれは⋯!
見入っていた無言の劇場内が一層静まり返って、頭に???が浮かんでましたよね。最悪のタイミングでしたね!すごろくでゴール寸前にふりだしに戻された感じで。
そして3DCGの崩壊。これすごく辛い地獄のシーンです。他の皆さんもディズニーとかポケモンとかで例を出して絶望具合を巧みに表現されてますけど、まさしくそれ。
ポケモン映画でいきなりピカチュウが真っ白になったら子ども泣くやろ!大人でも泣くわ!!テクスチャまで剥がすか?!
酷すぎるのーう!!!
ほんと酷すぎる⋯制作班よく許したな⋯逆にすごいと思う。プロ意識あるのか無いのか分かんないぞ。
でもね、ジャッキーチェンを見習って欲しい。NGシーンはエンディングで出してるでしょ?
そうしてほしかった。
エンドロールはゲーム画面で静止するんじゃなく、ゲーム機から出てきて現実社会に戻るゲーマーの後ろ姿で〆てほしかった⋯そしたら「エンドロール最後まで見ろよ!」で終わる話だった。
ここまで酷評され⋯され⋯どうだろう?
c.込められたメッセージ
アンチウイルスのスライムと一緒にウイルス退治!
「ゲームも大事な世界なんだクリアの邪魔すんな!」(今回はビアンカじゃなくフローラ選びたいな〜、あとロボット追加よろしくっ幼少期はカットでいいかなっ)
ははは(失笑)
ほんと何とも言えない。
感動するの?これで?我々は何を受け取ったのかな⋯(すっとぼけ)
確かに昔スーファミやってた子供時代は思い出したけど。
で?
もしかして、最近すごく見かける「ゲームに転生したら」系の話を楽しめる層は感動できるんですかね?私はアレ系の話は意味が理解できないんですよ。迷い込むならまだしも転生⋯ファンタジーの域を超えてるでしょ。いや、これは蛇足ですね。すみません。
以上、大きな3点でした。
こだわるドラクエファンにとっては他にもまだまだ許せない雑な作りは存在するみたいです。けれどそれも人によります。楽しめた人もいるんだから。そこは否定しない。
ただ私に言えるのは、多くの人の心を傷つけたのは間違いないということです。
いじめと同じで、やってる方は自覚ないんでしょうね。
そんなつもりはなかったのでしょう。そう信じたいですけど。
花嫁選びと占いババは本当にそうですね。不自然なまでのフローラへの好意、占いババの無駄な時間(余計な自己暗示によると知った時の失望感)
オチを除けば結婚前のやりとりが1番強い違和感として残りました。
こちらの作品、本当に賛否が分別れていますが、それは、「ドラゴンクエスト5」の映像作品として、観てしまう人が多いからだと思います。
ドラゴンクエストユアストーリーは、私達(プレイヤー)の物語です。私を含む、ドラクエ5をリメイクが出る度にその作品を数回クリアし、今まで何度も何度も何度も何度もクリアしているプレイヤーの皆さんは、なぜ何度も同じゲームを繰り返せるのか?主人公の辛い幼少期から脱し、花嫁を選び結婚して親になって我が子に名をつけて、魔王を討ち倒すというドラクエ5の壮大でワクワクするようなストーリーに心を踊らせ、何度も体験(プレイ)したくなるのか?それは、私達プレイヤーが、主人公に自分を移し、自らが主人公であるような流入的な感覚になるほどの魅力的なストーリーを、体験していることに他ならないからだと思います。
実際そのことには、ユアストーリーを観ている間は気が付きませんでした。気付かされたのはラスボスが登場した時からです。
本作の主人公は、VRでドラクエ5のリメイク作を体験しているプレイヤーであった。その事実を知った瞬間、私自身も本作の冒頭からラスボス登場まで「ドラクエ5を観ていた」のではなく、「主人公に心を移して一緒に体験していた」ことに気づきました。それは、今までドラクエ5を何度も主人公に心を移してプレイしていることと同じ感覚であったのです。本作は映像作品でしたが、ゲームをプレイしている時と同様に、「主人公になっていた」のです。
私達はドラクエ5に何を求めていますか?「ドラクエ5を観る」ことではなく「主人公になってドラクエ5の世界を旅する」ことのはずです。今までトータル何十時間何百時間とドラクエ5に費やしてきた時間は決して無駄ではなく、プレイする度に満足感に満ち溢れていたはずです。ドラクエ5のVR版が出たら絶対買いますよね?
本作を観たことで、そのことを改めて私達プレイヤーが自己覚知し、次にドラクエ5をプレイする時こそが、ドラクエ5を私自身の物語(MYSTORY)として改めて体験することができるのだと思います。本作は「ドラクエ5は映像として完結してしまった物語を能動的にクリアするのではなく、あなた自身が完結させる物語なのですよ」と教えてくれる作品なのではないでしょうか。
本作でドラクエ5を観ようとしていた人は、まだまだプレイ回数が足りないのでは?