「肝心なポイントが抜けている」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー tokunaga motoziさんの映画レビュー(感想・評価)
肝心なポイントが抜けている
主人公はドラクエのことが子供の頃から大好きなプレーヤーだという。なら、このお話には自分と同様に残念だと思うのでないか
そもそも元祖「ドラクエV 天空の花嫁」は貴種流離譚だ。主人公とパパスは重い使命を背負っており、父の死、過酷な運命に翻弄されてゆくことで主人公は武士としての宿命(もののふとしてのさだめ)ノブレス・オブリージュ、帝王学を実地で学んでゆく。
主人公はエレンイエーガーのように復讐に燃え、巨大な悪の厳しい現実に立ち向かおうとする戦士で凡庸な一般プレーヤーなどではない。
勿論、時代の変化というものがある。VRも一つの現実だとするSAOのキリトのような価値観も結構、一般人だから何が悪いという価値観もあるだろう。そもそもプレイヤーに主人公的価値観を持てというのも無理があるだろう。だが、だからといって主人公の設定を省略してよいとは思わない。
1,グランバニアと名がついているのにグランバニアの城が出てこない。身重のビアンカがそれを押して険しい山に挑み、グランバニアの城で力尽きて出産する。母は強しのメッセージが田舎娘が田舎で出産する話に変えられてしまった。田舎が悪いと言わないが父パパスの郷里に帰って原点を確認するメッセージ性が消えている。
2,テルパドールのイシスの消滅 伝説の勇者の言い伝えを知るもので、なおかつリュカとビアンカの縁を結んだ砂漠の王女、作品を語る上で大切なキャラなのに出てこない
3,エルヘブンの消滅、マーサはそこの出身だからこそ門を開く資質がある。天空人ではだめなのだ。せめて妖精界の娘とでもしておくべきだった。天空の勇者は王者パパスとエルンヘブンの民マーサー、天空人ビアンカ この三つの契りがあって初めて生まれてくる存在だから意味があるのに、映画だと天空人として血が濃いほうが良いように見えてしまう。(だったら最初から100%天空人でいいじゃないか)
貴方を否定するつもりは無いですが…
長編ものは制作費や時間制約があります。
ドラクエ5が作中舞台ではありますが
タイトルはあくまで
ユアストーリー
過去に大ブレイクしたRPGを高度にすすんだゲームシステムを採用し産み出された仮想世界のドラクエ…
原作実写ではありません。