「心の底から失望した」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー イナハタツシゲさんの映画レビュー(感想・評価)
心の底から失望した
別に、ストーリーが雑だったことに怒っているわけではない。
ビアンカ・フローラ論争への公式の見解に怒っているわけでもない。
ゲレゲレの名前に怒っているわけでもない。
娘がいないのはちといただけないと思うが、個人的にはそこも仕方ないと思えなくはない。
怒っている人が、怒っているのは、彼ら(僕たち)の思い出を踏みにじられたからだ。土足で蹴飛ばされたからだ。
あえてドラクエ5でこれをやる意味はない。
ドラクエ5は、総監督の主張を観客に伝えるためのツールとして、下駄を履かせるのに利用されているだけだ。
ソフト発売から約30年間、多くの人に愛され、多くの人の思い出がある中で、彼は、それらを踏みつけ、それらを利用し、その上に土足で上がり込み、ドヤ顔をしながら「どうだ?オレの思いつきスゲエだろ!」と叫んでいるだけだ。しかもその思いつきも大してスゴくはない。
ドラクエへの愛も、ファンのこれまでのシリーズへ懸けてきた思いや期待に対するリスペクトも、微塵も感じられない。
総監督はなにを伝えたかったのだろうか?ぼくは「ゲーム(架空世界)の出来事も、自分(ゲーマー)の物語になっているんだ」というふうに捉えた。「最後にウイルスに勝ったんだから、ゲーム(ゲーマー)への肯定だ」というのはある面正しいと思うが、それであるにしても、見せ方はほかにいくらでもあったはずだ。わざわざメタ構造にして、主人公に「僕の胸の中に生きているんだ!」と叫ばせる下品なやり方でなく、まずはゲームのエンディングまでをしっかり描き、彼の今後の生き様を、困難に立ち向かう姿勢を描くことで、それを観客に伝えればよかった。それであるならば、物語の作り方も、その評価も、何より宣伝ムービーの内容も抜本的に変わっていたはずだ。
それを、総監督の「チャブ台返しして観客の度肝を抜かせてやる!」とでも言わんばかりの功名心によって、多くの人の「ドラクエ5」への愛と思い出が無残に凌辱される結果となった。
ぼくは映画の制作発表から、この日を心待ちにしてきた。
あの素晴らしい物語である「ドラクエ5」が、映画館で、フルCGで見れる!
プレイすれば30時間は優に費やすゲームを2時間にまとめるのだから、大幅なカットや改変もやむを得ぬものと覚悟していた。キャラデザが鳥山明さんでないのも理由は知らないが甘受しようと思っていた。
それでも、不完全なものであったとしても、映画館であの素晴らしいストーリーの一片にでも触れられるのであれば、それは素晴らしい時間になるものと思っていた。
おおくのドラクエファンの皆さんもそうだったのだと思う。ストーリーがブツ切りなのも、音楽が多少トンチンカンでも、キャラデザが違っても、声優が多少棒読みでも、みんなわかっていた。「大人」なのだから(笑)、多少のことは仕方ないと、最後のオチさえ間違えなければ、「よかったね」「まあ少し不満だけど、まあまあだったんじゃない?」と、笑って映画館を後にしてくれたはずなのだ。
怒っている人が、怒っているのは、僕たちの思い出を踏みにじられたからだ。
僕は、率直に言ってこの映画を世の中に出させたスクウェア・エニックスに、その判断に、そしてファンへの無理解に、心の底から失望した。
これは、僕たちが大切に抱えてきた思いを、この映画にかける期待をことごとく蹂躙し、すべてのファンに唾を吐きかける愚行だ。
(本作を「駄作」と評する方がおられるが、僕に言わせれば「愚作」である。)
あらためて、前・中・後の3部作で、《全うなドラクエ5》の映画化を、僕は強く望む。
ここまで悪評を集めたからには、スクウェア・エニックスは今すぐにでもそのための委員会を立ち上げるべきである。
別に鳥山明さんのキャラでなくてもいい。(本当は鳥山さんがいいけど^^;)
CGが難しければアニメでもいいだろう。
きちんとドラクエ5のシナリオをリスペクトし、適切なストーリーで既存のファンを裏切らず、また新規さんにドラクエの素晴らしさを伝えられる監督に、適切な規模の人員と時間を配して、この社を挙げての不祥事の挽回に向け積極的に行動すべきである。
ぼくはドラクエ5という作品が、こんな形で踏みにじられるのでなければ、多くの人の感動を呼び、ひいてはドラクエファンを増やす起爆剤になるだけの物語であると信じている。
何時の日か、それが実現することを心から願っている。
愚作、的確ですね。今の時世あちこちで幅を利かせてとうとうここまで侵食したのかと。ゲームを共有するべき空間を劇場スクリーンに投影する事は難産だと思います。ポケモンは恵まれていました。FFは世界的赤字映画として不名誉な記録を残しました。然るにドラクエの選んだ道は…最も安易な商売根性をおくびにも出さなかった。実に恥知らずです。そして無念です。夢を与える事は素晴らしい。だがそれをはき違える愚者が大きな顔をする。ドラクエの一大スペクタクルはリスクが高い。数年前のライブスペクタクルは共有の余地がちゃんとありました。労多くして益少なしでしたが、あれぐらいが丁度いいと自分は感じています。どうかめげないで下さい。魂燃やして、もう一度戦うと誓う(鴻上さんです)。ドラクエⅠ、Ⅱ、Ⅲに連なる名作の一つとしていつの日か素晴らしい感動に巡り会える日を思い描きましょうぞ。