「思い出を踏みにじられた」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー eiga0604さんの映画レビュー(感想・評価)
思い出を踏みにじられた
この映画の制作陣に少しでも悔しさを伝えたく、レビューします。
私にとってドラクエというもの、特にⅤは小学生の時に遊び尽くした思い出深いものです。
ですから、この映画の告知を目にした時、その当時の気持ちを思い出し、たとえ難い高揚感に包まれたことを覚えています。
ドラクエⅤは昔から映画化ドラマ化アニメ化できる内容と思っていて、いつの日かいずれかが実現されないかと頭の片隅で願い続けてました。
それが叶うと分かった時の嬉しさが分かるでしょうか?本当に幸せでした。
反面、一抹の不安があったことも確かです。
正直なところ、あの壮大なストーリーを2時間弱で収めるには無理があるのは理解していたので、多少のカット、改変が入ることは覚悟していました。
なので、冒頭のゲームシーンやオープニング曲までの流れは、尺詰めを実現する上のある種の工夫、捉えようによってはファンサービスも兼ねた上手い手法だな、と好意的に解釈し受け入れていました。
もちろん初見の方には理解し難く、一見さんお断りの映画となってしまい残念だなとは思いましたが、それでも当時ゲームに没頭した私からすると些細なことでした。今さら新規層の獲得を狙うわけでもなし、プレイしてから見に来いと思うほどです。
冒頭の駆け足が終わり、颯爽とスラリンやチロル(私はチロル派)が仲間になり、そのテンポにも慣れて中盤に入った頃、あの語り継がれる名イベントを迎えます。結婚イベントです。
個人的には、改変はありつつも結婚イベントに手厚く時間を割いていたことを非常に嬉しく思いました。ビアンカもフローラも本当に尊く、プロポーズのシーンではこの映画唯一涙腺が緩みました。ビアンカ派の私は心でガッツポーズしてましたよ、ええ。
それからグランバニアは犠牲になりつつも出産、石化、ストロス、勇者発見と物語の主要イベントは消化していきます。そして天空のつるぎが抜かれた時に二度目のオープニング曲が流れ、この制作陣はわかってるなと信じ切ってました。
その勢いのままマスドラと合流し、出会ってもいない妖精と過去イベントをこなす頃には、思い出補正でイベントが勝手に補完され、いい感じに映画に没入してました。
大体この頃合いからラストを想像し、主人公がゲマを倒して、ミルドラースが出て来て全滅して敗れそうなところにヘンリーやサンチョ、なぜか仲間になったブオーンが後から駆け付けて総力戦でミナデインとか撃つのかなぁと考えを巡らせてました。
そんなこんなで、ある程度予想の範囲内で物語は進み、ジャミとゴンズが瞬殺され、ゲマも朽ちます。なんかデスタムーア最終形態みたいな形で朽ちていくなぁと思いながら見てると、ミルドラースが復活し、ゲマの悲願が成就するという王道な流れに。
ですよねー、と見守っているとアルスが自慢の強肩で天空のつるぎを投げてしまいます。あれ、それないとダメじゃない?もしかしてミルドラース出ないの?確かにポッと出のラスボスだけど、エスタークはともかく、ミルドラースくらいは出さないと、、、
そう思った矢先、画面が停止したので、てっきりミルドラースが出てくる演出だなと早とちりし、そうこなくっちゃとなってました。
グラビティOFF。ん?
コリジョンOFF。あ、、、これ、、、
もうね、この時に瞬時に悟ったんですよ。これやっちゃいけないやつだって。同時にそうであってくれるなと強く願ったんです。
でも駄目でした。一番行って欲しくない流れで映画は進行してしまいます。
ここの描写は本当に辛くあらためて書きたくもありません。
わかりますか?
少し前までの文章を見ていただければわかるように、私は確かにドラクエⅤの映画を観ていたんです。多少の改変もカットも思い出補正で受け入れながら楽しく、本当に楽しく観ていました。長年思い描いた理想に近い映画を観ていたんです。
それが最後の10分で、なぜそうしたかも理解できない脚本で、簡単に別物に変えられてしまいました。
なんでこれをドラクエⅤでやったんですか?
ドラクエⅤでやる必要ありましたか?何を伝えたかったんですか?伝わりましたか?何が代償になったか理解してますか?
ドラクエⅤを題材にして、長年ファンが夢見た映画化という権利を得て、尺調整が難しい壮大なストーリーを創意工夫しながら短縮することも概ね出来ていて、それでいて最後の最後でああする理由はなんですか?
あれをやるならドラクエⅤじゃなくてもいいというレビューを見ました。そうだと思います。
魔王を出して倒してハッピーエンドにすれば完璧だったというレビューも見ました。そうだと思います。
もしあのオチをやりたいだけならオリジナル脚本でドラクエⅤを巻き込まずに勝手に作れば良かったのでは?その実力がないから根強い人気の原作を取り上げ、話題の作りのため、ファンの気持ちも考慮せず、自分のしたいことだけを押し付けるだけの本作が生まれたんでしょうが、本当に勘弁してください。
表現の自由という意見もあるでしょうが、題材としてドラクエⅤを扱うものとして、最低限の責務があるんじゃないですか?本作はドラクエⅤを私物化し、ファンがどう思うかも考えず、制作陣が悦にいるだけの最低な作品でした。
制作陣にファンはいなかったんでしょうか、何故誰もこの脚本に対して異議を唱えなかったんでしょうか。決定権ない人もいるでしょうし、ちゃんと仕事をした声優さんや音楽担当の方もいるでしょう。ですがこの結果は制作陣全体の連帯責任だと考えます。自分たちの仕事がどういう影響を与えるものかよくよくご理解いただきたい。
そう思うとラスト10分の前に容赦出来ていたことが容赦できなくなります。
特に、子どもが双子じゃないことのガッカリ感、ブオーンが仲間になることの必要性の無さは心に引っかかります。
極め付けは思い入れあるという設定の主人公が幼少期をカットするという行動。同じファンとして全く共感しませんでした。幼少期をカットするファン?それこそ未プレイ者の発想じゃないですか?
あの10分です。あの10分でありきたりな魔王討伐を描いてくれれば、本当に単純なそれだけのことが出来ていれば良かったのに。
おそらく本作の制作陣の中でストーリーに携わった人の中には本気でドラクエⅤを愛してる人はいないのでしょう。
映画化を夢見て待ち続けてきたファンとして、今回映画化の権利を持った人がそういう人達だったということ。心の底から残念でなりません。
最早レビューではなく、愚痴だということも分かってます。これは私なりの呪文です。制作陣の誰か一人にでもこの悔しさが伝わればと思います。