「なぜ全力を出さないのか」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー フラットなクリエイターさんの映画レビュー(感想・評価)
なぜ全力を出さないのか
僕自身、小学校低学年の頃に始めてドラクエⅤをプレイし、感激し、夢中になっていたのを覚えています。
その頃はレベル上げの重要性に気付けず、最後のダンジョンには辿り着いたものの、ミルドラースがどうしても倒せなくて。
高校生になってリメイクが発売され、改めてプレイした時にクリア出来た感動は今でも覚えています。
そして今回、この映画が公開されると知ったときは、楽しみで仕方ありませんでした。
その日から今や遅しと公開日を待ち続け今日、童心にかえったつもりで鑑賞に望みました。
結論から書いてしまうと、どうしてこんな中途半端なものが世に出てしまうのか疑問でした。
まず、終盤を除く、まだ『ドラクエⅤ』を描いていたシーンについて。
大人の事情で俳優さんや芸人さんを起用しなければいけないのだろうけれど、ドラクエヒーローズで、ビアンカは井上麻里奈さん、フローラは花澤香菜さんのイメージが付いてしまっているので、既に声が付いているキャラクターに関しては、それを尊重して欲しかった。
後は、マリアと脱出の件が無い、ビアンカのリボンの件が無い、娘がいない、など様々改変された部分はあるが、問題は最後のシーンだ。
主人公が、あくまでドラクエというゲームをプレイする1人のプレイヤーだったと解り、ゲーム世界を破壊しようとするウイルスが『大人になれ』と彼を嗜める場面。
恐らく、「大人になること」や「大人になって背負わされる常識」を共通の敵として据え、それを主人公が払拭したシーンにカタルシスの解放を感じて貰おうという意図なんだと思うが、あんな中途半端な演出では視聴者に『公式からゲームを卒業しろと言われてしまった』という印象を持たれてしまうのも仕方がない。
そもそも、上映中に視聴者に現実世界と向き合うことを強要するような展開を描きたかったのであれば、ドラクエⅤを題材にするべきではなかった。
嫁にも子供にも恵まれる疑似体験からいきなり現実に戻されるのは、喪失感が大きすぎる。
姫を救って魔王を倒すだけのⅠでよかった。
あるいは安直だが、エンディングを迎えて現実世界に戻ってきて、達成感と喪失感を抱いた主人公が、現実世界でビアンカ似の運命の人と出逢う等、現実世界に希望を見出せる終わり方を用意しないと、物語にどっぷり浸っている上映中に、現実世界を受け止める意識を視聴者に持たせるのは難しいだろう。
少し挙げるだけでもこれだけ指摘が出てきてしまう今作品。
諸先生方が全力で知恵を絞って生み出したものとは到底思えない。
ドラクエⅤという素晴らしい原作を使用したからには、そしてその唯一の映画化の機会を消費してしまったからには、全力をもってこの作品を名作へと昇華させて欲しかった。
それが、残念でならない。