ビル・エヴァンス タイム・リメンバード : 映画評論・批評
2019年4月23日更新
2019年4月27日よりアップリンク吉祥寺、アップリンク渋谷ほかにてロードショー
狂気と正気の間でデリケートなバランスを保ちながら、壮絶な生の軌跡を辿る
ジャズの歴史上、巨人と呼ばれるピアニストは何人もいるだろうが、今なお多くのミュージシャンに決定的な影響を与えているプレイヤーといえば、ビル・エヴァンスをおいてほかにいない。ピアノ・トリオというフォーマットを至高のレベルに押し上げた稀有な天才という評価は、近年、ますます強固なものとなっている。とりわけスコット・ラファロをベーシストに迎えた「ワルツ・フォー・デビイ」「ポートレイト・イン・ジャズ」「サンデー・アット・ヴィレッジ・バンガード」「エクスプロレーションズ」の四枚の名盤アルバムは永遠の輝きを放っている。
この作品は彼の生誕90周年を記念して作られたドキュメンタリーだが、ありきたりな偉人伝のような作りとは対極にある。当初は軽妙なテンポで、その出自、華麗なキャリアを積み上げていくさまが、共演したプレイヤーたちの証言を挟みながら語られる。しかし、順風満帆にみえたエヴァンスにも、いつしか〈死〉の影が忍び寄ってくる。やはり最大のターニング・ポイントは、スコット・ラファロのあまりに早すぎる交通事故死だったろうか。完全主義者エヴァンスが抱えた深い喪失感を埋めるかのように、過剰なヘロイン摂取によってその心身は急速に蝕まれていくのである。
乱倫の果てに内縁の妻が、さらには最愛の兄が統合失調症で自死を遂げてしまう。哀切きわまりないナレーションと親密なプライベート映像の落差に、奇妙な居心地の悪さを感じつつも、画面の背後からは、つねに深い精神性をたたえたエヴァンスの典雅なまでに美しいピアノの旋律が流れているのだ。とりわけ名曲「ワルツ・フォー・デビイ」のモデルとなった姪のデビイの晴れやかで、屈託のないイノセントな表情を見ていると、どこか救われるような気持になる。
映画は、狂気と正気の間でデリケートなバランスを保ちながら、51歳という若さで急逝した孤高のピアニストの壮絶な生の軌跡を見事に透かし彫りにしている。見終わると誰もが、すぐさまビル・エヴァンスのアルバムを聴きたいという衝動を抑えることはできないだろう。
(高崎俊夫)