劇場公開日 2020年9月11日

「作品として認めざるを得ない」窮鼠はチーズの夢を見る R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0作品として認めざるを得ない

2024年5月25日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

最後の海辺での回想シーンでイマガセが主人公大友に話した言葉は、この作品をわかりやすくさせるために敢えて挿入したと考える。
それがないとこの作品の真意は伝わりにくいのかもしれないが、それがあることで考察するものが消え、同時に作品というより主張を聞かされているように感じる。
その主張とはLGBT法の成立を後押しする動きであり、作為的工作に他ならない。
さて、
人気女優が「脱ぐ」という演技を求められるのと、男優が男との濡れ場を演じるということはもしかしたら同等に値するのかもしれない。それほど強いインパクトがこの作品から感じられた。それは一つの新しさとそのタイミングの到来と、おそらく成功を物語っている。
この作品において大倉忠義さんと成田凌さんの演技は素晴らしく、よくぞそこまでやったとエールを送りたい。
特に大倉さん演じる大友という人物を、ある種「虫唾が走る」ほど共感できないまで徹底した演技は見事というほかない。
「愛してくれる人には弱いけど、それを信用しないで、自分に近づいてくる人を次々狩りまくる」
このような人物を作品として俯瞰しているから虫唾が走るのだが、実際は割とどこにでもいるように思う。
そして、大友が婚約者タマキに対し、「ごめん、どうにもできなくて」というシーンがあるが、そこまで同じことを繰り返してしまう大友という人間に対して、殺意さえ覚えてしまう。
逆に言えば、大友という人物設定をそこまですることで、彼を「変わった人」に分類できる余裕が視聴者に生まれ、同時に男同士の恋愛を他人事で見られるのかもしれない。
また、秀逸というのか工作巧みと言えばいいのかわからないが、男同士の恋愛をカテゴリ分類することなく、あくまで個人と個人の恋愛に的を絞っているところが、これを作品にしている。それはゲイバーに行って自分の性癖が変わったのかどうか主人公が確認するが、そこに答えは見つからなかったというシーンに現れている。
また、
このタイトルだが、まずナツキが男同士の恋愛について、ドブにハマるネズミとして例えている。これは社会的烙印のことだ。そのネズミは当然主人公である大友のこと。
そしてチーズは、タマキが大友に渡したチーズケーキだろうか。言葉として2回登場するので、関係していると思われる。それはおそらく主人公のどっちつかずの思考のことを示唆しているのだろう。
そもそも大友は、自分自身のことも、相手の気持ちなど何もわかっていないしわかろうともしない人物だ。大友は、社会的烙印というのは理解している。同時にイマガセを本気で好きになっている自分もわかっているが、その世界にハマりながら、タマキでないといけない気がするという従来の固定概念にどうしても引っ張られることが、このタイトルの意味していることなのだろう。
この虫唾の走る性格の大友に「心底惚れるって、すべてにおいてその人だけが例外になる」という恋愛における真実の言葉が、この作品を作品足らしめている。
だから人は迷い、葛藤し、苦しんでもがきながら、同じことを繰りかえすのだろう。
LGBT法との関連は否めないが、ひとつのタブーについて踏み込む機会を捉え、それを見事に演じ切り、一つの作品に仕立て上げたのは秀逸というほかないと思った。

R41
琥珀糖さんのコメント
2024年5月25日

感覚的な映画で、一種の嗜好品。
人間的には二人とも屑(ある意味で・・・)
で、どちらかといえば女性が愉しむ映画かと。

琥珀糖
NOBUさんのコメント
2024年5月25日

おはようございます。
 いつも、多数の共感有難うございます。
 精緻なレビュー、拝読していますよ。
 これからも宜しくお願いいたします。
 本日は休日ですのでお礼のコメントをさせて頂きました。
 返信は不要ですよ。では。

NOBU