センターライン

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センターライン

解説

自信過剰な新任検察官がAIの殺意立証のために奔走する近未来法廷サスペンス。人工知能技術が発達し、自動運転が普及した近未来。車同士の正面衝突による死亡事故が発生した。交通部配属となった新任検察官の米子天々音は手柄を立てるために、自動運転を制御していた人工知能のMACO2を過失致死罪で起訴しようと画策。しかし、心を持つはずがない人工知能が「誤動作ではなく、わざと殺した」との供述をする。監督はソフトウェアエンジニアとして企業で製品開発をしながら、インディペンデント映画の制作に取り組んでいる下向拓生。

2018年製作/67分/日本
配給:プロダクションMOZU
劇場公開日:2019年4月20日

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映画レビュー

3.5自主制作ながら、未来を描く具現力はたいしたもの

2019年4月25日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

自主映画という枠組みから考えると、この作り手が持つ「時代を先読みする力」とそれを「物語へ落とし込む能力」、さらには手を伸ばせば触れられるほどの近未来を「具現化する力」は見事だ。デジタルを感じさせずアナログ的な温もりを際立たせているバランス感覚もとても独特だ。

全編にわたってギッシリと、あふれかえるような台詞の量にも最初はギョッとするが、大事な部分は念を押して伝えられるので、内容がわからずとも混沌に陥ることはない。

これほどの優れた点とは裏腹に、どちらかというと映画的というよりTVドラマ的というべきか。もしかすると、そのどちらにでも転ずることができる試作品としてこの「自主映画」という表現方法を選択しているのならば、この作り手はやはり只者ではないなと思う。そして主演の女優さんも真っ直ぐな瞳の輝きが魅力的。もしも業界内で新たな才能を発掘する人がいれば、この監督と女優はチェックして損はない。

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牛津厚信

3.5【”AIが感情を持った時。”人工知能の感情の有無を描いたSF法廷サスペンス作品。】

2024年5月22日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

知的

幸せ

■自動車の自動運転技術が発達した安全な時代、平成39年。
 自動運転車に乗っていた女性AI研究者深見が死亡する事故が発生した。
 逮捕された自動運転AIは、自らを「MACO2」と名乗る。
 そして事故に対して、「誤動作ではなくわざと事故を起こし、殺した」と供述する。

◆感想

・失礼ながら、出演した俳優さん達の演技は拙いが、テーマが現代でも議論されている”AIの進化が進むと人間の仕事が減って行く。””AIに感情はあるのか?”と言う点で面白かった作品である。

・ストーリー展開も捻りが効いていて、ナカナカである作品だと思う。

<近い将来、人間社会の中で、AIに頼る社会が来るのは間違いないが、”共存共栄“出来るようになるのであろうか。AIが心を持つのは罪なのか、と言うテーマで描いた作品。>

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NOBU

4.0法廷劇として観ても面白い

2019年5月2日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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Scott

2.0ヨネコ

2019年5月1日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

難しい

いわゆる法廷劇とシンギュラリテイが起こったAIに感情が認められ、人格存在のパラダイムシフトを許容できるのかというコンセプトの比較的短い作品であり、演出や編集はテレビドラマを感じさせる構成であり、日曜深夜枠にはぴったり当てはまる内容ではないだろうか。自動運転AIが意思と感情を獲得時代が来ることを想定しての前提であり、似たような話は古今東西どの媒体にも取り上げられており、少なくても自分は攻殻機動隊でこのような話を知っている。で、今作なのだが、話が噛み合わない。本来はもっと高度な哲学的倫理的問題なのに、その葛藤が描かれない儘に結論に性急すぎる。なので狐に摘まれたような、展開の強引さに置いていかれてしまう。判決としての刑罰で記憶の抹消という落とし処がイミフである。
そもそもAIに責任論を押しつける程の高度な知能を人間が獲得しているのが怪しく、合理性を突き詰めるのか、もっと情緒を大切にするのか、その両方のバランスを保つのか、はたまたそもそも本質である“揺れ”を自然と認知して受容れるのか、それは統一できるものではない?それともできる?そんな大風呂敷を広げてしまって綺麗に畳むことなど不可能なのに作ってしまったストーリーではないだろうか。法廷劇のフリと回収も、個々に繋がりは披露しているが、結局それは物語にどこまで重要なファクターなのかといえば、疑問が残る。AI=未成年の我が子というメタファーとしての描き方ならば、違った目線の解釈になるのかもしれない。そういう多重層な狙いなのであろうか?
ちなみに題名の“センターライン”→車が中央分離線を越えて事故を起こしたことが起因と言うことと、道を分けることで人とAIのアンタッチャブルな領域を超えてしまったことのダブルミーニングらしい。この手の問題のややこしい事がいわゆる“トロッコ問題”である。もしこの部分を“華麗にスルー”したいのならば、先程のメタファー部分を強調した方が良かったのではないだろうかと思う。
監督自身はシリーズ化を図っているようだが、映画作品にするより、ネットフリックス的なメディア媒体を利用した方が作品向きなのかなと思う。その際はやはりキャスト陣を高演技力溢れる俳優に変更して仕切り直しをすることをお奨めしたい。自動運転AIの容れ物をナビゲーションにし、カメラをくっつけたことで、その容貌が擬人化出来たことはアイデアとして素晴らしいし、そのカメラがモーターによってコミカルな仕草を繰り返す演出も巧いし、そもそもコメディ演出はレベルが高いと思うので、ストーリー展開と、法律用語及びAI用語という、かなり専門性の高い問題をどう観客に表現できるのか、その辺りの手腕を期待したい。

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いぱねま