つつんで、ひらいてのレビュー・感想・評価
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受注仕事における表現
装幀は本の顔を作る作業だ。書店で本を選ぶとき、一番最初に目にするのは著者の文章ではなく、装幀デザイナーの手掛けた装幀だ。装幀一つで何百ページある本の内容を伝え、興味を持たせるか。そこには匠の技とこだわりが詰まっている。菊地信義氏は、手作業でデザインを作り上げている。手作業ゆえの自由な発想で斬新な本のデザインをいくつも手掛けてきた。本には著者の文章だけではなく、装幀デザイナーの表現もまた詰まっているのだと教えてくれる作品だ。
広瀬監督のお父さんも装幀の仕事をしていたらしい。そんな彼女が「受注仕事」における表現とは何かについて質問するシーンが印象的だ。その質問は、監督の声もひときわ大きく録音されているように思ったが、おそらく監督が一番聞きたかったことなのだろう。装幀は誰かの依頼を受けて初めて仕事が成り立つ。そこに自分の主張はどこまで入っているのか、そもそも「自分の表現」とは何だろうかと考えさせられる質問だった。必ずしも自分の作りたいものばかり作れるわけではない映像作家として、きっと似たような悩みを抱えているのだろう。
冒頭の本をつくる工場の映像がとても興味深い。 後半の、工場で色調整...
冒頭の本をつくる工場の映像がとても興味深い。
後半の、工場で色調整するところも、工場の人たちが一枚一枚カバーを折り、本にかけているところなんてもう最高。
こうやってつくってたの?!
本好きにはたまらない。
が、画面右に小さな白文字で表示される字幕がとても見づらい。
表示時間が短いのもあり、大きくても読めないと思う。
デザイン的には白なんだろうけど、話を追うのに必要なのだから、黒字にすべきだと思う。
装丁に興味がある人には最高の映画だと思うけど、
詳しくない人間には、菊地氏の言葉の凄さが理解できず、ドキュメンタリーとしての面白さをそこまで感じられず残念。
古井由吉さんの生の優しい表情が見れて嬉しかった。
手に取りたくなる要素
した事が無い人はいないだろう。ジャケ買い。
外装に惚れ、ついつい手を出してしまう魅力。
中身なんていざ知らず、開けた途端挫折した人もいるだろう。
そんな外装を手掛ける人に焦点を当てる。
この映画は今まで1万5000冊以上の装丁を手がけた菊地信義さんのドキュメンタリー。
ブックデザイナーと言えば分かりやすいだろうか?
現代ならばパソコン使ってチョチョイのチョイかも知れないが、彼は昔ながらの技法を用い、文字も魂を込めるかの様に作業を行う。
もうね、仕事が細かいw
本の宣伝帯、カバーの色、細かい所までだとスピン、花布、カバー下の表紙、バーコードの場所まで気にしながら。
「本表部分の空間を自分の世界で支配する」
そんな感じ。
拘るからこそ写し出される魅力。
手に取りたくなる要素が詰まった映画でした。
映画としてマイナスは作者の意図が反映されて、ブックデザインも考慮されているんだよ点があればと思った。
拘りのモノづくり&美術・デザイン系が好きな方はどうぞ✨
日頃から本を読んでないので気づかなかった。
読むときは文庫になってから!と貧しかった子供時代に心に決めてから数十年。とにかく、豪勢な装幀を施した新刊本には縁がなかったのだ。そんなに興味ないなら見るなよとお叱りを受けそうですが、実は印刷関連の職に就いていたこともあって、とても興味深かったのです。
いまの時代、パソコンやスマホでも本が読めるので、将来的にはこうした職業の方も少なくなっていくような気がします。基本的に菊池信義さんは文学の書籍に文字だけの装飾をするのが信条。表紙の紙の質だったり、帯と表紙の合わせ技だったり、明朝体の文字を使った書籍デザイナーなのです。
かつては活版印刷だったものが、オフセット印刷となり、印刷技術も多様化した20世紀。16折り印刷から製本に移され、やがて表紙がつけられる。そうした印刷の流れも撮りながら、たまに手作業も必要となったりする美術装幀。なにしろ菊池さんがブックデザインに興味を持ったのが、タイトルが金箔押しされた本だったのです。箔押しや、トレーシングペーパー、和紙のような特徴あるもの、さらにDIC色見本のこだわりとか・・・色々。1万5千もの本を世に送り出しているのだから凄いです。
なんだか本を読みたくなるというより、美術装幀された高価な本を書棚の一段くらいにぎっしり埋めて飾っておきたくなるドキュメンタリーでした・・・
古井由吉先生のけむり
一万五千冊の本を装幀してきた菊池信義さんのドキュメンタリー映画である。ドキュメンタリーなので、終始淡々とすすむ。そのなかで沢山の示唆に富む言葉が語られ、それがとても深く心に刻まれた。
私の1番の見所は、古井由吉先生が何度も登場するところ。インタビューの途中でパイプに火をつけ燻らせる。その煙がなんとも心地よい。途中にでてくるあの本もこの本も読んだ。特に古いものはほぼ全部読んだ本である。逆に最近は読めてないのだろうなあ。反省。
楽しかった
たぶん自分はこういうものづくりの人が好きなんだと思う。ドキュメンタリーというともっと激しく深く、というのを求めてしまうが、これはこれでよかった。とともに愛でてしまいがちなこの文化もどのくらい続くのか。それを考えると切ない。
残してゆくもの
紙の本に触りたくなる。
装幀者・菊池信義を追うドキュメンタリーは、まさに装幀との出会いである。1mmの単位で調整される文字間。繊細な紙質。タロットをめくるように広げられる色見本。コンパスと三角定規。菊池は紙に文字を貼り付けて調整してゆく。タイポグラフィの繊細さを間近に見られる貴重な機会だ。
「装幀は本の身体だ」と菊池は云う。装幀は服なのかと漠然と思っていたが、装幀はその本の肉体なのか。本文が精神なのかもしれない。装幀という身体に本文という魂が入る。
本という紙媒体は、沢山の人びとの手を通じてつくられてゆく。まず作者がいる。この作品は装幀者の話なので出てこないが、編集者が、校正者が、文をみがく。装幀者が身体を「拵える」(菊池はデザインを「拵える」と表現した)。その身体をデータに落とし込み、紙が用意され、デザインの意図する形に印刷し、製本する。手作業の製本シーンや、印刷の色の微調整のシーン。職人を観ている、と感じる。
多くの文芸書を装幀するたびに「空っぽになる」という菊池。あまりに多くの魂に触れた結果の混沌。それは「達成感のなさ」にも通じると感じた。本人は「傲慢」と自嘲するが、恐らくいつまでも到達できないものなのだろう。
校正の勉強をしていたので、本がつくられる過程も興味深かった。全ての部分にひとの手が、目がこもっているもの。ひとつの芸術作品でもある。
私は電子書籍でふだん本を読んでいる。本棚に入りきらないのと、時折安く買えるというのがその理由だ。実用性、それは明らかに電子書籍が上回る部分がある。フォントを大きくしたり、ダークモードにしたり。
しかし、この先の遠い未来、残るのは紙の書籍ではないかと思う。データは私たちが思うより脆い。紙は、残る。製造中止になった紙が本のカバーとして残るように、紙に印刷されたものは、きっと未来に残り続けるし、私たちが残してゆく道筋をつけないといけないのだ。
本屋に寄って、美しい装幀の本を見つめるときの幸福感を、まだまだ味わっていたい。
ドキュメンタリー映画としては、ナレーションを廃し、テロップを画面の邪魔にならないように抑えていて(テロップデザインは、菊池信義の弟子の水戸部功であった)、均整のとれた美しさを感じた。映画的な映像のざらつきを残した映像にもある種の「残してゆきたいもの」を感じる。願わくば、もう少し音声が良いとよかったのだけれど。特に広瀬監督の声。
最後に些末なことを。やはりデザイナーはアーロンチェアなんだな、と思った。
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