劇場公開日 2022年5月20日

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「映画とランプシェード」ワン・セカンド 永遠の24フレーム 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0映画とランプシェード

2025年7月5日
PCから投稿

1975年、文化大革命の最後期。
片や労働活動中に亡くなった娘が出ているニュース映画を見るために労働矯正施設を脱走した男。
片や母を亡くし父親に捨てられた孤児の少女。幼い弟を養いながら必死に生き延びようとしているが、映画フィルムでつくったランプシェードを焼いてしまったため、弁償しようと映画フィルムを盗む。
少女が映画フィルムを盗み、男がそれを取り戻そうとすることで二人が関係していく。

80年代、中国で高倉健主演の君よ憤怒の河を渉れが公開された。中国名は追補、8億人の中国人が見たと言われている。
70年代の中国は毛沢東による文革のもと停滞の10年と言われた。恐ろしい社会的実験が現実に行われ、紅衛兵は旧思想旧文化を唾棄し、歴史物・文化財を破壊し商品の生産販売を禁止し、職人や旧時代関係者が吊るし上げられた。芸術性が忌避され実用的なものだけが残った。麻雀や娯楽が禁止され、頑なな貞操観念が流布された。人々は違反者を密告し、かつ密告を怖れながら質素に希望を捨てて暮らした。ブルジョア・贅沢品を徹底排除した文革下の生活は、ようするに何にもなかった。

そんな文革に染まっていた中国で、文革後はじめて公開された日本映画が君よ憤怒の河を渉れだった。何もない洞穴生活を余儀なくされてきた中国人にとって、どれほどの衝撃だったことだろう。
当然だが今君よ憤怒の河を渉れを見ても何のことはない。70年代、西村寿行は非情な運命に翻弄されるハードボイルド小説を書く超売れっ子作家だった。映画は、大味で短絡的で、大胆な原作を強引に翻案した感じが顕著だった。
しかしあらゆる贅沢品が禁じられてきた世界の住人が突然それを見せられたら魅了されてしまうに違いなかった。

結果、君よ憤怒の河を渉れは文革を経験した中国人の語り草になった。高倉健と中野良子はかれらの心に刻まれ、チャンイーモーは単騎~(2005)に高倉健の出演を懇請した。ジョンウーは福山雅治主演でリメイク(マンハント、2017)をつくった。

そんな文化大革命時の生活の様子をかいま見ることができる映画だった。
冒頭、男が茫漠たる砂漠を歩いている。男の目的はまだわからないが、何もないことはわかる。男の眼前で少女がフィルム缶を盗み追いかけっこが始まり次第に両者の目的がわかってくる。
男の目的は映画の前後に放映されるニュース映画に一瞬映っていた──と人伝えに聞いた亡くなったじぶんの娘を見ることだ。そのために矯正施設を脱走しタクラマカン砂漠を歩いてきた。
少女の目的は弟のためにフィルムを盗んでランプシェードをつくることだ。
ふたりは、それぞれのおそろしくつましい目的のために、しかし命がけだった。

チャンイーモーは文化大革命について──

『文化大革命は中国の歴史において、世界でも類を見ない特別な時代でした。それは私の青春時代の一部でした。16歳から26歳までの10年間、私は多くの恐ろしく悲劇的な出来事を目の当たりにしました。長年、あの時代を題材にした映画を作りたいと思っていました。人々が制御できず、非常に敵対的な世界における苦しみ、運命、そして人間関係について語りたいのです。自伝的なものも、他者の物語に基づいたものも含め、1本だけでなく、たくさんの映画を作りたいと思っています。それはもう待つしかないですね。』(imdbのQuotesより)

と語っておりじっさい初恋のきた道(2000)、サンザシの樹の下で(2010)、妻への家路(2014)も文革が絡んでくる映画だった。

チャンイーモーは高倉健や黒澤明を崇拝している一方で、過激描写の反日映画金陵十三釵(2011)をつくっているが、その意中を知るにあたり映画の登場人物の行動理念が参考になる。
思いやりを描写するにしても中国人は総じて日本人のように全面的には寄せず、自分が生き延びるためにドライなところを残している。裏切るし密告もするがお互い様だから恨みっこなしにしてくれ──という感じがある。
商業作家として資金を調達するために現実的な立脚点に立ち、かつ中共から目をつけられないようにしているともいえる。
なんにせよチャンイーモーは演出が巧いし、張譯も劉浩存もいい表情をとらえていて魅力的だった。

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津次郎
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