「フィルムを通して交差する、男と少女の物語!」ワン・セカンド 永遠の24フレーム バフィーさんの映画レビュー(感想・評価)
フィルムを通して交差する、男と少女の物語!
マット・デイモン主演の中国忖度映画『グレートウォール』を観て、「どうしてしまった!チャン・イーモウ!!」と思った人も少なくないだろうが、ついに原点回帰ともいうべき作品が誕生した。
全編にわたり、映画というものを通して繋がる人々の物語が描かれている。しかし、それが意味するものは、映像としての意味だけではなく、フィルムという形状の段階でも繋がることができるということを描いている。
娘が映ったニュース映像を追う父親と、親がいないため名前のない少女。互いに欠けているものに共通性がありながらも、全く違う人生を生きるふたりの出会いも映画が導いたものである。
目的は違っていても同じフィルムを手に入れようとしているふたり。取って取られての珍道中のようなテイストでもありながら、奪い合っているふたりが互いに理解していく過程が丁寧に、少しコメディタッチに描かれていく。
作中にある、酷く汚れてしまったフィルムの修復作業過程は、チャン・イーモウの若き日の経験が活かされている。そのことからも、自伝とまでは言わないが、チャン・イーモウの原点に立ち返るようなシーンが多く盛り込まれている。
おそらくセルフパロディであると思うが、名もなき少女を演じたリウ・ハオツンの姿からは『初恋のきた道』に出演していた頃の、チャン・ツィーの面影も感じさせるなど、ファンへの目くばせも忘れていないし、これは原点に戻るという意思表示のようにも感じられた。
本作の舞台となっているのは1969年、つまり文化大革命状況下なだけに、極端に娯楽が制限され、映画というものは数か月に一回観られるかどうかというものとして扱われている。そのため映画館には、近所の人たちが我先にと集まってくる。
皮肉なことに、現在の中国検閲事情と文化大革命の状況下(さすがにまだそこまでは行ってないだろうが……)が重なる。中国の検閲事情は日に日に厳しくなる一方であり、今作においても描きたいものが満足にできなかった、妥協せざる得なかったシーンというのもあったはずだ。
どんな立場の人間も映画を観ている間は皆平等。作中で上映される『英雄子女』(日本未公開)の父と娘が再会する感動的なシーンでは、同じように感動する。これは、どんな立場であっても人間性は同じであるのに、国や政府に与えられた立場が、同じはずの人間を、良くも悪くも変えてしまうことを、しみじみと考えさせるシーンでもあるのだ。