ニューヨーク 親切なロシア料理店のレビュー・感想・評価
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大丈夫ですよ!ロシアン・マフィアは出てきませんから
またもや、である。
DV被害者となった妻(女性)と子ども(物・心両面で保護されるべき立場の弱者)が着の身着のままで逃げるしかない状況になった時、よほど運が良くないと、つまり、事前に社会福祉制度の網に救われることがない限り、そのまま経済的困窮に追い込まれることになる。しかし制度に救われるには、ある程度深刻化、それも多くの場合、事件化(警察が介入するほどの事態や医者による診断書)しないと要件が満たされないのが現実なのだと思います。親権や各家庭のプライバシーの壁もあり、もしかしたら、と気づく人が周りにいたとしてもなかなか通報しづらいし、調査も簡単ではない。
そういう背景を考えると、この物語は一種のヒーローものでもあるのではないでしょうか。
一見無能なボンクラ経営者を装ったビル・ナイが密かに、正義の味方の資質を持つアリスやマークに居場所を与え、いざとなったら救援チームを組成し、能力を発揮させる。
バットマンやスパイダーマンにはなれないけれど、どんなに見通しの暗い社会にも一定数は必ず存在する優しさたちが、ある場所で出会い融合すれば一定数の不運な人たちを救うことができる。
そんな願望がカタチになった映画だと思います。
それにしても、コロナ禍以前であっても、医療に従事される方々はあんなに大変なのですね。
あらためて、敬意と感謝の気持ちで一杯になりました。
稚拙
稚拙な脚本故か 俳優達が進む求心を見い出せなく、各個人が共生しない映画になっている。
信頼おけそうな著名人が賛辞を寄せているが、試写会に出たら 配給会社に非礼出来ないからだろうか? 見て損をした映画だった。
大都市では一人一人は小さな存在でしかないが、助け合って生きる意志は滅んでいない!!
今作のキーワードは「無力感」
それぞれのキャラクターが抱える「無力感」の中でも、他人のために何ができるのかという、人と人との繋がりの尊さを群像劇として描き出している
主人公クララは、子供を連れて夫の寝てる間に家を出る。突発的ではなく、少なくとも数日前から計画していただろうに、所持金がないなんて、無謀すぎるような感じもするし、子供を連れて無計画に歩き回る。
実は名監督エリア・カザンの孫であるゾーイ・カザンのある意味、魅力ともいうべきか、なんとなくポカーンっとした表情が言い方が悪いが、おバカにみえる。
夫は警察官で、暴力を振るったといっても、実際に暴力を振るう描写はほとんど登場しないため、本当はクララの方に問題があるのではないかとも思ってしまう。という外観からのイメージとしては、公務員という定職のある男の方がどうしても社会的に優位であることも感覚的に描いており、そこは女性監督ならではの視点のようにも感じられる
お腹をすかせた子供のために食べ物を調達してきたはずなのに、あっけなく図書館に置いてきてしまう。何気なく扱われているシーンなのだが、私はそれを見逃さなかった。
やはり主人公はどこがヌケたキャラクターという設定なのだ。そこでゾーイ・カザンの表情が役立ってくるという仕組みだ。
17歳で夫と出会い、そのままほとんど社会を知らずに生活をしてきたクララには、知らないことが多く、だからこそ子供に自分自身も知らない世界を見せてあげたいと思った流れは理解できるし、自分の中の世界が比較的すぐ行けるニューヨークというのもクララの世界の狭さを表現している。
しかし、世間や社会を知らないクララにとっての精一杯の世界がニューヨークなのだ。
自分が何者であるかと悩む暇もないほどに、日々が忙しなく過ぎていくニューヨークという街。この大きな街の中では、ほんの小さな存在でしかない人間が、自分が何ものであるかの確信も得られないまま、他人に関心がなくなった現代社会と言われてはいるものの、それでも人を思いやる気持ちはなくなることはない。
今作は、あえてそれぞれのキャラクターの内情というのが、そこまで描かれていないため、物語として薄口な感じがしないでもないのだが、ニューヨークもそうだが、大都市というのは、様々な人種が渦巻く環境の中で俯瞰として見た人々の物語は何気ないものでしかないかもしれない。極端に言えば、いなくても時間は流れていくが、誰かにとっては必要な存在である。
何もできないかもしれないけど、その中でも何かをしてあげたいという気持ちは人間ならではだし、その人間愛を覗けるような作品だ。
そんなにお互いのことって知っているようで知らない。そんなキャラクター同士の微妙な距離感と空気感をうまく描いけているのは、あえてひとりひとりの物語を薄口にしている効果であり、それはあえての狙いであったように思える。
その他の人々の不幸を浮き彫りにしている
「ニューヨーク 親切なロシア料理店」という邦題から、てっきりレストランを舞台の悲喜交交を描いた映画だろうと踏んでいたが、少しだけ違っていた。原題は「The kindness of Strangers」である。映画を鑑賞したあとで邦題をつけるとしたら、当方なら「ニューヨークの優しい人々」か、直訳の「他人たちの親切」としたい。邦題をつけた人はちゃんと作品を観たのだろうか。
ニューヨークには様々な問題を抱えた人たちがいる。明日をも知れぬホームレスから大金持ちまで、或いは社会で上手く生きていけない精神的な悩みを持つ人から世渡り上手だけで贅沢な暮らしを手に入れる人まで、縦も横も雑多な人々の集まりと言っていい。
そして大半の人は、自分が上に行くよりも下に墜ちる可能性の方がよほど高いことを知っている。いつどんなきっかけで自分がホームレスにならないとも限らないのだ。雇われている人は目の前の人が困っていると分かっていても、雇い主の金でその人を助ける訳にはいかない。そうしたら解雇されて自分が目の前の人と同じ立場になってしまう。助けるのも助けないのも、どちらも辛い選択だ。他人に優しくすることはとても勇気のいる行動なのである。
主人公クララは二人の男の子を連れて、逃げるために家を出た。行くあてもなく自動車を走らせ、ニューヨークに辿り着く。IDカードとクレジットカードだけが物を言うニューヨーク。金持ちに優しく、貧乏人に冷たい街だ。クララに必要なのは温かい食事と雨風をしのげて安全に寝られる場所である。しかしIDもクレジットもないクララには、そんなものは提供されない。
本作品のリアリティは、クララが必ずしも善良なだけではないことだ。嘘も吐けば盗みもする。人は追い詰められたら普段は出来ないこともやってのける火事場の馬鹿力がある。だがいつもうまくいくとは限らない。次第に追い詰められるクララだが、無償で食事を提供してくれる場所を発見してひと息つく。しかしそこに寝場所がある訳ではない。
看護婦のアリスはロシア料理店の常連で、病院の仕事以外の時間はボランティアでホームレスたちに無償で食事を提供したり、立ち直りたい人たちのための会話サークルを運営している。そこに加わったマークは刑務所を出たばかりだが、ロシア料理店に拾われてマネジャーとなる。友人のジョン・ピーターは彼の裁判で尽力してくれた。
クララのように親切な他人に巡り合うのは極めて稀だと思う。ニューヨークに生きる多くの貧乏人は救いがない。冬の寒さに勝てずに凍死したり、夏の暑さに衰弱死する。または生きる希望をなくして自殺する。本作品は不運の中の幸運に恵まれたケースを描いているが、恵まれない人も沢山いることも同時に描いているし、今は寝るところと食べ物にありついている人も、いつそれらが失われるかもしれないことも描いている。クララの奇跡的な僥倖を描くことで、その他の人々の不幸を浮き彫りにしているのだ。
アリスを演じたアンドレア・ライズボローがとてもよかった。優しい人は時として他人を突き放す。自立を促すためだ。頼ってばかりではなく他人から頼られる存在にならなければならない。人を否定せず、受け入れる寛容さが大切なのだ。しかしアリスは受け入れてばかりで疲弊している。アリスにも頼る相手が必要だ。そういったアリスの心模様を上手に表現していたと思う。名演である。
映画「マイ・ブックショップ」に重要な役どころで出ていたビル・ナイがホテルのオーナー役で登場。この人がいると作品の厚みが増す。クララ役のゾーイ・カザンは初めて見たが、母親の顔と女の顔の使い分けが見事だったと思う。
ホームレス主婦
子供をつれて夫から逃げる主婦と、NYのとあるロシア料理店に絡む人達の話。
2人の息子を連れて子供に暴力を振るう警察官の夫から逃げる26歳の主婦、教会で炊き出しやグループセラピーを催す看護師、弟の問題に巻き込まれ4年間服役をしたロシア料理店マネージャー、and more…。がみせる、人の繋がりや慈愛と救いと赦し等をみせるストーリーで、クララを軸に物語が展開していく。
若く社会で揉まれたこともなく母親となり、世間知らずなクララが子供と共に彷徨う姿は、痛々しいのだけど、人を当てにするばかりだったり身勝手さも感じる行動も多々あり、悲壮感や緊迫感に浸る様なところまでは至らず。
因みにロシア料理店立て直しの話はございません。
「親父」を除く登場人物達が皆わ足りない物やキズを持っていながらも人に対する優しさがあって、沁みてくるものは確かにあるのだけど、クララのキャラにイマイチ同情仕切れず、努力の欠片と必死さみたいなものをもう少しみせて欲しかったかな。
それと、本質ではないけれど、貧しさ=金のことがついて回る話な訳で、、ラスト辺りの金の出所についてどうしても気になってしまった。
【暖かいものが食べたくなる】
自分を赦すことで、他人(ひと)に親切に出来たりするのかもしれない。
他人(ひと)に親切にすることで、自分を赦すことが出来るのかもしれない。
そんな事を考えさせてくれる作品だと思う。
世界には、ストレスだけじゃなく、孤独や暴力など、辛いことが溢れている。
人の溢れる都会であれば尚更だろう。
でも、人の多いところには、手を差し伸べてくれる人もきっといる。
ところで、なぜロシア料理店なのだろう。
オリジナルタイトルに、ロシア料理店は入ってないが、映画の物語の中心となる場所は確かにロシア料理店だ。
僕は、ロシア料理には、フレンチとかイタリアン、中華、和食には何かしらある高級感がないからではないかと思う。
けなしているわけではない。
まあ、強いてあげればキャビアだが、これはロシアだけに特徴的な食べ物ではないし、料理ではない。
思い出すのは、ボルシチにガルショーク、ピロシキと庶民的なものばかりだ。
生まれて初めてロシア料理を食べたのは新宿のスンガリーで、加藤登紀子さんがオーナーと聞いたことがある。
他には、ロゴスキーも思い出すが、正直、高級フレンチやイタリアン、和食と違って敷居は低い気がする。
映画のレストランもどこか暗くて、確かにピアノ下に潜り込んだら、よく眠れそうな感じだ。
でも、それが落ち着く人もいるのだ。
僕もそうだ。
それに、だんだん寒くなってくると温まるものが食べたくなる。
そのイメージも、この映画にはよくマッチしている。
オリジナルタイトルは、
The Kindness of Strangers
きっと、見知らぬ人々が、親切な心を通じて、ストレンジャーではなくなって、結びついていくのだ。
クリスマスに家族で観ても良いかもしれない。
#107 世間は冷たい人ばかりじゃない
ロシア料理店が親切みたいなタイトルだが、実際はこの世には親切な人で溢れていると思わせてくれる映画。
主人公と息子たちもそうだけど、世間に適応できないジェフに手を差し伸べる看護師さんの寛大さが身に染みた。
ニューヨークが舞台なのに制作国にアメリカが含まれないから、こんなに親切な人が多いのか?
一つ疑問が。
離婚裁判の弁護士費用はどこから用意したんだろう?
演者が良い!ニューヨーク人情物語
人種のるつぼニューヨークのロシア料理店。
そこで、傷ついた人々が出会い、人生か繋がっていく。
ビル・ナイ、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、主役ゾーイ・カザンなどなど、実力派の個性的な役者が演じるキャラクターたちが、絡みあっていくのが実に面白い。
原題Kindness of Strangers。優しい他人、他人の優しさか。
小さな親切をお互いにし合うことで、世界は少しずつ幸せになっで行くのかもしれない。
ニューヨークはそうゆう街であって欲しい。そんな願いや希望が込められた、人の優しさをまっすぐ描く、大人向けでグッとくる良質人間ドラマ。
今まさに観るべき素晴らしい作品。
特に分断が加速した今の世の中、人種のるつぼであるNY、もっと言えば、世界は本来こうあるべきなのでは、と優しく包み込むように描かれていて素晴らしかった。一人一人それぞれの不器用さや優しさに涙しました。
大好きな作品がまた一つ増えました。ありがとうございました。
ニューヨーク 親切なロシア料理店
こんなに心にダイレクトに沁みる映画、本当に観て良かったです!公開されたら絶対もう3回は観ると思います。優しさに包まれて、という意味がわかりました❣️
ある意味でクリスマスにぴったり
雪のニューヨーク、暖かいレストラン、大都会での人情、などが素敵で沁みる作品。楽しいホリデームービーとは違いますが、ある意味クリスマスにぴったり。あと、怪しいロシア訛りのビル・ナイがチャーミングで印象的でした!
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