ニューヨーク 親切なロシア料理店のレビュー・感想・評価
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心がほっこり
ハッピークリスマス的な感じの、ちょっぴりハートウォーミングな作品でした。
経済も法律も知らない母親が、命からがら逃げ出して、おびえ、どうしていいかわからない様子とか。
子どもたちを虐待死寸前まで追い込むDV夫がこわいとことか。
妙にリアル。
逃亡時に、生きるためとは言え物を盗んだ店に対して、この母親が最後まで謝罪してないあたりがモヤモヤしましたが。
それ以外は、よい落とし所だったと思います。
ロケ地はニューヨークながら、製作にアメリカが入ってないためなのか、普遍的人間像はリアルなのに、取り巻く世界がものすごくファンタジーっぽいアメリカ像でもありました。
他国人の憧れるニューヨークって感じ。
盛り込みすぎて伝わり辛い
この映画には、2つの核となる場所と、1つの主軸となる出来事がある。
1つは、タイトルにあるロシア料理店。新しく雇われたマネージャーのマークを中心に、スタッフ達、常連客達が出入りする。
2つめは、教会。看護師のアリスが行う炊き出しやセラピーの会に、登場人物達が関わっていく。
そして、主軸となるのが、夫のDVから逃亡中のクララと2人の息子。この家族の苦難を中心に、2つの場所を繋いで、マークとアリス、その他の登場人物達、各々の問題や心の傷が、互いに寄り添う事で癒されていく、という群像劇なのだが…。
どうにも話の座りが悪く、スッキリできない。
DVに怯える子供達と、2人を連れて路頭に迷うクララの悲惨さが強調され、これは思いの外社会派の作品だったか…と思うと、裁判の経緯はスルスルと端折られてしまって、拍子抜け。
それなら、「傷付いた他人同士、どうして思いやれないのか」とのマリアの台詞通り、絆や隣人愛というハートフル面に帰結させるつもりかと思いきや、微妙な恋愛エピソードが挟まり、気が付くとカップルが2組。各自の問題もふんわり解決しているので、あれ?これもしかしてラブストーリーでした?と、腑に落ちない心境のまま終了…。
原題が『The Kindness of Strangers』。言いたい事は解る。
社会制度からこぼれ落ち、傷付き失われていく命や心がある。ギリギリの所でそれを掬い上げる事ができるのは、傍にいる個人個人の小さな優しさではないか。
恐らくそういう事だろう。が。
例えば、教会の方に視点を絞って、ガッツリ社会問題として、思い遣りや労り合いの大切さにクローズアップする。
或いは、ロシア料理店を舞台に、様々な立場、人種の人々の、人生の交錯と助け合いを、舞台脚本風の群像劇として見せる、など。
脚本や演出の工夫で、もう少し解りやすく面白い作品にできたのではないだろうか。
安直
悪くはないけど、良くも無い。中盤まで、ひたすらDV夫から逃げまわるシーンの連続で物語に全く厚みが感じられない。また、手助けしてくれた店のオーナーに恋心を寄せるなんて、ストーリー的に安直過ぎやしないか。邦題がまた、いただけない。で、唐突過ぎる裁判シーンなんて急展開過ぎる。もっと脚本を練った方がいいと思った映画でした。
人に優しく出来る人は素敵だ
前半は少し退屈だったかな。
でも、後半で登場人物たちの人生が交差し始めてからは気持ちが持って行かれた。
アリス(アンドレア・ライズボロー)がセラピーで「みんな他人なんだから。気を遣わなきゃ」というセリフ。
本当に他人の為に生きてきた人が言える言葉で胸を打たれました。
家族や友人はもちろんなのだけれど、そうじゃない他の人たちにこそ優しくするべきなんですね。素敵な教えです。
メインはクララ(ゾーイ・カザン)だけれども、ジェフ(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)が気になって仕方がなかった。
立て続けに仕事をクビになり部屋も追い出され、普通なら自暴自棄になってもおかしくないのに彼はずっと優しかった(初登場だけちょっと荒れたけれど)
不器用ながら自分にできるちょっとしたことでも喜びながらやる姿は愛おしいかったな。
そんなジェフを含め、みんながハッピーエンドで終われて本当に良かった。
他人に優しくするのって勇気が必要で、それが出来ない人が冷たい悪い人だとは思わないけれど、
優しくできる人に人は惹かれるのは間違いないと思う。
善き人たちの寛容なコミュニティー
いつまでたっても、アメリカの児童虐待やドメスティックバイオレンスは減らないのだろう。
難民ボートなみに、母子が押し込められているシェルター。プライバシーもなく、ただ横になるだけの場所。
この現実をみると、日本の福祉は手厚いと思う。
反面、サークルを運営するアリスや民間のパワーが凄い。
隣人を愛せと説く宗教で繋がっているからなのか、皮肉にもニュースで見る今のアメリカとは真逆の姿を浮き彫りにしている。
子どもは無力だ。
必死で、諦めないでとすがるしかない。
それなのに、赦すということを、すでに知っている。
許すではなく、「赦す」ことを。
それにしても、と考えてしまう。映画の中だけではない、現実でも直面すること。
何か行動を起こすとき、
生活がうまくいかないとき、
自分の感情がコントロールできなくなったとき、
最悪のことも考えて、想像してみないものか。
たまたま、善き人たちに出会う確率は、かなり低いはずなのだが。
親切以上の心接!
ブランド品を身にまとう私の大好きなツンデレな4人組は出て来ませんが😁
NYの庶民…都会の片隅で過去や事情を抱えて生きている人達の物語を老舗のロシア料理店を軸に進んで行く…
レストランの常連で貧しいホームレスの支援や悩み多き者達のセミナーを開く看護師のアリス…彼女の強さと優しさが震える程、心に染み
自分中心ばかりの人が増えている昨今
他人に手を差しのべる姿勢に救われた気がした
そのアリスや料理店のマーク、弁護士のジョン
愛ある彼らに支えられて幼き息子2人と暴力的な夫から逃れて来たクララもこの大都会で新たな人生を歩んで行く一歩を踏み出す…
小さな恋物語が含まれるところも素敵❤️
大きな優しさと幸せが満ちたとても意味ある
気持ちの良い作品でした!
ビル・ナイのおとぼけ感がたまらなくいい!
…ロシア料理をもう少し観察したかった
食いしん坊でイジ汚い私でした💦
優しさと親切心、寄り添うは大切、でも個人の努力ありきね!
人は多かれ少なかれ様々な要因で心や過去、また現在に暗い影を落としているのでしょう。
またその影が原因で社会から爪弾きされたり、逃げざるを得ない人も少なくないのでしょう。
そんな方々び手を差し伸べることができるのも人間。
どんどん影をもつ人が増えてきていると思う現代、改めて人同士の助け合や親切に接することは必要なのでしょう。
影を持ちながら生きている人がどんどん増えていく社会や、対応をボランティア任せにしている?国への文句にも見えます。まぁ、ゆえに「人同士」ってのが際立つわけですが。
しかし、この作品。助けられる母親+子供達になんか感情が乗って行かない。
気の毒な家族状況であることはわかりますよ。抜け出したい日常だったことはわかります。
この母親がなー、なんだかなー。
働いたことがないと言う設定なんだけどさ、あまりに何にもしない、生産的なことを。
10代の家出少女のような行き当たりばったり満載で、でラッキーだらけなんですよね。
スイーツ女子的な感じで子供2人を振り回す様が「あり得ねーなー」って。
子供が親になった感じ。
皿洗いぐらいせーよ!・・・と。
「何か手伝いましょうか?」くらい言えよ!・・・と。
後でお金持って行けよ!・・・と。
無計画すぎない?突発的に来たわけではなく来ようと思ってたんでしょう?
それと、親切をする動機が・・・アリスは違うけど。(彼女はボランティア通して癒されてたんだろうね。)なんか、不純なものしか感じられないんだよなぁ。見当たらないんだよな。
他にもあるのかもしれないけど、それしか見えてこないから。
動機描写がなさすぎる。少ない。だから物語に厚みが待ったくない。
「ラッキーなだけやん!」
「その場にいたからじゃん!」
「たまたま声かけられたからやん!」 と嫌味しか出て来なくなって来てしまう。
その女性がパッと目に留まる美人さんじゃなかったら、きっとこの話は
なかったんだろうね・・・・なーーーーんて思っちゃうくらいに薄い。
最後に、あの母親。スイーツ母親。今度は働けよ。って願う。
困ったら泣いて訴えるだけじゃ世間は渡れませんぜ。
今回はうまくいったけどね。
ボルシチもピロシキも出てこないのになぜか心が温かくなる 瞼の裏もじわーっと熱くなる
子供二人をワゴン車にのせてDV夫から夜逃げする愛くるしいママ。お金がないので、子供を図書館に置いてパーティー会場に忍びこんで飲み食いしたり、万引きしたり。キャビアが気にいった下の子が「まだ旅行?」と何度も確認するのが可笑しかった。
仕事をクビになってしまい、やけっぱちで、オフィスビルの窓ガラスを破って頑丈そうなワークチェアを道路に投げ捨て、ケツまくっちまう青年。
大病院の救急担当の看護師(おそらく心理カウンセラーの資格も持つ)は多忙なのに、教会でこころに傷を持つ人たち向けのボランティア団体も主宰するし、ホームレスに無料の食事支給の手伝いもする。頑張り過ぎる人。勤務明けにひとりで寄る行きつけロシア料理店。
おじいさんから老舗の店を受け継いだが、経営には興味がまるでない老人(ビル・ナイ)。
弟とロシア料理店を経営していたが、弟が麻薬に手を出し悪い奴らとつるむ様になり、刑務所に入る羽目になったが、報酬や勝訴にこだわらない親切な弁護士に助けられた青年コック。
親切な弁護士は青年コックの付き添いで教会の会にいるだけと言うものの、弁護士?と思うぐらい不思議ちゃん。
老舗ロシア料理店が「家」となり、なにも取り柄のない主婦と子供を見守り、助ける人々が互いに支え合うのを見て、まるで自分が親切な人々に囲まれて、愛されていると勘違いしてしまうような素敵な映画でした。
親切戦隊ストレンジャー
ロシア料理店でのバントの生演奏もよかった。House of Rising Sun と wayfaring stranger だったかな。映画の題も The Kindness of Strangers. あのでかいギターみたいなロシア楽器はなんていうんだろう?ドアボーイで雇ってもらった青年(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)があの楽器を抱えて店の外で呼び込みに出る時に、オーナーのじいさんに「弾けるか?」と言われて、押さなきゃ開かない店のドアを「引いて」開けようとするエンディングの元のセリフが気になりました。たぶん、訳の人のアドリブですね。ケイレブ・ランドリー・ジョーンズはミュージシャンでもあるらしい。最初は危なっかしい役でしたけど、ボランティア側から施しを受ける方にもなったりして、引き立て役だったけど、よかったです。
あの椅子は最後はどこに行ったんでしたっけ?
邦題の付け方がイマイチ
皆さんが書かれている通り、やはり邦題の付け方がイマイチだと思います。
本作に出てくるロシア料理店は確かに親切なのですが、他にも親切な仲間が沢山出てきますし、その仲間が重要な役割を演じていますので、もうちょっと邦題の付け方を考えて欲しかったです。
原題は「The kindness of strangers」ですから直訳すれば「見知らぬ他人の親切」といった感じになるかなと思います。
内容のほうはアメリカで作られただけあって、やはりアメリカ人向けの内容だと感じました。
確かにいい話ではあるのですがちょっと物足りないかな。感動までは至りませんでした。
隣人に優しく、親切にする事が幸せなサークルを生む
主人公のクララは夫の暴力、虐待から子供2人と家を飛び出しホームレスとなる。
マークは過去に弟が薬で捕まり自分の店を閉じ、そして刑務所行きとなった。後に弟も薬の過剰摂取で亡くす。
故に心を閉ざして今を生きている。
ジェフは障害を抱えているのか、仕事が人よりもできずミスが多い。故にどんな仕事に就いても長くは続かずホームレスとなる。
アリスは看護師という立派な仕事に就いているが、過去の恋人への裏切りが心に大きな傷を負いトラウマとなり今を生きる。自分が傷ついた分必要以上に人に親切に優しく接するが中々自分自身は幸せになれず苦しんでいる。
ニューヨークという世界的にも大都会で世界の人々が羨む街に生きる人々は皆が皆幸福に満ちているわけではなく、問題を抱えて生きる人も多く、必死に今を生きている。
ここに出てくる登場人物達は決してものすごく裕福な暮らしを皆が皆しているわけではなく、各々自分の生活でいっぱいいっぱいでもある。ただ困った人を親切に、そして優しく接していく描写が終始続いてとても温かい気持ちになる。
この作品の大好きなところは見返りを求めない優しさだ。
最終的にクララとマーク、そしてアリスとジョンは恋に落ち合うが、その関係は運命のような出会い方ではなく互いに優しく接し合い助け合い生きていく先に愛が生まれたわけだ。運命的な愛も良いが、この作品のような愛の生まれ方は非常に心打たれるものがあった。
もちろん恋がメインな作品ではない。困った人がいたら親切にそして優しく接し助け合う理想の社会とは現実はまだまだ程遠い。
この作品のようにまずは身近な存在、隣人と優しく、親切な、そして助け合える関係を築いていく事で小さな幸せな関係が、大きな優しさに溢れれた幸せなサークルと化していくのであろう。
最終的には恋に落ち合うが、見返りを求めず、人間が本来持つ他者への優しさや親切心を存分に描かれており、それらの心を擽る非常にハートフルな作品であった。
とても大好きな作品である。
あたたかいのは素敵。でも…
成長期の息子2人を抱えて、その日食べさせるものもなく、身分証もキャッシュカードもお金もない切羽詰まる感じは分かるけど、配給以外は犯罪と依存では?
いや良いんだ、それはいい。仕方ないよ分かる。
ロシア料理店や周りの人は確かに親切で優しくて、救われていくのは素晴らしいことだと思う。
だけど私は見たかった。
この、男で失敗した女性が、自分の足で立ち、歩き出す姿を。誰かに頼るのではなく。
新しい恋など始めている場合ではない。
夫だか元夫だかの稼いだお金か賠償金で、プレゼントなんて買っている場合ではない。
仕事を探しに行け。今度こそ強い母親になってくれ。
そして返しに行け、やむを得ず盗んだところへ。
それが描かれていたなら、この作品は素晴らしい。
都会で闘う女性のこころに染みる作品です。
あらゆる価値観が交錯するNY。集う女性の背景もさまざま。2人の女性にスポットが当たる。主人公はイケメン旦那に2名の男の子を授かったものの子供への相次ぐDVから子供たちと着の身着のままで逃亡した無力な専業主婦。もう1人は救急病棟看護師・教会でセラピスト・ホームレス支援など人への無心の奉仕が生きがいの日々に「誰のNo1でもない」ことに孤独を感じる女性。キラキラした大都会の元でも日々繰り広げられている女性の日常、都会で闘う女性のこころに染みる作品です。
繊細で観る人を選ぶ映画だなぁ
夫のDVから子供二人を自動車に乗せて、自動車以外は無一文でニューヨークに来た主人公。
緊急病院で看護師として働く一方、教会でアメリカ独自の文化とも言えるのセラピーの会を切り盛りする独身の女性。
不器用で職場も長続きしない男。
弟の薬物関係のとばっちりで刑務所に入り出所し、古いロシア料理店のマネージャーになった男と
彼の弁護を担当した弁護士。
皆優しい人たちで、教会に主人公と息子たちを泊めてあげたり、ロシア料理店の上の自分の部屋に住まわせたり
母子は貧しい人々への食事提供ボランティアの世話になったり。
アメリカニューヨークならではの人間模様ですね。
でも独身ナースのアリスには、奇妙な結婚話を持ちかけられたり、「待ってる人もいないでしょ」と当直みたいな勤務を押し付けられたり、DV野郎には「愛の何を知ってる?」と嫌味を言われる始末。痛い。痛い。
繊細な映画です。ウリは「赦し」だそうですが、最後は希望の光が見えます。
ただ繊細でない私はもチット美味そうなロシア料理の描写が見たかった。ロシア料理が話の中でキャビアの例えが出るくらいでウォッカ以外全く出てこない
小さな愛の連鎖
主要な登場人物が何処か、心に傷を持っていて
だからこそ他人の痛みを感じ事ができたのでしょう
そこにはヒーローなどは居ません。
普通の人達が他人に優しくする事で自らも
癒されると言う赦しの物語でした。
クリスマス季節にはお勧めです
大丈夫ですよ!ロシアン・マフィアは出てきませんから
またもや、である。
DV被害者となった妻(女性)と子ども(物・心両面で保護されるべき立場の弱者)が着の身着のままで逃げるしかない状況になった時、よほど運が良くないと、つまり、事前に社会福祉制度の網に救われることがない限り、そのまま経済的困窮に追い込まれることになる。しかし制度に救われるには、ある程度深刻化、それも多くの場合、事件化(警察が介入するほどの事態や医者による診断書)しないと要件が満たされないのが現実なのだと思います。親権や各家庭のプライバシーの壁もあり、もしかしたら、と気づく人が周りにいたとしてもなかなか通報しづらいし、調査も簡単ではない。
そういう背景を考えると、この物語は一種のヒーローものでもあるのではないでしょうか。
一見無能なボンクラ経営者を装ったビル・ナイが密かに、正義の味方の資質を持つアリスやマークに居場所を与え、いざとなったら救援チームを組成し、能力を発揮させる。
バットマンやスパイダーマンにはなれないけれど、どんなに見通しの暗い社会にも一定数は必ず存在する優しさたちが、ある場所で出会い融合すれば一定数の不運な人たちを救うことができる。
そんな願望がカタチになった映画だと思います。
それにしても、コロナ禍以前であっても、医療に従事される方々はあんなに大変なのですね。
あらためて、敬意と感謝の気持ちで一杯になりました。
稚拙
稚拙な脚本故か 俳優達が進む求心を見い出せなく、各個人が共生しない映画になっている。
信頼おけそうな著名人が賛辞を寄せているが、試写会に出たら 配給会社に非礼出来ないからだろうか? 見て損をした映画だった。
大都市では一人一人は小さな存在でしかないが、助け合って生きる意志は滅んでいない!!
今作のキーワードは「無力感」
それぞれのキャラクターが抱える「無力感」の中でも、他人のために何ができるのかという、人と人との繋がりの尊さを群像劇として描き出している
主人公クララは、子供を連れて夫の寝てる間に家を出る。突発的ではなく、少なくとも数日前から計画していただろうに、所持金がないなんて、無謀すぎるような感じもするし、子供を連れて無計画に歩き回る。
実は名監督エリア・カザンの孫であるゾーイ・カザンのある意味、魅力ともいうべきか、なんとなくポカーンっとした表情が言い方が悪いが、おバカにみえる。
夫は警察官で、暴力を振るったといっても、実際に暴力を振るう描写はほとんど登場しないため、本当はクララの方に問題があるのではないかとも思ってしまう。という外観からのイメージとしては、公務員という定職のある男の方がどうしても社会的に優位であることも感覚的に描いており、そこは女性監督ならではの視点のようにも感じられる
お腹をすかせた子供のために食べ物を調達してきたはずなのに、あっけなく図書館に置いてきてしまう。何気なく扱われているシーンなのだが、私はそれを見逃さなかった。
やはり主人公はどこがヌケたキャラクターという設定なのだ。そこでゾーイ・カザンの表情が役立ってくるという仕組みだ。
17歳で夫と出会い、そのままほとんど社会を知らずに生活をしてきたクララには、知らないことが多く、だからこそ子供に自分自身も知らない世界を見せてあげたいと思った流れは理解できるし、自分の中の世界が比較的すぐ行けるニューヨークというのもクララの世界の狭さを表現している。
しかし、世間や社会を知らないクララにとっての精一杯の世界がニューヨークなのだ。
自分が何者であるかと悩む暇もないほどに、日々が忙しなく過ぎていくニューヨークという街。この大きな街の中では、ほんの小さな存在でしかない人間が、自分が何ものであるかの確信も得られないまま、他人に関心がなくなった現代社会と言われてはいるものの、それでも人を思いやる気持ちはなくなることはない。
今作は、あえてそれぞれのキャラクターの内情というのが、そこまで描かれていないため、物語として薄口な感じがしないでもないのだが、ニューヨークもそうだが、大都市というのは、様々な人種が渦巻く環境の中で俯瞰として見た人々の物語は何気ないものでしかないかもしれない。極端に言えば、いなくても時間は流れていくが、誰かにとっては必要な存在である。
何もできないかもしれないけど、その中でも何かをしてあげたいという気持ちは人間ならではだし、その人間愛を覗けるような作品だ。
そんなにお互いのことって知っているようで知らない。そんなキャラクター同士の微妙な距離感と空気感をうまく描いけているのは、あえてひとりひとりの物語を薄口にしている効果であり、それはあえての狙いであったように思える。
その他の人々の不幸を浮き彫りにしている
「ニューヨーク 親切なロシア料理店」という邦題から、てっきりレストランを舞台の悲喜交交を描いた映画だろうと踏んでいたが、少しだけ違っていた。原題は「The kindness of Strangers」である。映画を鑑賞したあとで邦題をつけるとしたら、当方なら「ニューヨークの優しい人々」か、直訳の「他人たちの親切」としたい。邦題をつけた人はちゃんと作品を観たのだろうか。
ニューヨークには様々な問題を抱えた人たちがいる。明日をも知れぬホームレスから大金持ちまで、或いは社会で上手く生きていけない精神的な悩みを持つ人から世渡り上手だけで贅沢な暮らしを手に入れる人まで、縦も横も雑多な人々の集まりと言っていい。
そして大半の人は、自分が上に行くよりも下に墜ちる可能性の方がよほど高いことを知っている。いつどんなきっかけで自分がホームレスにならないとも限らないのだ。雇われている人は目の前の人が困っていると分かっていても、雇い主の金でその人を助ける訳にはいかない。そうしたら解雇されて自分が目の前の人と同じ立場になってしまう。助けるのも助けないのも、どちらも辛い選択だ。他人に優しくすることはとても勇気のいる行動なのである。
主人公クララは二人の男の子を連れて、逃げるために家を出た。行くあてもなく自動車を走らせ、ニューヨークに辿り着く。IDカードとクレジットカードだけが物を言うニューヨーク。金持ちに優しく、貧乏人に冷たい街だ。クララに必要なのは温かい食事と雨風をしのげて安全に寝られる場所である。しかしIDもクレジットもないクララには、そんなものは提供されない。
本作品のリアリティは、クララが必ずしも善良なだけではないことだ。嘘も吐けば盗みもする。人は追い詰められたら普段は出来ないこともやってのける火事場の馬鹿力がある。だがいつもうまくいくとは限らない。次第に追い詰められるクララだが、無償で食事を提供してくれる場所を発見してひと息つく。しかしそこに寝場所がある訳ではない。
看護婦のアリスはロシア料理店の常連で、病院の仕事以外の時間はボランティアでホームレスたちに無償で食事を提供したり、立ち直りたい人たちのための会話サークルを運営している。そこに加わったマークは刑務所を出たばかりだが、ロシア料理店に拾われてマネジャーとなる。友人のジョン・ピーターは彼の裁判で尽力してくれた。
クララのように親切な他人に巡り合うのは極めて稀だと思う。ニューヨークに生きる多くの貧乏人は救いがない。冬の寒さに勝てずに凍死したり、夏の暑さに衰弱死する。または生きる希望をなくして自殺する。本作品は不運の中の幸運に恵まれたケースを描いているが、恵まれない人も沢山いることも同時に描いているし、今は寝るところと食べ物にありついている人も、いつそれらが失われるかもしれないことも描いている。クララの奇跡的な僥倖を描くことで、その他の人々の不幸を浮き彫りにしているのだ。
アリスを演じたアンドレア・ライズボローがとてもよかった。優しい人は時として他人を突き放す。自立を促すためだ。頼ってばかりではなく他人から頼られる存在にならなければならない。人を否定せず、受け入れる寛容さが大切なのだ。しかしアリスは受け入れてばかりで疲弊している。アリスにも頼る相手が必要だ。そういったアリスの心模様を上手に表現していたと思う。名演である。
映画「マイ・ブックショップ」に重要な役どころで出ていたビル・ナイがホテルのオーナー役で登場。この人がいると作品の厚みが増す。クララ役のゾーイ・カザンは初めて見たが、母親の顔と女の顔の使い分けが見事だったと思う。
幸せ探し
タイトルが気になったので観てきました。
ニューヨークのマンハッタンで、創業100年を超える伝統を誇るロシア料理店〈ウィンター・パレス〉。だが、現在のオーナーであるティモフェイは商売下手で、かつての栄華は過去の栄光となり果て、今では経営も傾いていた。店を立て直すためにマネージャーがスカウトされるが、マークというその男は刑務所を出所したばかりの謎だらけの人物。店を支える常連の一人である看護師のアリスも、恋人に裏切られて以来、救急病棟の激務に加え〈赦しの会〉というセラピーを開き、他人のためだけに生きる変わり者だ。そのアリスを、絶望的な不器用さから次々と仕事をクビになったジェフら、ワケありの過去を抱えた者たちが慕っていた。
そんな〈ウィンター・パレス〉に、まだ幼い二人の息子を連れて、DV夫から逃げてきたクララが飛び込んでくる。無一文で寝る場所もないクララに、アリスとマークにジェフ、そしてオーナーも救いの手を差しのべる。しかし、駐車違反をきっかけに、警官である夫に居所を知られるのも時間の問題に。追い詰めれたクララは、皆から受け取った優しさを力に変えて、現実に立ち向かうことを決意する。
〈ウィンター・パレス〉で、それぞれが見つけた新たな人生とは?
クライマックスは良かったが、その後をもうちょっと見てたかった。きっとマークという新たな伴侶を得て幸せになったのだろう。
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