グレース・オブ・ゴッド 告発の時のレビュー・感想・評価
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冷静沈着に、叙情性を抑えて人間や組織を見つめるフランソワ・オゾンの演出が冴えわたる
神の恩寵と題されたこの映画は、人々を救うはずの信仰を傘に、その言葉とは天と地ほどかけ離れた行為が行われていた実態を告発するヒューマンドラマである。オゾン監督は叙情的な音楽や演出を抑え、あえて冷静沈着なタッチで状況描写を重ねていく。一つ特徴的なのは、数十年を経て対峙する神父が、決してわかりやすい悪役然として描かれないこと。また、教会組織も真相解明のために力を尽くしているように見える。だが結果として事態は進展せず、表向きには全くの無風のまま。かくも非を認めない組織のあり方が被害者の苦しみを悪化させる一方で、告発者たちが自らの手で立ち上げ、勇気と使命感を強固に連帯させていくのもまた組織の力なのだ。それらを構成する告発者3人の生い立ちや生き様を群像劇タッチで描き出し、彼らが合流していくダイナミズムを添える筆致が秀逸。今なお係争中の題材でありながら、本作には揺るぎない視座で全てを見渡す風格を感じる。
オゾンが本年中の日本公開にこだわった理由は。
30年前、自らに性的虐待を行った神父が今も子供たちに接していることを知った被害者が、教会側に対応してもらえず、刑事事件として告発することを決意する。そこから、同じ被害者たちの証言を集めていく過程で浮かび上がるのは、少年にとって信頼する相手から加えられた虐待の後遺症が、長い時を経てもなお、心の傷として深く残っていること。しかし、人間の本能を独自の生々しいタッチで掘り下げることを信条としている監督のフランソワ・オゾンは、今回、驚くほどオーソドックスな形で事実を積み上げていく。観客の想像力を掻き立てるようなスリリングな演出ではなく、愚直なくらい、実際に起きた事件の経緯とその周辺を詳細に伝えるのだ。それは恐らく、映画が描く"プレナ神父事件”が、今まさに係争中だからなのだろう。過去に起きた事件の検証ではなく、現在進行形の裁判をリアルタイムでバックアップする。そうすることで移ろいがちな人々の目を、聖職者と、そして、宗教の矛盾に向けさせようとした本作は、オーソドックスだが挑戦的。オゾンが本年中の日本公開に強くこだわった理由はそこにある。
フランソワ・オゾン監督初の実話! 「スポットライト 世紀のスクープ」の社会問題が多面的に見えてくる
本作は、2019年のベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞したフランソワ・オゾン監督作。
フランス映画は日本人との相性がそこまで良いわけではないようで、公開本数も少ないのが現実。
そんな中、フランソワ・オゾン作品は、今回のように大きな賞を受賞していない場合でも日本で、ほぼ公開される稀有な監督。
本作は、「監督初の実話」ということで、どんな風な作品になっているのか興味を持っていました。
まず、本作と似たような題材に、2016年のアカデミー賞で作品賞と脚本賞を受賞したトム・マッカーシー監督の「スポットライト 世紀のスクープ」があります。
「スポットライト 世紀のスクープ」は、アメリカのキリスト教会で多発していた「カトリック司祭による性的虐待事件」という、一種のタブーに食い込んで独自に報道したボストン・グローブ紙の記者らの活躍に焦点を当てた作品です。
ボストン・グローブ紙は2002年から記事を公開し始めるのですが、それは「氷山の一角」に過ぎず、どんどん広がりを見せ、「スポットライト 世紀のスクープ」のエンディングでは世界中で蔓延していることが示されています。
本作は、まさに、それのフランス版で、記者ではなく、被害者が立ち上がっていく様を描いているのです。
私たちが押さえておきたいのは、これが今でも続いている現実です。
「スポットライト 世紀のスクープ」であぶり出されて終わりではなく、今回の「グレース・オブ・ゴッド 告発の時」で扱われている実話も、まだ裁判中で未だに世界で続いているのです。
このフランスでの「氷山の一角」の話は、改めて「カトリック司祭による性的虐待」の問題の根深さを痛感させられます。
被害者側からの視点なので、「スポットライト 世紀のスクープ」とは違った別の角度から多面的に問題の構造が見えてきます。
まだまだ、この問題から私たちは目を背けてはいけないのですね。
本作はハリウッド映画のようにどんどん引き込まれていくような作りではなく、割と淡々としていますが、見ておく価値のある作品だと思います。
学ぼうとすると溝にはまる「宗教」。未だに謎がいっぱい。
フランスで実際に起こった神父による児童への性的虐待事件を描き、第69回ベルリン国際映画祭で審査員グランプリ(銀熊賞)を受賞した作品。
幼い頃の性的虐待によって、長年、深いトラウマを抱えて生きてきた男たちが、「過去の出来事の告発」に挑み、様々な試練に立ち向かう衝撃の実話をフランソワ・オゾン監督がフィクション化。
ドキュメンタリーにすると、彼らの苦悩を何度も引き出す形になってしまうため、役者が演じるフィクションにした点は成功している。さらに、ドキュメンタリーよりもストーリー性が出てくる分、主な登場人物の人間ドラマが伝わり、「告発」の大きな壁に立ち向かう各々の心理状況がより共感できた。
仕事や家族を持ちながら、体裁や時間とも戦わなければならない現実を乗り越えていく彼らの姿は、見る者に勇気を与える。
同時に、告発する側もそれぞれの環境や価値観で意見が合わなかったり、一般的な信仰心と対立することとなってしまう場合があり、本件が「終わりが見えない深いテーマ」であることも本作は訴えている。
重たい内容ではあるが、ファッションはそれぞれ個性的で清潔感があり、1個人を尊重するフランスらしく人間関係においては、程よい距離感が保たれている部分も参考になった。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 同じ題材ながら『世紀のスクープ』(米)とは段違いの力作。佳作・秀作乍ら異色作ばかりのオゾン監督がこんな堂々とした社会派の大作が撮れるとは。一糸乱れぬ演出の冴えが凄い。
①同じ被害者ながら虐待の内容・年齢・育った家庭環境・これまでの人生・仕事・家族等が違う登場人物達を見事に描き分けているのが流石。
②カトリックの神父による少年に対する性的虐待は今や(というかやっと)世界的な問題となっているが、日本も対岸の火事ではない。
本来書く気は無かったが、最近世間を騒がしているジャニーズ事件も同様である。かって北公次が告発したときにもっと真剣に対処していたら被害者はもっと減ったはずなのに…芸能界もマスコミもジャニーズ喜多川氏の威光が怖かったんでしょうね…死んでからやっと問題化するんだから…相手がジャニーズ事務所程度の小者ならまだしも、本作で相手となるのはカトリック教会という遥かに歴史も長く権威も重く政治的力も強く敬虔な信者数も規模の違う絶大な相手。
それを相手にするのだから日本人にはその勇気は理解できないかもしれない。
(因みに、ジャニーズ事務所の話に戻ると、勇気を出してジャニーズ事務所を告発した元ジャニーズの面々に大して誹謗中傷や脅しが来ているというニュースを先ほど見た。そういうことをする輩はか人の苦しみがわからないバカかと思う。日本人の程度の低さを自ら暴露しているようで情けない。)
③
沈黙を破る瞬間!! 少年が大人になっても癒えない心の傷とは?
忘れたい過去があった少年時代を過ごして来たアレクサンドル。
大人になっても忘れられない神父から
受けた性的虐待を淡々と妻と息子2人に
話す場面は、息子たちや今もボーイスカウト
にいる少年たちに同じ被害に合わせたくない
自分のように傷付けたくない!
心境があり、アレクサンドルの悲しい瞳を
見て今も苦しんでいるトラウマが
感じられました。
純真無垢だった少年が、テントの中で神父に
されていた、衝撃の行ない!
人間の体を覆い隠すように、ずっと心に
しまって置きたかった『過去』を
告発したエマニュエルは、勇気ある行動
だったと思います。
大人の男性が地面に倒れ込み、発作を起こす
姿は非常にセンセーショナルでした。
被害者の会が作られたことにより、
これからの被害を出さない
法律改正も出来て、日本で公開された
意義も大きく感じられた作品でした。
クリスマスだったんで
何気に観た映画だったんだけど
どうも 間抜けな選択をしてしまったようです。
神に感謝をって原題です。
そもそも私には信仰心があまり無いので
信者にとっての神父とは?
って所です。
カトリックの神父さんって結婚は出来ないんですよね それで少年少女を集め教えを解いていく訳だから そう言った事って
大なり小なりあったりしそうですよね。
日本でも教職に携わっている人のスキャンダルはよく報道されてます。
スキャンダルの隠蔽だってそうです。
組織が大きくなれば、尚更です。
労災隠し リコール隠し 多々あります。
少年時代のトラウマも人によって違うもの
私もあります。
傷跡っていうんですか 無い人どれくらい
いるでしょう?
同じ映画を観ていても
求めていたもの 見えたもの それぞれ違うんです。
この映画はそんな1つのケースだと思っています。
コレが私のレビューです。
神父による児童への性的虐待
アレクサンドルは子供の頃に神父から受けた性的虐待を40歳になった時に告発する。5人の子供を持ち、毎週礼拝にも行っている。息子達
(高校生くらい?)は父親の様子に疑問を持ちはじめた為、アレクサンドルはまだ小さい子供達も交えて全てを打ち明ける。こういう問題を家族で話し合えるって凄い。なかなか出来ないことだけど、いい事だと思う。
アレクサンドルが主人公かと思ったら、同じように被害にあった人達に次々と話が変わっていく。それぞれの苦悩の蓄積、現在の置かれた状況などが描かれていく。
被害者同士が集まり、裁判に向けて色々と話し合ったり意見を交換したりと交流を深めていく様子や、一区切りついて家族との時間を取り戻したいからと別れを切り出す者、信仰を辞める決意をする者とそれぞれの結論に考えさせられる。
最後の説明で無罪とあったが、どうして、、、納得出来ない。
フランスの小児性愛神父
実際に起きた神父による小児性愛犯罪を、オゾン監督が淡々と、主人公をリレーのように変えて描いていく。
この神父、問いただされるとあっけなく白状、罪の認識はあるのだが、病気なのでどうしようもないらしい。
これを知っていた教会のほうが問題で、スッキリしない。
今も裁判が続く実録告発映画
日本には少ないのかも知れないが、海外の聖職者には立場を利用して生殖活動をするウラの顔を持つ者がいることは映画で度々描かれる。
この作品は、そういった氷山の一角を丹念にテンポよく追った実録告発映画。
最後の経過報告で「何故!?」と思ったりもするが、それ程オモテとウラの顔の使い分けが上手く、真面目な顔で普段説法をしている姿を見ていると自分の家族に被害が及ばない限りは他人事、いや、そんな事全く有り得ない!ウソだ!と思ってしまう程神父に心酔している人も多いのだろうし、そういう人が被害者の家族にもいるなら、それは家族崩壊にも繋がる大変さだろう。
ていねいに被害者の経験や心情が映像化されており、その複数存在する被害者を群像劇風に展開。
是非観てみていただきたい一本。
トラウマは消えない
少年期に信頼する聖職者から受けた性的虐待のトラウマは何年経っても消えるものではない。
また、被害者の方が、自分が悪い事をしたのか、と思ってしまう事もある。
現在係争中の事件なので、極力脚色を加えず作った作品との事。
教会側の隠匿体質も描かれており、よくこんな作品を作れたなぁ、と監督他企画者に拍手です。
オゾン作品は「二重螺旋の恋人」しか観たことがなくて、二重螺旋が好み...
オゾン作品は「二重螺旋の恋人」しか観たことがなくて、二重螺旋が好みで演出も印象的だったのでどんな展開な内容か興味の深かった作品。
被害者視点で進むストーリーは、ドキュメンタリーを観ているかのようだったし、複数視点で展開する構成は、それぞれの苦しみの深さが十二分に伝わってくる。。
被害者は勿論、家族との関係性、親としての苦しみも描かれていて、とても深みのある作品でした。
バイクのシーンが出てくる度に、オゾン節が炸裂するんじゃないかとドキドキしましたが、事件を堅実に描くことに徹したしたのがよかったんだと思います。
力強さ
ドキュメンタリータッチに描かれているのか?
演技と現実が区別できなかった。
神父の男子児童への虐待は、つまるところゲイの自分が思いもよらぬ「女性が受ける性的暴力」の擬似体験だった。
成人した男性たちが、幼少の頃の虐待に向かって神父を追い詰める。その心の中にある逃れられない苦しみ。
それは全て女性の立場に置き換えられる。オゾンが見せてくれたのは許し難い虐待。見終わった後のやり切れない感情。
聖職者は神ではない
少年に対するあまりに罪深い性的虐待という犯罪行為。
あろうことかそれを聖職者である神父がその立場を利用して行っていた。
なによりこれが実話で現在進行形で裁判が行われているという真実。
1つの告発をきっかけに次々と立ち上がるかつての少年達。
一方で自分は訴えない、そっとしておいてほしいと望む被害者も多い。
声をあげた80人の他にどれ程の少年がその自尊心を傷付けられたのか。
背徳感こそあれど「自分は病気だ」と開き直る神父。
長年その愚行を知りながら神父を守ってきた組織。
心に蓋をして生きてきた3人の被害者がスライド式で登場する。まるでドキュメンタリーを見ているような感覚になる。
立場や環境は違えど抱える闇の深さは皆、計り知れない。
映画としては長い137分。けれどこの時間で彼らの30年分の痛みを語り尽くすことなど到底できない。それでもありのままの出来事を愚直に訴えかけてくるような、そんな137分でもあった。
聖職者とて人間だと思い知る。
それが誰であれ人の尊厳を傷付ける行為は赦されない。
神父は残りの人生全てで償い続けるしかない。
そしてこれが史実に基づく物語だと知った以上、私も結末を見届けたいと思った。
淡々と描く素晴らしさ
小児性愛者の司教によって少年時代に深い心の傷を負った主人公たちが、司教及び、知っていてもほとんど何もしなかった教会を訴えていく話。
最初はそのことから30年経ち、ようやく妻に語れるようになった一人の男が、行動を起こす。行動し続けるうちに、同じ経験を持つ人たちが、一人二人と同調を示し、徐々にだが大きな動きになっていく。
冒頭から、ど真ん中のストレート。主人公が、子供時代の自分に起きたことを、妻ばかりか子供達にまで話し、訴えを始めていく。
ただ映画は、淡々と事実を描いていく。そこには、映画にありそうな大逆転や、思いもよらぬ裏切りといった
"劇的な要素" は、全くない。強大な妨害勢力が現れる訳でも無ければ、メンバー一同が契りを交わして一糸乱れず行動する訳でもない。だんだん人が増え、考えていることは少しずつ違うが、進めていく。その姿を、ただ淡々と描いていく。
しかし、それが実は、彼ら一人一人の苦悩を生々しく描くことにつながっている。訴えが届くかどうかは、もちろん大切なファクターだが、もっと大切なことは、彼らの苦悩を我々観客が肌で感じることなのだろう。
観ている私が感じるべきことは、「訴えが通った、あ〜気持ちいい」ではないのだ。被害者である彼らの苦悩を、気持ちを、少しでも感じとることなのだろう。
そんなことを感じながらの137分は、あっという間にすぎさっていた。被害者にも、様々な人がいる。しかし、誰でも苦しんでいる。苦しみ続けている。
終盤、息子が主人公に聞く「パパ、今も、神を信じる?」という問いかけには、明確な答えはなかった。あれだけ、「棄教すべきではない。内部から、教会をより正しく変えていくべきだ」と言い続けてきた主人公が、だ。被害者は、苦しみ続けている。
正統派のオゾンも悪くない
これまでエロティックかつミステリアスな作品で魅了し続けてきたフランソワ・オゾン。しかし今作にエロさは微塵にもない。カトリック教会の神父による児童への性的虐待事件をストレートに描いた。
自らを病気だと認めなからも行為を続ける神父とそれを知りつつ黙認する教会。
大人になった三人の被害者たちがバトンをつないだ。彼らの負った傷と告発までの過程をじっくりと捉えた。彼らの苦悩を十分に納得した。
う〜〜ん、正統派のオゾンも悪くないなぁ。
説得力のある秀作でありました。
しかしエロいのもお願いしたいものです。
ちなみに同じテーマを扱った作品としてはマスコミによる糾弾を描いた『スポットライト 世紀のスクープ』のほうが好きかな。あの作品の展開と高揚感は凄かった。
苛立ちの釣瓶打ちに窒息寸前
時代がそうなのか、タブーofタブーに触れていく作品が増えてきたのは好ましい事なのだが、この作品のようにエンタメ要素をゴッソリ削ぎ落としたものもバンバン表に出てくるので、油断してると魂をシャッフルされて尋常じゃない疲労感に苛まれる事にもなったりしたりします。
とはいえ、名匠の類いの監督。ある意味退屈になりそうな会話主体の情報収集物語を、主人公の交代等の工夫を凝らして飽きさせずに引っ張っていくのは見事でございましたし、正義に目が曇り知っていた筈の他人の痛みに鈍くなる感じもハッ!とさせられました。
宗教というフィールドに拘らず、広く皆に観て感じて欲しい作品ですね。
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