「ある一つの善」ある船頭の話 森のエテコウさんの映画レビュー(感想・評価)
ある一つの善
美しい映像と音楽、そして何より主演と助演、二人の心の純粋さに胸が高鳴る癒しに満ちた作品。
自然の四季の移ろいの中で、日々営まれる人間の業。命あるものを戴いて繰り広げられる人の生と死が、悠然とした自然を背景に切り取られていく。とにかく自然の造形が美しい。
中でも水。川にとうとうと流れるその水は、液体、個体、気体と形を変え、この世界を流転する特別な物質。
雨粒が球体であることを思い出させられる美しいハイスピード映像。
そして、音楽。ピアノと歌声と口笛のシンプルなアンサンブルが、映像に更なる色を加える。
色といえば、青と赤を基調としたワダエミの衣装も印象深い。
そして、肝心の演技であるが、内なる善と悪の揺らぎを、微かな眼の演技で表現する柄本明は流石の一言だ。
更に、訳あって船頭の世話を受ける娘役の、静寂を突き破る爆発的な演技には衝撃を受けた。
ある船頭の話とは、様々な渡世人を日々運び続ける中で、船頭自身の内に醸成されていく思索の結果の哲学だ。
米や魚を食し、夜に寝て昼は働く。その原始から続く生活の中で醸し出される哲学。
渡しの傍らでは、材木とレンガで橋梁が造られつつある。二重橋や眼鏡橋様の橋から時代は文明開化期か。日本的な衣装と共に詳しい時代は語られず、却って普遍的なテーマが浮かび上がる。
人間の悪とは?善とは?
自身の内に狡猾な悪を認めつつも、ひと欠片の善を訴求する主人公は、もう船に乗ることのないかつての渡客から譲り受けた絵を本に木を彫り続ける。
それは、聖母とも女神とも見える美しい女性の像だった。その辺りも普遍的なテーマを浮き彫りにする演出。
そんな船頭のところに、人間の業の深い闇から生還したひとりの少女が流れ着く。
船頭とその知人の手当てにより娘は少しずつ回復し、心を開き、生活を共にするが、更なる人間の善行、悪行に行き当たり、純粋な二人の心は遂に奈落の底に突き落とされるのであった・・・
オダギリジョーは、長編初監督とは思えないほどに、演者、スタッフと多くの才能を擁し、豊かな演出を駆使して見事に作品をまとめ上げている。
主人公が最後に見せる、内なる一つの善を行使しての喜悦の表情。
そして、この作品自体が、多くの人に愛されるであろう、ある一つの善であると感じるのであった。