「現実と幻想の狭間の物語」ある船頭の話 しずるさんの映画レビュー(感想・評価)
現実と幻想の狭間の物語
山、海、人の手の及び切れない領域は、かつて異界であった。川もまた、異界であり境界である。
多くのものが、こちらからあちらへ、あちらからこちらへ、通り過ぎるが、留まる事はない。様々な人の人生が、一時小舟に乗り合わせ、ただ通過していく。
川のほとりで、船頭は一人、通り過ぎる人を待ち、運び続ける。少女は川からやってきて、船頭の元に留まった。
この作品は時折、現とも幻ともつかない映像を挟む。水中を舞うように泳ぐ少女は、果たしてこの世のものだろうか。亡霊は存在するのか。殺人の幻想は誰のものか。どれが夢でどれが現実か。
近代以前、人は異界の存在を受け入れ、科学とは別の理で説明付けていた。川から来た少女がどこか人間離れしているのも、マタギが死して山に還るのも、その魂魄のように蛍が舞うのも。現代の目には奇異に映るが、異界の理を通せば、むしろ当然のように納得がいく気もするのだ。現実と幻想が、一つ景色の中で、レイヤーを重ねるように被さっていく。
映像は殆ど川の渡しに限られ、仔細がはっきり明かされる事もない。僅かに示される情報の端々から、観客は物語を組み立てていく。少女に何が起こったのか。船頭は何を思ったのか。
哀れな人間のリアルととるか、霊やもののけの現れる幻想譚ととるか。物語は観客によって自在に形を変える。
船頭は客の言葉に相槌を打ち、耳を傾けるが、自らについては殆ど語らない。
少女が現れ、問われた時、初めて船頭自身の過去や思いが語られる。
風を受けて形を変える水面。
橋ができ、人は異界を忘れ、時を失い、傲慢になった。
現実に居場所をなくし、川に漕ぎ出す二人は、此岸の岸を離れ、とうとう本当の異界のものになるのかも知れない。
船頭の朴訥で哀しい眼差し、少女の暴くような鮮烈な目、血の赤、重なる波紋、朝霧、蝉の音、鳥の声、せせらぎ。
現実と幻想の両岸を交互に眺め、つらつらと万華鏡のように思考を遊ばせながらたゆたうような。贅沢で心地よい時間を与えてくれた作品であった。