「どちらの気持ちもわかる気がする」ロマンスドール いちさんの映画レビュー(感想・評価)
どちらの気持ちもわかる気がする
タナダユキ監督作品は、ドラマ『レンタルなんもしない人』くらいしか観たことがなかった。あとは資生堂の期間限定Webムービー『Laundry Snow』、高橋一生と武井咲の時空ファンタジー。
『ロマンスドール』は、キービジュアルとざっくりした紹介しか知らず、まあきっとふわふわしたエロティックファンタジーなんだろう、「妻が実は期間限定で魂が宿ったラブドールだった」とかそんな感じかなあと。
そういうのはあまり好みではないけど、高橋一生と蒼井優ならまあ観て損ということもないだろうと、配信ポイント消化程度の軽い気持ちで観てみた。
まさか泣くとは思わなかった。
予想とはまったく違う、ファンタジーでもなんでもない、人と人とが向き合う重みを、リアルにどストレートに描いた作品だった。
夫婦として人と人とが真摯に向き合うことを描いた作品であり、同時に、タナダユキ監督がインタビューで語っているように、「職人の物語」でもある。
自分の妻の体の写しをラブドールとして流通させるのはどうなのか?という感想があるけれど、職人や創作者には、そこに向かわざるを得ない業のようなものがあると思う。
最高のものを作りたい、愛する者を自分の作品として形にしたい、自分の作品をたくさんの人に見てもらいたい。そういう思いは、「愛する者を自分だけのものとして大切にしまっておく」選択を容易に上回る。
役者は素の自分の言動を演技の素材として客観視してしまい(『Wの悲劇』)、小説家や漫画家は自分の体験がネタにならないか常に考えてしまう。それと同じだ。
もちろん葛藤はある。哲雄の場合、それが「『園子』でなく、ひらがなで『そのこ』で」なのだと思う。
そして園子。
この世を去らなければならないとわかった自分を、かけらでもいいからどこかに残したい。
(世を去らないとしても、いずれ必ず老いて姿かたちが変わっていくわけなので、きれいなうちに残しておきたいという思いは誰しもあるのではないか)
それを、一流の職人である愛する夫が叶えてくれるのなら最高だと思う。
とはいえ、絵画や彫刻でなくラブドールは嫌、という感じ方もあるのだろう。
私自身の感覚でいうと、そんなのは知ったこっちゃない。自分自身そのものではなく、あくまでコピーの作りものなのだから。(そのことは、哲雄が「試す」シーンで痛切に証明される)
愛する人が精魂込めて作った会心の作の原型となり、それを使って100人が多少なりとも幸せになるなら、素晴らしいことではないか。
園子は、美術モデルをしていたということ以外、職業については特に描写がない。おそらくは、家庭料理が上手な平凡な女性なのだろう。
特別なスキルがあるわけでもなく、特に何かを為して注目されることも貢献することもなく、しかも30代で命が尽きることがわかっている。そういう人が「私でも役に立つなら」と思うのは自然なことだと思う。
自らのがんを知った園子が一方的に離婚を決める気持ちも、「子ども好きじゃないけど、哲ちゃんの子どもなら大丈夫かなって」という言葉も、痛いほどわかる気がする。
セックスほど振り幅の極端な行為はないと思う。心から愛し合う者同士のセックスほど至福なものはないし、合意のない暴力的な性行為ほど人を貶めるものはない。
この作品ではその「至福」が、妙に扇情的な方向でなく、ごくナチュラルに描かれている。
性描写があることで「PG12」だが、これまで単なる映画のレイティング記号としか思っていなかった「PG」が、急に意味を持って見えてくる。Parental Guidunce、鑑賞には保護者の指導や助言が必要な作品だということだ。むしろ、保護者の指導や助言のもとで積極的に観てもらいたいとまで思えてくる。
セックスとは何か。どんな相手と、どういう前提でするものなのか。なぜラブドールというものがあるのか。
避妊知識こそ盛り込まれていないが、それ以前の大切なことが、この映画にはあるように思う。
J.ティプトリー・ジュニアの古典SF『たったひとつの冴えたやりかた』に、ローティーンのための性教育として「学校でデモ・チームが(セックスを)やってみせる」という描写があったが、それを思い出した。主人公の少女は「幸福そう」だったと回想しているのだ。
ラブドールについてはなんとなく嫌悪感のようなものを持っていたのだが、この作品を観ていろいろと調べてしまい、見方が変わった。特別協力のオリエント工業は、もともと障害者向けにダッチワイフを開発したことが始まりなのだそうだ。
原作小説の冒頭を読んだが、こと切れた園子を前に、哲雄は現実を受け止められないまま呆然と、いわば機械的にあっさりと体を離している。映画の終盤近くの、「体を離したら、僕はもう二度と園子の中に入ることはできない」というモノローグは、哲雄が高橋一生という役者の身体を得たことで初めて生まれたものなのかもしれない。痛々しくて生々しく、秀逸だと思う。
ファンタジーではないと書いたけれど、緩和ケアしか手がなくなった末期がん患者がああいう形で死を迎えるというのは、さすがにあり得なかろうと思う。最高の死に方ではあるけれど。
ピエール瀧は、本当に唯一無二の良い役者だと改めて思った。この久保田社長は実にはまり役だと思う。皮肉でもなんでもなく。「お決まりの摘発」でしょっぴかれる際、あっけらかんと「元警官なのにな!」と呵々大笑する社長は本当に素敵だ。瀧にしか出せない味だと思う。
ここでは職人のこだわりを誰よりも理解し支援する役どころだが、大河ドラマ『いだてん』では、当の職人の役。だが、瀧が降板する前の登場分も交代した三宅弘城で撮り直され、再放送やDVD等でも瀧の播磨屋は無かったことになっている。
10話までの同じシーンをピエール瀧バージョンと三宅弘城バージョンで見比べてみたが、当然ながらキャラクターがまったく異なっている。けして三宅弘城が良くないというわけではないのだが、この役は瀧にアテ書きされたものではないかと思うので、瀧の黒坂辛作を最後まで見てみたかったとつくづく思う。
それからこのメインビジュアル、記念写真よろしく二人揃ってカメラ目線というのは、内容と合っていないように思うし、何より絵的に非常につまらない。公開時に食指が動かなかった理由でもある。そういう人も少なくないのではなかろうか。
瀧の件による公開延期(被害者のいる重大事件ならまだしも、こういう処置は本当にやめてほしい)、その直後のCOVID-19禍と、公開タイミングも興行的にもおそらく不遇であったろうこの作品。たくさんの人に観てもらいたいと思います。
Wikipediaでは赤リンクだったので自分でまるまる書いてしまったよ。