劇場公開日 2020年1月24日

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「なんだか凄い映画だった」ロマンスドール 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0なんだか凄い映画だった

2020年2月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

萌える

 昭和の世代には南極1号と言えば、ある種の気恥ずかしさをともなった記憶があると思う。実物は見たことがないが、南極観測隊が持っていったとか、それは比喩であって実際に持っていった訳ではないとか、ダッチはオランダだからオランダ人の奥さんの意味かなどと、実にどうでもいいことを真面目に話したりもした。
 ダッチワイフの時代は、それがあまりにも実際の女体とかけ離れていたため、こんなものを使う男が本当にいるのかなどと思っていたが、供給があったということはそれなりの需要もあったのだろう。ビニール風船みたいな外観にはとてもではないが萎えてしまいそうだが、昭和の男たちの想像力と意思はよほど逞しかったのだろうと思われる。
 南極1号から幾星霜。オリエント工業がラブドールを発表したときは、日本男児と風俗業界に衝撃が走った。その出来栄えとリアリティは勿論のこと、給料の手取り額の数カ月分というその価格にも衝撃を受けた。
 今では更に進化して、AIを組み込んで会話もできるし、喘ぎ声も出せるらしい。しかし価格は1000万円くらいするとのことだ。5万円のソープに200回行ける価格だが、どちらが得なのかと、こういうことで真剣に悩むのが男の愚かさであるが、もしかしたらそれは愚かさではなく長所かもしれない。

 ある短編小説を思い出した。筒井康隆の「20000トンの精液」である。ヒルダという絶世の美女が立体テレビで実体化され、世界中の10億人以上の男たちがヒルダを抱くという話である。ラブドールよりもずっと進んでいる驚くべきアイデアである。当然ながらヒルダは世の女性たちから憎まれる。しかし当のヒルダはカメラの前で振りをしているだけで実際のセックスをしている訳ではないので、それなりに欲求不満が溜まっている。結末がどうだったかは忘れてしまったが、この小説が発表されたのは1970年である。今から半世紀前だ。まったくもって筒井康隆は天才である。
 ヒルダについても賛否の議論があったと思うが、圧倒的な需要の前には議論は意味をなさない。ラブドールについても同様だろう。男性用だけでなく女性用も既に発売されているらしいから、男女を問わず需要があるはずだ。ではどうして需要があるのか。
 世界最古の職業は売春婦と言われている。その真偽はともかく、人間は他の動物と違って一年中発情していて、生身の女性は必ずしも思い通りにはならないから、需要と供給の経済原則から必然的に売春という商売が誕生したのは納得できる話である。ラブドールも同じようにその誕生は必然的であったと思われる。テクノロジーの進化とともに生身の女体と見紛うばかりになっただけだ。
 性欲は食欲と同じで抑制しがたいものである。不味いものよりも美味しいものを食べたいのと同じで、セックスの相手はスタイルと感度がいい美人か、またはハイテクな二枚目に越したことはない。望みが叶わない人の代替用としてのラブドールは今後も需要が増していくだろう。セックスと生殖が別になってしまったら人類はいなくなってしまうかもしれないという議論はある。しかしそもそも人類が存続しなければならないと決まっているわけではない。ブッダは末法を説いたし、イエスは天国は近づいたと言った。それでなくとも、今だけ、自分だけ、金だけの世の中だ。生殖と無関係のセックスに人類が熱狂したとしても、それはブッダやイエスの予言が成就されるためかもしれない。

 さて映画の話だが、結論から言えばとてもいい作品だと思う。単に若い夫婦の顛末を描いているだけでない。ラブドールという、人間の本能と羞恥心と、それに社会的なタブーにも繋がる商品を作る職人が夫ということで、テーマは地理的にも歴史的にも広がっていく。
 「ままごとみたい」と、高橋一生演じる夫はみずからの結婚生活を振り返る。料理上手で控え目で美しく、そしてセックスに積極的な妻。昭和の時代には、結婚式の挨拶で「昼は淑女のように、夜は娼婦のように」という決まり文句があった。今なら炎上しそうな言葉だが、夫婦円満の秘訣について言い得て妙である。蒼井優演じた園子は、まさに理想の妻であった。それはつまり、理想のラブドールということでもある。ラブドール職人である哲雄がそれを意識しない筈はない。そして園子にもそれは解っていた。
 高橋一生の演技はとても上手である。普通の男ならそう振る舞うだろうと思う、その通りの演技をする。もはや職人の哲雄にしか見えない。そして蒼井優は更にその上を行く。哲雄の人生を優しく包み込み、ありったけの愛情を注ぎ込む園子の姿に、女の情というものを見せてくれる。
 蒼井優は映画では「百万円と苦虫女」「彼女がその名を知らない鳥たち」「斬、」「宮本から君へ」「長いお別れ」など、舞台では新国立劇場での「アンチゴーヌ」を鑑賞した。演じたそれぞれの役柄は強気や弱気、感情的や理性的など性格の差はあるが、いずれも女の優しさと女の情を存分に表現していた。「アンチゴーヌ」では十字の形の舞台の下を歩く演出で、目の前を通り過ぎる蒼井優はエネルギーとパワーに満ち満ちて、生身の人間が演じる迫力が衝撃波のように押し寄せてきたのを憶えている。あれを受け止めるのだから、高橋一生は大変だ。
 宝くじが当たったらラブドールと専用の部屋を買おうかな、などとは夢にも考えていないが、完成したドールのイメージは強烈過ぎて記憶から消しようがない。なんだか凄い映画だった。

耶馬英彦