黒い司法 0%からの奇跡のレビュー・感想・評価
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衝撃を受けました
何よりこれが90年代の話ということに衝撃を受けました。南北戦争後〜1950年代くらいの話ならわかるけど、愕然としました。やはりああ見えてアメリカの闇、いや病みは深い。
役者の演技、キャスティング、演出どれも良かった。特にキャスティングは絶妙だった。どの役者もハマっていたが中でもマイヤーズ役、検事役の役者がとても良かった。ブリー
ラーソンはテロップまでわかりませんでした。素晴らしい。
しかし、実際には映画以上に嫌がらせや妨害があったのではないだろうか?アメリカにはクズ野郎もいるが、Heroも存在し、それを映画化して風化させない力がある。羨ましいことだ。
たかが20年前、こんな状況が存在していた。。
実話の映画化についての雑感
Based on a true story
実話に基づくストーリーの映画化、アメリカには本当に多いですね。
同時に公開されているフランス映画『レ・ミゼラブル』と連続で観てしまったせいか、理性でなく感性として希望よりも絶望が上回り、正直、少しきついです。
なので、実話に基づく映画、についての雑感を少しだけ。
近代の戦争だけでなく最近のテロ関連も含めた軍隊・部隊・作戦もの、政治(家)もの、ウォール街的な経済もの、『ギフテッド』のような子ども関係、カルト教団や悪魔信仰系、『ハドソン川の奇跡』のような事件・事故に材を取ったもの……
翻って日本では、映画の題材になるような事件・事故、ヒューマンドラマが少ないのか、或いは実話を映画として公開しづらい環境的要因があるのか。
たとえば、
・政治関連…政権への忖度?、情報開示の制約?
・事件・事故…当事者への配慮・遠慮(アメリカのように国内でも時差があったり、州が違えば別の国というほどの多様性や物理的距離、空間的距離がないので、日本では事件・事故の全貌が明かされることへの配慮は欠かせない)
・ヒューマンドラマ…市井の人たちの活躍はワイドショーで食い尽くしてしまって、映画化される前に陳腐化してしまう?例えば、スーパーボランティアの方など、どうなんだろう。
それから、いい話や人間ドラマは映画化される前にNHKが地上の星やプロフェッショナルとして紹介してしまうから、ということもあるかもしれない。
もしかしたら、日本の映画界には、すぐそこにあるはずの題材を発掘したり拾ったりして商業ベースに乗せるまで、プロデュースできるシステムや人材や資金を集める力が全体として不足しているのか、或いは未成熟なのかもしれないですね。だとするとちょっと寂しい話となりますが。
そうは言っても『37セカンズ』は素晴らしかったし、3月の『Fukushima50』にはとても期待しています。
真実はもっと辛い戦いなんだろうなぁ
よかった
心が震える、ってこういうこと
そう思わせてくれる映画でした
黒人は生まれながらに有罪
証拠も証言もなくてもいい
でっち上げでもいい
そんな驚くような背景で、多くの人々が無実のまま死刑宣告を受け、実際に命を奪われる現実がある
そして、実際の犯人は野放しのままだ
そんな現実に立ち向かった弁護士のブライアン・スティーブンソン
彼とその仲間たちの成し遂げた偉業の、ほんのかけら、
けれど、守られた大切な生命がこの映画では描かれる
全くでたらめの証言だけで、まともな裁判もなく、死刑を宣告されたウォルター・マクミリアン
再審請求は却下され、すでに数年を死刑囚として刑務所で過ごしている
彼の無実を確信したブライアンは立ち上がるが、そこに立ちはだかる妨害や壁
果たして、ブライアンは、ウォルターを救い出せるのか
観ながら、途中途中で4回、涙が溢れた
悲しさではなく、心が震えて
涙は零れずとも、心が揺さぶられるシーンは他にもあった
真実が通じない、正義が貫かれない
そんな逆境の中でも、ウォルターが語る魂の気高さを見せる言葉
観ているこちらは、なんとしてもウォルターを助けたくなる
そして、劇中に二度出てくる打ち鳴らされる金属音
この音の意味するもの、その言葉ではないものに涙が溢れた
ブライアンだからこそ、起きた展開の数々
貫かれない正義がまかり通る世界で、何を守っているのかわからないような検察
劇中でも、ムカつく相手たちでしかない存在
しかし、本来であれば、敵対し、相手を負かすことだけに目がいってしまうような状況下で、
ブライアンのとった行動に驚かされる
この行動が、のちに大きな展開のきっかけになるのだけれど、その展開を起こしたある人物の行動にも驚かされる
とてつもない勇気が必要だったはずだ
全てを投げ出す覚悟が必要だったはずだ
でも、それを成し遂げた
同じように勇気を振り絞った人物は他にもいるけれど、その人の行動にもまた心を動かされた
それもこれも、ブライアンの人となりが為せる技だった気がする
Do the right thing(正しいことをしろ)
よく映画でもドラマでも聞かれるこの言葉
まさにこれ、なんだよな
そして、この映画を観たことで、死刑について、再び考えさせられた
法は厳正なものであるべき
法は神聖だとは言わない。だが、権力者の都合で解釈を勝手に変えて良いものでもない。そんなことをしてたら、いずれ誰も法に従わなくなる。法で治められていない国家は、諸外国からも相手にされなくなる。
さて、この映画は法が歪められた社会に敢然と立ち向かった若き黒人弁護士の実話を元にした作品である。
前半で彼(ブライアン)は、一人の死刑囚(ハーブ)の命を救うことに失敗する。そして、その死刑が執行される様子を、映画は執拗なまでにじっくりと描く。そのことで、死刑制度の持つ残虐さを、観客は理解する。
ところで、『死刑台のメロディ』という1920年代を舞台にした映画にも電気椅子が出てくるのだけれど、1980年代になってもほぼ同じデザインだったのにはちょっとびっくり。
ジェイミー・フォックス演じる被告人ウォルターの再審請求も、何度も壁にぶつかる。完璧なまでの証拠と弁論さえ、因習に執われた裁判所によって拒絶される。
訴えは上級審に上り、ブライアンは、問題の根本は警察や社会に深く根をおろした黒人差別にあること、法が富める者に奉仕する存在になっていること、そんな社会を変えなければならないことを熱く述べる。
この場面もまた『死刑台のメロディ』で、バンゼッティ被告が「移民であることが裁かれる。思想を持ったことが罪だと裁かれる」と訴えたことに通じるように感じた。
結末は、実に爽快感に満ちている。何度も挫折しながら最後に栄光を勝ち取るストーリーは、エンターテインメントとしても上出来だと思う。
あと、刑務所の若い看守がレイシストから脱却する様子もなかなかいい。
闘う事の難しさ
冤罪と死刑制度を考える
日本にも冤罪事件は沢山ある。
その中で、最も知られたものの一つが、現在、最高裁に特別抗告中の袴田事件ではないだろうか。
日本で冤罪として認められたケースを見ると、やはり警察や検察の捜査段階での決め付けが、大きな原因のように考えられる。
証拠のでっち上げもあったことは間違いない。
しかし、アメリカの場合は、これに人種差別の問題が絡み、白人の市民感情も手伝い、冤罪が容易に生まれる状況になってしまっているのだ。
住民の安心な生活には対立は必要ないにも拘らずだ。
このアメリカ社会にあって、映画が取り上げたブライアンや支援団体の揺るぎなき姿勢は、2時間ほどの物語の中ではとてもドラマチックに見えるが、実は非常に地道で忍耐が必要だ。
ブライアンが「絶望こそが正義の敵だ」と言うが、死刑を待つ身にしてみたら、絶望以外の感情なんてないに等しいのではないか。
日本の弁護士会が後押しする再審請求の大変さも伺えて、頭が下がる想いだ。
そして、死刑制度。
オウムのテロ事件や、秋葉原の無差別殺人事件、神奈川県の障害者施設の襲撃殺人事件などを考えると、死刑制度自体を再考するのは日本では困難だと思うし、裁判中の女児虐待死事件を報道で目にして、こんな父親を生かしておくな!とか、つい考えてしまう自分もいて、感情に依らず思考を巡らすことの困難さを改めて思い知る。
ただ、僕は、人間は理性的な存在であると信じている。
だから、この原題タイトルが、Just Mercyなのではないかとも思う。
そして、僕は全ての国民が、この現代社会にあって、人が人に死刑を宣告し、これを実施することが、ある意味残虐で、本当は適当なのか常に自問自答はして欲しいと思う。
こうした思考を巡らすことも、きっと正義に繋がると信じているからだ。
死刑に立ち合い、衝撃を受けるのは、遺族だけではない。
実行に携わったら後味も悪いに違いない。
今、世の中では、食肉用の牛や豚の命を絶つ際、出来るだけ苦痛を感じないようにする試みが広がりつつある。
人の絞首刑はどうだろうか。
そんなところから考えて、感情に依らずに議論してみたって良いのではないか。
映画の物語に胸は熱くなる。
だけど、この映画は、そのもう一つ先を僕達に問うているのではないかと思うのだ。
良心を取り戻す物語でもあった
エンドロールとともに正直考え込んでしまった。死刑制度維持派の自分にとって、あまりにも大きな事実が突きつけられたからだ。被害者遺族の心情、犯罪への抑止力を考慮すると死刑制度の廃止は時期尚早と思っていたが、この映画を観終わって、その考えは大きく揺らいだ。
この手の映画にありがちな、過剰な演出はなく、淡々と物語は進んでいく。他の映画では、どちらかというと感情むき出しの熱い演技をするマイケル・B・ジョーダン、ジェイミー・フォックス、ブリー・ラーソンが感情を抑えて、闘志を内に秘める。ノンフィクションである原作をそのまま再現しているように感じた。こう言った演出が、より真実味を増して見ている自分にグサッ、グサッとささる。特に、ブライアンが刑務官に屈辱的なボディチェックをされているシーンなんかは、見ているこっちの頭が沸騰しそうなのに、ブライアンは、正義の実現のための耐え忍ぶ。
アメリカのミステリー小説で60年代、70年代のディープサウスでの人種差別や黒人の貧困問題が題材にされることが多いが、80年代後半になってもここまでひどい差別が続いているとは思わなかった。警察、検察、裁判所、陪審員全部がグルだったら、絶望しかない。
ブライアン、エバの正義へ戦いであるとともに、検事や偽の証言をした人間が良心を取り戻していく物語でもあった。
10%の害意
1989年~アラバマ州モンロー群にて、冤罪の死刑囚への支援団体で活躍する実在の弁護士が、実際に為し得た偉業の話。
クリーニング店での18歳の少女の殺害事件で犯人とされ死刑囚となった、ジョニー・Dの冤罪を晴らす件を軸に物語が展開していく。
判りやすくそう切り取っているから、そう表現しているからというのもあるだろうけれど、あまりにも唐突な逮捕劇と、その背景にある杜撰だったり、無理矢理仕向ける様な証拠で、禄に裁判で審議されることもなく死刑囚となったことが衝撃的。
冤罪じゃないにしても、重過ぎる判決とかいくらでもありそうだしね。
又、日本でもそうだけど、再審のハードルの高さにも憤りと遣る方無い思いが湧いてくると共に、差別はあまり関係ないけど袴田事件を思い起こさせられた。
勿論現在も特に南部では人種差別が激しいというのは知識としてはあったけど…
題材となった話以降の実際の活動では黒人以外の案件もあったのか、作中での直接的な表現では貧困者としているが、高々20年ぐらいしか経っていない最近の話で、これでもかという程の人種差別っぷりに驚いたし、最後の字幕は恐ろしさを感じた。
つらつらと面倒臭いこと書きましたがw映画として…テンポ良く、判りやすく展開や感情をみせていて、オチが判っていてもドラマとして面白かったけど、オチが判っているから感動とかはあまりなかったかな。
実話の重み
Just mercy
すごく昔の話かと思ったら90年代の話で、今も現実に起こっていること。
『ブラック・クランズマン』や『グリーン・ブック』でも散々描かれているけれど、黒人や貧困に対する差別は想像できないほど根深い。
命の危機まで感じながらも諦めたら目の前の人が死んでしまう、信じる正義だけで奔走する弁護士やサポーターたち。
黒人ながらにハーバード大を出ているのにただ人助けをしたい、そんな突拍子もない熱い思いに観ていくうちどんどん寄り添い応援したくなった。
何を信じ、何を成して生きて死んでいくか。映画館出る時には背筋がシャキッと伸びて歩いていました。
大真面目に造ってるんだけど腰砕け
何時になったら差別は終わる
本作品大変に素晴らしい内容でびっくりしています。
本作品が実話と言うのも大変にびっくりしているのと同時に、1987年と言うと、今から33年前・・・50年も前の出来事と言われれば納得出来るのですが、1987年に、まだまだこんな話が有るんですね・・・・大変にショッキングな実話です。
テーマが非常に重く大変に重厚な作品ですが、なぜアメリカとと言う国は、黒人に対して差別をするのか、黒人が人道的、ひとりの人間として扱われていない現実に大変にショックと怒りさえ感じさせられます。
主人公のマイケル・B・ジョーダンの演技も大変に素晴らしく「クリード」とはまた違う一面を見た気がします。
ジェイミー・フォックスなども同様、出ている俳優さんたちが、実際の人物としっかり同化していて、本物の人間を使って当時の様子を撮ったような錯覚さえします。
何にせよ、諦めてはいけない、諦めなかったら道は開かれる、また、99%が善人であり、ほんの1%が悪人であり、どんなに考え方が違いが有っても熱心に説いていけば必ず正しい道は開かれる・・・・
我々の普通の生活に置きかえてみても大変に刺激ある映画の内容だと思います。
本作品がアカデミー賞にかかれば本当に嬉しくなるな・・・・
本作品、実際に主人公のモデルの弁護士さんがプロデューサーとして本作品に協力しているそうです。
PS
しかし、毎度思うのですが、本当にこんな差別が有るのなら許せない!
チャック・ベリー、リトル・リチャード、ジョン・リー・フッカー、ハウリング・ウルフ
ロックやブルースを作った神様にこんな差別は本当に無礼だ!!
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