ジョーカーのレビュー・感想・評価
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混沌の本質を知っているか?
社会は多数派の主観によって善悪が決まる。
富裕層にとっての「普通」
中間層にとっての「普通」
貧困層にとっての「普通」
これらは別世界だ。
つまり、どの層に何人の人がいるかによって社会の秩序が決められていく。
自分が殺されたくなければ、人殺しを悪とする隣人とルールを守って生きる他ない。
現代では多数の人が不満や不安を抱えて生きている。
作中のゴッサムシティは他人事ではなく、富める者は弱者から永遠に奪い続ける社会だ。弱い者は死ぬまで働き、何も報われずに死んでいく。
そう言った社会の中で生み出されたのが今作のジョーカーだった。
私の中でジョーカーはジャックニコルソン版とヒースレジャー版に落ち着くのだが、ホアキンフェニックス版も良かった。
ニコルソン版でのジョーカーは本名はジャック。バッドマンの両親を殺したチンピラで、後にバッドマンとの戦いで酸の海に落ちたことで顔を整形する。整形の過程で顔面が引きつり、笑顔のまま表情が固定される。時々、舌舐めずりするのは口が完全に閉まらず、口が乾くからだと思う。作中で幾度となく笑うが、表情の下では泣いていると語っている。
ヒースレジャー版でのジョーカーは本名不明。口が裂けているのは父親にナイフで裂かれたからと説明しているが、サイコパス は息を吐くように嘘をつくので真偽の程は定かではない。人の心の奥底には妬み辛み憎悪や嫌悪、恐怖があり、どんなに潔癖な人間でも皮膚の下は残酷な本性があることを望んでいる。人に「笑え」と言う割に自分はあまり笑わない。ニヤリとしたから睨みあげる笑顔を見ただけでジョーカーの狂気に震えが走る。
ホアキン版ではおそらくヒース版のジョーカーになっていくのかな?と言った印象。精神的に少しずつ人間の倫理や理性が壊れていく演技は素晴らしかった。
ゴッサムシティの悪を死刑して回るバッドマン。
ゴッサムシティの善を死刑して回るジョーカー。
両者の違いはどの層を敵と見なしているかの違いに過ぎないのではないか?見方が変われば、善悪の立場は逆転してしまうのではないか?と言う不安を煽られる。
若い世代がこの映画を観たら、確実に思いのままに生きるジョーカーの思考に感化されると思う。
30代の自分でさえ、自己中心的に生きるジョーカーの傍若無人な姿に魅力を感じずにはいられない。いられないが、こんな生き方をしたら群の中で生きていけないことは明らかなので、良い子は絶対に真似をしてはいけない。そのためのR指定作品だと思う。お子様には思想的影響が多大にあると思う。
大人とはなんだろうね。人と生きることができるようになったら、社会の一員として生きていけるのかも知れない。ただ、自分がどの社会で生きたいのかはきちんと考えなければいけない。
私の生きる社会も、ゴッサムシティの隣にあることを忘れてはいけない。
「上下逆転」を意識しながら観ると分かる
★はじめに
・どこにも「ダークナイトの前日譚だ」という記載がないにも関わらず、『ダークナイト』によって形成された「わたしのジョーカー像」と比較して低評価する人がいる
・自分の「ジョーカー」像は、どんな映画・ドラマ・コミック等メディアから形成されたのかを思い返すほうが良い(自分の思い込みを疑うこと)
・過去に色々なジョーカーは存在したが「この映画は」ジョーカーをどのように描こうとしているか、単体で見ることは出来るか。(前提知識や事前情報を無視して評価するとどうなるか?)
・勿論、DCコミックの「ジョーカー」を謳っている以上、過去のジョーカーとの比較は避けられない。
・「過去のジョーカーとの比較」と「この映画におけるジョーカーを単独で見る」をバランス良く行うことが、この映画に対する正当な評価ではないか
・では、過去のジョーカーとどこが違っていて、何を共有しているか?
→自分のレビューでは後者について述べます。「『あべこべ』こそがジョーカーの本質だと製作者は考え、映画の語り口全体を『あべこべ』(上下逆転)で表現しようとした」のだろうと考えました。
米コミックでは、同じキャラクターでも、作者によって、異なるデザインで、異なるストーリーで描く。作者ごとに異なった「ジョーカー」と「ジョーカーの物語」がある。だからといって、好き勝手にジョーカーを描いていいわけでもない。ではジョーカーの本質とは何か?見た目は勿論、どんな発言、振る舞い、犯罪スタイル、過去を以て「ジョーカー」は定義されるのか?その境界線を手探りする作業が、漫画家や映画製作者には求められる。
日本の漫画読者は、「この作者が描いたものが正しい」という考え方をする。米コミックは、同じキャラクターを色々な作者が、自分のデザインと自分のストーリーで描いてもいい。一方日本の漫画では、原作者によるデザインと、原作者によるストーリーが「正しい」とされる傾向にある。
「キャラクターが、原作者の手からどれくらい離れているか」は、米コミックと日本の漫画では異なる、という点を意識すると、『ジョーカー』に対する評価の視点も変わるかも知れない。
★★この映画を観る時は「上下逆転」を意識する
・社会の底辺はのし上がりたい
・ジョーカーは転落するほどヒーローになる
・転落するほど「本当の自分」を解放できる
・悪役をヒーローに(バットマンを悪役に)
・階段を降りている時、実は昇っている!
★★★ -(マイナス)を+(プラス)に変える
→なんでも逆(あべこべ)にしてしまう、道化師の本質
「上下逆転」を意識すると分かる映画
以下本題。
・・・
トリックアートの代名詞、マウリッツ・エッシャーの作品に『相対性』というものがある。階段を昇り降りする人物群を描いた絵画だが、1人の人物が降っているのと全く同じ階段を、全く同じ向きに、別の人物が「昇っている」。
もしこの作品を知らない人は、「エッシャー 相対性」でググってみてほしい。
このトリックアートと同じような効果を、映画『ジョーカー』は利用して、下降と上昇を全く同一のこととして提示してみせた。
劇中、主人公アーサーは何度か階段を昇り降りする。特に降りる場合に注目すると、彼が階段を降りるたびに、カメラはまるで彼が階段を「昇っている」かのような角度から急勾配で写し出す。昇っているときは降りているかのように。降りているときは昇っているかのように。落ち込む背中が階段を昇るときは下に落ちていくようだし、階段を下る背中はむしろ上昇するかのようにウキウキしている。(ジョーカーというのはあべこべな存在である。悲劇は喜劇。喜劇は悲劇。表は裏で、裏は表。)
その意図は?
下降すれば下降するほど、彼は上昇する。それはバネのようなもので、押さえつければ押さえつけるほどよく伸びる。助走の距離をたくさん取れば取るほど遠くに飛ぶ。
ジョーカーが転落すればするほど、タガが外れた彼の爽快感は大きい。人殺しというまさに最底辺の行いこそ、彼に最も爽快感を与える。それも彼が社会の最下層へと押さえつけられたゆえだ。彼は勝手に下降したのではない。抑圧され、下に押しつぶされたのだ。上がりたくても上がれないのだ。
転落しきったジョーカー=アーサーだが、一旦暴動が発生すると救世主がごとく祭り上げられる。その様はまさにヒーローだ。ジョーカーと言えば「バットマン」シリーズ最凶の悪だ。だがこの映画では、貧困層の立場からすれば彼は善なのだ。(いわば今作は『ジョーカー・ライジング』。バットマンがパトカーの上に立つ姿が、『ダークナイト』あるいは『ダークナイト・ライジング』のポスターアートとして存在したと思う。今回はジョーカーがパトカーの上にRISEする。これははっきりバットマンに対抗している。バットマンが民衆の上に立ち上がるなら、俺も民衆の上に立つ、と。)
悪は善に、そして善は悪に。ジョーカーが善ならば、バットマンは悪。バットマン=ブルース・ウェインは、資産家ウェイン家の一員として、上級民と底辺層への分裂構造を生み出した、悪者の側に位置づけられる。
よく考えてみればこれはすでに『バットマン・ビギンズ』や『ダークナイト・ライジング』でも描かれていたことだ。両親の死に憤り、犯罪者への罰を望むも、司法は腐敗して機能しない理不尽な世の中に直面するブルースに向かって、幼なじみレイチェルは「貧困が犯罪を生む」という現実をつきつける。ブルースは自分の潤沢な資産を使って貧困を改善するのではなく、武装(おもちゃ)し、私怨から犯罪者を叩きのめす。これでは問題の原因解決になっていない。バットマンの行動は、純粋な善ではないし、合理的な解決策でもない。ただ自分の憤りをぶつけたい。発散したいのだ。結局バットマンは、金持ちであるという立場を利用して夜遊びをしているのに過ぎない。(理不尽に直面し「自分で行動しなければならない」となった点で、今作のアーサーに似ている)
そんな彼を罰するように『ダークナイト・ライジング』でブルースは屋敷も地位も執事アルフレッドも失って、裸一貫での再出発(とはいえやはりスーツも武器も持ったままなのだが)を促される。そしていつのまにか、本当は金持ちの側として叩かれる側なのに、民衆の側に立ってベインを叩く。(民衆の側にあったはずのベインがいつのまにか民衆の敵になっている。このような転移を許容せしめるものは何だろうか?)(それもこれも、バットマンがシンボルだから出来たことだ。金持ちだとかの背景が、仮面の裏に隠されているから出来ることだ。だからバットマンはズルい。姑息だ。そこが彼の特徴でもある。ダークナイトだから。)
(補足)バットマン=ブルース・ウェインは両親殺害当時幼く、金や権力を利用して何か悪事を行ったわけではない。しかしその父親は、ウェイン社のトップであり、政治家でもあった。具体的にどんな罪を犯したかは知らないが、アーサーを始めとする底辺層からすれば父親が報いを受けるのは「当然のこと」であり、ブルースも「父親と同じ」側なのだ。だからブルースが犯罪者を憎むのは逆恨みであり、本当は自分の身を振り返るはずなのに、していない。『ダークナイト』三部作ではトーマスは医師であり、ウェイン社の経営は譲渡し、市民のために安価な鉄道を敷設するなど貧困をなくすためになにかをしようとしていたから、今作のように「バットマンこそ自分の身を振り返ってみろ」と言う描かれ方がより強いかたちで成されるのは初めてのことだ。(むしろノーランが、バットマンが責任追及されるのを避けるようなかたちで、トーマスを貧困の原因から外したのかもしれない)
以上のような『ダークナイト』三部作における「犯罪の原因=貧困」論を踏まえ、『ジョーカー』は、バットマンという上級層からの視点ではなく、底辺層の立場からを描く。
バットマンが上級層の善ならば、この映画におけるジョーカーは底辺層の善=ヒーローである。善を悪に、悪を善に。暴力行為がヒーローとなるのもまた、主人公アーサーが抑圧されにされた結果である。降下すればするほど上昇している。
『ダークナイト』では、ジョーカーの鮮やかな犯罪手腕に爽快感を覚えた人もいるかも知れない。そのような、悪事がもたらす爽快感こそ今回の「下を上に」ということだ。(文明社会において禁止・抑圧されている数々の行為、おこないにこそ、人間の本性とでも言うべき、爽快感が眠っている。)
……というのもまた、ジョークだったというオチ。
涙は笑いに、笑いは涙に。全てをあべこべにする道化師。この映画全体を彼の妄想として見せられたとき、観客は「何が真実で何が嘘か」の拠り所を失って不安になる。それは劇中でアーサーが感じていたのと同じ狂気だ。
人は嘘でも笑わなければいけない。理不尽さを味わされているにも関わらず、相手の機嫌を取って、耐え忍ばなければいけない。それが正気だとされる。そして「本当の自分」を出す人間ほど「頭がおかしい」と避けられる。正気こそが仮面で、狂気こそが真実だ。そのような逆転、あべこべ現象は既に、この世の中に現前している。(本当の自分=内面が抑圧されればされるほど社会的には上昇する。本当の自分を解放するほど、社会的には転落する)
「この映画はあくまでジョークですよ」というのは、「この映画は決して革命を促しているわけではありません」という最後の予防線なのかもしれない。とはいえ、この映画が今現在燻る民衆の不満を汲んでいるというのも事実だ。下を上にしたい、という。
追記①「何も本当のことを言えず、お道化しかしない」という点で、事前に『人間失格』(太宰治)を想定して鑑賞した。不満があっても強い者が勝つ、物事を良くしたくても既得権益がそれを阻む、という諦観や失望においては今作と共通するのかも知れない。葉ちゃんの「お道化」はいわば仮面であるが、世渡りをすることは仮面を被ることだという点ではある意味で真理を体現している。道化師は嘘を装って真実を語るのだ。(『バットマン・ビギンズ』でも、ブルースに向かってレイチェルは言っている。「この仮面が、あなたの本当の姿なのだ」と。嘘がまことなのだ。)
また黒澤明監督作品『乱』には、狂阿弥という道化師(演・ピーター)が登場する。このような殿様控えの道化師は、場を盛り上げる役割を持ち、多少の無礼は許されたという。いわば「イジり」が許された。イジりは、個人の外見や言動、性格を取り上げて馬鹿にすることだ。しかし目上の者が目下の者に行えばパワハラ事案だし、目下の者が目上の者に行えば不興を買ってこれまたパワハラに繋がりかねない。特に後者の場合のようなイジり(目下→目上)を行うことが許される場が「無礼講」である。道化とはいわば、この無礼講を常時行う特権を有した職業であった。「冗談」を装って真理をつくのである。権力を使ってナワバリを守る人間の権威を崩す、それがコメディアンだとか風刺の1つの役割なのかも知れない。
追記②
バットマン不在の今作は、単独でも成立するが、バットマンと似ながらにして対極にある両者の相補的な関係をよく認識させてくれるように思った。共に仮面で装った存在であり、『ダークナイト』三部作と『ジョーカー』においては貧困問題という同一の事案から、バタフライエフェクト的に誕生する。今作は特にジョーカーを、いわゆる犯罪者側のヒーローとして描いた。(革命が成功したあとの世界では、バットマンは悪の側の好敵手として記録されるだろう)
そしてもしかしたら、2人とも同じ人間を父親に持つのかも知れない。(ただし『バットマン・ビギンズ』と『ジョーカー』ではトーマス・ウェインの描き方が全く異なり、別人物とも言えるから、必ずしも本作は『ダークナイト』の前日譚としては捉えられない)
両者は同じものから生まれたにもかかわらず、対立する関係を持つ。今作は特に貧富格差という構造内部に両者を配置することによってさらに、対立関係を克明にした。
凶気、胸クソの悪さ、デートで見に行く映画ではない(笑)
若い方が、たくさん観に来てましたが、
これはデートで見に行く映画ではない(笑)
ジョーカーという存在をどこまでリアルに描けるか、
挑戦した映画であって、娯楽映画ではない。
バットマンも出てこない。
個人的にヒースを超えるほどの『絶対悪』を感じなかったが、
凶気に至るまでの演技は素晴らしかった。
自分の渾身のジョークをネタにされたときの、
静かなる憤怒の表現は寒気がするほどだった。
色んな所で、ヒースを超えたみたいな論評がなされてるが、
別のジョーカーとしてみるべきと思う。
主演と監督のリアル ジョーカーへの挑戦として、
演技(特に表情)と音楽を感じてほしい。そんな作品です。
ラストの解釈も色々あると思うので、演技好き、脚本好きで
ワイワイするのも面白い。
終わった後は、一人でタバコを吸って、
アーサーに共感しましょう。
凶気のピエロの気分で笑いましょう。
それこそが人生。
バットマン,ダークナイト未視聴者の感想
話題になっていたので,「狂気の悪役の誕生秘話で,影響を受けて凶行に走る人がいてもおかしくない」という情報だけ得て,映画館へ.
大まかなストーリーは「貧困と孤独の末,絶望の淵に立たされた主人公が狂気に呑まれる」というもの(多少語弊があるが…)で,大きく予想を裏切られることはなかった.
しかし,その「狂気に呑まれる」までが想像を超えていた.
途中,主人公が同じアパートメントのシングルマザーと良い関係になるシーンがあり,陰惨といってもパートナーを用意するくらいの救いは用意するのかと思ってしまったが,すっかり騙された.
彼は一体どこから本格的に狂ってしまったのか,初めからだったのだろうか.
路傍の石の如く世間に見放された男は,自身の人生を喜劇と表現し,そして狂気に身を委ねた.
他者を顧みない社会の末には,ジョーカーの登場が冗談では済まなくなってしまうのだろうか.
日本でも,「無敵の人」というスラングがいっとき注目を集めたことを思い出す.
ストーリーに込められたメッセージがストレートであるだけに,純度の高い感情を叩きつけられるようで,強く印象に残る作品だった.
本作品とはさほど繋がらないような気もするが,バットマン,ダークナイトも見てみたい.
(´ω`)アカデミー賞必ずとるかね?
この映画が何故アカデミー賞確実なのか?解説欲しいですね。私は3点です。もし極めて正常で社会的にも順応している人が徐々に何らかのイベントで狂っていくのなら面白かったでしょうが、過去に虐待を受け自己愛性人格障害と診断されている事実から、主人公は犯罪予備軍確定で映画の内容に何の意外性がありません。つまんないなぁと思いました。
映像的には良かったのですが、麻薬中毒患者をの妄想を描いた作品『裸のランチ』のインパクトは超えられていないような、、、。
ストーリーの核心に迫る展開は『ビューティフルマインド』の方が意外性があったような気がします。
アメリカ人っているいうのは創造力がすごいなと感心します。ジョーカーってバットマンの悪役なの?よくわからないけど、いともたやすく外伝的な映画を作っちゃうんだから。
デートで観に行って後悔、1人でも2回観たいとは思わない
この作品中、主人公が自覚するまでは、アーサーは妄想をしていない事になっている。
なぜならこの物語はアーサーの一人称視点で描かれているから(多分)。
でもそのせいで、アーサーが自分の妄想を認識する瞬間の描写が弱くなってしまっている気がした。ラストシーンも少し分かりづらいかも。
狂気がはじまる!
ホアンキンは、24kg減量した。
ガリガリだ!
指をピストルみたいにコメカミに当てて
ピシューってする女性。
僕は、トラビスをなぜか思い出した。
そしてラストは、デニーロの頭を打ち抜く!
そしてブルースは、孤独になった。
狂気がはじまる!
予備知識が多少いる作品
バットマンをあまり知らないで見に行くとちょっと難しい作品(かくいう自分もそうでした)
ただ、単体の作品として見ても惹き付けられるものはありました
稀代のカリスマヒールがいかにして誕生したのかを描いた映画です
会社、社会に裏切られ捨てられ、更に母親の裏切り(仕方ない所もあるが)にも合い、恋人も実は妄想とわかってこの世の全てに絶望した男の成れの果てがジョーカーという
正直、バットマンの映画なり見て予備知識入れて行かなかったのを後悔しました
分かってる人が見たらもっと面白いのかなぁ
誰もがなりえるっていうオチ展開でいいの?
今までのジョーカーになるまでっていう
大事なヒストリーがこんな形でいいの?って感じ。
そもそも今までのジョーカーの印象が
頭がいい。サイコパス。笑えないジョーク。
狂気的にみえて魅力がある。とかで
特にスーサイドスクワットのジョーカーは
色気もあってハーレーが好きになる気持ちが
ひしひしと伝わる作品だった気がする。
今回の描くジョーカーは
親からの虐待、元々の病気、精神疾患、人間不信。
どこらへんにもあるようなオチでまとめられた気がする。
まあ別に同じ病気を持っていて虐待受けたら
ジョーカーになれますか?って言ったらなれないし
そう思うと本人の本質的なところは
他人とずば抜けて違うのかなあって感じはするけど。
観客側が誰もがジョーカーになりえる
って思わせたいのはわかるけど、そんなの良くある話だし
大好きなジョーカーだからこそ
そこは身近に感じたくなかったな、個人的には。
どちらかというとアーサーの母親のほうが
サイコパス的だろうし
ストーリー展開したら面白そうだなって思った(笑)
妄想性障害って突き詰めたはおもしろそうだし、
今回のジョーカーも悲しいシーン以外は
基本的に本人の妄想で終わったしね。
最後のピエロが蔓延するくだりも妄想だったら
私はめちゃくちゃ好きだなあって感じた。
でも今までのジョーカーって頭キレてるし
妄想性障害見当たらないんだけど?
女に依存もしないしね。そこ思うと矛盾してない?
覚醒したから本人のそういった症状は
全てなくなったって考えると妥当かな?
そしたらピエロ蔓延は事実になるけど。
まあでも色々思うところはあるけど
色彩も綺麗だったし音楽も良かったし
映画館で見れてよかった!
考察も楽しかったし!
最初から最後まで彼の心に寄り添うものはいない、まさしく"喜劇"だ
元々「ダークナイト」のヒース・レジャーが演じるジョーカーが大好きだったので、今回の映画は見る前から不安の一言でした。
今作のジョーカーには歴代に見る過剰なまでの自信を持っていません。
序盤はただの「心を病んだ優しい男」がどうやってジョーカーになるんだ、このままじゃあ一人の男が不幸になるまでの社会風刺物語で終わるぞ~と思ってしまうぐらいゆっくりねっとり「アーサー」のつらい日々を描いています。
同僚には裏切られ、自分に優しくしてくれていた女性は妄想、最後の頼みの綱である母親は実は自分と同じ精神病で……。
アーサーがこの物語で殺す人間はすべて彼に害をなしている(あるいはこれから笑いものにしようとしている)人ばかりです。
いっそのこと開き直って復讐する悪鬼羅刹のごとく殺しをしていてくれたらスッキリしたかもしれませんが、彼がどのシーンでも起こす笑いは大声で泣き続けている人が時々吸う深呼吸のように痛々しい音。
人々は彼に対して「なぜ殺す」ばかりで彼にしでかしたことも悪いと思ってすらいない。
暴動を起こした民衆たちが踊る彼をヒーローにように崇めるシーンでさえ、民衆と彼の気持ちには大きく剥離が生じている。
ダークヒーローになっても報われない、最後の病院の逃走シーンはまるでコメディのようで最初から最後まで彼の独りよがりの「喜劇」を感じた映画でした。
格差社会にまたまた現れた時代作
観る人の解釈によってストーリーが変化するなかなか面白い作品。
格差社会の鬱憤を晴らすのなら思いっきりジョーカーになって大衆を扇動するストーリーを楽しめば良しだが、
恐らく実際は3人と母親と同僚の5人を殺し、
小屋にも出ず、テレビにも出ず、大衆はただゴミ問題にデモをしているだけで、
部屋を出たら2人組の警官に捕まったという話ではないかとも観れる。
そう観ると、ラスト、
アーサーの思いついた一般人には理解できないジョークとは、バットマン誕生からバットマンそのもののストーリーなのかも、
バットマンをもアーサーの妄想とも読み取れるように作り込んだ本作は、本当になかなかの傑作と言えると思います。
夜明けまで強がらなくていい
ある男は言った。
夜は夜明け前が最も暗い。約束します。夜明けは間近です。
夜明けがアーサーには一度も訪れなかった。
ゴッサムシティが混沌とし、弱者は弱者を虐め、仲間と呼べるものもいない。病気の母を抱えながら、孤立していく。
希望はあった。それはTVの司会者、ゴッサムの権力者、何より自分自身である。
耐え続けるアーサーは、一度のミスで職を失う。
職を失ってもアーサーは舞台に立ち、人を笑わせようとする。しかし結果は出ない。
社会はさらに不幸を押しつける。
周りから疎まれ、
さらには暴力を振るってくる。
夜明けまで待つことなく、アーサーは、
悲劇の連鎖に耐えることを辞め、引き金を引く。
ジョーカーはいかにして生まれたのか。
明確なタイミングが分からなかった。
ただアーサーは死んでいない。
いや死んでいない? 死んで(この世に)いない?
どちらにせよアーサーはジョーカーに変貌し、
ゴッサムを混乱に導く。
夜は夜明け前が最も暗い。ならそのまま。大衆はそれを望んでいる。
この世界のゴッサムに夜明けが来るのはいつになるだろう。それまで耐えるべきか。
俺は氷のスーツに着替える。
みんな狂ってる。
強がらなくていい。
タクシードライバーと酷似
とにかく帰りが怖くて、何故か無性に肉を腹一杯食いたくなって良かったのか悪かったのかを自問自答。
主人公を応援してしまうのはやはり自分の中にもジョーカーが居るということ。
タバコがあんなに出てくる映画は最近では稀
ゴッドファーザーの後味に似てる
誰にもわかってもらえない悲しみが暴力という形で溢れ出す…と言うのはありきたり。
人殺しですっきりする感じ。わずかながら理解できる自分がいる。
優しくしてくれるソフィー。
でもそれは妄想だったということが最後の方で解ったときのショック。
これはあくまでもゴッサムシティでのお話。現実とは別。…果たしてそうかな?
人を殺してヒーローになった人、今まで何人もいるよ。
時代劇の水戸黄門が好きな人にはお勧めしません。
主人公が社会に不適合でうまくいかず、社会に裏切れ 、自分の母親にも...
主人公が社会に不適合でうまくいかず、社会に裏切れ
、自分の母親にも裏切れ、友人にも裏切れ信じるものがなくなった。
そんな、主人公が暴力で世間の同じような境遇にある人達から認められて暴力こそが正しいと思う事で存在していけると思える所からこの物語があると気がしました。
一つのきっかけで共感を持つ人達からシンボルになり、小さな波が大きなに波に変わるようなそんな恐ろしさも感じました。
どこか可哀想な所もあり同情出来るような所もあるような感じがしたけど、それだけしか思って生きていけない悲しいと思えました!
観終わると自分の中の嫌な部分が立ち上がって拍手しながら絶讃していた!
何とも切なくて悲しくて哀しくて恐ろしくて怖ろしいストーリー。
負の連鎖が怖ろしい負のアンチヒーローを生み出して行った……
ところで、ここの映画館はショッピングモールに併設されており、映画の半券を持ってるとクレーンゲームが一回無料になるのですが、そこで見事に一回でぬいぐるみをゲット!
ちょうどそのタイミングで母親に連れられた小学校低学年位の男の子がその様子に熱視線!
次にチャレンジするべく母親に小銭をねだっていたので、快くゲットしたばかりのぬいぐるみをその子にプレゼントしました!
なぜ見ず知らずの子にそんな事をしたのか?
例え偽善であろうとも、自分の中のジョーカーを早く追い出したかったんでしょうね(^_^;)
主演が最高、最後の終わりのセリフもいい!
主題は煽りの通りだが、主演の演技だけでみる価値あり。
人生が悲劇なのか喜劇なのかは自分できめることができるということを教えてくれる。
世間がどうプレッシャーをかけてこようとも、回りは関係ない。自分が全て。
最後の「理解できないさ」は最高のセリフ。
回りからの理解が得られようが、えまいが関係ない。自分がその価値を噛み締めておもいっきり笑えているのであればそれでいい。
話の山のもってき方や、音、カメラワークも
良いとおもった。
メモ→また世間一般で信じられていることだって、視点を変えると悲劇立ったりするのだと思う。
狂気のJOKER誕生!
アーサーフレックが、狂気のJOKERになるまでを描いています。母との関係・出生の秘密・ウェイン家との関係?などを踏まえ、アホキンが狂気のアーサーフレック=JOKERの内面まで演じていて、観ていて凄く感情に訴えてきます。観ていて恐怖が!!
後に、バットマンになるブルースウェイン少年が父・母を亡くすところも描かれ、凄く鑑賞して良かったとおもいました。
DCカリスマヴィラン単独作品
元々のアメコミ上でも、さらに今までの映画作品においても、出生から狂気に至るまでが不明確だった(その不気味さが良かったが)ジョーカー故に、オリジナル解釈での今回の単独作品は凄く楽しみであった。観た結論で言うと、映画としてもDCファンとしてもほぼ納得の出来であった。
ただ、ファンタスティック映画賞ならまだしも、映画の質という点でヴェネチアの賞獲りはやり過ぎ。ましてアカデミー作品賞はあり得ない。万が一獲ったなら、昨今のマーベル作品のような盛り上がりをと、DCが裏で動いたとしか思えないw
ただ、ホアキンの主演男優賞やデニーロの助演男優賞はもしかしたら、である。それほどまでに素晴らしかった。ホアキンの絶望と狂気に満ちた凄み、あの病的な笑い声(本当に病気設定だったが)はいつまでも頭から離れない。デニーロの抑えながらも瞬時に表情を変える様は、観ていてハラハラした。
ストーリー展開は、ある程度想像してた感じを淡々と進みながらも、小出しのビックリと見慣れた程度の殺害シーンで、特に大きな波は無いが、随所に出るあの笑い声とミュージック&ダンスで、映画というよりアメコミを読んでる感じだった。悪くは無い。
宿敵バッツの父親が序盤から出てきて中盤での絡み。まさかここでジョーカーとの驚愕の間接的関わりがあったとは。しかもバッツ幼少時との運命的な出会いも。さらに、クライマックスでの超有名なバッツ家の悲劇も、ジョーカーの狂行がキッカケとは。いやはや、ここまでバッツ関係を詰め込むのかと、思わずニンマリしてしまった。
評価3.5でも良いかと思うが、老若男女問わず魅せるマーベル系とは違って、相変わらず観る者を選び(時には無知識者を置いてけぼり)少し屈折した人間像ドラマが多いDC作品を好きな私、さらに今回、バッツ絡みを入れ込んだ所に、(まあこの 直接の続編は無いだろうが)今後のバッツとの因縁争いを妄想、期待した上で、4点としときます。
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