ジョーカーのレビュー・感想・評価
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分断したアメリカからのSOS
かなり期待して観に行ったのだが、個人的にはあまり刺さらず・・・
その理由ははっきりしており、「この映画のメッセージがあまりに直接的すぎる」からだ。
言っている内容はごもっともだと思うのだが、延々とお説教をされている気分に・・・
もう少し巧みに織り込んでもらったほうが個人的には心が動く。
特に最後の方のシーンでは、「ダークナイト」が巧みに伝えていたメッセージをこの映画ではジョーカーが全部そっくりそのまま喋ってしまう。
ただ、おそらく、今のアメリカはこれぐらい直接的なメッセージを発しないといけない段階まで来てしまっているのではないかと思う。
「わかる人がわかってくれればいい」なんていう段階はとうに過ぎ、「観に来た人が誰でもわかるレベルの警告を発しないといけない」という段階に入ってしまったのではないか。
そう考えるとこの映画はアメリカの悲痛なSOSともとれる。
この映画で良かったと思ったのはやはりホアキン・フェニックスの素晴らしい演技だ。
また、妄想が現実を侵食していく部分の演出も気が利いていたのも良かった。
この映画は結局のところ、あくまで「ヴィラン誕生を描いたアメコミ映画」として観るのが一番良いと思う。ひとときの娯楽としてみれば充分楽しい。
彼は、笑う病気を持っていた。なにも面白くないのに笑ってしまう彼は、...
彼は、笑う病気を持っていた。なにも面白くないのに笑ってしまう彼は、発作でなく自分の意思で笑おうとしたときでさえ、人と笑うタイミングが合わなかった。もちろん気持ち悪がられた。人は彼に普通になれと言ったし、彼も悩んでた。彼がコメディアンになりたいのは、病気で強制的に笑わされてる自分と、面白いジョークで思わず誰かに(ある意味強制的に)笑わされている人々を重ねていたからではないだろうか?彼にとって、コメディアンになるとは普通になる手段の1つだったように感じる。しかし、実際有名になってみれば、世間は彼に笑わされることはなく、彼を嗤っただけだった。面白くもないジョークしか言っていないのに、ジョーカーと皮肉満載の名前をつけられて…。
この映画、暴力描写は多いし、鬱っぽくなるし、報われない。しかし、ただそれだけが魅力の映画は悪目立ちはするが、名作にはなれない。この映画の真の魅力は、繊細な比喩的表現にあると思うのだ。例を1つあげるとすれば、ピエロの面をゴミ箱に捨てるシーン。「仮面を捨てる→本当の自分を曝け出す」というのは誰でも感じたと思うが、それだけではない。仮面の下もメイクなのだ。普通になろうとしてつけた偽りの仮面を、剥がしてみたが、その下もメイク(偽り)だった。元に、彼はジョーカーとなってもまだ人間味がありすぎる。相手の言葉に反応したり、怒りを顕にしたり、もとの自分と何も変わっちゃいない。このように、この段階ではメイクはただの偽りでしかない。このシーンは最後の血で口を描くシーンに繋がる。彼は気付いた、笑うと決めてしまえばいい。他人とタイミングを合わせて笑えないのなら、絶えず笑顔でいればいいと。ここで初めて、メイクがただの偽りでなく、思い描く自分になるための道具へと昇華した。
ここまで妄想を垂れ流した訳だが、このようにダークさや、ネガティブさを全面に出した映画だとしても、細部を眺めてみれば繊細な表現や、沢山の可能性が考えられるシーン等が転がっているということを伝えたかった。
1つ確かなことがあるとすれば、映画を見る私たちを誰一人笑わせられなかった彼は、やっぱりコメディアンには向いてなかったということだろうか。
金獅子賞も納得の大傑作ではあるが…ジョーカーとしてはどうか?
アメコミ映画というより、社会派映画の側面が非常に強い作品です。
昨今の社会問題を絡めた重厚なテーマ、ホアキン・フェニックスの圧巻の演技…
褒めるところは幾らでもありますので、詳しくは他の人のレビューをご覧ください。
問題は、『この人がジョーカーでいいの?』…という所です。
私もそんなにアメコミに詳しいほうでは無く、正直あまり思い入れも無いんですが…
そんな私でも、ジョーカーといえばヴィランの中のヴィラン。バットマンの最大のライバルで、究極の悪である!…ということは、知っています。
その視点から見たとき、本作のジョーカーは『小物』臭がキツイといいますか…
演技が凄いので、圧倒されてしまいますが、よくよく考えてみると
「えっ、そんなありがちな理由でジョーカーになったの?」…とか、
要領が悪く、愚かな社会的弱者の側面が強調されすぎているので、
「この人では、バットマンと渡り合えないだろ…」と思ってしまったのが、正直な所です。
まあ色々調べると、この監督は元々『ジョーカー』の映画を撮るつもりだった訳では無く、
社会派の映画を撮ろうとしていたら、『ジョーカー』の企画が来たのでそれに乗っかったらしいですが…幸か不幸か、大傑作になってしまっただけに、今後の展開が心配です。
『ジョーカー』のキャラクターが歪められることにならなければ良いのですが…。
まあラストシーンを見ると、「本当にこの人はジョーカーだったのか?」「この話は、全て精神病棟に入院している男の妄想だったのではないか?」…とも取れる描写がしてあるので
一応配慮はしてありますが。
そのあたりの懸念があるので、少し減点しときました。
スラム街のヒーロー
バットマンの宿敵・ジョーカー誕生までの哀愁漂うストーリー。これまでのアメコミ映画とは一線を画し、スラム街の暗い現実に視点を当てた、ヒューマンタッチの社会派ドラマに仕上げています。
ベネチア金獅子賞もうなずけるし、ジョーカー役のホアキン・フェニックスの不合理な社会への怒りと憎悪に満ちた演技は、鬼気迫るものがあり、早くもオスカー候補の大本命とか…。
ジョーカーはキャラクター的にも、主役のバットマンを喰ってしまうほどの存在感を示してきた悪脇役。これまでジャック・ニコルソンをはじめ、ヒース・レジャー、ジャレッド・レトーなど、名だたる名俳優が演じたきた経緯もありましたが、その後を継ぐホアキンも、その重責を十分に果たしていたと思います。
今までも、ジョーカーには悪役ながらも、どこか憎めない人間臭さを感じたていたのですが、本作を通して、信じていた人からの裏切り、格差社会の底辺を生きてきた悲哀、などが根底にあることが明らかになり、そうしたキャラも納得しました。
そして、ウェイン家との因縁やバットマンシリーズの最初に繋がる場面も盛り込まれ、バットマンへのオマージュも忘れていないところが、嬉しかった。
最後に、死んだと思ったジョーカーが、スラム街の人々のヒーローとなって、再び立ち上がる場面は、ジーザス・クラスイスト・スーパースターを彷彿とさせる名場面だった。
予告編を超えていませんでした...
予告編を見た時は、ホアキンの役作りの完璧さやカメラワークの情感、音楽、等々で早くもヤラれてしまい、トレイラーだけでウルウルして、勝手にハードル上げまくってました。。
個人的結論は、ヒューマンドラマとしてもクライムアクションとしても、退屈な映画でした。
いろいろ趣向を凝らした演出の意図はホアキンのインタビュー(ダンスすることの趣旨、タバコを吸うこと...等)で話されてましたが、それら1つ1つが分かりにくかったり、軽かったりで、期待値を超える名作には至ってない印象です。良く出来てますが、あのダークナイトを超える名作ではないと思います。
ダークナイトを超える可能性はあった題材と思います。だけどDC世界との関係上、プロットに乗せられずボツになったアイデアも沢山あったと思います。正直、あんな矮小な動機付けでアーサーが稀代の大悪党ジョーカーになったとは結びつきません。ジョーカーが本来持つスペックと通じるフックがないまま、ただの貧困と不幸にまみれた中年男の逆ギレ人生を追ってるだけで、DC世界を盛り上げるファクターとして弱すぎます。
またヒューマンドラマやサスペンスとしての立て付けも、いまいち「え?」なエピソードが多くて疑問でした。ランドルがアーサーに拳銃を渡した意図も不明瞭だし、アーサーがソフィーをそこまで気に入る理由や経緯も適当で、ソフィーがアーサーのそばに居るシーンの方が不自然でした。(その不自然さこそ狙い、とも言えますが、その後のネタバラシ的演出を見ると「え、そーだったの!?」より「うん知ってた」くらいの生ぬるいリアクションしかできません..)
たしかにホアキンの演技と役作りは完璧でした。でも宣伝側の、本作を「怪作」「怪演」というキーワードで押そうというコンタンが見え見えで、そこもまたイヤな印象です。R指定するほどのシーンもそれほどなかったですし。(もっとヤッてくれると思ってたのに..)
長々と書きましたが、要は勝手に期待して勝手に失望しただけの逆ギレレビューです。
いろんな前情報や先入観なくフラット見れた場合は、また違う印象かも...と思いました。
バットマンの知識が全くない状態で見ましたが、十二分に楽しめました。確かにカップルや子供が見る映画ではないが、そこまで鬱じゃない。
おいら的にはハッピーエンドだった。
精神障碍の方が人の真似をやめて、社会を巻き込みながら本当の自分になると言う感じ。
文字にすると何か凄いインパクトだけど、それ以上に面白い。
あと泣けるようになって本当に良かった、あの涙の痕が何とも悲しいハッピーエンドを誘ってました。
joker、ジョーカー。ホラー映画としては。
予告編を見て。
恐々。こわごわ。
見終わった感想はそこまでではなかったような。
コメディアンを目指しながら、いまいちな日々の中での、津々浦々。
そこから、はじまって。
ちょこちょこちょこ。
最後は、バーーッと。
まあまあまあ。
アクションとかあまりなくて。
ホラーより。
怖さときもきもな感じで。
まあまあまあ。
アクションシーンがもっと欲しかったような。
もっと、スカッとしたシーンが少なくて。
まあ、こんなもんかなと。
狂気のための狂喜!
作品としては良しなのですが、気に食わないのは
ウェイン一家襲撃事件。
あそこまで暴動起きてるのにアルフレッド以下、
ガードは何をしてるの?
わざわざあんな裏道行く?
殺されに行ってる様なあの描写はストーリー感じない。
美しくも無いし、喜劇でも無い。バッドマン最高の見せ場の一つが簡単すぎる!
どーやって今後、ブルースと対峙して最大のビィランになるんだよ。暴漢にやられただけ? はい??
キャットは? 将来が読み取れない。
散々さげすまれ、蹴られ、肉親からも裏切られて
底辺まで堕ちた時に人は変わる……
正に暗部のDC!
ただ、もっと華麗に魅せてほしい。音楽と神と
リンクして欲しかった。音楽が最高点来た時に
彼の言うアートがより昇華する。
狂気しかかんじない。
階段でのステップなんて見せ所なのに
そうする事で、もっと怖い
ブラックヒーローになれたと思う。
ハーレクインは完全にポップな感じで良いけど、
ジョーカー はもっと気高く描いても良かったのでは?
エンディング個人的にはバッドダンスで良いだろ。
ショータイムなんだから。
R指定何だから徹底的に狂気と美と喜劇を
創り出してほしかった。
やっぱりjokerよりpenguinのほうが好きだな
知られざるジョーカーの過去が明らかに
やはりジョーカーも最初から悪者ではなかった。
周囲の環境や人々により誕生した。これにともなう背景などがしっかりと描かれているので映画の雰囲気にあっという間に吸い込まれる。
バットマンは観たことがないけど
正真正銘の傑作。
相模原殺傷事件も、京アニの事件も、仕事柄「私が犯人でもおかしくなかったな」と思っているのだけど、この映画はそれを裏付けてくれたような気がする。
誰がああなってもおかしくないのでは。
苦しいときにサポートもなく、自力で這い上がるすべがなく、追い打ちをかけるような出来事が次々と起きたら。
音楽もいいし映像の雰囲気もいい。途中で妄想と現実の区別がなくなっていることをきちんと描くことで、今まで観ていたものももしかして本当のことではないのかな?と思わせるし、じゃあ本当のことって何なのかな?とも思う。何よりジョーカーの目の演技がいい。
車のボンネットの上で無理矢理笑顔を作るジョーカー。沢山の人が自分を見てくれて嬉しい、でも寂しくて悲しくて後悔もしてる、けど楽しい気もするし誇らしい気もする。相反する感情があらわれているのは、全編を通して彼にとっての笑顔、笑いを描いてきたからだと思う。
欲しかったのはハグとキスだけって言うのが一番胸にくる感じがした。
あまり感想をまとめられない映画。
やるせない気持ちになるけど、観てよかったなと思った。
これを分からない、つまらないと言える人生でありたかった。
これでこそジョーカー
何が真実で何が虚構なのか。
謎に包まれていたジョーカーの生い立ち。
見たいような見たくないような…と思っていましたが、この映画を観終わってホッとしました。
何者にでもなれるからこそのジョーカー。
みんながそれぞれ
理想のジョーカー像を思い描き、築けばいいのだと。
益々ジョーカーの事が好きになりました。
救いようがない
期待通りの作品でした。が、見終わった後はそこまで絶賛されるほどか?という気もしましたが、楽しめました。
自分はとにかくホアキンフェニックスの演技と、徐々に変わっていきジョーカーらしい歩き方や踊りになっていくとこが良かった。
全編通して希望からの絶望、正気からの狂気へと変わっていくアーサーがよく描かれているなと思います。
あの時、拳銃を貰っていなかったら…。
あの時、母親の手紙を見ていなかった…。
あの時、番組に自分のスタンドアップショーを取り上げられていなかったら…。
そう考えずにはいられない。
ジョーカーはそこにいる
ピカレスクというものが苦手だ。
ぬくぬくとした人生を送っているので、理不尽な悪意というものが苦手だし、善人が止むに止まれず堕ちていくのをみるのは、胸が詰まってしまう。
でも『ジョーカー』は違った。
抑圧され鬱屈したアーサーがジョーカーとして花開くとき、アーサーの魂の解放を感じ、むしろほっとしたような気持ちになった。背徳的な快感があった。異様な高揚感があった。ジョーカーという好きなヴィランの物語であるのも大きいと思う。
暴力に賛成するわけではない。
でも、満員電車に乗って潰されそうなとき、つまらない仕事を淡々とこなすとき、大きな声に自分の意見をかき消されると思うとき、自分の中にジョーカーが燻っているのを感じる。
精神的に"ジョーカー病"に感染させるウイルス
トッド・フィリップス監督作品は「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」 のみ観賞済。
DC作品は、バットマン~バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲、ダークナイト三部作、ウォッチメン、DCEUの各作品、レゴバットマン、ニンジャバットマン観賞済。
バットマンアーカムシリーズ4作品プレイ済。
公開前から各地でスタンディングオベーションを受け、名作と言われているのを聞き、ハードルが上がりに上がった中での日本公開に、どんなストーリーなのかと早速観に行ってみた。
観る前に"気持ちが落ち込んでいる時は観るべきではない"との書き込みを見ていたので構えていたはずなのに、上映後は素晴らしい出来であるにも関わらずスタッフロールが終わるまで、終わってからも心にもやもやとした霧が立ち込めているような気分のまま劇場を出た。
それはこの作品はヴィランが主役の作品でありつつヴィランのジョーカーは基本虐げられる側で、"実際のヴィラン"が上流階級である政府(市長)やトーマス・ウェイン、上級国民であるって構図が今の日本と重なるところがあったからだと思う。
映画はその時に作られる理由がある、その時の政治状況を描き出す作品が多く本編に含めそういう見方もしてしまうので、アメリカ本国では公開初日に厳重警備が敷かれたらしいけど、日本で同じ処置をしない事がアメリカよりも問題を問題とも思わない、より重大な段階にいるように感じる。
前半の鬱屈とした日常の中で昇っていく階段は、背景の黒さも相まってまるで死刑台に昇っていく囚人に見えたけれど、ジョーカーになって階段を降りていく様は背景も明るく、最悪な状況とは打って変わって人生最良の日に見える良い比較のシーンだったと思う。
ジョーカーの造形としては、DCオリジンとは境遇が違うにも関わらず、シーンによってジャック・ニコルソンや故ヒース・レジャー、ジェレッド・レトなど各ジョーカーとダブって見えてしまう程の見事なジョーカーで、且つ地下鉄の殺人後のトイレでのダンスはホアキン・フェニックスのジョーカーと言えばでこれから例えられていくんだろうなと思わせる鳥肌の立つ素晴らしい演技だった。
ジョーカーのオリジンに関してはMARVELがマルチバースを扱ってるのと同じくDCもマルチバースなので、これが正史ってよりもある世界軸のゴッサムシティではこんなジョーカーもいたのかも知れない…位の認識だった。
アーサー(ジョーカー)がブルース(バットマン)と兄弟+αって設定は今までの作品内では光と影の様な存在としての描かれ方はあったもののこの設定は新鮮で、且つこの設定なら後々の二人の関係性が強固になる、今まで見たDCの映像化作品の中で「ダークナイト」や「レゴバットマン」と一二を争うほど素晴らしい設定だった。
劇中でチャーリー・チャップリンの「モダン・タイムス」や、その中で使用されている「Smile」を引用しているのを見て調べてみると、80年近くも経っているのに関わらずテーマ性は重なる部分が多く「Smile」の歌詞もまるでジョーカーの為に作られたんじゃないかと思うほどピッタリなことが、人類が同じ過ちを今この瞬間も繰り返していると感じさせる。
観終わって一週間経った今も、ふとした瞬間に「Smile」が頭の中で流れ、ふとした瞬間にアーサーの特徴的なダンスの様な動きをしそうになる自分に気付くと自分がジョーカー的思想に頭の中を侵食されていく様に感じる。
この危機感を持てている今はまだ大丈夫だと思う反面、この危機感の無いままにジョーカー的思想に染まってしまう事が恐ろしいのと、その光景をジョーカーが"HAHAHA!!"と遠くから見ているような幻想に襲われそうになる。
誰の中にも「ジョーカー」はいるのかも知れない
悪のカリスマは、どのように生まれたのか。
バットマンシリーズの人気ヴィラン、ジョーカーにスポットを当て、
彼が「ジョーカー」そのものになるまでを描いた作品。
近年の映画では珍しく、吹替版の公開が無い。
その理由としては、やはり本作の印象を決定付ける「ジョーカーの笑い声」の為だろう。
吹替にした時のズレは、きっと作品そのもののズレに繋がる恐れがある。
それ程に、主演のホアキンの演技は凄まじい。配給側の英断とも言えるだろう。拍手。
本作の大きなテーマの一つとして、
純粋な悪意は、本人にとっての真実。と言ったメッセージがあるように思う。
主人公のアーサーは、一つずつ、自身の手にしているものを奪われていく。
タイトルロゴの出方、オープニングシーンは、正に「奪われるもの」を象徴するカット。
あまりにも格好良いロゴの出し方だ。
生活の中で、自身の「突発的に笑ってしまう」障害と闘い過ごしながらも蔑まれ、
信じていたものや、信じたいと思ったものが崩れていき、
彼自身のみが残った時、心のままに生きた時、どのような思考になるのか。
どのような行動を取るのだろうか。
最初から壊れていたのか。
それとも、奪われて、失った事で、己のみの正しい姿を見つけたのか。
人は、もしかしたら最初から壊れていて、
それでも社会や周りとの繋がりによって、
世界の価値観による「正しさ」の上を歩こうとしているのかも知れない。
彼自身が元々障害を抱えている為、真実と虚構が混じる為、
本当に奪われているのかも分からない。
しかし彼は奪われる。全てを失う。最後には自ら手放して、そして「笑う」。
その繋がりを失った時、本当の人間と言えるものが現れるのだとしたら。
そんな事を考えさせられる作品でした。
何より、ラストシーンの暴動のカットは、
アーサーの主観を通してみた世界では、
あんなにも暗く汚いゴッサムとは比べ物にならないくらい美しい。
その感情の動きが純粋と呼ばれるのなら、
きっと誰の中にも、やはり「ジョーカー」は存在するのかも知れない。
余談だが、
本作を観るに辺り、やはりダークナイトは避けて通れない。
明らかにダークナイトのヒース版ジョーカーへのリスペクトを感じるシーンがあり、
ジョーカーと言う「悪意」への制作側の熱を感じる。
何よりも、バットマンシリーズを触り程度でも知っているだけで、本作の世界観にかなりの奥行が生まれる。
逆を言えば、界隈の常識を使ったネタが多い為、バットマンをまるで知らない人は、若干なりとも世界感の観点で飲み込みが遅れてしまう。
ただ、ダークナイトは面白いが……ビギンズがツマラナイから……。
ラスト前で、バットマンでフィギュア化もされている某有名シーンもきっちり入れるあたりも、ファンサービス色が強い。
本当の意味で楽しむために、最低でもビギンズ・ダークナイトの5時間視聴をお勧めする(内2時間半は苦行だろうが……)
狂った世間では狂うしかない
何かとヒース・レジャーと比較されがちなジョーカーという役でしたが、今回は"後にジョーカーになる男"の物語だったので、あえてそこを狙ったのは上手いなーと思いました。嬉しかったのは、しっかりバットマンの世界観の中の出来事なんだなって随所に溢れる感じが良かったです。
ただただ哀しく、そしてなぜか共感してしまうストーリー。現代のストレス社会を生きる私達には通づるものがあるかもしれません。
決して最初から悪ではなく、なんなら一般人より良い人間だったんじゃないかと思う主人公アーサー。それ故、自ら悪人になったのではなく、悪人にならざる得ない世間が悪く見えてしまう。アーサーの純粋な人を笑わせたいという感情は汚い世間では通用せず、結局皆が歓迎したのは"ジョーカー"だった。なんとも皮肉なラストでした。
期待していただけに
一言でいうと、合わなかった。
途中で、眠たくなってきたし、ジョーカーのやっているとこと、妄想の区別が分かりにくい。そう作ってるんでしょうけど、、、。
マレーの番組には、出て、マレーを殺したんですよね?
あれも、妄想かなとか思っていて、ジョーカーの変化。妄想から現実への転換もいまいちでした。
さらに、民衆が支持した理由もよくわかりませんでした。
電車で殺した嫌な社員もウェイン産業と関連させる必要もないかなとか。少し落ち着いて、年齢考え考えたら、子供違うとわかるやんとか、完全に病んでるだけと感じました。
今後、バットマンと戦う相手として、楽しみに思えなかったのも、残念でした。
俳優さんの演技は素晴らしいけど、脚本は好きになれなかった。そういう映画なんですね。
メッセージ性が強く、美しい。
全てが美しかったです。とにかく美しかった。
あとジョーカーの思想には深く共感しました。
「善か悪か、決めるのは個人の勝手だ」という発言は、この世界の確信をついていると思いました。
悪評をしている人の中に、人殺しには共感できない、という人もいますが、それ自体を悪と定めているのも、貴方の勝手なのです。本質的に善のモノも悪のモノもこの世には存在しません。社会倫理的にどうたら、といわれても、社会の倫理なんて個人が集まって共感者多数から作り上げられた常識と言う名のテリトリーです。枠の外に住まう人ももちろんいます。そいつらを人は悪と罵るのです。
ちなみに、ここまでの感想も僕個人の勝手なのです。感想なのだから当たり前っちゃ当たり前なんですけどね。
この映画で改めて気付かされたこと、それは人は皆常に自分勝手だと言うことです。
誰かを助けるのも殺すのも自分の意思、自分勝手。全てはそこに収縮します。大多数が良かれと思うことは正義の名のもとに擁護されます。
この世は多数決です。最も合理的だがどうしようもならない問題点ももちろん存在する。この世は欠陥だらけだ。
この世界の闇の本質をスーパーの袋詰めセールの強欲な主婦並に詰め込んだ作品だと思います。
色々と考えさせられます。是非。
殺風景で幼稚な Guardianより........豚となる。
10月4日の Microsoft Newsによるとこの映画が、10月のオープニング興行成績のトップに立つと予想されると発表されている。
"When I was a little boy and told people I was going to be
comedian, everyone laughed at me. Well no one's
laughing now"
イギリスのコメディアンの有名な言葉。
"People used to laugh at me when I said I wanted to be
a comedian. Well they're not laughing now."
この映画、公開する以前から、ネット上ではシナリオの内容が出回り、それについての議論や悪評が伝えられ、ワーナーとしては諸手を上げるほどの広告費を削減できた形となっている。この映画会社は、なんでもする。過去には、映画「スター誕生(1954)」と言えばジュディ・ガーランド。チンケなコンピューターを駆使したものでなく、ジュディ・ガーランドの類いまれなる歌唱力に裏付けされた誰もが彼女が手にすると考えられていたオスカー獲りを邪魔をし、しかも、彼女について、映画会社自らある事ない事を風評している。その15年後47歳の若さで....
”Platinum Paradise”の彼女のポートレイト、今でもトラウマのように思い出す。その数日後に......
Los Angeles Timesのアメリカの映画評論家の言葉「私自身にとって、この映画は巨大なロールシャッハ・テストのシミのようなものであるけれども、一部の人々は、これらのシーンを実際以上に美化している。私は個人的にはそんなことはしない。」この人は端的に映画について述べていると個人的には思うところが多い。
またアメリカ第3位の発行部数のThe New York Timesの社説より、「ホアキンフェニックス主演のトッドフィリップスのスーパーヴィランのオリジナルストーリーは、激しい議論を巻き起こしていますが、議論するほど面白くありません。」
ワーナーブラザーズのニューヨーク映画祭上映会の時の監督トッド・フィリップスの発言。過去に作ったコメディ映画でワシントン条約を無視したような商業目的での国際取引が禁止されている動物をそこいらにいるような猛獣と同じ様な扱いをしている、ある意味賢い人か? 言いすぎました。それなら書くなってか?
「現実世界に暴力を巻き込むのは良いことではないのでしょうか?........... 漫画の暴力の要素を取り去るのは良いことではないでしょ? それが良くない方向に変わったとき、私は少し驚いたんだけど、私にとっては、それを現実に感じさせ、その重いテーマは実際に非常に責任感あるように見えるものでも、その反対に無責任に感じられる。」
Salon.comというサイトより。大胆なジャーナリズムの追求。そして最近ではソーシャルメディア、モバイルデバイス、ウェアラブルアプリに配信されているオリジナルのビデオを通じて全国的な対話を推進し、受賞歴のあるコンテンツは、毎月約1,000万人の個性あふれる視聴者に提供している。そのサイトの見出しには「ジョーカーと言う映画は、広範囲に不均一な雑然とした代物で、間違った方向になると危険なものになりかねない。」またこのようにも述べている。「マーティン・スコセッシ風な性格描写によって、サイコスリラー映画を目指している。」実際に笑い事では済まされないことで映画「タクシードライバー」の影響を受けた人物が、レーガン大統領の暗殺計画を企てている。それもジュディ・ホスターの気を引くためにだけの犯行と後で知ることとなる。この人トラビス(主人公)のようにモヒカン刈りにしたと聞く。さらに酷いのが2012年に起きたオーロラ銃乱射事件。ジョーカーに触発された20代男性が映画館で銃を乱射し、12人を殺害したものがあげられる。今回もそのようなことが起こらないように映画館サイドのセキュリティーを強化することを述べている。
アメリカの雑誌The New Yorker 2019.10.3付けの見出し記事
「そのおざなりな美学よりも視聴体験者に対して、さらに空虚感にするほどシニシズム的映画。」cynicism:冷笑主義。学問,芸術,贅沢,快楽を軽蔑して反文化的禁欲的生活を唱えた考え。
色々と負の部分を取り上げているが、日本の映画関係のサイトは、観る価値がないものがほとんどで、映画の根本的な事柄を知ろうとしても役に立たないものばかりなので敢えて反対意見もあることを載せてみた。これに関しては、こんな映画の崇拝者からすれば”大激怒”ですか? それなら書くなってか? 支離滅裂ってか?
観賞後、言葉に詰まる傑作
貧しい家庭環境の中で必死に生きるも、病気のせいでまともに扱われず、街でいじめられ、同僚に陥れられ、上司には信用されず、散々な目に合う描写が続くため心苦しくなる事も多かった。
恋人の不在、母の裏切り、ショー最中の発病、暴行、どこまで苦しみは続くのか・・・
だが、そのすべてにケリをつけ、覚醒し、本性を曝け出すためにTVの撮影に向かうジョーカーの目には光が入り、何か信念を持った戦場に向かう兵士のような力強い歩みに感じられた。
そして最後のパトカーの上に立つジョーカーは殺人者であり、決して許される存在ではないのだが美しく、感動さえ覚えてしまった。
観賞後、自分の中にあるこの感情を言葉にできず、言葉に詰まる。もう一度観るかと言われたら躊躇する、それほどに重い映画だが、これほど心動かされるのであれば、きっと傑作と呼ばれるものだろう。
全393件中、301~320件目を表示