ジョーカーのレビュー・感想・評価
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怪物・バケモノであるジョーカーを観たかった。
鑑賞後、一番に感じたものは違和感。
俗っぽく言えば『コレじゃない感』
いちばん観たくて期待したのは、常人であるにもかかわらず怪物・怪人・バケモノとして恐怖されるジョーカーの話だった。
しかし映画としては大変に見応えがあり面白い。
気弱で社会的弱者の男(アーサー)が、妄想と自己愛で吹っ切れてしまうまでを描いた映画。
しかしそれだけでなく、アーサーという人物を”わかりやすい不遇の男として描いていない”ところも魅力だった。
アーサーは突然笑ってしまうという病気のため、人々に誤解されないよう『僕は病気のため突然笑ってしまう。許して。』というカードを持ち歩いている。
しかしそんな事情を知らない人々は突然笑いだす彼を奇異な目で見るのだが、このカードを見せられることで自分自身を後悔することになる。
しかし、アーサーは本当に発作的に笑っているのだろうか?
劇中でアーサーの仕事仲間が、彼の同僚を笑いものにするシーンがある。アーサーもいつもの発作のような笑い方で一緒に笑うのだが、その場を離れるとピタッと笑いを止めてしまう。
アーサーの近くで酔っ払いが女性に絡み、彼等が無視されると同時に笑いだしたりもする。
ショーパブでコメディアンのショーを観ながら、観客が笑った後でタイミングをズラして笑ったりもする。
このようにアーサーはまるで意図的に笑い、周囲の人間たちを馬鹿にしているような描写もされている。
クリストファー・ノーランのダークナイトでも描かれているように、ジョーカーは『人間の心の奥底は醜い』ということを証明したがっている。
アーサーの笑いも、実はここに起因しているのではないか。そういろいろとアーサーという人間について考えを巡らせてしまう。
そういった、どこまでも掴みどころのないジョーカーというキャラクターを描いた良作である。2回3回と観るたびに感じ方が変わるかもしれない。
ラスト、病院のシーンも、まるで私たち観客がジョーカーのジョークに付き合わされ、掌の上で転がされているような演出も面白かった。
自分の中にもあるかもしれない狂気
ジョーカーが如何にしてできたか。という観点よりも時代背景は違いますが現代社会の抱える負の部分、人間の持つ闇の部分等々、非常に考えさせられる映画でした。許されることではないはずなのに、何故か彼に共感してしまっている自分自身に恐ろしさを感じます。多くの人が同じような感想を抱いているのではないでしょうか。アメリカではこの映画が社会に与える影響を強く懸念して色々な報道がされていると聞きます。観方は人それぞれでしょうが確かにこの映画を観た多くの人々の胸に残る(刺さる?)ナイフのような、鈍器のような印象は最近の映画では感じなかったものではないかと。DCファンの期待するジョーカーではないのかもしれませんが誰もが持っている(かもしれない)漆黒の感情を見事に表現した作品だと思います。それにしてもホアキン・フェニックスの大笑いしながらも哀しみに満ち満ちた表情、役作りとはいえげっそりとした体型、どれをとっても秀逸でした。後味はよくありませんが色々な年代、立場の方々に観てここにレビューしてほしい映画です。
※誰かも書かれていましたがこのジョーカーがバットマンと相対するには年齢的にギャップがありすぎかも?ジョーカー続編で本当のジョーカーにどのようにして引き継がれるかがあるかもしれないと感じてしまいました。
悲しみと怒りが
人を狂気に誘うまでを描いた作品。jokerがダークナイトの冷酷で頭脳明晰な悪役という感じがなく、ただ生い立ちや生活環境のせいでダークサイドに陥ってしまった可哀想な人ように描かれていたのが少し期待外れだったかな。
ウェインのオヤジが彼の狂気に火をつけた
ONE OF JOKER STORIES
本作は、「ダークナイト」のヒースが演じたジョーカーとは別物だと私も感じた。トーマス・ウェインの性格等も異なるように。両者の間には観客が自己投影できる/ できない の深い溝があるかもしれない。
しかしなぜ敢えて今トッドとホアキンがバットマンの悪役ジョーカーの誕生秘話をやりたかったのか?
ホアキンは、自分に絡んできたり騙したり落とし入れた人間を容赦なく殺す男を悲壮感をもって演じた。そして映画のラストでは、英雄として祭り上げられる。しかしピエロのメイクは人相を特定できず、あくまで大衆の代表として。
ゴミは回収され、適切に処理しなければ街は病原菌やネズミやゴキブリでいっぱいになってしまう。定期的にカウンセリングを受けなくてはならない精神病患者を野放しにすればいつか重大犯罪を起こすかもしれない。犯罪者たちも適切に隔離するか処罰しなければ社会の公正さは失われる。誰かがやらなければならない仕事はたくさんある。
実の母親と思って暮らしていた人は実の母でなく、誰が父かもわからない。貧乏ゆえに痩せていて、なにかあるとつい奇声を上げて笑ってしまうという病気がある。子供は好きだが、自分の子供はなく他人のこどもをあやすことはできない。そのくせ、他者への興味はまだ十分にある。悲しすぎるアーサー。
母親が入院してからの見舞いのシーンなど、「ダークナイト」のジョーカーが病院を襲うシーンの伏線になっているのかもしれないと思う。
ヒースが演じたジョーカーは、とんでもなく狂っている男だった。いや、火薬と爆薬とガソリン及びタイマーやリモートの発火装置を巧みに扱う彼は、知的かつ冷静でなおかつ銃と人間の扱いにも長けた冷酷な殺人鬼だ。化物か悪魔のように人の心さえ自分の思うままに操る。
ダークナイトシリーズを経てからの観客には、まだ本気で狂っていない本作のJOKERは受け入れ難い気もするのもわかるし、私の違和感もそこにある。あらためてヒース・レジャーのジョーカーが、見た目、喋り方、撃ち方など狂気のピエロの悪役っぷりが、段違いにすごすぎる。本作のホアキン・ジョーカーでは、白昼の銀行強盗は成功せず、ゴッサムのギャングどもとも互角に渡り合えないのでは?
でもブルースもまだ少年だから、時間はまだある。バットマンはいない。テレビでこのホアキン・ジョーカーを見た少年がジョーカー二代目になればいいのだ。
ところで、「ダークナイト」での正体不明の殺人鬼という設定だが、十数年前に逮捕された警察の記録があってもゴッサムシティにおける自分の犯罪記録を抹消するくらい警察内部に精通しているヒース・ジョーカーには、真の正体を隠すことなどなんてことないのだ。
うん、知ってた
これが、ビギニングみたいに誰の映画かわからないで見たら楽しかったのかもしれないけれども、
公式にジョーカーのお話だよと前置きある状態で見たら『うん、知ってた』ってなる
ややヤバめの人が、なんやかんやあって
結局キレちゃったお話
これを2時間強、結末わかってるのに淡々と続けるにはちょっと無理があるかも知らん
2時間かけて、ただただバットエンドに起伏もなくゆるゆると連れてかれる話
後、怪演と言われるが
ヒースの演技とう言う見本があるからそれも薄れるんだよなぁ
逆に、ヒースが居なかったら凄い評価されたんでは??
凄みがある
ダークナイトのジョーカーは純粋な悪で、人とも悪魔ともつかない存在だった。この映画では、ジョーカーがなぜ生まれたのかを描いているが、見る前は、ジョーカーのルーツを語ることで存在が矮小化してしまわないか心配だった。
結果、バットマンビギンズに繋がるところもそうでないところもあり、バットマンという作品群の中で描かれてきたジョーカーの一つの物語という感じ。
腐敗した政治と社会が生んだ浄化作用としてのバットマンとジョーカーの根っこは同じところにあり、社会に対する怒りの表と裏のように思えるが、ジョーカーのそれの方がより暗鬱としていて庶民の苦しさに寄っている。それだけに恐ろしい。
ホアキンフェニックスの演技に凄みがある。
テレビショーの司会役でデニーロが出てきて立ちあがりそうになった!パプキンじゃないか!あれは夢じゃなかったんだね。。。
理解できないさ
ホアキンフェニックスの演技と演出が凄すぎて、あっという間の120分だった。
とにかく、笑いながら全感情を出すあの演技が、凄すぎて。目の青いメイクの下で涙を流しているのが切なかった。表情がすご過ぎる。
彼女?の存在が全部妄想だった時めちゃめちゃぞわっとした。
生れながら、ではなく環境で人がここまで狂っていく姿は、養子という設定だからこそ出たのかなと思うとすごい。
タロウのバカ、ホットサマーナイツ、惡の華の、思春期特有の悪や永遠に僕のものの遺伝子的な悪ではなく、環境が作り出した悪は、どの悪よりも悲惨で切ない。
この映画を見て、犯罪が増加することを危惧するのではなく、孤独と戦う人間に手を差し伸べる人間が増えればいいのにな、と思った。
アメリカンジョークわからなすぎてごめんなさい。
そんなに特殊な映像と音楽を使ってるようには見えなかったけれど、異様な緊迫感と殺伐とした世界がリアルで目を覆いたくなるような映画だった。
圧倒された!けどこれってジョーカーなの?
バットマンに登場するヴィラン、ジョーカーの物語。
ジョーカーのキャラを少しでも知らないとわかりづらいんじゃないかと思うが、これだけ観た人でも相当のインパクトを与えそうな感じはする。
被害者であったアーサーがジョーカーになっていくプロセスは正直観ていてつらくなることも。生い立ち、環境、疾病、社会情勢、そしてタイミング。全てが揃った上でのジョーカーなんだな。劇団ひとりがCMで言っていた通り、ジョーカーに感情移入し、ただただ圧倒されている自分がいた。なんて脚本だよ。ただ、これジョーカーなの?こんなキャラだっけ。
ちなみに、アーサーとブルースが兄弟って設定が完全に否定されたわけではない(個人的な感想)こともモヤモヤする。積み上げた物語をひっくり返す展開もいくつかあって、混乱した人が結構いるんじゃないかな。
将来バットマンになるブルースとの出会いも描いて、さぁ次はバットマンとジョーカーの戦いを描く続編になるのかな。楽しみに待ちたい。
秀作!ただし、ノーラン三部作ありき
脚本も映像も演出もホアキン・フェニックスの演技も全て文句のつけようがない、正直不安半分で映画館に行ったけど開始10分で吹き飛ぶくらいに作品の持つ空気感にヒリつかされる。
しかし、とんでもなく高いハードルである。
一体この男が、どう、あの、ジョーカーに、変貌、するのか?
”ジョーカーは出自についていつも違う嘘をつく”という設定をうまく活かし、中盤からは劇中で提示される出来事がどれも本当に起こった事なのかアーサーの妄想なのかすら分からなくなり、ラストでこの映画自体が「ジョーカーが語った1つのデタラメ」である可能性さえ残して終わる。
言うまでもなく殆どホアキン・フェニックスの独壇場である。いやぁ、元々狂気を孕んだ役が多いし発表された時の意外性という意味ではそうでもなかったんだけど、こんなに完璧だとは思わなかった。いつ壊れてもおかしくない脆く儚い男、反面何もかもを壊してしまいそうな不穏さを抱えた男。段々ジョーカーになっていくと思わせて、最初からまさにジョーカーそのものだったという。。
あとザジー・ビーツ、な〜〜〜!!いい女すぎるでしょう・・・
ジョーカーに対して観客が「あ・・・もうダメだこいつ・・・」って思うためにはザジーの魅力が説得力を持っていないとどうしようもないんだけど、本当に完璧だった。敢えてザジー母娘がどうなったのかを見せないのも本当に嫌すぎる。
ジョーカーは「理解できる敵」ではないからバットマンの宿敵たりえたのである。
我らが一般人が簡単に理解できるような男ではいけないし、しかし「ジョーカー・ビギンズ」としては全く凡人には理解できない、わけわからん何か・で終わってもいけない。こんな無理難題をきちんと、かつ正攻法でまとめ上げた監督には脱帽である。
とはいえタイトルにも書いたとおり、この映画はあくまで「ジョーカー何者か」「ジョーカーが起こす災害」について知っている者以外にはピンと来づらいものになってしまっているのも否めない。将来のジョーカーについて描かれないし、バットマンについても全く触れられないも同然なので、ウェイン家との確執などは、シリーズ作に触れていない人にとっては正直「は?」でしかないだろう。知っている者からすれば「まさか・・・バットマンとジョーカーが異母兄弟?!そんな設定打ち込む気か?!」などとハラハラするのだけれど。
うーん、これってクイーンを知らない人に向けて曲を一切使わないボヘミアン・ラプソディを見せるようなものじゃない???まぁ、そこまで求めるのはあまりにも酷だしそんな必要性も実は感じないんだけれど。
なのであくまで(別にノーラン版でなくてもいいが)バットマン他作品にある程度触れた人向けのこの点数ということですが、個人的には本当にいちいち辛くて、苦しくて、でも何処かで壊れてしまう事を望み、実は元々壊れていたのかもしれないと思い知らされ、最後には「結局、ジョーカーの事は何もわからない」という最高の状態にさせられた最高の一本でした。素晴らしかった!
共感できなかった
・最後のTVに出るための衣装は良かった。
・笑い方に無理やりさが少し出てる。(最後のTVショーでデニーロと言葉を交わすシーンの笑い方は自然さが出ていた。)
・不遇な幼少時代が全然共感できない。(ヒメアノールの森田の方が共感できる。)
・エンドロールで立つ人多かったな(先週行った見えない目撃者ではいなかったのに)
果たしてこれは事実なのかジョーカーの妄想なのか
アーサーがコメディショーで観客席から舞台にあげられるシーンで、唐突にアーサーの妄想が始まったところは見た人なら誰でも気づくだろう。
問題は映画の中のどこからどこまでが彼の妄想なのか、ということ。
思い当たる矛盾点と言えば、証券マン地下鉄殺人事件でアーサーが撃っている弾数が、リボルバーの装填数より多いのではないか?
ストーカーをされた同じアパートの黒人女性が逆にアーサーに好意を寄せるというご都合展開。
これらは考察サイトなどを参考にされたし。
どちらにしても、演出、演技、シナリオにおいても高レベルにまとまっている。
ジョーカーに覚醒していくシーンはそれが妄想だとしても、鬼気迫るものがあって面白い。
そのまま見ればアーサー可哀想、ジョーカーになるのも共感してしまう。
しかしバットマンシリーズ共通で虚言癖が激しいジョーカーのことだ、疑問が疑問が呼ぶ。
まさに怪作と言えよう。
誰でもジョーカーになる
ジョーカーは惨い事件を起こしていくのだが、
私は責めることが出来ず 彼に共感していた
ジョーカーとなって主人公が心を解放された
シーンを観た時は何故か涙が溢れてしまった
貧しさは心も貧しくし相手にもやさしくすることは
不可能なのだろうか?
貧困が母親が人々の心の貧しさが彼を誕生させ
恐ろしく悲しい事件が起きてしまった
観ていて心が痛んだ
圧巻の演技力
予告編に良い意味で裏切られた。
「純粋で心優しい男が世の中の不条理に
触れて悪となる」
このキャッチフレーズこそがジョーク。
ラスト近くの白い壁の部屋でのカウンセ
リングのシーンだけが現実で、それ以外は
全て妄想であり、アーサーの人生こそ
最大のジョーク
そんな風に解釈しました。
ホアキン フェニックスの演技は見事です
もう一度観に行きます
掌の上で踊らされる道化
なんて可哀想なアーサー、なんて不憫なアーサー、やっちまえアーサー!
では終わらせないジョーカーの嗜み。
ダークな興奮を愉しみつつ常に感じていた違和感を回収し虚無の中へ突き落としてくれる、ジョーカーの戯れ。
生きづらい世の中をギュッと凝縮させたような、そんな街における受難と引き金の物語としてちゃんと面白かった。
何度も息が苦しくなり、彼の不遇をとても近くに感じる。
アーサーが笑うたびに背筋に何か冷たいモノが走る。
突然笑ってしまう、笑いたくない時に笑ってしまう、という病気の設定が面白く、興味深かった。
渡すカードのヨレ具合から、何度も何度も同じことをしてきたんだなとわかる。
彼の笑いは非常に薄気味悪く不自然で不愉快的。
泣いているようにも苦しんでいるようにも見えて本当に痛々しい。
キツい不条理の数々。
だんだん人の道を外れていくアーサーに恐怖を感じつつ、ワクワクしていた。
地下鉄の銃殺も、"こうなった原因"とも言える母親殺しも、ランダル惨殺も、彼がそうするたびに生き生きとしていくようで、どんどんテンションが上がってくる。
極め付け、カメラの前でのマレー・フランクリン銃殺。
正直もう嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
絶望的な世界の中で、ただ一つだけ持っていた憧れや縋りの先、大好きな人をこの上ない状況とこの上ないタイミングで殺せた幸福。
話したり動いたり何かをしている最中に、死の予感も何も無いまま突然銃弾が頭を突き抜ける恐怖というものに最近ハマっているので、ちょっとしたホラー的な快感もあった。
アーサーを引き金に市民の怒りが大暴走した街中、神々しいほどのポージング、雄叫びと広がる炎にため息。
ブルース・ウェインとのすれ違い方も良い。
しかし、どうしても感じてしまう違和感。
アーサーが何か犯すには必ず納得のいくような理由がある。わざとらしく共感を呼び飲み込もうとしてくる姿勢には常に疑問を抱いていた。
ジョーカーが自分の怒りや苦しみのために残酷になるような人だとはどうしても思えなくて。
人間の持つ悪意や負の力を信じて賭けてくれていたジョーカーが、原点とはいえこんなわかりやすい理由を持って行動するだろうかと。
バットマンシリーズは未鑑賞、「ダークナイト」のみ本作鑑賞の前日にやっと観たくらいのベリベリ初心者が偉そうなこと言ってんじゃねえ!と思われるかもしれないけれど。
それでも劇中から感じた興奮は本物。
そして、その全てを嘲笑ってくるようなラストには少なからずショックを受けた。
私こそまんまと掌の上で踊らされる道化だった。
正直、怒りすら感じるほどの虚無感。
鑑賞後、ジワジワと実感が湧いてくると共にこの映画にひれ伏したくなる。
これこそジョーカーの目的だったのかも。
虚構の物語に嵌まり一々アーサーに共感し寄り添ってみせた我々を見下し利用してみせる彼。なんて腹立たしい。
人間の善意や良識、仲間意識というものをいとも簡単に踏み潰してくれる人。
思い返せば、アーサーがジョーカーに変わるきっかけ、そのタイミングはいくつもあった。
不穏な表情に不穏な音楽、「あ、ここでジョーカーに切り替わるのかな」と思ったらそうでもない、の繰り返し。
最後に自らの血液で笑う唇を描いた時にやっとジョーカー覚醒かと実感してみたものの、そもそもあの物語の中のアーサーはジョーカーじゃなかったのか。なんて虚しい。
と、私は思っている。
けれど、あのアーサーの物語に実体はちゃんとあり、最後の白い部屋は彼の逮捕後、だとも考えられる。
時系列的にこの映画の前に置いても後に置いても辻褄が合うよね、たぶん。
何が真実かはわからない。
傷の話もコロコロ変えて話すような人。
初心者の私ですら、ジョーカーがやっぱり理解不能でいてくれて良かったなんて思ってしまうくらいの。
シリーズやキャラクターのファンはこの映画をどう感じるのか気になる。
庶民の生活の厳しさが常に叫ばれ、少なめの手取り額がSNSのトレンドに上がりあーだこーだと論争を繰り広げる今この日本。
ここはゴッサム・シティではない、ゴッサム・シティにはならない、なんて言えるだろうか。
どこまでも不公平な社会に対する不満も怒りもあるけれど、まあ楽しく生きてるしな〜くらいのスタンスは変えなくて良いや。
最後に一つ、彼がスクリーンに映るたびに何度も何度も何度も何度も思ったことをここに記しておきたい。
ホアキン、脚なっっっげ!!!!!!!!
バットマンにわかですが楽しめました
この映画について、「2度と観たくないほど暗い」などのレビューを拝見し、仕事終わりに観てまいりました。
恥ずかしながらバットマンについては未視聴で知識がなかったので、事前にビギンズ、ダークナイトのみ視聴いたしました。
ウェイン家についてはビギンズを観てからの方がわかりやすいかな?とも思いますが、そもそもの視点が違うため未視聴でもさして問題は無かったかと思います。
ただし、ブルース視点からのウェイン家を観てからの方が、『視点が変われば善悪も変わる』話の重みが増すかもしれません。
『過酷な状況に追い詰められた可哀想な男が精神を病み狂ってしまうお話』と観るとバッドエンドなのかもしれませんが、
『世間より虐げられてきた男がさまざまなものから解放され、自分の存在、居場所を見つけるストーリー』として観るならば、むしろハッピーなお話なのでは無いでしょうか?
実際に、"ジョーカー"になってからは、前半の暗くどんよりした雰囲気とはうって変わって、明るいシーンが多く感じました。
正直な話、ここまでのアーサーの行動、状況を踏まえても、こうなるより幸せな道は無いのではないかと思ってしまいます。
ただ、他の方もおっしゃっているように、既存のジョーカー像とは異なった点が山ほどありますので、バットマンシリーズのファンの方々は、
『今までのバットマンシリーズの、ジョーカーのスピンオフ』としてでは無く、別世界のものとして観た方が面白いかもしれません。
乱文失礼致しました。
2回観たい
映像が綺麗、引き込まれます
1回目はどこからどこまでが
アーサーの妄想か、真実はなんなのかを
すごく考えてしまいました。
(一緒に観に行った人と話しして
意見が真っ二つに割れるくらい)
でもそんなに深く考えなくてもよかったんだと思います
1人の人間の人生の一部分、
絶望のどん底に落ちる様を
ただただ何も考えずに
見てほしい。
こんな人生だったら
こうなっちゃうよな…と
見終わったあとに
悪の英雄となってしまった
アーサーに同情して感情移入
してしまいそうな自分がいます
まんまとやられました!
ああ…畜生、格好良い
開始15分、縦長に構成された背景であぁ、此処はゴッサム・シティだとわかる
これまでジョーカーはジャックニコルソン版もヒースレジャー版も完成されたヴィランだった徹頭徹”支配する側”の輝きで私たちを魅了してきた
今作はそれはもうたっぷりとアーサーが踏みつけられ、笑いものにされ、殴り倒されるシーンが描写される、観客も道連れに
だからこそジョーカーとして覚醒した彼が暴動のただ中に躍り出るのが最高に気持ちいい
アーサーがストレスを受けた時の制御できない発作笑いが泣いているようにしか見えない痛々しい笑いだからこそジョーカーのメイクの下の片頬上げるニヤリ、や燃えるゴッサムを見つめる子供のような無邪気な笑顔がゾッとするほど魅力的なんだと思う
映画の中でなら何にでもなれる
スーパーヒーローが世界を救うなら逆だって有りだろう
ジョーカーと一緒にゴッサムを燃やし尽くそう
観客がピエロにされる瞬間
何が起こるか分からない恐怖感。
心霊ものとは違う恐怖感。
常にハラハラさせられる。
「次は何が起こるの⁉︎」
そんな作品の印象。
そして、最後のシーンで、
踊らされていたのは観客の私たちで、
アーサーはピエロではなく「ジョーカー」という
カリスマ的存在に既になっていたと気づかされる。
果たして、全ては現実なのか
はたまた、妄想劇なのか…
答えがなく、観ている側に
結論を委ねるような良い意味で後味の悪い映画。
この物語で幸せになれたものはいない…
いや、ジョーカーただ1人だけハッピーになれた。
〜完〜
ただの妄想だけ
まずはじめに、この映画をバットマンだと思って見ると肩透かしを食います。
ダークナイトのジョーカー(ヒースレジャー)、狂気に満ちてカリスマがあるサイコパスの悪役が見れる訳ではなく、障害を持った気弱ないじめらっれこが暗い雰囲気と音楽のなか、淡々といじめられ妄想の世界に逃げ込む映像が続きます。
起承転結もあやふやでどこまでが妄想かもハッキリぜず、結局ジョーカーが殺したのは地下鉄の中の3人だけではないかと思ってしまうほどつまらない妄想だけの映画になってしまい、何度か寝落ちしそうになりました。
せめてラスト位精神病棟の様な施設をコント風に逃げるのではなく、ピエロのスーツを着て狂気に満ちた笑い声の中爆破してほしかった。
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