ジョーカーのレビュー・感想・評価
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絶対的な狂喜への変貌を悲しくも魅せる人間ドラマです。
今年の秋の大本命でアカデミー賞確実と言われる作品ですが、DCコミックス系の作品は肩すかしされた事も多く、個人的にも合わないなぁと思える事も多いので腰が重かったのですが、先日リニューアルオープンしました丸の内ピカデリーのドルビーシネマのオープニング作品とあって、丸の内ピカデリーで観賞しました。
で、感想はと言うと、いや~凄い!凄いわw
ジョーカーとしての誕生を描いていますが、ブレる事なく、2時間と言う時間に圧倒的な熱量と有無を言わさぬ情念を重く静かに観る側に叩き込んできます。
稀代の悪役キャラでバットマン最大のライバル。
本来ならバットマンのスピンオフに位置するのですが、この作品はスピンオフが完全に独立と言うか本家を食ってます。
なので、バットマンのスピンオフと言うよりもバットマンがジョーカーのスピンオフの様な変な逆転現象を感じます。
ストーリーは完全オリジナルで今までのジョーカーになる過程とは別物なので、以前のイメージに引っ張られると違和感を覚えるかなと思いましたが、違和感を覚える隙間を与えないぐらいにこれでもかと叩き込んでくる。
それも迫力や力技と言うのではなく、じわりじわりと狂気に導き、ジョーカーとしてなる辺りから狂喜に変わるのが圧巻的。
アーサー・フレックは病気を抱え、コメディアンとして大成する事を夢見る母親思いの心優しき青年。
仕事先の解雇をきっかけに様々な苦難がアーサーの行く先々にのし掛かる。
それは思いがけない物ばかりでいろんな物が信じられなくなり、いろんな物に裏切られ、次第にジョーカーとして変貌していくのが上手い。
本筋がブレる事もなく、ジョーカーへの変貌を描きつつも、小さな起伏と言うか、取っ掛かりとなる傷的なのが至るところに散りばめられていて、それが上手く昇華していく。
なので、ジョーカーとしての変貌していく事に待望感を寄せつつも、混沌の中のカリスマの誕生に喜んでしまう。
完全にゴッサムシティの住人の気持ちが分かりますw
観ていて、何処までが現実で何処までが空想かが分かり難いかったりしますが仮に現実であったとしても空想であったとしても、その過程を経た結末は悲しい。アーサーの思いや切なさ、悲しみは観る側にキリキリとナイフを突き立ててきます。
ジョーカーと言うと、ジャック・ニコルソンのイメージが個人的に大きいですが、観賞後はジョーカー = ホアキン・フェニックスのイメージに塗り替えられました。
とにかくホアキン・フェニックスが凄い。
今までジョーカーのイメージとはかなり違い、ジャック・ニコルソンやジャレッド・レトとは程遠く、どちらかと言うとヒース・レジャーのジョーカーに近いですが、完全に新しい解釈でのジョーカーを作り上げました。
役への作り込みも鬼気迫るものがあります。
ジャック・ニコルソンのジョーカーとは別物のアプローチではありますが、ジャック・ニコルソンが主演の「シャイニング」のジャック・トランスに通じる狂気を感じる。全身でアーサーの悲哀を演じてます。
アーサーが憧れるマレー・フランクリン役のロバート・デ・ニーロも当たり前ですが流石に良いです。
良い感じでアーサーの変貌を手助けしてますw
また、明暗の色彩も見事で、いろんな感情を表現しています。
DCコミックス系の作品はマーベル作品に比べると明暗の暗の部分が多すぎて、必要以上に暗さを描き過ぎで見辛い感じがしましたが、今作のジョーカーではバッチリハマってます♪
その辺りを凄く感じたのはドルビーシネマで観賞した事も多分にあると思います。
ドルビーシネマの圧倒的な映像表現は凄かったです。上映前のデモ映像で本当に黒色を見せられた時にはビックリしました。
なので、ドルビーシネマで観た事で少なくともプラス0.5点は付いてますw
IMAXで初めて観賞した時も凄いと感じましたが、今回のドルビーシネマはそれ以上。場内は黒を基調としていて、色彩がより鮮明。勿論音も良い。
映画を観ると言うよりもアトラクションの様に映画を体感すると言った感じでプラス600円が全然高くないです。
3D作品には殆ど魅力を感じませんが(映画を観る際はメガネを掛けるので、メガネ オン メガネになるからw)、IMAXも今回のドルビーシネマも作品によるかも知れませんが、映像表現に力を入れた大作には絶対良いです。
作品に難点を言うとすれば…少しアカデミー賞とか賞狙いの所が見え隠れして、賞取り作品として意識し過ぎてるかな?と思えなくはないかなと。
世界が狂気を受け入れる体制がある事自体、それはコメディであり、コメディなら民衆を笑わせ導かせるコメディアンとしてアーサーがジョーカーになったのは必然。
でもその必然は悲哀であり悲劇であるけど、圧倒的な悲劇の悪のカリスマに魅了されます。
触れ込みに「絶対に観ないといけない作品」とありますが、絶対に観ないといけないは言い過ぎでも観る価値は絶対にあります。
その際はドルビーシネマかIMAXで観賞を強くお薦めします!
ある意味【ヒトに優しくなれる映画】
個人的観点で言わせて頂くと
見た後、『ヒトに優しくなれる映画』でした。
そして、あまりにも切なくて見ていて涙がこぼれてしまいました。
言い方は酷いですが、
現実世界の仕事で何れだけ蔑まされても
【彼】よりは幸せなんだと、
恐怖や緊張しても悲鳴をあげる事が出来ず
笑い声しか出ず周りに理解してもらえない、
薬も福祉の打ち切りから飲む事も出来ず、
【不幸】の一言では済まされない程の、
【不運】が、がんじがらめに絡み、産声をあげた様に見えました。
そして何処から何処までが彼の空想なのか。
因みに、ラストの廊下でのダンスの後、逃げ惑う姿が滑稽に見えてしまいました♪
そして哀しい乾いた笑い声が響き、
『こう言う笑い声しか出なくなってしまったのね…』
と、切なくなってしまいました。
悲劇か喜劇かそれは主観だ
私はこの映画を観たら、もしかしたらジョーカーという人間に同情して
彼の悪を赦してしまうのではないかと心配していた。
それ故にこの映画を見る半日前からすこし憂鬱な気分になっていた。
いや、「心配」ではなく、
もしかしたらそうなることを
「この世には赦される悪もあるのではないか?」
そういうものが見れるのではないかと少しだけ期待していたのかもしれない。
しかしその期待は裏切られた。
彼は自分の人生を喜劇だと言った。
しかしこの物語を見た人は皆口を揃えて
「彼の人生は悲劇だ」と断言するだろう。
その意味を深く考え、
私達が生きるこの社会を見つめなければならないと
考えさせられる映画だった。
ゲイリーグリッター
映画としては俳優達の演技、映像、音楽、全て素晴らしかった
ただ、これまでのコミックや映画でのジョーカーとしては疑問
この類の映画レビューで長々と美辞麗句を並べ、何か社会問題と絡めたがる人にはオススメの大傑作ですね
私個人としてはゲイリーを逃した後のゲイリーグリッターがツボでした
哀れな男のひとり芝居
こんな映画上演していいのか?
紛うことなき第一印象である。これが映画、すなわち、"つくり物"であることすら認識できずにいた。それくらい、嘘っぽさのない映画であった。
故に、時々感じる嘘っぽさが目立つ。それこそが彼の狂気、もしくは正気からうまれたジョークなのだ。
「誰にも気付いて貰えない」と嘆いた彼は、偶然エレベーターで乗り合わせ、話し掛けてきた女性に夢を見る。悲しく、気味の悪い夢だ。願望の世界の彼女はまさに"嘘っぽい"。
アメコミ映画にしては、あまりにバイオレンスで、不憫で、重いストーリー。それもそのはず、監督は"ジョーカー"というキャラクターを利用したに過ぎない。彼が描きたかったのは、現代には流行らない人物中心の物語。アメコミというネームバリューを活用し、自身の映画を作り上げた。それに欠かせなかったのが、ホアキン・フェニックスというジョーカー。
正直、今まで生きてきた中で、"演技が上手い"と思ったことはあっても、"演技に見えない"と思った演技はホアキン・フェニックスのジョーカーがはじめてだ。"俳優"という職業の、"俳優"という人種の危うさをはじめて体感した。彼の演技があまりにも"ホンモノ"であるが故、また良からぬことが起こるのではないかと不安になってしまった。が、それは本人がインタビューされた際に怒りを含んで否定しているので、観客もその信頼に応えるべきだ。リスペクトを持って、この作品を一フィクションとして賞賛したい。
たとえ観客のチャンネルに相応しくないブラックなジョークであっても、それがこの映画なのだ。
アーサーの一人称世界
ってどなたかレビューに書いてたけど、本当に彼の主観の世界に巻き込まれてしまった。
彼が踏ん張って善人であるうちは胃が重くなるようなしんどさがあり、逆に殺人を犯した後の高揚感には見ていて少し楽になってしまった。共感してしまえるのが恐ろしい。
アーサーの不器用な字のノートが出てくるシーンに何故か悲しくなったんだけど、劇的な怒りのシーンや彼の活躍シーン(本人の妄想??)みたいな彼の一人称視点から、急に客観視点に引き戻されたからかも。コメディアン志望の彼のネタ帳のはずが、覗いてみると精神不安や妄想の連なったノートになっている…
アメコミ映画だし、途中から反則みたいに強いジョーカーが誕生したり嘘見たいに極悪なヤツだったら気楽なのに、アーサーはひたすら現実的に弱くて優しさもある人。
この映画の状況が、めちゃくちゃ現実的に思えてしまうのがしんどいなぁと思う。
香港の民主化デモを彷彿とさせる映像
親に裏切られた親孝行な青年が、悪に堕ちていく姿は、
観ていて身につまされる。
暴力の連鎖に町を荒廃させていく姿は、未来の私たちの姿だろうか?
覆面禁止法が施行されて、青年が逮捕、投獄されている、隣国のニュースを見ながら
、ふと考えた。
怪物・バケモノであるジョーカーを観たかった。
鑑賞後、一番に感じたものは違和感。
俗っぽく言えば『コレじゃない感』
いちばん観たくて期待したのは、常人であるにもかかわらず怪物・怪人・バケモノとして恐怖されるジョーカーの話だった。
しかし映画としては大変に見応えがあり面白い。
気弱で社会的弱者の男(アーサー)が、妄想と自己愛で吹っ切れてしまうまでを描いた映画。
しかしそれだけでなく、アーサーという人物を”わかりやすい不遇の男として描いていない”ところも魅力だった。
アーサーは突然笑ってしまうという病気のため、人々に誤解されないよう『僕は病気のため突然笑ってしまう。許して。』というカードを持ち歩いている。
しかしそんな事情を知らない人々は突然笑いだす彼を奇異な目で見るのだが、このカードを見せられることで自分自身を後悔することになる。
しかし、アーサーは本当に発作的に笑っているのだろうか?
劇中でアーサーの仕事仲間が、彼の同僚を笑いものにするシーンがある。アーサーもいつもの発作のような笑い方で一緒に笑うのだが、その場を離れるとピタッと笑いを止めてしまう。
アーサーの近くで酔っ払いが女性に絡み、彼等が無視されると同時に笑いだしたりもする。
ショーパブでコメディアンのショーを観ながら、観客が笑った後でタイミングをズラして笑ったりもする。
このようにアーサーはまるで意図的に笑い、周囲の人間たちを馬鹿にしているような描写もされている。
クリストファー・ノーランのダークナイトでも描かれているように、ジョーカーは『人間の心の奥底は醜い』ということを証明したがっている。
アーサーの笑いも、実はここに起因しているのではないか。そういろいろとアーサーという人間について考えを巡らせてしまう。
そういった、どこまでも掴みどころのないジョーカーというキャラクターを描いた良作である。2回3回と観るたびに感じ方が変わるかもしれない。
ラスト、病院のシーンも、まるで私たち観客がジョーカーのジョークに付き合わされ、掌の上で転がされているような演出も面白かった。
自分の中にもあるかもしれない狂気
ジョーカーが如何にしてできたか。という観点よりも時代背景は違いますが現代社会の抱える負の部分、人間の持つ闇の部分等々、非常に考えさせられる映画でした。許されることではないはずなのに、何故か彼に共感してしまっている自分自身に恐ろしさを感じます。多くの人が同じような感想を抱いているのではないでしょうか。アメリカではこの映画が社会に与える影響を強く懸念して色々な報道がされていると聞きます。観方は人それぞれでしょうが確かにこの映画を観た多くの人々の胸に残る(刺さる?)ナイフのような、鈍器のような印象は最近の映画では感じなかったものではないかと。DCファンの期待するジョーカーではないのかもしれませんが誰もが持っている(かもしれない)漆黒の感情を見事に表現した作品だと思います。それにしてもホアキン・フェニックスの大笑いしながらも哀しみに満ち満ちた表情、役作りとはいえげっそりとした体型、どれをとっても秀逸でした。後味はよくありませんが色々な年代、立場の方々に観てここにレビューしてほしい映画です。
※誰かも書かれていましたがこのジョーカーがバットマンと相対するには年齢的にギャップがありすぎかも?ジョーカー続編で本当のジョーカーにどのようにして引き継がれるかがあるかもしれないと感じてしまいました。
悲しみと怒りが
人を狂気に誘うまでを描いた作品。jokerがダークナイトの冷酷で頭脳明晰な悪役という感じがなく、ただ生い立ちや生活環境のせいでダークサイドに陥ってしまった可哀想な人ように描かれていたのが少し期待外れだったかな。
ウェインのオヤジが彼の狂気に火をつけた
ONE OF JOKER STORIES
本作は、「ダークナイト」のヒースが演じたジョーカーとは別物だと私も感じた。トーマス・ウェインの性格等も異なるように。両者の間には観客が自己投影できる/ できない の深い溝があるかもしれない。
しかしなぜ敢えて今トッドとホアキンがバットマンの悪役ジョーカーの誕生秘話をやりたかったのか?
ホアキンは、自分に絡んできたり騙したり落とし入れた人間を容赦なく殺す男を悲壮感をもって演じた。そして映画のラストでは、英雄として祭り上げられる。しかしピエロのメイクは人相を特定できず、あくまで大衆の代表として。
ゴミは回収され、適切に処理しなければ街は病原菌やネズミやゴキブリでいっぱいになってしまう。定期的にカウンセリングを受けなくてはならない精神病患者を野放しにすればいつか重大犯罪を起こすかもしれない。犯罪者たちも適切に隔離するか処罰しなければ社会の公正さは失われる。誰かがやらなければならない仕事はたくさんある。
実の母親と思って暮らしていた人は実の母でなく、誰が父かもわからない。貧乏ゆえに痩せていて、なにかあるとつい奇声を上げて笑ってしまうという病気がある。子供は好きだが、自分の子供はなく他人のこどもをあやすことはできない。そのくせ、他者への興味はまだ十分にある。悲しすぎるアーサー。
母親が入院してからの見舞いのシーンなど、「ダークナイト」のジョーカーが病院を襲うシーンの伏線になっているのかもしれないと思う。
ヒースが演じたジョーカーは、とんでもなく狂っている男だった。いや、火薬と爆薬とガソリン及びタイマーやリモートの発火装置を巧みに扱う彼は、知的かつ冷静でなおかつ銃と人間の扱いにも長けた冷酷な殺人鬼だ。化物か悪魔のように人の心さえ自分の思うままに操る。
ダークナイトシリーズを経てからの観客には、まだ本気で狂っていない本作のJOKERは受け入れ難い気もするのもわかるし、私の違和感もそこにある。あらためてヒース・レジャーのジョーカーが、見た目、喋り方、撃ち方など狂気のピエロの悪役っぷりが、段違いにすごすぎる。本作のホアキン・ジョーカーでは、白昼の銀行強盗は成功せず、ゴッサムのギャングどもとも互角に渡り合えないのでは?
でもブルースもまだ少年だから、時間はまだある。バットマンはいない。テレビでこのホアキン・ジョーカーを見た少年がジョーカー二代目になればいいのだ。
ところで、「ダークナイト」での正体不明の殺人鬼という設定だが、十数年前に逮捕された警察の記録があってもゴッサムシティにおける自分の犯罪記録を抹消するくらい警察内部に精通しているヒース・ジョーカーには、真の正体を隠すことなどなんてことないのだ。
うん、知ってた
これが、ビギニングみたいに誰の映画かわからないで見たら楽しかったのかもしれないけれども、
公式にジョーカーのお話だよと前置きある状態で見たら『うん、知ってた』ってなる
ややヤバめの人が、なんやかんやあって
結局キレちゃったお話
これを2時間強、結末わかってるのに淡々と続けるにはちょっと無理があるかも知らん
2時間かけて、ただただバットエンドに起伏もなくゆるゆると連れてかれる話
後、怪演と言われるが
ヒースの演技とう言う見本があるからそれも薄れるんだよなぁ
逆に、ヒースが居なかったら凄い評価されたんでは??
凄みがある
ダークナイトのジョーカーは純粋な悪で、人とも悪魔ともつかない存在だった。この映画では、ジョーカーがなぜ生まれたのかを描いているが、見る前は、ジョーカーのルーツを語ることで存在が矮小化してしまわないか心配だった。
結果、バットマンビギンズに繋がるところもそうでないところもあり、バットマンという作品群の中で描かれてきたジョーカーの一つの物語という感じ。
腐敗した政治と社会が生んだ浄化作用としてのバットマンとジョーカーの根っこは同じところにあり、社会に対する怒りの表と裏のように思えるが、ジョーカーのそれの方がより暗鬱としていて庶民の苦しさに寄っている。それだけに恐ろしい。
ホアキンフェニックスの演技に凄みがある。
テレビショーの司会役でデニーロが出てきて立ちあがりそうになった!パプキンじゃないか!あれは夢じゃなかったんだね。。。
理解できないさ
ホアキンフェニックスの演技と演出が凄すぎて、あっという間の120分だった。
とにかく、笑いながら全感情を出すあの演技が、凄すぎて。目の青いメイクの下で涙を流しているのが切なかった。表情がすご過ぎる。
彼女?の存在が全部妄想だった時めちゃめちゃぞわっとした。
生れながら、ではなく環境で人がここまで狂っていく姿は、養子という設定だからこそ出たのかなと思うとすごい。
タロウのバカ、ホットサマーナイツ、惡の華の、思春期特有の悪や永遠に僕のものの遺伝子的な悪ではなく、環境が作り出した悪は、どの悪よりも悲惨で切ない。
この映画を見て、犯罪が増加することを危惧するのではなく、孤独と戦う人間に手を差し伸べる人間が増えればいいのにな、と思った。
アメリカンジョークわからなすぎてごめんなさい。
そんなに特殊な映像と音楽を使ってるようには見えなかったけれど、異様な緊迫感と殺伐とした世界がリアルで目を覆いたくなるような映画だった。
圧倒された!けどこれってジョーカーなの?
バットマンに登場するヴィラン、ジョーカーの物語。
ジョーカーのキャラを少しでも知らないとわかりづらいんじゃないかと思うが、これだけ観た人でも相当のインパクトを与えそうな感じはする。
被害者であったアーサーがジョーカーになっていくプロセスは正直観ていてつらくなることも。生い立ち、環境、疾病、社会情勢、そしてタイミング。全てが揃った上でのジョーカーなんだな。劇団ひとりがCMで言っていた通り、ジョーカーに感情移入し、ただただ圧倒されている自分がいた。なんて脚本だよ。ただ、これジョーカーなの?こんなキャラだっけ。
ちなみに、アーサーとブルースが兄弟って設定が完全に否定されたわけではない(個人的な感想)こともモヤモヤする。積み上げた物語をひっくり返す展開もいくつかあって、混乱した人が結構いるんじゃないかな。
将来バットマンになるブルースとの出会いも描いて、さぁ次はバットマンとジョーカーの戦いを描く続編になるのかな。楽しみに待ちたい。
秀作!ただし、ノーラン三部作ありき
脚本も映像も演出もホアキン・フェニックスの演技も全て文句のつけようがない、正直不安半分で映画館に行ったけど開始10分で吹き飛ぶくらいに作品の持つ空気感にヒリつかされる。
しかし、とんでもなく高いハードルである。
一体この男が、どう、あの、ジョーカーに、変貌、するのか?
”ジョーカーは出自についていつも違う嘘をつく”という設定をうまく活かし、中盤からは劇中で提示される出来事がどれも本当に起こった事なのかアーサーの妄想なのかすら分からなくなり、ラストでこの映画自体が「ジョーカーが語った1つのデタラメ」である可能性さえ残して終わる。
言うまでもなく殆どホアキン・フェニックスの独壇場である。いやぁ、元々狂気を孕んだ役が多いし発表された時の意外性という意味ではそうでもなかったんだけど、こんなに完璧だとは思わなかった。いつ壊れてもおかしくない脆く儚い男、反面何もかもを壊してしまいそうな不穏さを抱えた男。段々ジョーカーになっていくと思わせて、最初からまさにジョーカーそのものだったという。。
あとザジー・ビーツ、な〜〜〜!!いい女すぎるでしょう・・・
ジョーカーに対して観客が「あ・・・もうダメだこいつ・・・」って思うためにはザジーの魅力が説得力を持っていないとどうしようもないんだけど、本当に完璧だった。敢えてザジー母娘がどうなったのかを見せないのも本当に嫌すぎる。
ジョーカーは「理解できる敵」ではないからバットマンの宿敵たりえたのである。
我らが一般人が簡単に理解できるような男ではいけないし、しかし「ジョーカー・ビギンズ」としては全く凡人には理解できない、わけわからん何か・で終わってもいけない。こんな無理難題をきちんと、かつ正攻法でまとめ上げた監督には脱帽である。
とはいえタイトルにも書いたとおり、この映画はあくまで「ジョーカー何者か」「ジョーカーが起こす災害」について知っている者以外にはピンと来づらいものになってしまっているのも否めない。将来のジョーカーについて描かれないし、バットマンについても全く触れられないも同然なので、ウェイン家との確執などは、シリーズ作に触れていない人にとっては正直「は?」でしかないだろう。知っている者からすれば「まさか・・・バットマンとジョーカーが異母兄弟?!そんな設定打ち込む気か?!」などとハラハラするのだけれど。
うーん、これってクイーンを知らない人に向けて曲を一切使わないボヘミアン・ラプソディを見せるようなものじゃない???まぁ、そこまで求めるのはあまりにも酷だしそんな必要性も実は感じないんだけれど。
なのであくまで(別にノーラン版でなくてもいいが)バットマン他作品にある程度触れた人向けのこの点数ということですが、個人的には本当にいちいち辛くて、苦しくて、でも何処かで壊れてしまう事を望み、実は元々壊れていたのかもしれないと思い知らされ、最後には「結局、ジョーカーの事は何もわからない」という最高の状態にさせられた最高の一本でした。素晴らしかった!
共感できなかった
・最後のTVに出るための衣装は良かった。
・笑い方に無理やりさが少し出てる。(最後のTVショーでデニーロと言葉を交わすシーンの笑い方は自然さが出ていた。)
・不遇な幼少時代が全然共感できない。(ヒメアノールの森田の方が共感できる。)
・エンドロールで立つ人多かったな(先週行った見えない目撃者ではいなかったのに)
果たしてこれは事実なのかジョーカーの妄想なのか
アーサーがコメディショーで観客席から舞台にあげられるシーンで、唐突にアーサーの妄想が始まったところは見た人なら誰でも気づくだろう。
問題は映画の中のどこからどこまでが彼の妄想なのか、ということ。
思い当たる矛盾点と言えば、証券マン地下鉄殺人事件でアーサーが撃っている弾数が、リボルバーの装填数より多いのではないか?
ストーカーをされた同じアパートの黒人女性が逆にアーサーに好意を寄せるというご都合展開。
これらは考察サイトなどを参考にされたし。
どちらにしても、演出、演技、シナリオにおいても高レベルにまとまっている。
ジョーカーに覚醒していくシーンはそれが妄想だとしても、鬼気迫るものがあって面白い。
そのまま見ればアーサー可哀想、ジョーカーになるのも共感してしまう。
しかしバットマンシリーズ共通で虚言癖が激しいジョーカーのことだ、疑問が疑問が呼ぶ。
まさに怪作と言えよう。
誰でもジョーカーになる
ジョーカーは惨い事件を起こしていくのだが、
私は責めることが出来ず 彼に共感していた
ジョーカーとなって主人公が心を解放された
シーンを観た時は何故か涙が溢れてしまった
貧しさは心も貧しくし相手にもやさしくすることは
不可能なのだろうか?
貧困が母親が人々の心の貧しさが彼を誕生させ
恐ろしく悲しい事件が起きてしまった
観ていて心が痛んだ
圧巻の演技力
予告編に良い意味で裏切られた。
「純粋で心優しい男が世の中の不条理に
触れて悪となる」
このキャッチフレーズこそがジョーク。
ラスト近くの白い壁の部屋でのカウンセ
リングのシーンだけが現実で、それ以外は
全て妄想であり、アーサーの人生こそ
最大のジョーク
そんな風に解釈しました。
ホアキン フェニックスの演技は見事です
もう一度観に行きます
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