ジョーカーのレビュー・感想・評価
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「ジョーカー誕生までの物語」なんて一言も語ってなかった
1回目はぼんやり見てしまったので、もう一回見てきました。
これ、「ジョーカー誕生までの物語」なんて一言も語ってなかったんですね。
冒頭と末尾に登場する「白い部屋」が種明かしだったのです。クリームの「White room」もかかってますし。うかつでした。
「ダークナイト」でも、ジョーカーは自分の口が切り裂かれている理由を、その場その場で「思いついた」ジョークにして語っていましたね。
つまり、それを二時間超の話にしてしまったのがこの映画だったんですね。
というわけで、ジョーカー像は、「ダークナイト」の時から一歩も動いてなかったのでした。
だだ、妄想内妄想が描かれたりするので、「信用できない語り手」の要素を見落としてしまう人は私の他にもいるのかも。
そうすると、この映画か浮かび上がらせているのは、ジョーカーすら「理解できないさ」と言ってるその話を理解できてしまう(それどころか、共感してしまう)私たち観客の姿なんでしょうね。
しかし本当に大好きな映画です。もう一回見ます。
喜劇の王
前半はやや冗長な滑り出し。
JOKERの全面の見出しがインパクトあり、刺さる。
クレイジーな母親、クラウンとしての仕事、それぞれアーサーをじっくり描いていた所が若干たいくつに私は感じる。
後半それぞれの因縁を殺した後、怒涛の流れで面白かった。TVショーに出ている間も殺人を繰り返し、暴動と相まってまさにピエロに。
🤡 中国の情勢にも似てて、社会風刺ではあったと思うが、過激。
育まれていく狂気
日本での公開前から色々な話が飛び交っていた今作。 特にアメリカでの 危険視 と言って差し支えないレベルの前評判に、見る側としては嫌が応にも事前のハードルが上がっていた。 が、その評判に違わぬ、なんなら上回ってくるような とてつもなさを持つ映画だった。
今作は一年に一本 あるかないか というペースで現れる 役者の演技 が圧倒的力で映画を引っ張っていくタイプの作品で、とにかく! ホアキンフェニックス! これに尽きるだろう。 その演技だけで映画のすべての要素に説得力を持たせることができるほどの驚異的な 体現っぷり。
今まで何人もの名優がジョーカーを演じてきたけど、ホアキンフェニックスが見せたジョーカー像は今までのどのジョーカーとも違う。ジワジワと狂気が彼の中で育まれていく様を、まるで見る側の心までも取り込んで沈んでいくような、とてつもない力で見せていくのだ。
この ジョーカーに感情移入させる という部分が今作のもっとも評価される部分であり、その一方で今作が 危険視 される要因なんだろう。特にラスト ジョーカーが分断の旗印かのように立ち上がる結末が、あまりにもアメリカの今とリンクし過ぎているために、問題になっているんだと思う。(ちなみに過去、映画館で起こった銃乱射事件で犯人がジョーカーに影響されていた という話が出たことがあったが、後で犯人の取り調べの中で 別にそんなことはない ということがわかっているらしい)
ホアキンフェニックスがやる という時点でとてつもない演技だろうとは思っていたが、まさかここまでとは
今年一番 見るべき一本 だろう。
絶句
ダークナイトで見るジョーカーは不気味であるけれども、所詮は架空の生き物、と割り切れた。
しかしこちらのジョーカーは生身の人間。誰でもジョーカーになり得るという現実が恐ろしいし、不条理で過酷な状況下で、人がじわじわと病んでいく過程は見るのが辛い。
ほぼホアキン・フェニックスの演技でこの映画が出来上がっているわけですが、なんというか迫真とか鬼気迫るとかそんな言葉じゃ説明ができない。
映画館に忍び込んでチャップリンの映画を見るあの心底嬉しそうな目も、笑いの発作を抑えたいのにどうやったって抑えられない時も、演技はもはや演技でなく、アーサーという人間そのもの。
髪を緑に染めて、赤いスーツを着て、階段で踊るシーン。化けた、ついに。スイッチ切り替わった瞬間。なんて美しいんだろう。
ヒース・レジャーのジョーカーを超えられるわけがないという思い込みは、ぶっとんだ。
観終わった後は言葉が出ず。一人の男の演技が観る側の感覚をここまでおかしくするって、そうそうあることではない。
決して「面白かった」「良かった」「最高」なんて陳腐な言葉で、人に勧めることはできない。評判になっているからといって、軽い気持ちで観に行くこともお勧めしない。
ただただ、言葉が出なくなったという事実は、事実としてここに書き留めておきます。
ホアキン・フェニックスの圧倒的怪演
バットマンの悪役ということでアクション多目かな?と思って見たらそんなことはなく、親からの虐待、社会からの無関心、周囲の人間の悪意で一市民の精神のたがが外れてしまってジョーカーが誕生してしまうお話。
とにかくホアキン・フェニックスの演技が全ての内容だったので、人によっては楽しめないかもしれません。
さらっと楽しむ娯楽映画というよりは演技力マニア向けかな?
主演の演技力がすべて、ダスティン・ホフマンの演技みてるだけで二時間余裕だぜ、とかいう人ならぜひ見て欲しい
みんな嘘をついて生きている
政治は貧困層を救うと吹聴しながら、社会保障を打ち切る。
夢を与えてくれたコメディアンも、弱者を笑いものにする。
愛していた母との繋がりも、偽物。
そして、恋人も自ら作った虚構と気づく。
社会も、他人も、自分も虚構まみれ。
虚構は自分の梯子を外し、地の底に叩きつける。
虚構に踊らされ、虚構に絶望した彼は、
虚構を捨て、虚構そのものに牙を向ける。
真の混沌とは誰もが虚構を捨てた世界なのかもしれません。
デートで観に行って後悔、1人でも2回観たいとは思わない
この作品中、主人公が自覚するまでは、アーサーは妄想をしていない事になっている。
なぜならこの物語はアーサーの一人称視点で描かれているから(多分)。
でもそのせいで、アーサーが自分の妄想を認識する瞬間の描写が弱くなってしまっている気がした。ラストシーンも少し分かりづらいかも。
精神的に健康な人が持つ精神病者像
ここにちょっとケチつけたくなりました。
虐待、貧困、差別、いじめ
もともと精神的に病みやすい気質ならば、これらの要因が
重なれば殺人鬼に変貌しうるだろうという健常者の想像。
ジョーカーは虐待、貧困、差別、いじめの被害者であるがゆえに
悪者化していった。という筋立てだろうが、被害者であることを
説明する描写は足りない感がある。その足りないところを、
精神異常者ならやりかねないよねっていう浅い説明で蓋を
しているところに、製作者の精神病をもつ人への
偏見があるように思える。
シリアルキラーと被害者であるがゆえの殺人鬼への転化の二択
が、悪役像の選択肢としてあるだろうが、この2つは相容れないものだと自分は思う。
その前提だと、本作はジョーカーが後者であることを主題としているように観ていたが、自分の母親を殺害していくあたりから、ちょっと被害者であるという肩入れが
できなくなってしまった。母の殺害以降むやみやたらに人を殺すただの殺人鬼と見えてしまった。これだとただ殺したいだけのシリアルキラーになちゃって物語の主題がブレてるように感じてしまう。
もちろんもともとシリアルキラーの素質があって、そこに周囲の要因が降りかかって
シリアルキラーと化すことも全然自然だろって反論も当然納得できるけど。
ただ映画を観た印象だとやはりブレてるかなと、、
その説明不足とかブレを補っているのが、ホアキンフェニックスの
圧倒的な怪演。ザ マスターでも思ったけど、本当に狂気を
演じさせたらすごい。また、重苦しいヒヤヒヤする音楽やカメラワーク
も上手い。映画を見ている間、上記した違和感が気にならず
に映画に引き込まれたのはこれらがあってこそだと思った。
ヴィランのジョーカーではないと思いました。
最高にセクシーなジョーカーは、申し分なかったです。
キャストはとてもいい演技をしているし、電車内での暴動シーンはとても美しい。
あの病気の笑いが狂気の笑いに変わっていく様などは、素晴らしすぎました。
けれども、もっとジョーカーには怪誕してほしかった。ジョ―カーの生まれた背景が、蔑まれた者たちが共感できるような、あんな「程度」(言葉がわるいが)の理由で、あの悪逆非道のカリスマ犯罪者になったとはどうしても思えなかったです。
あれは「誰でもジョーカーになるんだよ」というピエロマスクの暴動へとつながっていく演出なんだろうか?などと思ってみてましたが、ジョーカーは「概念」なのでしょうか。
私のなかでは、彼ははじまりのジョーカーだけれども、バットマンのヴィランであるジョーカーは、のちに現れるのだと思いました。(ブルース、こどもだったし)
稀代のジョーカー、爆誕
出だしの鬱展開から、一転して中盤から後半にかけての疾走感の素晴らしさ。
そして、あの「ダークナイト」の凶悪なヒース・レジャーを超えるジョーカーが現れるとは思わなかった。
しかも、ジャック・ニコルソンの狂気を上回りかねない、ラストのカリスマっぷりは見事。
ホアキン・フェニックスのジョーカーは、幼い頃の体験から来る哀しみと、それが故に抑圧された精神が、一挙に解き放たれてしまう昂揚を自然に纏っている。
さて、両親を目の前でジョーカーに殺されたウェイン少年の復讐譚は、ここから始まるのかな。楽しみがまた増えた。
ジョーカー
彼のおかした犯罪は全てが同情できるように造られている。そこに同情するのか、いややっぱり犯罪はダメだと思うのかはこれを見た人達次第。僕の心の中では彼の犯罪を同情する気持ちしか浮かびませんでした。社会的に弱い立場に置かれそれでも働く彼を、これでもかと叩きまくる富裕層。恵まれたものたち。劇中でジョーカーによって殺された人々は全員が罰当たりであり、ジョーカーは単純な快楽殺人者でお構いなく殺しまくる訳でもなく、見ていて気持ちを分かってしまう自分が怖くなりました。
心の闇。
公開当時からずっと評判が良くアカデミー賞にも輝いた本作、『バットマン』映画はティム・バートン監督の2作しか観てなくて、本作を観る前にはやっぱり『バットマン』4作、『ダークナイト』3作を観終わってからと思っていたのですが、レディー・ガガを迎えての続編『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』の今秋公開が発表され辛抱堪らず観ることにしました。
昔からヒーローはもちろんですが、個性的な悪役にも少なからず魅力を感じる質だけにすごく楽しみにして観たのですがそんな生易しい作品ではありませんでした。
アーサーが吹っ切れ「喜劇なんて主観さ」の言葉を吐いた後、失うモノが無くなった者の嫌な強さが、ホアキン・フェニックスの鬼気迫る役作りと演技によって胸に深く刺さります。
比べるまでもありませんが、生きているとやはり嫌なことやムカつくことは起きるし、誰しもが多かれ少なかれ心の闇を持っていると思います。それだけに私も極力ストレスを溜め込まないように意識しているつもりですが、アーサーの立場になったら果たして抑えられるかというと全く自信がありません。
調べてみればとんでもない親だった母からの主人公に対する「ハッピー」という呼び名があまりに悲し過ぎるし、ちゃんと産み育ててくれた両親にあらためて感謝の気持ちが湧いてきました。
ホアキンの泣いているような笑い方が、美しい映像とも相まって心に残り、正直後味が悪い映画ですが、名作であることに間違いはありません。
余談ですし恥ずかしい話ですが…ロバート・デ・ニーロを見るのが久し振り過ぎたせいなのか、途中トーマス・ウェイン役のブレット・カレンとゴチャ混ぜになっちゃいました(汗)。
演技
演技がただただ凄かった。ストーリーも秀逸。
ただ、笑わせる人ではなく単に笑われる人を舞台に上げたり、TVショーに出演させたり、
不思議な展開もある。ゴッサム・シティ故なのか。
主人公の幻想もどこまでが幻想なのか、それを打ち破るための銃なのか、
考え出すときりがない。
何かが爽快ということはなく、この映画の面白さとはなんであろうか。
個人的には、バットマン絡みということもあって、どうしても
バンドU2 のボーカルのボノがツアーの途中で演じたマクフィスト
と被ってしまう。
妄想がどこから
あいつなんで拳銃なんてあげたんだろう。一番あげたらやばいやつやん!!
親子関係は、なんとか良好なのかと思ってたら…。
元同僚が家にきたところは、びっくりしすぎて震えた。躊躇なく(๑•﹏•)でした。
同じビルのあの女性の部分は、妄想。人を殺してるのはリアルってことでいいのかな。
これがバッドマンに繋がるのか?とりあえず最近のバッドマンシリーズ見てみようと思う。
そんなに良いでしょうか…
自分の周囲の人たちが「良い!」って言うので、自分も合わせて「そうですよねー」と合わせてはいるのですが、本心、そこまでかなあ、という感じです。
というのは、落とし所が、貧富の差とかありつつも、「精神障害」というのが、気に食わなかったです。
え、まだそれやってんの? という、日本で90年代終わりに流行っていたサイコスリラーものみたいな感じで、それを若干社会派にしました、という印象しか持てていないのです。
そんなよく出来た脚本かなあーと、割と脚本で見てしまう自分は、途中で、うとうとしてしまったのも事実…。(単に自分の集中力が足りなかったとも言える)
主演したホアキン・フェニックスの演技が魅力というのはすごく分かるけれど、それ取ってしまったら何も残らん映画、という感覚なのです。
でも、きっとこれからも自分は「ジョーカー良いよね」と合わせてゆくのかもしれません…。
新たなジョーカー像
初めに、本作は「ダークナイト」で登場したヒース・レジャーが演じるジョーカーとは別物だということを理解して欲しい。そして、現段階では本作と他のDC映画(ワンダーウーマンやアクアマン、シャザムなど)とはクロスオーバーはしていない。なので完全に別の映画として観て欲しいと思う。そして拙い文章であるのも気にしないで貰えるとありがたい。
まず結論から言うと、とても面白い映画であるのは間違いないと思う。ジョーカーにスポットライトを当てるにあたって、あって然るべきダーク要素はとても重厚で味わい深い。
監督のトッド・フィリップスや主演のホアキン・フェニックスについては他の人のレビューの方が詳しく書いてあると思うので割愛させて頂く。
さて、まずはこの作品は闇が深い。そして現代の闇を風刺している...らしい。
私は日本人なのでそのジョーカーに描かれた社会的闇を共感しきることは残念ながら出来なかった。
差別や暴力、理不尽さは今の日本に住んでる私達には無縁とはいかないまでも、あれ程強いものではない筈だ。
それでも面白い。そこがこの映画の凄いところだ。
もし私がアメリカ人で、こういった闇に触れていたとしたら、どれほどこの映画に影響していたかわからない。そこがまた怖いところである。
子供は観るべきではないと言われているが、その理由も意見も概ね納得できるし同感もする。ただ、日本に住む我々は観てもあまり問題ないと思う。
ジョーカーのように失うものがない状態にある人間はそもそも映画なんて観る余裕はないはずだからである。
まぁ、普通の高校生カップルや子供は観るべきではないのだろうが。
本作は暴力的表現から始まる。まずそこで観てる人は理不尽さに憤り、または悲しみを覚えるだろう。
この作品は終始理不尽な悲劇がジョーカーことアーサー・フレックを襲う。そしてアーサーはジョーカーへと変貌を告げる。
序盤、中盤は基本的に差別や悲劇が立て続けて起きている。こうして観てる人に「アーサーはなんて可哀想な人なんだ」と同情なのようなものをさせる。そこが非常に危ない。1度同情し、感情移入してしまうとその後のアーサーが起こす絶対悪であるはずの殺人などを肯定してしまいたくなってしまう。それどころか「私も憎いあの人を殺したら、どんなに楽だろうか。」などと考えてしまう人も出てくるかもしれない。そこが皆が危惧しているところだろう。まぁ、行動に起こす人は日本にはいないと思うが、断言はしないでおこう。
電車で男三人衆に襲われ、自己防衛の為3人を撃ち殺した。
だが、最後の1人に関しては明らかなその場の憎しみと怒りが感じられた。その後正気に戻り、逃げたアーサーは、トイレ?に逃げ込み、なんと踊り始める。ここがまた狂気的だ。
私の意見だがアーサーは一般人でもなんでもなく、元からジョーカーになる素質を持っていた気がする。普通の人は人を撃ち殺した後に踊らないはずだから。
あそこは考察のしようがあるシーンだろう。1回目に観た時は、頭にクエスチョンマークが浮きっぱなしだった。正解がない作品であるため、色んな意見があっていいが、私はあそこで人間的な道徳心にヒビが入り、スッキリしてしまったのだと思う。
その後も母親からトーマス・ウェインが父親という衝撃的な情報を図らずもがな知ってしまう。そしてトーマス・ウェインには跳ね除けられ、母親は狂っていたことが発覚。何もかもがアーサーを傷つける。
母親には憎しみを向け、社会には制裁を加えようとだんだん心が荒んでくる。恋人も妄想という衝撃展開には驚きを隠せなかった。ここでアーサーは完全に変わった。
狂った母親同様に自分もまた、ありもしない妄想をしていた狂人なのだと。
理解してからは気分が良いのだろうか、笑みが絶えない。そして突発的に笑わなくなった。ここもまた思慮深い。
そして序盤の重々しいシーンと対比したシーンが映り出すようになってくる。何回か観て探すしてみると、結構あると気づくのも面白い所かもしれない。
番組に出て、真実をマレーに伝える。マレーの正論に観てる人は反論してしまいたくなる、何故なら我々はジョーカーに至るまでのアーサーの悲劇を知っているからだ。そしてジョーカーは怒りをあらわにし、マレーを殺す。この時のBGMも重要だ。本作はアーサーが絶望や殺人といった少しづつ変わっていったきっかけとなる所には必ずと言っていい程、心臓の鼓動のような緊迫感を思わせる音が流れる。
その音は銃声と一緒に消える。本当に魅せ方がうまい。
そしてアーサーは捕まり、外では暴動が起きる。
一応DC映画なので次回作をやるのかは分からないが、ジョーカー要素を入れる為にバッドマン誕生のきっかけも写されてはいるが、まぁここは正直どうでもいい。
問題は車から降ろされ、讃えあげられるシーンだ。
このシーンでジョーカーはピエロに過ぎないのだと思い知らされた。歴代ジョーカーの中で1番オーディエンスを気にする人間的な物を感じた。
ヒース・レジャーのジョーカーは周りを気にしてはいなかった。ただ、今回のジョーカーは周りが騒いだり、反応したりすることで自分が存在していることを実感し、喜んでいたのではないか。
そういった歴代ジョーカーとは違う新たなジョーカー像を提示し、悲しきジョーカーとして終わった。.........訳でもなく、最後の最後で全て嘘かもしれないという可能性を残して終わってしまう。
ここで今まで観てきたものは一体真実なのか嘘なのかどっちなのだろう。と思い、考えさせるのを促すように終わる。このため、ほとんどの人は終わったあともジョーカーのことを考えるだろう。
だから印象深い作品になっている。
まぁまずは観て欲しいというのが正直な意見である。この映画に酷評をつける人も、高い評価をつけている人もどちらも正解であり、不正解である。
我々はトッド・フィリップスではないので真相もわからずじまいだ。
だから何回観ても違う感想を抱けるのだ。
この作品は人生を豊かにするものではないが、考えることを無意識にさせるので、映画好きでなくとも楽しめる。とても面白い作品であると私は思う。
遂に本気を出したDC!!
全編ホアキンを観ているだけの映画ですが、撮り方やBGMも良く、雰囲気抜群でかなり集中でき、久しぶりに「え、もう終わり?」と思えた映画でした。序盤で路地裏で蹴りを入れるシーンで、後ろに電車が通ってとても良い画が撮れたと思います。主人公は知識や教養を重んじる人間ではなく、またかなり時間を持て余している印象なので、あまり共感はできませんでした。浴室のシーンはヤバすぎてカットした(エロではない)そうですが、ホアキンはOKで自分が演じたジョーカーは9割カットされたジャレッドは全く納得がいかないと思います。起承転結の結が無いと思いますが、これまでのDCユニバースやエンドゲームよりかなり良かったです。ディズニーと延々と張り合うのは愚かだと気づいて良かった(上から目線ですみません)です。世間の爪弾き者に決起を促す映画ですが、健康保険や年金も廃止されるであろう日米FTA締結時も、ラグビーや「桜を見る会」の話題に踊らされた日本人では、来年オリンビックの裏で更に何をやられようと、決して暴動は起きないでしょう。
名作かつ音楽(音響)も秀逸
映画を観た人の意見が2分されているようですが、忘れてならないのはこの映画がバットマンというコミックスに登場するジョーカーの話であるという点。彼がいかにジョーカーになったのか?がドキュメンタリー仕立てで描かれ、進行して行きますが、架空の人物の物語であり、決して現実の話ではないのです。 とは言え「映画の中の話」では済まないというか、いつでも現実に起こり得るリアルさが充満しています。現実として捉えたら単純にかわいそうな狂人、でもアメコミ映画の1キャラクターとして捉えたら、まさに悪のヒーロー誕生の物語。どちらと捉えるか?が評価の分かれ目でしょうか。
さておき、ジョーカーと言えば当初冷酷でサイコパスな性格の設定キャラクターでしたが、50~70年代は残虐さを抑えたいたずらキャラに、70年代以降は再びダークなキャラクター性に戻っています。そういった意味で、バットマンにおけるジョーカーの設定は曖昧な部分があり、ある意味いろんなタイプのジョーカーが生まれても不思議の無いところですが、本作では薬品の影響で完全にイかれてジョーカーになったという基本設定すらなく、善良な男が社会の被害者としてジョーカーに生まれ変わっていく様が描かれています。またジョーカーにとっての犯罪はジョークであり、それに常にレスポンスをしてくれるバットマンのことを最高の観客、最高のツッコミ役、最高の遊び相手と捉えていますが、そのような関係性に結び付く要素も皆無なため、ほぼこれまでのジョーカー像を刷新しています。
犯罪をジョークやある種のアートのように行う悪党=ジョーカーではなく、社会に見放された人間がやむ無く法を犯して行く様を、非常にリアルに、社会の被害者として描いています。ジョーカーは超人的な能力を持たないので、極悪になるためにたがが外れる理由が必要ですが、そういう意味ではこの設定も個人的には納得。
やっていることはもろ犯罪ですが、最後には「自由になれて良かったね」と思って観ている自分がいました。ただし本作のジョーカーがバットマンと戦う姿は想像できません。
バットマン・シリーズから離れ、1本の単体映画として観た場合、配役、演技、演出、映像、どれをとっても最高の出来です。
中でもHildur Guðnadóttir(ヒドゥル・グドナドッティル)の音楽(と音効)が最高に素晴らしかったです。「この曲を聴くとあのシーンを思い出す」というようなキャッチーさはありませんが、物語のシーンの内容と演技、映像と混然一体となって、胸にダイレクトに訴えかけてくるような音響演出がとにかく秀逸。
最近は何でもかんでも某シンセサイザーの音で埋め尽くされがちなハリウッド映画にあって、さすがはチェリスト!と唸るまさに珠玉のサントラでした(← あくまでも映画の演出としての音楽という意味で、音楽だけを聴いて楽しめるかというと、暗過ぎ・ヘビー過ぎで疲れ果ててしまうでしょうが)。
それにしてもトッド・フィリップス監督はコメディ畑の人だと思っていましたが、いやぁ凄い監督さんですね。
この映画の解釈は幾通りも考えられ、夢落ちだと考えている人もいらっしゃいますが、個人的には、ラスト・シーンがすべての事の始まりであり、アーサーの妄想含め、全てが現実に起きたJoker誕生へと繋がるストーリー(と言っても映画の中の)なのだと思いました。
※ 余談ですが、私は70年代をNYで過ごしました。当時のNYはまさにこの映画に描かれているように、貧困がもたらす犯罪が横行している危険な街でした。沢山の良い思い出がありますが、沢山の悲しい出来事にも遭遇しました。
安全で豊かであるはずの日本でも、子どもの貧困、下流老人、貧困女子などの言葉を聞く機会が増えていますが、社会弱者に対するケアや意識を変えて行かないと、日本でもジョーカーのような人が出てくるかも知れませんね。
さっぶ~
自分とは全くマッチングしない(波風を立たせない表現)映画でした。
かわいそうな境遇のおっちゃんが同僚のおっちゃんから銃を貰うことから始まり色々不幸も重なり闇落ちして人を何人も殺してしまう映画です。
まあそれで終わってりゃそういうお話ですってことでいいのですが(いいのか?)
ジョーカーはあなたの中にもいる…てか、あなただったのかもしれない…こんなかわいそうな事があったんやから暴力に走ってしまったのは仕方がなかったのだ…(マジ顔)
みたいな公式の全体的なノリが寒いな~と思ってしまいました。主語でかくすな!サラッと暴力肯定すな!暴力はアカン!
あと「悲しいのに笑ってしまう」っていう設定が気に入ったのか何回も出てきてもーええ!その設定好きなん分かったから!と思ってしまいました。
いつ面白くなるのかな?と思ってたら画面にThe end の文字が出てきました。
同行者がデニーロのそっくりさんやと思ってたようで笑えました(こんなおもんない映画に御本人が出てるとは思わなかったらしい)。
思春期闇落ち時代に見たらジョーカーは俺だ…(ほの暗い微笑)みたいな感じにハマれたのかな
観た後なんとも辛気くさい気持ちになったので景気付けに美味しいご飯を食べて帰りました。
観賞直後は良かった、んだが
そのあとに「パラサイト」や「屋根裏の殺人鬼 フリッツ・ホンカ」等を見たら、めちゃくちゃ上品な作品に思えてしまった。
ジョーカーとして覚醒した後、世間は彼をヒーローかのように担ぎ上げて拍手喝采、だが
「パラサイト」「屋根裏の〜」はそれに比べてどうだ。
特に「屋根裏の〜」は事実に基いた話であり
こんなにも救いがないなんて。
現実はもっとつらい。
上記2作品に比べると、「ジョーカー」は前向きで希望の持てる作品にすら感じてくる。
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