ジョーカーのレビュー・感想・評価
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僕の人生は喜劇だ
当時、映画館で観ましたが、再上映にも行ってきました。
アーサー(ジョーカー)を演じたホアキン・フェニックスの表情の演技に脱帽です。
笑ってしまう症状を持ち、悲しいのに笑ってしまう難しい役どころをしっかり演じたのは凄すぎます。
体型も痩せぎすになってますし。
母親の衝撃の事実や、拳銃をポケットに忍ばせてるのが職場にバレて徐々に追い詰められていくアーサー。
地下鉄で会社員を銃殺してから、彼は変貌していきます。
他の方も言ってますが、終盤のピエロメイクを彼だけは直接顔に描いてますよね。
ジョーカー信者たちはお面ですが。
マレーを演じたデ・ニーロはあっさり殺されてしまいました。
ホアキンはこの映画でオスカーを受賞しましたね。
続編も製作中らしいので、楽しみです。
正気でいることは綱渡りのような世界 そこのギリギリの所にコメディの...
正気でいることは綱渡りのような世界
そこのギリギリの所にコメディのようなものが存在していて 悪意と憎悪を笑いに変えて この世界は危うくバランスを取っている。
世界中で貧富の格差が拡大することを反映した映画が作られている。万引き家族や予告で流れたパラサイト 地底人のUSなど…
金持ちの恐れるのは「奴隷」の結束 だから、差別やヘイトスピーチなどがあるのは
金持ちからしたら願ったりなんだろう。
「ボラット」なんかに関わった監督ならではの映画か…それでも されを見事映画というshowに落とし込んでいたと思う。
他のレビューでもあるように こんな哀れなおっさんがJokerではない。はたしかに
。だが 精神を病んだ者は頭が良すぎる事が原因であったりもする。妄想を造り上げる強さもある。また、勘も鋭かったりする
どこかにそれをちらっと表現するシーンがあったりしたら…とは思えた。
ただ…果たしてこのJokerがあのJokerなのか…というのは…最後のシーンで意味を持たせて終わる。まだ続きがあるってことなのか…
映画としては 良かった。決して拍手喝采ではなかった。 たしかにホアキンJokerは観てて辛い
社会の悪意が「ジョーカー」を生む
ジョーカーを観て、真っ先に思い浮かんだのは数ヶ月前に観た【存在のない子どもたち】と「結愛ちゃん虐待死事件」。前者は「ぼくを愛して育てられないのなら、産んだ責任をとってもらう」と両親を訴える子どもの話で、後者は記憶に新しい連れ子を虐待死させた凄惨な事件。
根底に共通するのは児童虐待。上のルポを読むまで知らなかったが、雄大被告が暴力と異常なしつけに走った遠因は、子ども時代に受けた暴力が根底にあった。頭蓋骨が陥没するまで父親に殴られたことがあるという。
ジョーカーことアーサーも同じように子供時代に虐待を受け、それがそもそもの不幸の連鎖の原因にある。
この映画は、独りの人間をいくらでも助けられる瞬間があったにも関わらず、それをしなかったたくさんの悪意が、ジョーカーを生み出してしまったことを描いている。
ジョーカーことアーサーは、脳に受けたダメージにより突然笑い出してしまうという疾患を抱えており、多少奇行じみた行動をとるものの、至って普通の情動を持つ人間だった。それを他人や同僚、職場の雇い主たちの心無い悪意が蝕んでいく。
そして何より父かもしれないと心の拠り所にした人物(バットマンの父親)や憧れの人に、邪険にされ晒し者にされた瞬間、彼の「他人にいたわりや優しさを求める心」は崩壊するのである。
緊張したり悲しんだり苦しいときに限って笑い出してしまうことが、彼の悲惨さをより強調する。鑑賞後はどうしたってアーサーに同情してしまう。
もともと人間社会は平等などではない。持たざる者と持つ者は生まれたときから決まっている。努力ではいかんともしがたい格差がそこには横たわる。持たざる者が少しおこぼれをもらおうとしても、持つ者はそれを阻む。ほとんどの者が「持たざる者」である社会で、「この話は私のことだ」、もしくは「私はジョーカーになりえる」と感じた人も少なくないのでは無いか。
であれば、その平等ではない社会をぶっ壊す権利はあるのではないか?というジョーカーの主張に、どう反論すればいいのだろう。彼の言う「人は自分の判断基準で生きるべきだ」という考えが蔓延した社会は、所謂無法地帯である。
しかし法というものは、それが無いと人間社会が成り立たないから皆で守っているだけであって、必要があれば変化していくものである。
であれば、「生まれたときから他人によって決められた法を、なぜ自分が守らなければならないのか? 社会が、『自分を無視し、不必要で消えていい存在だ』と追い詰めるのであれば、自分がそれに反抗して何が悪いのか」とジョーカーに問われれば、答えに窮する。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに「自分(または自分の大切な者)が殺されたら困るから」という答え意外に、実際何があるだろうか。
そこで立ち返らなければならないのは、アーサーは元々は「ハグして欲しい」という小さな願いを持った不器用な人間だったということ。
現実の殺人の動機がニュースで報じられると、「こんなことで」と言われることがよくある。でもそのたった数行の裏に、何年も積み重なった恨みや一言で言い表せない人生があったことを考えなければならない。先天的に人を殺したくてたまらないという衝動を抱えて生まれる訳ではなく、人とつながり、優しくされたいと欲する心の方が先にあるのだから。
他愛ない笑顔や挨拶、ちょっとした労りで誰かの心を一瞬でも救えるのなら、それで救える悲劇もあるのではないか――。
ダークナイトのノーランの世界を踏襲したとことん重い世界観ではあるが、ヒース・レジャーのジョーカーとはまた違う生々しさがあった。
冷蔵庫
ラストシーンの時系列と意味をずっと考えていたんだけど、ストーリーを追っていくと途中に違和感のあるシーンがあることに気付いた
そう、アーサーが冷蔵庫に入るシーンだ
あのシーンだけがいやにストーリーから浮いていて、次のシーン (マレーショーへの出演依頼の電話)へ急に飛ぶ、そこからジョーカーへ急激に変貌する
そして、ラストシーン
白い面談部屋で「ジョークを思いついた」といい、血の足跡を残し、逃亡を試みる
清潔な白い部屋・・それこそ冷蔵庫の中なのではないだろうか
冷蔵庫に入ったアーサーはあの中で自問自答を行い、ウェインの子供のビジョンから「ジョーク」を思いつき、ジョーカーとして覚醒したのではないか
そこでアーサーの物語は終わるので「THE END」と出たと。
(もしかしたら、冷蔵庫に入ったのは自殺するためで残りのシーンはアーサーの死ぬ間際の妄想かもしれないけど)
それならば、冷蔵庫シーンは不必要なシーンではなく、アーサーの物語とジョーカーの物語を繋ぐ (それこそ生まれ変わるための胎内回帰も現してる)、最も重要なシーンだったんじゃないかと思った
ダークナイトシリーズは全てジョーカーのジョーク
知能障害、虐待により記憶障害と精神障害を抱え、妄想癖がある為記憶が常に曖昧である。
彼は精神病院に入院している。
(冒頭に病院にいた事は話してるが、一連の話からすると病院から出ているとも思えない。)
テレビが好きで、良くその真似事をする。
幼い頃受けた記憶が閉ざされているが、潜在的に母親を殺したいとずっと思っていた。
(母親の座る位置のソファに銃口を向け発砲している)
映画を見る上で、最低限それを頭においてみてないと、他のレビューの人のようにただのおっさんが闇堕ちしてあのダークナイトのジョーカーになったの?あれが悪のカリスマ?全然繋がらない!別人じゃない?とかいう感想になってしまうのだと思う。
繋がらないのもそのはず
闇堕ちしてあの、ダークナイトのジョーカーが生まれたわけじゃないから。
ジョーカーの映画はどこまでが現実か妄想かが分からない虚ろな世界観を描いているが、そもそも彼のいる世界が本物で、ダークナイトシリーズその物が彼が作った妄想の世界だから、ダークナイトのジョーカーは彼の頭の中にしかいない。
だからあの世界には
もちろんバットマンもいない。
善良な優しい金持ちもいない。
善良な市民もいない。
あのゴッサムシティもない。
ジョーカーなどという人間もいない。
アーサーのした殺人は母親としいて同僚だけかなとおもう。
(ピエロじゃない状態、銃以外で殺してるから。)
それ以外の一連の殺人は妄想や、別のピエロがやったものではないかな。
とにかく始終妄想が多いので、妄想かもと思って見てないと現実とか区別つかなくなる。
良く精神異常の犯罪者の人がいう現実かなんなのか分からなくなっていうその感覚が映画になってるみたいな気がする。
映画内に出てくる市長、拳銃で撃たれた金持ち親子が彼の妄想が生み出す後のバットマンで、あの街がゴッサムシティのモデルなんだなとおもうが、あれは彼が事故にあって横たわってる間の話なのでそのシーンはアーサーからは見えてないことなので、つまりそこすらも彼の全部妄想かあるいはテレビで見てそこからの妄想のなのかな?
最後に彼は精神病院でジョークを思いついたといって、それを言っても理解出来ないといっているが、あれはあのカウンセラーに言った言葉じゃなく、映画を見てる観客に言っているのだと感じた。
カウンセラーは結局自分事にならないと当事者の気持ちなんて分からない人、分かった気でいる人、傍観者の立ち位置として描かれてて、まさに映画をみに来た人にむけてあなたはこのジョーカーの映画を、ダークナイトシリーズを理解出来ない人だよと言ってるみたいな。
自分も含め、分かった気でいる、分かってない、分かろうともしない、っていうのがレビューを見てもわかる通りそれを物語ってるというか。
ダークナイトシリーズは人の裏が描かれてて、善良な市民すら簡単に悪になれるし、正義すらそれは可能だと皮肉ったとこがあるが、皮肉った映画らしいセリフだなと。
ジョークのオチは?ってセリフがあったが、あれもダークナイトシリーズ(バットマン)自体と、「ジョーカーのジョーク」ってのがそれかなぁ?
じゃないとホントにオチがつかないし。
今回のジョーカーに出てくるものはダークナイトででてくるし、この監督が作った他の作品の物が出てくるのがああ、妄想の元はこれかってなった。他にもあるのかもしれないけど
銀行強盗=アパートの女の人の仕事場
金(お金が無い)
ピエロの面を被った手下=暴動のピエロ達
爆破した病院=母親の精神病院
たった1人の善良な人(囚人)=小人症の彼
お金持ち
執事
理不尽な雇い主=悪のカリスマジョーカー
親が殺された子供=バットマン
地下鉄=モノレール
車=バットマンモービル
拳銃
タイムカード
ダークナイトのジョーカーのイカれてる部分や、辻褄が合わないのも、アーサーは知的障害があるから、高等な事は理解が出来ないことがジョーカーの中でえがかれていたが、妄想部分のダークナイトの矛盾はこの部分があるせいなんだ伏線?が回収された感じ。
ダークナイト冒頭で銀行を襲ったのはお金が欲しいからのはずなのに、マフィアの金を山積みにして燃やしたり。
手下をあんなふうに殺してたら、誰もついてこないのになぜか手下になるやつがいたり。
金持ちが貧しい人の為に利益や知名度を考えず善意だけで何かをする世界だったり
そんな矛盾点はこれを見ることでああ。なるほどとなんか納得した。
何も知らず
CMや映画通の先輩の勧めで何も知識なく観に行きました!
あんなにも人が殺されると全く知らなかったので最初理解するのに一苦労でした。バッドマンを復習してから観たほうがいいですね…
ホアキンの怪演は想定外、作品の質は想定内。
ホアキン・フェニックス。今は亡きリバーフェニックスの実弟。兄が亡くなった時に、落ち込むホアキンに映画関係者から渡されたビデオが「レイジングブル」。そう、主人公アーサーが憧れるマレー役、ロバート・デニーロ主演の不世出の作品である。このエピソードを聞いてしまったら、映画ファンとしてこの邂逅を逃す訳にはいきません。
で、観賞した訳ですが、結論から申し上げますと、やや期待はずれの印象を持ちました。ホアキンはもちろん、
怪演してます。が、悪の化身であるJOKERとしてはハズれている気がしました。すみません、、。
1番違和感を持った箇所ですが、衝動的に3人の証券マンを殺してしまうところです。私たちはJOKERに凶暴性とそれと同じくらい知的な部分(カリスマ性)を求めています。やや短絡的ではないだろうか?と思ってしまいました。
マレーを殺すことにより、JOKERはカリスマになったわけですが、やはりそこに至るまでの心理描写がやや大雑把に思えました。クリストファー・ノーランやスタンリー・キューブリックなどと比べると、脚本に深みが足りないと感じました。ダークナイトのJOKER役、ヒース・レジャーはやっぱり最高であることも改めて認識しました。
いずれにせよ、ホアキンの演技は劇場でみないと損しますよ!狂気のひとこと。
デニーロもさすがの演技でした!で2名の俳優と音楽が良かったので、及第点。
狂気とそれを捉える視点
最後に語った主観の話でオチをつけるのが筋だと思うので、そこを主題と捉えました。
観客(客観)から見れば当然適切な支援を受けられずに凶行に走った哀れな精神病患者です。狂った本人(主観)から見れば、自分が狂うほど狂った社会の現状と適合する正常な人のように感じるでしょう。
利益や善悪で行動するのではなく、彼のユーモアで動くことも重要な要素だと感じます。思えば、序盤から自分の中で葛藤しているかの様な発言をしてきましたが、行動そのものは最初からイキイキと狂気のユーモアに溢れていました。
突然笑いだすのも障害のせいではなく彼自身が本当に面白く思っているからだし、結局あのメイクもクラウンとして人々に笑いを与えたいという欲求をそのまま表しているのだと思います。
最後のコミカルな殺人シーンが主観の象徴でしょうか。本人にとってはただ、面白いから楽しいからというだけ。ただのジョークだという内容だったと思います。
誰かのレビューでダークナイトのジョーカーは今回のジョーカーのフォロワーで、別人ではないかという説を読みました。その説に私も乗らせて頂こうと思います。(そうでないと流石に色々な辻褄が合い辛いですね)
演技については皆さんが語られている様に本当に素晴らしい演技でした。
ただ、演出についてはやたらと挿入されるダンスシーンがテンポを悪くしていると感じました。当然アメコミ作品らしからぬそういった点が芸術的な評価を受けているのでしょうが、それこそダークナイトの様な作品を期待していったのでそこはちょっと想定と違いました。
一見の価値あり。
まず、傑作です。主役のホアキンの演技がすごい。そして、映像、構成、音楽等全てのレベルが高いです。
感情移入しすぎて危ない!と世間で言われていましたが自分はそこまで感情移入はできませんでした。
資本主義の格差社会について考えさせられる、社会派の映画のようにも感じられました。
中盤までずっと不憫な目に合っていたアーサーが、吹っ切れてジョーカーになってからはだんだん明るい描写が増えていって爽快感を感じました。
正しいか正しくないかは置いておいて、アーサーにとっては良かったんじゃないでしょうか。
ただ、そうなるしかなかった社会のことを考えると少し暗い気持ちになりますね。資本主義の終焉が近づき日本もゴッサムシティ化しないとも言いきれません。
自分の中の悪が目覚めるのでは!と世間での感想を見て不安でしたが全くの杞憂でした。映画としては楽しめました。
何はともあれ、映画の内容をついて語りたがりの批評家の方々に評価がいいのは納得です。
終始暗い映画だったので、もっとスッキリ爽快な感じが好きなわたしの好みではありませんでしたが…笑
演技等々、映画としてハイレベルで素晴らしいので一見の価値ありです!
存在感を焼き付ける
なんと言っても、主演のホアキン・フェニックスの演技が素晴らしく、怒り哀しみ悲劇喜劇を体現するような、異様な存在感を大いに放っています。
その演技、キャラクターを魅せる為、存在感を焼き付ける為の、カットや演出も効果的で良かったと思います。
また、貧困層と富裕層、福祉切り捨て、銃社会など、理不尽な現実を反映したリアルな世界描写も印象的で、暴力描写もリアルでかなり痛々しいです。
理不尽な待遇から犯罪者へと変貌する様は、やるせないとも感じます。
ラストの収容所での面談では、最初の福祉局との面談場面にリンクしているような、この物語自体がそこからの回想?妄想?作り話のジョーク?、とも思わされましたが。
やるせないと共感してたら一杯食わされたかのような、これがジョーカーか…と。
とは言え、暴力は肯定出来ませんが、やはり弱者を無視する理不尽な社会に対する怒りには共感してしまいます。
過去のバットマンの見方が変わる映画
今までのバットマン映画においてアルフレッドやトーマス・ウェインはあたかも聖人のように描かれていたが、今作の彼らは嫌味な上流階級の人間というイメージが色濃く出ていた。
これはお坊っちゃまのブルース視点では無く、底辺層の人間のアーサーという男から見た彼らを描く事によって、終盤でジョーカーがフランクリンとの対談で語っていた「善悪なんて個人の主観でしかない」という事を表す為だと思う。
これを観た後では、その彼らによって育てられたバットマンは正義だとは思えなくなってしまう。
ゲイリーグリッター
映画としては俳優達の演技、映像、音楽、全て素晴らしかった
ただ、これまでのコミックや映画でのジョーカーとしては疑問
この類の映画レビューで長々と美辞麗句を並べ、何か社会問題と絡めたがる人にはオススメの大傑作ですね
私個人としてはゲイリーを逃した後のゲイリーグリッターがツボでした
アーサーの一人称世界
ってどなたかレビューに書いてたけど、本当に彼の主観の世界に巻き込まれてしまった。
彼が踏ん張って善人であるうちは胃が重くなるようなしんどさがあり、逆に殺人を犯した後の高揚感には見ていて少し楽になってしまった。共感してしまえるのが恐ろしい。
アーサーの不器用な字のノートが出てくるシーンに何故か悲しくなったんだけど、劇的な怒りのシーンや彼の活躍シーン(本人の妄想??)みたいな彼の一人称視点から、急に客観視点に引き戻されたからかも。コメディアン志望の彼のネタ帳のはずが、覗いてみると精神不安や妄想の連なったノートになっている…
アメコミ映画だし、途中から反則みたいに強いジョーカーが誕生したり嘘見たいに極悪なヤツだったら気楽なのに、アーサーはひたすら現実的に弱くて優しさもある人。
この映画の状況が、めちゃくちゃ現実的に思えてしまうのがしんどいなぁと思う。
怪物・バケモノであるジョーカーを観たかった。
鑑賞後、一番に感じたものは違和感。
俗っぽく言えば『コレじゃない感』
いちばん観たくて期待したのは、常人であるにもかかわらず怪物・怪人・バケモノとして恐怖されるジョーカーの話だった。
しかし映画としては大変に見応えがあり面白い。
気弱で社会的弱者の男(アーサー)が、妄想と自己愛で吹っ切れてしまうまでを描いた映画。
しかしそれだけでなく、アーサーという人物を”わかりやすい不遇の男として描いていない”ところも魅力だった。
アーサーは突然笑ってしまうという病気のため、人々に誤解されないよう『僕は病気のため突然笑ってしまう。許して。』というカードを持ち歩いている。
しかしそんな事情を知らない人々は突然笑いだす彼を奇異な目で見るのだが、このカードを見せられることで自分自身を後悔することになる。
しかし、アーサーは本当に発作的に笑っているのだろうか?
劇中でアーサーの仕事仲間が、彼の同僚を笑いものにするシーンがある。アーサーもいつもの発作のような笑い方で一緒に笑うのだが、その場を離れるとピタッと笑いを止めてしまう。
アーサーの近くで酔っ払いが女性に絡み、彼等が無視されると同時に笑いだしたりもする。
ショーパブでコメディアンのショーを観ながら、観客が笑った後でタイミングをズラして笑ったりもする。
このようにアーサーはまるで意図的に笑い、周囲の人間たちを馬鹿にしているような描写もされている。
クリストファー・ノーランのダークナイトでも描かれているように、ジョーカーは『人間の心の奥底は醜い』ということを証明したがっている。
アーサーの笑いも、実はここに起因しているのではないか。そういろいろとアーサーという人間について考えを巡らせてしまう。
そういった、どこまでも掴みどころのないジョーカーというキャラクターを描いた良作である。2回3回と観るたびに感じ方が変わるかもしれない。
ラスト、病院のシーンも、まるで私たち観客がジョーカーのジョークに付き合わされ、掌の上で転がされているような演出も面白かった。
分断したアメリカからのSOS
かなり期待して観に行ったのだが、個人的にはあまり刺さらず・・・
その理由ははっきりしており、「この映画のメッセージがあまりに直接的すぎる」からだ。
言っている内容はごもっともだと思うのだが、延々とお説教をされている気分に・・・
もう少し巧みに織り込んでもらったほうが個人的には心が動く。
特に最後の方のシーンでは、「ダークナイト」が巧みに伝えていたメッセージをこの映画ではジョーカーが全部そっくりそのまま喋ってしまう。
ただ、おそらく、今のアメリカはこれぐらい直接的なメッセージを発しないといけない段階まで来てしまっているのではないかと思う。
「わかる人がわかってくれればいい」なんていう段階はとうに過ぎ、「観に来た人が誰でもわかるレベルの警告を発しないといけない」という段階に入ってしまったのではないか。
そう考えるとこの映画はアメリカの悲痛なSOSともとれる。
この映画で良かったと思ったのはやはりホアキン・フェニックスの素晴らしい演技だ。
また、妄想が現実を侵食していく部分の演出も気が利いていたのも良かった。
この映画は結局のところ、あくまで「ヴィラン誕生を描いたアメコミ映画」として観るのが一番良いと思う。ひとときの娯楽としてみれば充分楽しい。
金獅子賞も納得の大傑作ではあるが…ジョーカーとしてはどうか?
アメコミ映画というより、社会派映画の側面が非常に強い作品です。
昨今の社会問題を絡めた重厚なテーマ、ホアキン・フェニックスの圧巻の演技…
褒めるところは幾らでもありますので、詳しくは他の人のレビューをご覧ください。
問題は、『この人がジョーカーでいいの?』…という所です。
私もそんなにアメコミに詳しいほうでは無く、正直あまり思い入れも無いんですが…
そんな私でも、ジョーカーといえばヴィランの中のヴィラン。バットマンの最大のライバルで、究極の悪である!…ということは、知っています。
その視点から見たとき、本作のジョーカーは『小物』臭がキツイといいますか…
演技が凄いので、圧倒されてしまいますが、よくよく考えてみると
「えっ、そんなありがちな理由でジョーカーになったの?」…とか、
要領が悪く、愚かな社会的弱者の側面が強調されすぎているので、
「この人では、バットマンと渡り合えないだろ…」と思ってしまったのが、正直な所です。
まあ色々調べると、この監督は元々『ジョーカー』の映画を撮るつもりだった訳では無く、
社会派の映画を撮ろうとしていたら、『ジョーカー』の企画が来たのでそれに乗っかったらしいですが…幸か不幸か、大傑作になってしまっただけに、今後の展開が心配です。
『ジョーカー』のキャラクターが歪められることにならなければ良いのですが…。
まあラストシーンを見ると、「本当にこの人はジョーカーだったのか?」「この話は、全て精神病棟に入院している男の妄想だったのではないか?」…とも取れる描写がしてあるので
一応配慮はしてありますが。
そのあたりの懸念があるので、少し減点しときました。
知られざるジョーカーの過去が明らかに
やはりジョーカーも最初から悪者ではなかった。
周囲の環境や人々により誕生した。これにともなう背景などがしっかりと描かれているので映画の雰囲気にあっという間に吸い込まれる。
ジョーカーはそこにいる
ピカレスクというものが苦手だ。
ぬくぬくとした人生を送っているので、理不尽な悪意というものが苦手だし、善人が止むに止まれず堕ちていくのをみるのは、胸が詰まってしまう。
でも『ジョーカー』は違った。
抑圧され鬱屈したアーサーがジョーカーとして花開くとき、アーサーの魂の解放を感じ、むしろほっとしたような気持ちになった。背徳的な快感があった。異様な高揚感があった。ジョーカーという好きなヴィランの物語であるのも大きいと思う。
暴力に賛成するわけではない。
でも、満員電車に乗って潰されそうなとき、つまらない仕事を淡々とこなすとき、大きな声に自分の意見をかき消されると思うとき、自分の中にジョーカーが燻っているのを感じる。
観賞後、言葉に詰まる傑作
貧しい家庭環境の中で必死に生きるも、病気のせいでまともに扱われず、街でいじめられ、同僚に陥れられ、上司には信用されず、散々な目に合う描写が続くため心苦しくなる事も多かった。
恋人の不在、母の裏切り、ショー最中の発病、暴行、どこまで苦しみは続くのか・・・
だが、そのすべてにケリをつけ、覚醒し、本性を曝け出すためにTVの撮影に向かうジョーカーの目には光が入り、何か信念を持った戦場に向かう兵士のような力強い歩みに感じられた。
そして最後のパトカーの上に立つジョーカーは殺人者であり、決して許される存在ではないのだが美しく、感動さえ覚えてしまった。
観賞後、自分の中にあるこの感情を言葉にできず、言葉に詰まる。もう一度観るかと言われたら躊躇する、それほどに重い映画だが、これほど心動かされるのであれば、きっと傑作と呼ばれるものだろう。
悪のカリスマという孤独者
終始JOKERの世界観に魅了された。ストーリー性、音楽この二つの要素もさることながら何よりも評価するべきは主演のホアキン・フェニックスの演技力。脳神経の病気による突発的に笑ったり(後半には病気ではない?ような事を話していた気がするが曖昧なところは許してほしい。)、アーサーを取り巻く歪な環境が彼の人格を歪ませたことにより奇怪なダンスを踊ったりと純粋だった心が荒んでいく様子がひしひしと伝わってきた。ここまでストレートに自分の心に染み込む演技は見たことが無い。ただただjokerという異常者になったのではなく、映画の終わりに憧れの人を殺す際も自分を理解してもらえない苦しみの表情を浮かべていた姿を見てこれほど人間味を持つキャラクターはいるのかと思うほどだった。もはやjokerという一種のブランドのような尊い存在だと感じた。とにかく素晴らしい作品だった。
全399件中、121~140件目を表示