ジョーカーのレビュー・感想・評価
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悪いのは監督か、ホアキンか、JOKERか。
ポップでもクールでもないジョーカーがここに誕生した。
ノーランのバットマンでジョーカーを認知した私には、この作品をどう評価すべきか分からない。
まず、ジョーカーを美化しすぎである。病気だし、障害のある貧困層が必ずしもああやって屈折していくわけではないだろう。どんなに酷い境遇だって強く生きることができたはず。それなのに、その境遇を理由に、社会の悪になるのも仕方ない、社会が悪いんだという描き方をされても、こちらとしてはふざけるなである。ああいうやつを持ち上げる市民がいるのも世相なのだろうか。
また、本来のジョーカーのキャラとはかけ離れた(ようにみえる)キャラクターにも納得がいかない。何事も俯瞰していて計算高く、それでいて下品ではない私の知っているジョーカーのカリスマ性が全くもって現れないのだ。一人で銃をもって芝居するのは、タクシードライバーのトラヴィス?自ら髪を染めたりするのも気に食わない。
ティムバートンの描いたジョーカーはアメコミからそのまま出てきたようなポップさが魅力だった。クリストファー・ノーランの描いたジョーカーは悪と善の間で我々を翻弄する生き様が魅力だった。今回のジョーカーの魅力はなんだろう。弱いものには優しいところ?強いものには理不尽に食って掛かるところ?彼が守ったのはしょせん自分のプライドだけのように見える。結局は自分が弱いものと認められるのが嫌で、必要以上に自分を強くみせ、自分の妄想を実現させる勇気はなく、自分の立場を危うくする邪魔者はぶち殺す、そんな身勝手な人間でしかない。そんな自分にもあるレベルの感情を持たぬのがジョーカーだ。私の理解の範疇を超えたところで悪に仕えるのが、ジョーカーだ。
この映画で最も要らなかったシーンは、同じ階に住むアフリカ系女性との日々が嘘だったと発覚するシーン。回想シーンで彼女の姿が消されている映像が流れるがあれは本当にいらなかった。あのシーンが無くても十分にわかるようにできていたし、急に現実に戻された感覚と、さあここで驚きなさい、と言われている感覚に陥った。
この先、ジョーカーと同じ障害や虐待、病気や貧困に苦しむ人々が彼と同じ生き方を見つけないように願うばかりだ。
追記:
最近ホアキンがルーニーマーラちゃんと婚約して嫉妬していたのは事実です。そのため映画が始まった途端から彼に嫌悪感を抱いていたのも事実です。さらに彼の汚さが露出する度に幻滅し、ルーニーマーラちゃんを思い出してしまったのも事実です。不純な鑑賞をしてしまい不本意であります。
しかしホアキンのダンスと表情は圧巻でありました。歩き方から笑い方まで非常に研究されているなと。ピエロになった姿なんて本当にホアキンなのか分からないくらいです。
さらに追記:
随分とこの作品を責める書き方をしたが、つまるところ私は非常に傷ついた。
アーサーがジョーカーになっていく過程で、私は仲間がダークサイドに墜ちてしまうその瞬間をみた気がした。仲間が傷付けられ、社会の隅に追いやられ、ついには居場所をなくし、そんな仲間をみたくなかった。鑑賞中はずっと、彼が何かしでかすまいかと心配でならなかった。何もするなとずっと願っていた。耐えろ耐えろ耐えろと。さらに、笑うすべ、生きるすべとして悪を発見してしまった彼に絶望した。勝てなかったと思った。笑いの力は社会を変えられないし、彼を救えなかった。その事実が示されたとき私はむしろ、この映画に反抗的になっていた。
さらに備忘録:
社会のマイノリティであることよりも苦しいのは、こんな社会でも肯定して生きていかなきゃいけないこと。受け入れて生きていくこと。そこまで描ききれていないと思う。
キリングジョークを読んで:
ジョーカーの本質を知りたくて、キリングジョーク完全版(アランムーア著)を読んでみた。なるほど、わかったことがある。
おそらく、ジョーカーの孤独やら悲劇やらを語るのに、バットマンは欠かせないのでは?正には負が、喜びには悲しみが、正義には悪がなければ、その存在さえも際立たないのでは?というか、在るからこそその間で人は揺れて、学んでゆくわけだと思ったりする。だから、ジョーカー単品でのゴールというのは、本来なくてこの映画はそこ自体が不正解というか、映画単独で成り立っていないように思えてしまうんだよなあ。もうどうすればいいかわからんくらいの悪への対処って、もはや社会には出来ないと思う。今回のジョーカーだって、社会には救えなかったし、救いの場がなかったし。だから、バットマンという絶対的正義がいて、そんなバットマンをも苦しめる悪だから、ジョーカーはこの世界で輝くのではないかとおもうんです。
衝撃でした
気にはなっていましたが、観に行こうとまでは思っていませんでした。しかし鑑賞した近所の先輩から「絶対観たほうがいいよ!」と言われ、ダークナイトを予習してから観に行く事に。
自分にはアーサーほどではないにしろ、似たような境遇に立たされた事があるので、気持ちは理解出来ました。
加えてこんな困窮状態が何年も続いた挙句、社会からは無関心、打ちのめされた自分に寄り添ってくれる人はいないとなればキッカケさえあれば誰でも人の道を踏み外す可能性はあると思います。
アーサーが可哀想でもうやめたってくれ、とか思いながら観てました。
しかし、アーサーが初めて殺人を犯し、自らの中で何かが切れたとき、ジョーカーとして生きはじめて行く過程でアーサーが変わっていく様は心が震えたと同時にホアキンの演技に凄みを感じました。
ジョーカーと化した時はただただカッコ良かった…。
ダークナイトのジョーカーもヒースの怪演で唯一無二の存在感を放ってますが、今回のジョーカーも映画史に残る悪のカリスマ性があると思ってます。
なんというか、上手く表現出来ないですが、衝撃的な作品で素晴らしい作品であることは間違いないと思うので一度は観た方がいいと思います。
観に行って良かった!
すごい。最高傑作としか
キング・オブ・コメディ。
タクシードライバー。
ファイト・クラブ。
MR.ROBOT。
共通のテーマが見える。
監獄の誕生。
秩序に対するアンチテーゼ。
ただ、ただ、圧倒されるしかない。。。
すごい、としか言いようがない。。。
悪徳の栄え
ホアキン フェニックス、去年の「ビューティフル デイ」にも増してデニーロ オマージュ溢れる作品。
シチュエーションやキャクターは丸かぶりですが狂人ぶりはこちらに軍配。
人間のネガティブな感情を全肯定して、「時計じかけのオレンジ」「ハウス・ジャック・ビルト」「チャイルド・プレイ」のように暴力行為を咎められるどころか賞賛されるラストに揺さぶられる。闇に引き寄せる魅力。
作品の完成度は激烈。
狂気の演技に息を飲んだ2時間
ノーランが描いたジョーカーも素晴らしい演技で強烈な印象を受けましたが、こちらのジョーカーも負けず素晴らしかったです。
何もかもが不幸の人生で、周りから見捨てられ、トーマスウェインからも気持ち悪いと言われ、最愛の母親からも愛されず、苦しむアーサーの姿に、映画を越えて訴えかけてくるものがありました。
愛情を受けずに育った人間がどうなっていくのかということを。ジョーカーという仮面に身を包んだアーサーも本来愛情を受けて育っていたら別の人生だったんだろうなと。もっと幸せのある人生だったんだろうなあ。
人間として次第に落ちぶれいく姿にどこか観ていて悲しさを感じました。
また、この映画に社会的なメッセージ性を感じた点も良かったかなと思います。ジョーカーが起こした事件がきっかけで街に暴動が起きたあの状況はまさに、弱者が現実に不満を抱えてながら生きているのだと言うことを象徴しているシーンでした。
富裕層(強者)は貧困層(弱者)が倒れていようと踏みつけ、一切気にも留めない。強者は強者でしたかないのだと言うこと。弱者にとってこの社会が生きづらい世界であること。そんな弱者にとってはジョーカーのような存在はヒーローであり革命者なんだと。
どこか忘れましたが、多分アメリカ?の映画館では、ジョーカーを鑑賞する際に入場規制を強くしているというニュースを見ましたが、確かにそういうメッセージ性が強いのかなと思いました。特にアメリカのような社会では暴動や事件が起きてもおかしくないのかなと思いました。日本ではありえませんが。
とにかくこの映画は息を飲むような緊迫感と臨場感で観ていて飽きませんでしたし、これからどうなっていくのかという好奇心を煽るようなシーンが多くて、しっかりとまとまった作品でした。
アーサー(ジョーカー)演じるホアキンフェリックスの演技も素晴らしかったです。あの狂気は映画「シャイニング」に出たジャックニコルソンと重なる部分があり、おそらくこれからもこの映画は名作の一つになるだろうと思いました。
内容が分かりやすくてすっきり終わる。万人が声揃えて面白かったという。そういう類の映画では無いかと思いますが、僕はこの類の映画こそ、監督、俳優の腕の見せ所だなと感じています。意見はそれぞれあっていいと思いますが、僕はこういう映画が好きです。
昔だったら多分意見違っただろうなぁ。
自分から漂いだしたおっさんの匂いも感じられたそんな映画でした。
ブラボー!
孤独で絶望的な時代のトリックスター
大都会ゴッサムシティ。
市のゴミ収集員たちがストライキをし、巷は悪臭が満ちている。
大富豪トーマス・ウェインがこの窮状をどうにかしようと市長に立候補している。
そんな街の片隅で、コメディアンを夢見るアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)はピエロ姿で店の閉店セールの宣伝をしている・・・
といったところから始まる物語で、巻頭早々、ピエロ姿のアーサーは悪ガキどもにからかわれ、宣伝看板を奪われ、結果、袋叩きにされてしまう。
それでも、彼は笑っている、大声を出して笑っている・・・
というのも、彼は脳と神経に障害があり、突発的に笑いだすことがある病気を抱えている。
そんな彼は、安アパートで老いた母親の面倒をひとりで看ている。
ふたりの唯一の楽しみは、テレビ。
古い映画と有名コメディアンがホストを務めるトークショウ・・・
とアーサーの日常が綴られていくこの映画、目指すところは『バットマン』のようなヒーローに対する悪役の物語ではない。
アメコミの映画化の形、架空の街での物語での形を取りながら、実のところ、現代社会の病巣を描いている。
悪臭溢れる街、ポルノの看板が目立つ街、誰もスマホなど持っていないその街は、たぶん70年代のイメージだろうが、そこは貧富の差は絶望的に大きく、弱者は見捨てられている。
当初あった市の福祉施設は予算削減で閉鎖される。
弱者やマイノリティに手厚いとも思える施策をとっていた時代とはまるで別。
弱き者はどんどんと隅へ追いやられ、孤独になり、疎外感を感じるしかなくなっている・・・
それはやはり、現代だ。
そんな中でひょんなことから手にした拳銃で、アーサーは自分を袋叩きにするエリートビジネスマンを殺してしまう。
これにより、世論が動いていく。
ピエロの恰好をしたアーサーを、世の人々は認め、ある種のトリックスターへと祭り上げていく。
そして、ひとびとの奥底にあった不安や不満が終局において突如として爆発する。
(この終局の直前、劇場の看板に「BLOW OUT」(噴出)と書かれている)
孤独で絶望的な時代のトリックスター。
それがジョーカー。
嘲り笑うしかない、弱き者たちのシンボル。
それをホアキン・フェニックスは、抜群の演技でみせていきます。
現実と妄想が混濁した映像も見事。
ただし、いくつかの不満もなくはない。
ひとつめは、演技は見事だけれど、役柄的にホアキン・フェニックスが歳を食い過ぎている。
30代半ばぐらいでないと物語として成立しないが、冒頭からかなり老け込んでいるようで、ちょっと戸惑ってしまう。
大物コメディアン役は ロバート・デ・ニーロが演じているが、『キング・オブ・コメディ』を連想してしまうので、これもどうか。
ま、彼ぐらいの大物でないと映画が締まらないのだけれど。
あと、重低音の音楽がうるさすぎで、ときには無音で盛り上げる演出も欲しかったところ。
さて、『バットマン』との関連はどうなのかしらん。
元々はブルース・ウェイン(バットマン)の両親はジョーカーに殺されたことになっているが・・・
そこんところは、ちょっとヒネッてある。
また、アーサーの出自、曖昧にしてあるが、個人的はバットマンと同種(胤)とみたが、ここは観る人によって見解は異なるかもね。
アメコミの映画化と侮っていると、とんでもないものが飛び出す、サプライズボックス(びっくり箱)。
アーサーに自己を重ねると危険、要注意。
彼は、笑う病気を持っていた。なにも面白くないのに笑ってしまう彼は、...
彼は、笑う病気を持っていた。なにも面白くないのに笑ってしまう彼は、発作でなく自分の意思で笑おうとしたときでさえ、人と笑うタイミングが合わなかった。もちろん気持ち悪がられた。人は彼に普通になれと言ったし、彼も悩んでた。彼がコメディアンになりたいのは、病気で強制的に笑わされてる自分と、面白いジョークで思わず誰かに(ある意味強制的に)笑わされている人々を重ねていたからではないだろうか?彼にとって、コメディアンになるとは普通になる手段の1つだったように感じる。しかし、実際有名になってみれば、世間は彼に笑わされることはなく、彼を嗤っただけだった。面白くもないジョークしか言っていないのに、ジョーカーと皮肉満載の名前をつけられて…。
この映画、暴力描写は多いし、鬱っぽくなるし、報われない。しかし、ただそれだけが魅力の映画は悪目立ちはするが、名作にはなれない。この映画の真の魅力は、繊細な比喩的表現にあると思うのだ。例を1つあげるとすれば、ピエロの面をゴミ箱に捨てるシーン。「仮面を捨てる→本当の自分を曝け出す」というのは誰でも感じたと思うが、それだけではない。仮面の下もメイクなのだ。普通になろうとしてつけた偽りの仮面を、剥がしてみたが、その下もメイク(偽り)だった。元に、彼はジョーカーとなってもまだ人間味がありすぎる。相手の言葉に反応したり、怒りを顕にしたり、もとの自分と何も変わっちゃいない。このように、この段階ではメイクはただの偽りでしかない。このシーンは最後の血で口を描くシーンに繋がる。彼は気付いた、笑うと決めてしまえばいい。他人とタイミングを合わせて笑えないのなら、絶えず笑顔でいればいいと。ここで初めて、メイクがただの偽りでなく、思い描く自分になるための道具へと昇華した。
ここまで妄想を垂れ流した訳だが、このようにダークさや、ネガティブさを全面に出した映画だとしても、細部を眺めてみれば繊細な表現や、沢山の可能性が考えられるシーン等が転がっているということを伝えたかった。
1つ確かなことがあるとすれば、映画を見る私たちを誰一人笑わせられなかった彼は、やっぱりコメディアンには向いてなかったということだろうか。
メッセージ性が強く、美しい。
全てが美しかったです。とにかく美しかった。
あとジョーカーの思想には深く共感しました。
「善か悪か、決めるのは個人の勝手だ」という発言は、この世界の確信をついていると思いました。
悪評をしている人の中に、人殺しには共感できない、という人もいますが、それ自体を悪と定めているのも、貴方の勝手なのです。本質的に善のモノも悪のモノもこの世には存在しません。社会倫理的にどうたら、といわれても、社会の倫理なんて個人が集まって共感者多数から作り上げられた常識と言う名のテリトリーです。枠の外に住まう人ももちろんいます。そいつらを人は悪と罵るのです。
ちなみに、ここまでの感想も僕個人の勝手なのです。感想なのだから当たり前っちゃ当たり前なんですけどね。
この映画で改めて気付かされたこと、それは人は皆常に自分勝手だと言うことです。
誰かを助けるのも殺すのも自分の意思、自分勝手。全てはそこに収縮します。大多数が良かれと思うことは正義の名のもとに擁護されます。
この世は多数決です。最も合理的だがどうしようもならない問題点ももちろん存在する。この世は欠陥だらけだ。
この世界の闇の本質をスーパーの袋詰めセールの強欲な主婦並に詰め込んだ作品だと思います。
色々と考えさせられます。是非。
格差社会にまたまた現れた時代作
観る人の解釈によってストーリーが変化するなかなか面白い作品。
格差社会の鬱憤を晴らすのなら思いっきりジョーカーになって大衆を扇動するストーリーを楽しめば良しだが、
恐らく実際は3人と母親と同僚の5人を殺し、
小屋にも出ず、テレビにも出ず、大衆はただゴミ問題にデモをしているだけで、
部屋を出たら2人組の警官に捕まったという話ではないかとも観れる。
そう観ると、ラスト、
アーサーの思いついた一般人には理解できないジョークとは、バットマン誕生からバットマンそのもののストーリーなのかも、
バットマンをもアーサーの妄想とも読み取れるように作り込んだ本作は、本当になかなかの傑作と言えると思います。
間違いなく名作!だけど、、
ダークナイトのJOKERがどうしても上回ってしまう。
ジョーカーが、生まれる背景を描く
と言う点ですでに面白い。
ホアキンの演技も狂気じみてて鳥肌ものだが、
好きすぎるだけにヒースのジョーカーと比べてしまう。
ダークナイトでは
善人をも悪人に変えてしまったり
直接手を下さずともまわりがジョーカーの思うように
動いてしまうなど、
人の心理を
嫌なようについたジョーカー像だった。
悪のカリスマ性が異常だった。
例えば、人を殺す手段は
銃では味わえないからナイフを使う
みたいな台詞があったが、
今回のホアキンジョーカーでは
人気司会者を殺したのも
感情高ぶって銃だったし
小人症の仲間を
殺さなかったり
どこか振りきれなさがあったように感じた。
ここからさらに覚醒していくのだから
という見方もあるが、
群衆を動かすようなカリスマ性のある
天才ジョーカーになっていくような
ジョーカーには見えなかった。
でも、音楽や映像などは
どの部分をきりとってもかっこよく
これぞ映画!と思った。
続編が来年公開されるとの事で、昔友達とやりとりした考察をレビューします。
『ジョーカー考察』
徳永 ひらめいた!!ダークナイトのジョーカーと今回のジョーカーの関係性
新澤 伺いたいです♪🤩
徳永 新澤さん、こんばんは😃そのー、、つまり、別人ということではないかと・・・
ダークナイトのジョーカーは、アーサーに影響を受けて大人になったんだと思います。
新澤 德永さん 別の方がわかりやすいですよ。
徳永 スミマセン、僕が思う面白い映画の定義は、物語りに矛盾が無く、理屈が通ったリアルな物語なんです。例えそれがゾンビや宇宙人の話であろうが、タイツを履いたスーパーヒーローの話であろうが、そこのツボを押さえてあれば面白いと感じるみたいです。
吉原 德永 さん、私も、このアーサーが、あのジョーカーになるとは、しっくりきませんでした
徳永 吉原 師匠、ですよねー(^o^;)
そうなると、僕の求めるリアルが感じられませんので、舞台設定をバットマンにする意味すら、無意味と感じますので、消化不良となるのであります("`д´)ゞ
新澤 德永 さん、納得の説をありがとうございました😊
吉原 德永 さん、このジョーカーは、こうして、議論のネタになることで、名作なのだと思います
徳永 新澤さん、あの福祉の黒人女性も(最後の病院と)同じ人でしたから、妄想もありですよね(* ̄◇)=3
新澤 德永さん、あの血の足跡👣👣👣
吉原 でも、ダークナイトのジョーカーとは違うのですよね〜
徳永 吉原 師匠、
あのカウンセラーの黒人女性を殺した血とでも云うのでしょうか?
年齢、隔絶した頭の良さ、腕力、天才的な計画性、得体の知れなさ、どれをとってもアーサーの進化系がジョーカーにつながることは無いと思います。
吉原 德永 さん、そう、アーサーは決して天才ではないですね~
徳永 そうなんです。アーサーは“天才”ではなく、“障害者”なんです。そして悪の“カリスマ”ではなく、悪の“インフルエンサー”なんだと思います。因って後にゴッサム・シティを震撼させる“ジョーカー”には成り得ません。
吉原 アーサーは「インフルエンサー」・・・当たりですね〜👍
新澤 アーサーは、薬物治療していましたよね。そんなところが。。。ネタバレになってしまうよなぁ〜。
吉原 德永 さん、このジョーカー、大満足でしたが、ブルースとの年齢差など、違和感もあって・・・それが、だいぶスッキリしました!
ただの殺人映画
閉鎖病棟を観た後だったので、どうしても精神を病んだ人間が殺人するという似たようなストーリーに比較してしまった。出来は閉鎖病棟よりはマシ。でもただの殺人映画。やっぱりどんなに俳優さんが頑張っても精神を病んだ人の眼は真似できない。
また殺人に至るまでの人生や環境にみんな思いを馳せて感動するんでしょうけど、殺人は殺人であって、身勝手そのものであって、実際の世の中にはもっと苦労している人はたくさんいるし、この程度でダークサイドに堕ちるのかとガッカリした…。だから星は0.5。
それにしても映画会社は精神障害者をなんだと思っているのか。社会も社会で、いざ現実社会だと精神障害者だからといって殺人は許されない!極刑に!などと声高に叫ぶくせに、映画だと精神障害者が殺人しても共感したり、感動したりするんだね。いい加減なもんだ…。
どんな境遇であろうと殺人はやってはいけないことと、エンドロールで良いから映画会社には言ってほしかったです。例えフィクションであってもね。美化して終わりだなんて、現実社会との対比も含めて、観ていて胸糞が悪くなる映画でした。
ダークナイトの前日譚と思ってはいけない
タイトルからして、ダークナイトのジョーカー誕生物語だと思って鑑賞した方々は違和感あったみたいですね。
ダークナイトやティムバートン版(原作は知りません)のキャラ設定とはイメージ違います。
バットマンことブルースウエインの父親も酷い描かれ様ですよ。もっと人格者だったんでは?
でもイイんではないかと。
スターウォーズみたいなシリーズものじゃないんだから。
映画単体としては、不幸な境遇な男がカリスマ犯罪者になるまでを丁寧に重厚に描いていて(精神病ってのは賛否ありそうですけど)、かなり疲れます。
むしろアメコミの一悪役(ヴィランっていうの?)の誕生譚って設定が無ければ、全く救いの無い話だったんじゃないかな〜って。
貧富の格差が進んだ荒んだ街に、悪のカリスマ誕生!
バットマン、犯罪者を捕まえる前に、正すべきは社会の根本なんじゃないのって感想でした。
決して面白くはありません
この作品にエンタメ的な要素はありませんが、ただただ映像に圧倒されました。
アーサー・フレックことジョーカーは、様々な要因によって悪循環に陥っていきます。
有名コメディアンに、TVで馬鹿にされなければゴッサムが暴動で湧くこともなかったかもしれない。
政府からの薬が打ち切られなければ、もしかしたら自分のショーで笑い続けてショーができないということもなかったのかもしれない。
母親から虐待を受けなければ、急に笑う発作を持つこともなかったのかもしれない。
母親の手紙を読まなければ……銃を渡されなければ……
トリガーを引いたのは確かにアーサーではあるものの、周りの環境が彼を追い詰め、そして馬鹿にしてきました。
I hope my death makes more sense (cents)
この人生以上に高価 (硬貨) な死を
冒頭で出てくるアーサーが考えたネタの一つですが、これが彼がジョーカーに至るまで求め続けた物なのでしょう。自分の今までの人生に価値を感じていなかったアーサーは、死ぬまでに自分が存在したことの価値を求め続けた。そこに悪はなかったはずです。
例えば発端となった地下鉄の事件は、果たしてどうやったら防げたのでしょうか。
絡まれても我慢する? 悪くもないのに? 女性を救わずに我関しなければよかった? やり過ぎなければ良かった? 1対多で武器を使わずに対抗できたのか?
アーサー側の立場でできたことは、「ただ我慢して耐える」ことと「逃げる」ことだけではないでしょうか。
実際に世の中でも、集団で人を馬鹿にするということは頻繁に行われます。その一つとして学校における虐めが問題になっていますが、暴力だけでなく言葉のものまで含めるとキリがありません。
その時少数側は対抗手段を持ち得るのでしょうか。
そして、やったことの過多があるとはいえ、集団で行った行為は問題にされず、個人で行った行為のみが問題にされる。
アーサーが正義であるとするのではなく、ただありのままにアーサー側の視点を描くことで、そんな不条理を訴えかける作品だった。そう感じました。
障害を持っているという難しい役所であるアーサーを演じる、ホアキン・フェニックスの演技に目がいきがちですが、映像としても多くの工夫を感じました。
妄想彼女の一連のシーン、時系列に違和感を感じさせる(辻褄が合わない)一連の繋ぎ方から、現実に引き戻される瞬間。違和感を最高潮にしてからビジュアルで覚まさせる。とても印象的でした。
狂った感覚を醸し出すハンドカメラによる撮影、カメラのセンターをずらし、テンションを保つ音楽。
どこをとっても秀逸で、内容のセンシティブさにも関わらず丹念に描かれている。そんな作品でした。
(´ω`)アカデミー賞必ずとるかね?
この映画が何故アカデミー賞確実なのか?解説欲しいですね。私は3点です。もし極めて正常で社会的にも順応している人が徐々に何らかのイベントで狂っていくのなら面白かったでしょうが、過去に虐待を受け自己愛性人格障害と診断されている事実から、主人公は犯罪予備軍確定で映画の内容に何の意外性がありません。つまんないなぁと思いました。
映像的には良かったのですが、麻薬中毒患者をの妄想を描いた作品『裸のランチ』のインパクトは超えられていないような、、、。
ストーリーの核心に迫る展開は『ビューティフルマインド』の方が意外性があったような気がします。
アメリカ人っているいうのは創造力がすごいなと感心します。ジョーカーってバットマンの悪役なの?よくわからないけど、いともたやすく外伝的な映画を作っちゃうんだから。
滅茶良かった👍
バッドマンの悪役、ジョーカーを題材とした映画で、ジョーカーとなる前(バッドマンの前に現れる前)の彼を描いています。
内容は次の通り。
主人公の名はアーサー(ジョーカーの本名)。
アーサー自身は精神障害もしくは脳障害を抱えていながらも、ピエロの仕事をしながら、病気の母(こちらも精神的な病気)の面倒を見ている。
収入が低く、体の線が細いことから、満足に食べれていないようだ。
アーサーの住む部屋と同じフロアにシングルマザーの家庭があり、アーサーはその女性と親しくなる。
仕事中のトラブルから身を守るように同僚からピストルを贈られたアーサーは、受け取りを拒否したものの普段からそのピストルを所持するようになる。それは、仕事中も。結局それが原因で解雇されてしまうのだか。
ピストルが映画に登場したら使われなければい、というのがセオリーだそうだが、やっぱりそのピストルは使用されてしまう。アーサーは電車でエリート社員である男性3人に絡まれた時に発砲し全員射殺してしまった。
母と市長候補であるウェイン(お金持ち)の間の子であると知ったアーサーは、自分の過去を調べた。そして、母の30年前のカルテから自分が幼少期に虐待を受けていて、自身の脳がおかしくなった原因が母であることを知る。また、母とウェインとの間には関係性がなく、養子縁組されたと知る。(後で母が写った写真の裏側にウェインと思われる人物からのメッセージが記載されていたことから、やっぱり関係性はあったと思われる。)
エリート社員3人が殺害された事件で警察は犯人を追っている。その犯人としてアーサーは疑われているので、刑事に問い詰められたりしながらも、上手く逃げている。
刑事は母の所にもやって来た。そこで、母は気が動転し転んで頭を打ち入院することになる。アーサーは当然心配するが、母から虐待を受けていたことを知ると、病院内でベッド上の母を枕を使って窒息死させてしまう。
アーサーは自室で髪を緑に染め、顔を白く塗り、ピエロの格好をする。(元々、ピエロとして仕事しているのだが、その頃はかつらを被っていた。)そこに同僚が訪れるのだが、またしても殺害してしまう。
アーサーはテレビ番組に呼ばれる。以前、自分がショーに出ていた時の映像をテレビ番組で放送されたことをきっかけに。
控え室で待機中のアーサーに、司会者と番組製作者?が会いに来る。製作者のような男(もしくはマネージャー?)は、ピエロの格好をしているアーサーに、そのような姿では困ると訴える。エリート社員3人が殺害された事件によって、街でピエロ姿をした市民たちが暴動を起こしているからだ。
司会者はピエロ姿で番組出演することに問題ないと判断した。司会者の男は部屋を去ろうとすると、アーサーは自身をジョーカーと紹介して欲しいと話す。了承し去ると、アーサーはまたピストルを手に取り自分のあごに向ける。
(また、ピストルが出たので、また使われることになる。)
番組が始まり、アーサーの出番となった。登場するなり、出演者の女性にキスをするといった奇行に出る。司会者はアーサーを使って笑いを取るが、アーサーにとっては快くない。また、自身の映像で笑いをとったことについても不快である。アーサーはエリート社員殺害事件の犯人が自分であることを打ち明けた後、番組放送中であるにもかかわらず、司会者を射殺してしまう。
これによって、貧困層や社会に不満のある人たちにとってカリスマになったようだ。
捕まったアーサーはパトカーで移動中に、支持者と思われるピエロの仮面を被った者たちに解放される。アーサーの周りには多くの支持者が集まっている。
場面が変わり、アーサーはカウンセラーと会話している。会話が終わったのか、廊下を歩いているが、真っ赤な足跡が続く。
----終了。
ちょっと複雑で分からないところがありました。それは、まず1つがシングルマザーとの関係です。彼女の部屋に勝手に入ったこと(彼女から出てけと言われる。当然だけど。)や、彼女とデートしたり、部屋に押し入ってキスしたり、これらの行動が現実なのか、アーサーの妄想なのか?
2つ目が最後のカウンセラーとの会話の下り。これまでの話の全てがアーサーの妄想だったのか。元々、アーサーは精神的に問題があり監禁されていて、それから解放されて薬を飲みながら生活していると思っていました。つまり、映画の最後で最初に戻ったような印象を持ちました。(まぁ、解説が出ると思うので、それを見たら分かると思いますが。)
素晴らしい映画ですが、楽しい映画ではないですよ。結構、重い映画です。ジョーカーは狂人なので、何するかわからないので(暴力したり殺人したり)ドキドキしながら鑑賞しました。
貧困層の社会への不満が強大な負のエネルギーになっていて、それが言わば格差社会と言われる昨今の社会情勢を表してるように感じました。
日本で言えば、そのエネルギーはN国党、もしくはれいわ新撰組かもしれない。(支持者の方々、私の偏見です、ごめんなさい)
ただ、いくら不満だからと言って、殺人事件が起きているのにも係わらず、もっと富裕層がいなくなれば良い(死ねば良い)というような感情を持つ人々には共感出来ませんでした。
アーサーを演じたホアキン・フェニックスの演技が素晴らしかったと思います。狂人を見事に演じていたと思う。演技だけでなく、スタイル(ガリガリ感。)まで拘っているかもしれない。
ジョーカーというと、ダークナイトのヒース・レジャーを思い浮かべますが、ホアキン・フェニックスも素晴らしいと思いました。
この映画の制作費がどれくらいかはわからないけれど、CGをガンガン使っているような映画ではないので、大金は使ってないと思われます。なので、もしかしたら日本映画でも、こういった映画は作成可能だと思いましたが、日本映画の場合、どうしてもアイドルとかタレントが出てしまうので、中々難しいのかなぁとも思います。
主役の演技だけでなく、映像も良かったと思います。絵になってると言うんですかね。どのシーンでも。特に、アーサーが髪を染めてスーツを着て、階段を踊りながら下る姿が印象的。
部屋の外の雨音が、座席後方から聴こえてきたとき、チネチッタの音響も凄いなぁと思いました。映画中に音の出所も気になって楽しめました。
悪役の映画ですが、内容としては悲しい映画なのかもしれません。皆がハッピーになることを願います。
本当のバットマンビギンズ
当初は某殺し屋アクションでも見ようかと
過去作で予習したら見る気が失せてこちらへ
正直バットマンシリーズはティム・バートン版しか
見ておりませんでしたが・・
面白かった
バットマンシリーズは既に荒れ放題のゴッサムシティ
というジョーカーみたいな人がいても全然不思議じゃない
世界観が用意されていると思います
アフリカの大地にいそうなライオンをわざわざ
紹介するようなものでしょうから
あえてそれをやる役者の力量は相当必要でしょうが
まあホアキン・フェニックスさんの怪演たるや
人間の泣くのと笑うのの回路は非常に近いところにあり
「感情失禁」というやつは実際存在します
泣きたいときに笑い出すというのは非常に難しいハズ
それを見事にやってのけあえて流麗でないダンスのステップ
など役者の底力を所々見せつけられます
世界一有名な
道化を演じ自分を偽るのを捨てむき出しの悪を隠さなくなった
道化師ジョーカーを「演じる」のは並大抵ではなかったでしょう
ストーリー的にはあまりヒネりもなく狂気に侵されていくアーサーを
予想通り描いていきますが、ポイントはみんな社会が悪いと言い切れない
ほど常識的で理解してくれる人も何人か出て来るところが
「迷い」を表現していてうまいなと思いました
デニーロ演じるテレビ番組司会者マレーも驚くほど常識人です
そんな人たちも「断ち切って」あちら側の世界に行ってしまうアーサーに
カリスマの誕生を感じてしまうあたり狂気にこちらも
あてられてしまっているのでしょうか?
前述の通りティム・バートン版しかみておらず
やっぱニコルソンのジョーカーが一番とか思ってましたが
そのティム・バートン版とも問題なくつながる作品でした
ピュアな悪が生まれる瞬間を描くことで
正義とか悪を定義する意味の無さを訴える今作
オススメしたいです
5回鑑賞した
まずはじめに、
この映画は人を選ぶ。
なぜ評価されているのかわからないという
声も多く聞こえてくる。
私の周りの友人でも評価は真っ二つだ。
きっとこの映画が謎を残す終わり方をするからだと思うが、、、
ここからはあくまでわたしの感想と
私の考察です。
まずホアキンフェニックスが化け物。
ヒースレジャー扮するジョーカーの鬼の評価の高さは
誰もが知っている。
あのジョーカーがある以上、今回演じるのはかなりのプレッシャーだったと思うのだが、
あの笑い方や、痩せ細った奇怪な身体つき。
怒りや悲しみの静かだが底深い重厚な表現。
日本人にあんな演技できる人いないと思う。。。
同時期に日本のジョーカーとか言って
楽園の綾野剛が完全に乗っかり情報で話題となってたが、アホかと思ったほどホアキンの演技はすごかった。
考察というか、疑問というか
意図を探りたくなるストーリーなので
私の考えをネットや他の方のレビュー等も
参考に書き殴ると
妄想癖の精神病のペニー
養子だが同じ症状を持つアーサー
これは物心ついてから共に愛を持って
育んできた家族なんだよという事を表現してるのかな?
10:11
劇中時計が全て同じ時間を指している。
全てアーサーの妄想説なのか
11時11分はスピリチュアルな世界において物事のスタートを意味したり、思考が現実化することを示す宇宙からのサインなどと言われてるそう。
また、11時11分は左右対称の数字であり、物語の二重性を象徴しているとも言える。
現実と妄想が対照的になっている暗示?
銃の装填数
地下鉄でのシーン装填数より弾が多い。
やはり妄想の世界?
ピエロの仮面を被った人が犯人。
と言われているが、アーサーはピエロのメイクをしている。
全て妄想なのか、一部が妄想なのか。
それも考えると難しい。
ペニーの写真の裏の素敵な笑顔だ TM
トーマスウェインとペニーの関係を闇に葬る為にアーサーを捨てて養子として取り直したんじゃないか?
等色々と考えさせられる部分は多い。
個人的には
アーカム病院での出生の事実を確認した時の
アーサーの笑いには泣かされた。
あんな悲しく苦しそうに笑う姿、
純粋に気の毒というか哀れというか。
アーサー頑張れ!悪頑張れという構図になってしまうのも仕方ない。
作り手がうまい。
タクシードライバーやキングオブコメディへの
オマージュに関しては、割とまんまやないか!
ってシーンが多い。
ここに批判が集まらないのは、作り手の愛を感じるからなのか。
そして音楽も最高のセンス。
クリームが流れた時は、ちょっと
笑ってしまう程映像に合っていて
ゴッサムが炎に包まれながら嬉しそうに微笑むアーサーをニヤニヤしながら見守ってしまった。
あと何と言っても、
フランクシナトラのザッツライフ。
何度流れるの!ってほど流れて、
あのイントロが耳に焼き付いた。
またチャップリンのセリフをもじった名言。
人生は悲劇だと思っていたが、喜劇だ。
この文字通り、最後は右へ左へ逃げ回る
喜劇の様な終わり方。
ザッツライフにのせて、、、
理解できないさ。
ーーザッツライフ投入!!ーー
ここもう癖になる。
カウンセラー、同じ人って言うけど
あれ同じかな??
そこがいつも疑問に思ってる。
拉致があかないので、
この辺で。
私はこの映画をお勧めはできないが、
個人的に大満足で大好きな映画。
早くも1月にBlu-ray発売なので、
6度目の鑑賞も近いでしょう
彼は何処から来たのか 彼は何者か 彼は何処へ行くのか
ヒーロー? ダークヒーロー? アンチヒーロー?
ビジランテ? 革命家? 先導者、 または煽動者?
神か悪魔か? 堕ちた天使か?
やっぱり、…ヴィランなのか?
あなたはジョーカーを何者だと位置付けて
今回、本作をご覧になられましたか?
感情移入 してしまうほど悲哀に満ちた、悲劇の主人公?
感情移入を許さないほど非道に嘲ける、喜劇の主人公?
また、シリーズ過去作と比較したり
皆さんがすでに抱いている“ジョーカー像”と重ねてみて
「こんなのジョーカーじゃない!」
「ダークナイト最高!ヒース・レジャーこそ至高!」
と思ってしまいましたか?
どっちにしても、感情が動いた時点で
制作者側の“ジョーク”に付き合う羽目になって
鑑賞者側の感性やリアクションを問われる作品
なのだろうと、わたしはメタ的に解釈しました。
すべては【虚構上のジョークである】と…
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
給水塔に反射する夏の太陽
器用に生きる象徴としての 彼女の笑顔
汗ばんだ静動脈に巣食う 褐色の火薬じみた病理
僕が僕ではない感覚 もしくは錯覚
六十億の溜息に 巻き起こる黄砂
逃げ場なく 息も絶え絶えなムカデ
涙の濁流を這って 何処へ行こう
何処も駄目だ 居場所が無い
神様 僕は分かってしまった
空っぽの夜空が綺麗
あの黒い空白に埋もれてしまえたらって 願う
そうかもしかしたら僕は 死にたいのかな
愛は愛の振りして
全部飲み下せと刃物覗かせる
今日は今日の振りして
全部やり直しだと僕を脅かす
西日に染まる郊外の公団住宅
心臓を針でつつかれる様な感傷
及び 生きてる事に対しての罪悪感
付きまとう闇 立ちはだかる闇
赤面症の季節における リビドーの肥大
故の 現実からの逃避
妄想 妄想 妄想
遮断機に置き去りの自意識
真っ二つに割れる数秒前
赤が 光る 消える 光る 消える 光る 消える
消えろ 劣等 劣等 過去 過去 全部消えろ
神様 殺してやる
過去は過去の振りして
全部受け入れろと喉に絞めかかる
夜は夜の振りして
全部おまえのせいだとがなりたてる
空は空の振りして
全部知ってるぞって僕を見下す
人は人の振りして
全部吐き出せと僕を睨み付ける
僕は触れていたかった まだ繋がっていたいよ
ビルの屋上に立った 今更思い出すんだ
春の木漏れ日に泣いた 母の声が聞こえんだ
此処にいてもいいですか 生きていてもいいですか
amazarashi / ムカデ より一部抜粋
ヒトは誰でも日々、自分と戦っている。
他人より目立たないように。務めて普通であるように。
常にこころのアクセルとブレーキを調節して
社会に適応しているように振る舞わなければいけない…
そんな日々の暮らしのなかで、ほんの些細なきっかけで
感情に支配され、視野が狭くなり、
善し悪しの分別ができなくなるような
〈強迫観念〉に捕らわれてしまう可能性を、
誰しもこころに秘めている…
が、我々は理性を持って踏み留まる。
でも自己顕示欲が強い人種、
笑顔を届ける“コメディアン”という職種が
強迫観念に突き動かされて、笑えないジョークを
ブレーキも効かさず振り撒いたら、
それは狂気の沙汰ではないでしょう。
スクリーンに映し出されるそんな主人公を
目の当たりにした我々鑑賞者のなかには
救われた気持ちになるヒトも少なからず
いるのではないでしょうか?
なぜならば彼、ジョーカーが
作り物の〈フィクション〉または《虚構・妄想》という
オブラートに包んで意識・無意識に関わらず、
言葉にならない鬱屈した想いを、
我々に代わって雄弁に語り、
行動に現してくれたのだから…
…と思ってしまうわたしの“色相”は大丈夫だろうか?
観終わったあと余韻を引きずり過ぎたらどうしよう
生活が手に付かなくなったらどうしよう…と
過度に心配して鑑賞にのぞみましたが
「ものすごいものをみた!」という実感のほうが上回り
割りと大丈夫でした(笑)
わたしにとってそんな、色相チェック映画でしたね。
わたしはまだ、
わたしであることを、
許されているみたいだ。
ジョーカーが如何に悪人になったか
戦場で地獄を味わった人もいるし、飢餓で地獄みた人もいるだろうし、もっと不条理な運命に翻弄された人もいるだろう。
共感できない。
あたかも、ひどい目に会わされ、グレて悪人なったと、言いたいのだろうが、同じかそれ以上のひどい目にあった人間でも、グレる人もいれば、返って善人になる事も有る。
音楽が良かった。
悪の本質に迫れていない。
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