ジョーカーのレビュー・感想・評価
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凶気、胸クソの悪さ、デートで見に行く映画ではない(笑)
若い方が、たくさん観に来てましたが、
これはデートで見に行く映画ではない(笑)
ジョーカーという存在をどこまでリアルに描けるか、
挑戦した映画であって、娯楽映画ではない。
バットマンも出てこない。
個人的にヒースを超えるほどの『絶対悪』を感じなかったが、
凶気に至るまでの演技は素晴らしかった。
自分の渾身のジョークをネタにされたときの、
静かなる憤怒の表現は寒気がするほどだった。
色んな所で、ヒースを超えたみたいな論評がなされてるが、
別のジョーカーとしてみるべきと思う。
主演と監督のリアル ジョーカーへの挑戦として、
演技(特に表情)と音楽を感じてほしい。そんな作品です。
ラストの解釈も色々あると思うので、演技好き、脚本好きで
ワイワイするのも面白い。
終わった後は、一人でタバコを吸って、
アーサーに共感しましょう。
凶気のピエロの気分で笑いましょう。
それこそが人生。
カリスマ
「カリスマ」
常人を超える資質を持つ人に対して使う言葉ですが、この作品のジョーカーがまさに当てはまると思いました。
もちろん、一般社会で犯罪を犯すことはいけないことですがこの映画を見ているとそれすらも魅力的に見えてきてしまう。
映画として、前振りがかなり長いですがそれもクライマックスのために溜めていたと考えると必要だったのかなと思います。
ジャックニコルソンのジョーカーは知らないですが、ヒースレジャーとジャレットレトのジョーカーに比べるとより重くて引き込まれるものがありました。
これは役がそうさせるのか、演者がそうするのか。
どちらにせよホアキンフェリックスはやっぱりとてつもない俳優ですね。
アーサーがジョーカーになるまで
ジョーカーになってからはやる事が派手で狂っていきますが、その根本は幸せになりたいとか人に優しくされたいとかの純粋なものだったと感じました。
ネットニュースで「子供には見えられない作品」とありましたが、本当に見せられないですね。
狂信者になられては手のつけようがないですもの。
2を観てから観返してみて(考察入り)
映画館で観たんですが、2の違和感というかモヤモヤを晴らしたいと思い、アマプラで観返しました。
やはりこちらはシナリオ、演技、アドリブ、映像表現どれも素晴らしいです。内容は初っ端からすごく不条理でやるせないのに、観終わった後の不快感や嫌な感じはありません。たぶん、最後までアーサーが生き生きしてるからだと思います。
そして2への伏線というか、細かく引き継がれた設定もたくさんあることに気づきました。
2を観た後だと、このジョーカーがバットマンと戦えるのか?ゴッサムシティを混乱させて地獄とするのか?そこまでの力や知能や統率力ある?別人なのでは?って思いました。
この映画で、ブルース・ウェインの両親をクラウンの仮面をかぶった暴動参加者が射殺するのですが、その時の仮面野郎のセリフが、2でアーサーを刺したサイコパスのセリフと同じような気がするんですよね。同一人物なのでは?バットマンの真の敵はこいつでは?と思ってます。
ある意味『ダークナイト』の時とは対照的なゴッサム市民
ソフィーとの愛も母との絆も全て幻想だったと知ってしまったアーサー。
もう何も失うものが無く、死すら恐くなくなった。そういう状況に陥った人間は、『どうせなら、自分にひどいことをしてきた奴らに報復してやろう』という思考に走ってしまう可能性がある。
アーサーは、
自らを虐待した母を殺し、
自身をハメて仕事を失わせた元ピエロ仲間を殺した。
最後に残るのはあと一人、テレビでアーサーを笑い者にしたマレー・フランクリンだ。
観客である我々には、アーサーと周囲の笑いのツボのズレを散々見せつけられてきた。
アーサー自身もそれを重々自覚している。
そこでアーサーは気づく。
『みんな僕を病気だっていう、けどこれが僕なんだ。僕の人生は悲劇だと思ってたけど、コメディだったんだ。もう自分を偽るのはやめだ。』
そう、これまでアーサーは病気で笑ってきたと思ってた。けど違った、あれはアーサーの主観的に、面白くてしょうがなかったから笑ってたんだとわかった。
『みんな善悪の基準を主観で決めるのと同じように何が面白いかの基準も主観で決めてる。同じことさ、僕だってそうする。』
そのセリフにも表れてるんじゃないか。
最後のシーン、マレーのショーで『僕が証券マン3人を殺した、奴らがクソだったから。』と暴露したのは
アーサーにとっては渾身のジョーク(殺人した、というのは前提の/これさえも妄想なのかもしれないが笑)だった。
だがマレーは言う、『笑えない、オチは?
お前は自分を憐れんで殺人を正当化しているだけだ。』とアーサーの主観的ジョークを真っ向から否定した挙句、アーサーをこれまで二度も笑いものにした。
なぜ自分の主観的ジョークだけが認められず笑いものにされなければならないのか、とアーサーは憤激し、マレーに引き金を引く。
この映画が犯罪を助長すると主張している人がいるが、その意見は少々的外れではないだろうか。もしこの映画を見て『僕(私)も犯罪をしよう』と思った人は映画と自分をもう一度見直すべきだ。この映画は、『誰だってジョーカーなってしまう可能性を持っている』、『ジョーカーが生まれてしまうとどうなるのか』、『またそんなジョーカーは一体何が作り出すのか』を私達に警告した映画である。『思いやりの欠如』が招き得る結末を私達に突きつけたのだ。決して『みんなジョーカーになれ!』とは言っていない。
マレーの言う『お前は自分を憐れんで殺人を正当化している』というのはド正論だ。社会の道徳的に見て、何も間違っていない。たとえどれだけクソ社会(弱者切り捨て・全体主義)やクソ人間(利益追求マシン化・言葉が形骸化/カウンセラーの女性の仕事からそれがよく伺える。彼女は思いやりの気持ちよりも、機械のように、アーサーにカウンセリングの名目で毎週同じ質問を繰り返す。)から酷い仕打ちを受けたとしても、皆我慢して"黙っていい子"にしてる。そうやってひっそりと死んでいく。そういう人生も当たり前になっている現代で、アーサーに共感した人が大勢いる。つまりアーサーと境遇を共にする人間が実際多く存在する。アーサーは思いやりに欠けた出来事を何度も経験し、何もかもうまくいかなかった結末として、ジョーカーという狂気の存在(死すら恐れないためどんな犯罪行為も犯しかねない)へと徐々に覚醒していったのだが、これは、そのアーサーと境遇を同じにする者達の誰にでも起こり得ることなんだ、と我々は気づかねばならない。この思いやりに欠けたクソ人間とクソ社会が姿を変えず存在し続ければ、ジョーカーのような存在が現実世界にも現れ得るのだと。
資本主義の負の側面を嫌という程見せつけられる。人と人・人と社会・社会と社会を繋ぐのは金(利益)だけではないはず。我々人間には"言葉"があり、そして感情表現の一つとして"笑う"ことができる。思いやりのこもった"生きた言葉"をかけ、"笑い合う"ことでも人と人は繋がりを持てるはずなのだ。
この映画は素晴らしかった。笑えるシーンなんてほとんどなく、ただただた目を見開き、苦しい現実に直面し続ける。目を背けたくもなったし逃げ出したくもなった。それゆえ序盤"酷い一日"を経験しトボトボ登った階段を、"自分らしいコメディ"としてここまでの悲劇全てを受け入れ覚醒したアーサーがthe hey songをバックに軽快なステップで駆け下りるシーンには思わず笑みを浮かべてしまったものだ。私的に、この映画は『ダークナイト (08)』を観て以来の衝撃だったかもしれない。『ダークナイト』において、ゴッサムを救ったのはバットマンではなく、他でもないゴッサム市民だった。彼らにはまだ良心が残されていたのだ。そして本作『JOKER』においてゴッサムを地獄に変えたのも、皮肉なことに、ジョーカー(アーサー)ではなく、"苦しみ"や"怒り"が長い年月をかけて蓄積されたゴッサム市民自身だった。この意味で『ダークナイト』と本作は対照的だったと感じている。
だが一つだけ違和感を感じたのは、アーサーがジョーカーとしてマレーのショーに出た後、発言が力強く、ある種説得力のあるものに変わった所だ。これが少し急すぎた気がした。もちろんジョーカーという人物は、賢く抜け目ない頭脳派のヴィランなので正解なのだが、ここまでのどこか頼りない冴えないアーサーを観ていたからか、微妙な違和感を覚えてしまった。だがこれも、自らの悲劇の人生を喜劇として受け入れることに成功した事で"病気の笑い"と"本物の笑い"が統一され、発作として苦しむことがなくなったことでアーサーは自らの意見を正確に伝えることが可能になった、ということなのかもしれない。
完成度の高い映画だが…
音響、映像、シナリオ、演出、役者…どこをとっても非常に完成度が高い映画であり、公式が言うように「アカデミー賞間違いなし」なメッセージの強い怪作であることには間違いない…
ドルビーシネマズで観たのだが、特に音響の出来があまりにも高く感心した。
しかし一方これがバッドマンシリーズのスーパーヴィランであるジョーカー誕生の物語かと言うと少し疑問がある。たしかに本作はゴッサムシティの社会的弱者にとってのアイコンとしてのジョーカーの誕生の物語であることには間違いないのだが、彼が頭のキレる「カリスマ」としてのあのジョーカーになるとは到底思えないというのが正直な感想。
この物語をジョーカーを素材にしてやる意味があるのか?という思いもある一方、ジョーカーを素材にしなかったらこの物語はこれほどにも世界中に響く映画とはならなかっただろうなとも思い、タイトルにある通り「完成度の高い映画なんだけど…」となんとも言えない気持ちで映画館を後にした。
悪のカリスマに対する期待値が高過ぎた
素直に「期待外れ」と言わざるを得ない。
ダークナイトで輝いていたジョーカーと同じキャラとは思いたくない、というのが正直な感想。
「善良で小心者の青年が家庭環境や社会問題からジョーカーになる」というストーリーは現代の社会を反映しているかもしれないが、そんな話は見たくなかった。
「ジョーカーには過去もなく、理由もなくナチュラルボーンのサイコパスで、誰にも理解できない独自の理想を持った悪のカリスマであって欲しい」と自分勝手な期待を、映画を見ながら再確認させられた。
今まで持っていたジョーカー像は、彼女に同意されるとか、街でピエロデモが起こるとか、そんな事で肯定感を得る小物ではなかった。
ちょっとハジけちゃった虐められっ子のようで、とにかく小物感が強い。
悪のカリスマという点では、直近で見た映画とどうしても比べてしまう。
「ハウス・ジャック・ビルト」のジャックと比較すると、洗練されていないしポリシーも流儀もなく、芸術感もないジョーカーはキャラが薄いとしか言えない。
ビジョンもなく、劇中でカリスマ的扱いになっているのも違和感。
ジョーカー役は、ヒース・レジャーという絶対に越えられない壁がある。期待値を勝手に上げ過ぎたという点を踏まえて☆2。
ジョーカーじゃないキャラの誕生譚としても、別に続編を観たくはならない程度の作品ではある。
それほどか?
期待をして鑑賞して来たのだが、私の矮小な理解力ではこれがDCシリーズのヴィラン「ジョーカー」なのか?と。
終始、荒んだ空気感のゴッサム。
ジョーカーも「狂気」と言うよりは世間的に救われない病人の男性。
バットマン(ブルース・ウェイン)との関係性も出てくるが、ジョーカーとブルースが歳が離れすぎでは?
最後は無理やり取って付けた様な市民の暴動により「ジョーカー」が「神格化」され終わってしまう。
もし今回の「ジョーカー」を今後の「バットマン」関連作に組み込まれるのなら、この後の「ハーレークイーン」との絡みが想像出来ない。
陰鬱なジョーカーと天真爛漫のハーレークイーン。。。
ジョーカーなら破天荒でないと。
1人で観に行って良かった!
清掃業者のストにより街にゴミが溢れ返っている、とラジオが報じている中、自身にピエロの化粧を施すアーサー(後のジョーカー)は泣きながら無理矢理口角を上げる。
世界は最悪、そして自身はその世界からも除け者にされている。ただ、誰かに必要とされたい。
誰でも良いから、俺で幸せになってくれ。
と言う善意の形をしたエゴを拗らせに拗らせた結果、ブチ切れ大爆発、そしてその大爆発に酔い痴れる、力の無い卑怯者達。
夢や希望を持って世間に立ち向かうより、その世間に尊厳を全て奪われた時、人は何にでもなれてしまうのではないだろうか?
でもそれは誰も幸せにはしない。
だから人は夢や希望を肯定し、自身を肯定してくれる人を探し、コミュニティを作り、倫理の仮面を被る。
なら、皆から疎まれ、誰にも肯定される事なく、そのコミュニティに入れなかった人間は?
この映画は、「化物になるしかない」と答えた。
そして「誰が彼を責める事ができる?」と問うた。
今日飲む酒は不味くなるだろう。
最高の映画でした!
悪役もヒーローも表裏一体
不遇な生い立ちと、幼い頃の虐待ネグレクトによって精神病を患ったアーサー。下層級の不幸で気弱な精神病疾患者が残された救いは“笑い”なんだ。
愛する“道化師”の仕事さえも奪われたら、それこそ死ねというのか!!
これだけ多くのマイナスと不幸が重なり“ジョーカー”が生まれてしまったのだ。
一方でアーサーは年老いた母の面倒を献身的に見る優しいところがあったりもする。
誰だって悪役になりたくてなったわけではない、“ならざるを得なかった”という背景があるんだと本作を通して気付かされる。
生きていると、自分より幸せそうな境遇の人や才能を持つ人に対して嫉妬するし、嫌なこと不幸が続くと投げやりな気持ちになってしまうことが誰にでもあるのではないだろうか。
だから本作は多くの人から共感を得ているのかも。分かるよ、ジョーカーの気持ち。
笑いと怒り、悲しみ
正義と悪
現実と妄想
この世のものは全て表裏一体
ジョーカーだってある人たちにとってはヒーローなんだ!
どこからが現実か、アーサーの妄想なのかという線引きが難しいのが本作の特徴だが、鑑賞者に判断を委ねているのだろう。最後の民衆の逆襲は現実であってほしい。
キャラの独り歩き
バットマンも演者10人ですって
バットマンバースできますね!
今回のジョーカーは何人目でしたっけ?
アメコミ新作の仕切り直し感に慣らされて今回も前評判からして期待大でした
ところでこれ、話自体は"ジョーカー"じゃなくても成立はするんですね
ジョーカーは本来「DCのバットマン」に出てくるヴィランの一人ですが、この作品はバットマンを観てなくてもわかる仕様になっています
観ていた方が楽しめますけど
なので柵越しに対面した子供時代のブルースとのシーン
このシーンが無かったらバットマン作品世界としての成立前提を欠きます
今回、ブルースの親父との確執の展開からの初邂逅だったので、結果的にはサービスカットの印象が強くなってしまった
また終盤、ジョーカーがブルースの両親を射殺するシーンでは、ブルースが両親の死を目の当たりにするという画が(確か)なくて、そこは端折るのかともやもやした
完全に狂気のヴィラン誕生の話になっているので、同情の余地がまったくありません
生まれた境遇や生活に左右されずに困難に打ち拉がれながらも善人として生きる事に対しての違和感はないけど、それを原因として凶行を肯定するには違和感があります
世の中の矛盾や人生の不条理を正すとしても正攻法というものがあります
なので"ジョーカーの誕生"は彼の性格故の結末でしょう
この作品は社会派作品でもなく何の問題提起もしていません
バットマン誕生以前のゴッサムの世界観で生まれた一人のヴィランの話です
スピンオフでこういう事ができるのか、と
バットマンにまったくおもねっていない
これからも作られるであろうエピソードの一つとして楽しめたらと思いますね、アメコミ的には
丁寧に描かれた絶望
この映画を観ていて、初めて鬼束ちひろの月光を聞いた時を思い出した。
あの頃はこの世界に誰も味方がいない気がして(実際まわりにはいなかったのだけど)、毎日がとてもつらかった。そんな時に月光を聞いて、そういう風に思う人は自分だけじゃないと知り、それだけで少し心が軽くなったのを覚えている。
アーサーにとってのそれはピエロの仮面を被ることだった。自分の起こした事件を支持し、熱狂する人々の輪に入り、自分が一人ではないことを確かめることだった。
そうでもなければ生きていられない。仕事をクビにされる、仲間からは馬鹿にされる、社会保障は打ち切られる、母親はうそつきだった、恋人は妄想だった、そして心の底から憧れた人は自分の才能のなさを嘲った…。
ひとつひとつ削ぐように消失していくアーサーの生きがい、生きる意味。才能にも恵まれず、それどころか人並みに生きることすら難しい。ただひとつ世界から望まれたのが、ピエロの仮面を被って恵まれたやつらを殺すことだった。復讐心と自尊心、その両方が一度に満たされる凶行だった。
正気を捨てた方が心地よい。失うものなど何もない。ジョーカーとなったアーサーがうらやましい。自分には支持者もいないし正気を保って得られる幸せもある。振り切れた先にあるものを一度でも観てみたかった。
主演が最高、最後の終わりのセリフもいい!
主題は煽りの通りだが、主演の演技だけでみる価値あり。
人生が悲劇なのか喜劇なのかは自分できめることができるということを教えてくれる。
世間がどうプレッシャーをかけてこようとも、回りは関係ない。自分が全て。
最後の「理解できないさ」は最高のセリフ。
回りからの理解が得られようが、えまいが関係ない。自分がその価値を噛み締めておもいっきり笑えているのであればそれでいい。
話の山のもってき方や、音、カメラワークも
良いとおもった。
メモ→また世間一般で信じられていることだって、視点を変えると悲劇立ったりするのだと思う。
要注意
スーサイドスクワットと同じ感じかなあと思いながら観に行き後悔しました。
フランス映画で精神を病んだ男の悲しい人生を延々と見せられる映画を昔見たのですがそれと同じ感じでした。
どこからいつものジョーカーになり悪の限りを尽くすのか?バットマンは?ハーレークイーンは?
全てありません。
精神を病んでる方には見せたくないような内容です。
途中で妄想なのか現実なのかわからないところもありそれは後からわかるのですがマイナス点としてコメディアンとして舞台にあがる場面は何か唐突な気もしました。
とにかく重い重い映画ですがジョーカー誕生の瞬間とも言える場面は最高です。
あと常に画面は暗いです。ダークな世界観に浸りたい人には満点かもしれませんが私には救いのない憂鬱感が少しキツかったです。
見て後悔した。
とても楽しみにしてました。
始まるまでは…全然感情移入できない。
高評価な理由がわからない。
なんだこれは。
精神的におかしなやつの話を延々とされるのはツライ。しかも、無理矢理なご都合主義でたまたま銃を貰って、たまたま駅のホームに人がいなくて、たまたま殺人が貧困層に英雄行為と称えられて、たまたまそのタイミングで市の予算が削減されて、たまたま披露した芸がテレビに取り上げられて、たまたまそれでテレビ出演を依頼されて、たまたまその時に母親が倒れて、たまたま逮捕後に救出されて。
前評判なんてクソだと思った。
この男があのjoker?彼女すら架空だし、架空の妄想がやばすぎて犯行計画立てられないだろ。
高評価の方本当にそう思ってますか?
バッドマンの敵役だからってフィルターかかってるでしょ。
評価2でも高過ぎると思うわ。
見て損した。いや、クソつまらないという話題を得られたからその分だけましかな。
アメリカではピエロは独特の市民権を得てるけど、日本ではただの仮装。
この映画のジョーカー像が受け入れられない人に読んで欲しい。
アーサーという男の半生に哀れみや同情共感を感じている方々には、You wouldn't get itなレビューです。
単独映画のジョーカーが受け入れられなかった人に読んでほしい。私もそうだったので。
予告ではキリングジョークのジョーカーに近いものかなと思い期待してましたが、バットマンシリーズが好き、絶対悪であるジョーカーが好きな私は、正直戸惑いました。
これまでのジョーカー像とかけ離れているし、チープに感じてしまうからです。
ジョーカーに社会すらもぶち壊していく圧倒的に理不尽なカリスマ性を求めているのに、社会問題や抑圧された人間の物語をされても"これじゃない感"を強く感じてしまう。
レビューを見れば、ジョーカーかわいそう、こうやってジョーカーが生まれたんだね、誰しもジョーカーになりうるよね、日本の社会も弱者に優しい社会になるべきだというようなものが散見されてバットマンファンとしてやるせない気持ちになりました。
おそらく、過去のバットマンシリーズを観ていない方はそのような解釈になるのでしょうか。
そういった部分が注目されて興行的に成功しているようなので割り切るしかないですが、悪のカリスマジョーカーはこうやって誕生したという宣伝文句にはモヤモヤが拭えません。
JOKERを観に来ているのに、映画終盤まで全く知らない人の転落人生を見せられていることが苦痛に感じた分、ラストシーンのジョーカーをみれたことで救われた気持ちになりました。
そして映画を見てから2日たった今、やっとこの映画はジョーカーの中のバットマンへの執着を表した作品なのかと思えしました。
それは可愛くも憎らしい弟であり、間接的な要因で自分に執着する滑稽な存在。
アーサーの物語が全てジョーカーにとってバカウケなジョークだった。誰しもジョーカーになりうるとか、社会批判することも的外れだと馬鹿にして何をそんなシリアスになってるんだそんなことよりジョーカーのおかげでバットマンが生まれたと皮肉って笑っている。
作品の9割がバットマンに対するジョークで、それを理解できないアーサーに共感する人や抑圧される人が共感し暴動を起こすと憂いてる社会をも笑っているような、これぞ悪のカリスマジョーカーだと思わせてくれるラストシーンではないでしょうか。
と、正直自分の都合の良いように解釈しました。
長々と書きましたが、バットマンファン以外には、暗くてしんどい映画だけどホアキンの演技はすごかった。事前に見といたらいいのは、ダークナイトではなくタクシードライバーやキングオブコメディーだと思います。あと、バットマンはトーマスウェインの子供だよってことさえわかれば良いのでは。
絶望感…。
予告編が観られるようになってからずっと楽しみにしていました。ジョーカー誕生というからにはそれなりに重い映画とは解ってはいたつもりですが、、、
だって予告編では、あぁ ちゃんとロマンス的要素有るんだって思ってたし、少し安心して観てしまったんです…。。でもね、様子がおかしいんですよ、、???
…妄想??どこからどこまで? 完全に心の避難所を絶たれてしまった感。
優しそうな恋人は?優しそうなお母さんは?
唯一、アーサーに無垢な優しさを感じたのは幼きブルースだけだったように思いました。
私の印象的なシーンは、
アーサーが家路につくシーン。
長く急な階段を上がったあと、下り坂をおりてゆくシーン。なんで?って、家賃の低い地区描写?なんでしょうか。
部屋で銃を暴発させ、テレビのボリュームを上げる母への気遣い、小人症の同僚を逃がしてあげるシーンなど、『笑えない』笑いシーンが重いなぁと。。
BGMの重さも最高でした。
終始こんなにも重く辛い、切ない気持ちで観る事になろうとは…。 しかし、何度も観たい…。とも思いました。
少し不満なところ。
非常に巧みに作りこまれた映画で概ね絶賛されている皆さんと同じ感想なのですが、気になって頭から離れなかったことがあります。それは、(彼がジョーカーであるとした場合)ジョーカーに感情移入できてしまうということに対する違和感です。こんな環境でこんな育ち方をしたらこうなってしまっても仕方ない、なんて気になったり。
ところでブルースウェイン少年が庭の遊具からポールをくるっと廻って降りたのはTV版へのオマージュ?
秀作!ただし、ノーラン三部作ありき
脚本も映像も演出もホアキン・フェニックスの演技も全て文句のつけようがない、正直不安半分で映画館に行ったけど開始10分で吹き飛ぶくらいに作品の持つ空気感にヒリつかされる。
しかし、とんでもなく高いハードルである。
一体この男が、どう、あの、ジョーカーに、変貌、するのか?
”ジョーカーは出自についていつも違う嘘をつく”という設定をうまく活かし、中盤からは劇中で提示される出来事がどれも本当に起こった事なのかアーサーの妄想なのかすら分からなくなり、ラストでこの映画自体が「ジョーカーが語った1つのデタラメ」である可能性さえ残して終わる。
言うまでもなく殆どホアキン・フェニックスの独壇場である。いやぁ、元々狂気を孕んだ役が多いし発表された時の意外性という意味ではそうでもなかったんだけど、こんなに完璧だとは思わなかった。いつ壊れてもおかしくない脆く儚い男、反面何もかもを壊してしまいそうな不穏さを抱えた男。段々ジョーカーになっていくと思わせて、最初からまさにジョーカーそのものだったという。。
あとザジー・ビーツ、な〜〜〜!!いい女すぎるでしょう・・・
ジョーカーに対して観客が「あ・・・もうダメだこいつ・・・」って思うためにはザジーの魅力が説得力を持っていないとどうしようもないんだけど、本当に完璧だった。敢えてザジー母娘がどうなったのかを見せないのも本当に嫌すぎる。
ジョーカーは「理解できる敵」ではないからバットマンの宿敵たりえたのである。
我らが一般人が簡単に理解できるような男ではいけないし、しかし「ジョーカー・ビギンズ」としては全く凡人には理解できない、わけわからん何か・で終わってもいけない。こんな無理難題をきちんと、かつ正攻法でまとめ上げた監督には脱帽である。
とはいえタイトルにも書いたとおり、この映画はあくまで「ジョーカー何者か」「ジョーカーが起こす災害」について知っている者以外にはピンと来づらいものになってしまっているのも否めない。将来のジョーカーについて描かれないし、バットマンについても全く触れられないも同然なので、ウェイン家との確執などは、シリーズ作に触れていない人にとっては正直「は?」でしかないだろう。知っている者からすれば「まさか・・・バットマンとジョーカーが異母兄弟?!そんな設定打ち込む気か?!」などとハラハラするのだけれど。
うーん、これってクイーンを知らない人に向けて曲を一切使わないボヘミアン・ラプソディを見せるようなものじゃない???まぁ、そこまで求めるのはあまりにも酷だしそんな必要性も実は感じないんだけれど。
なのであくまで(別にノーラン版でなくてもいいが)バットマン他作品にある程度触れた人向けのこの点数ということですが、個人的には本当にいちいち辛くて、苦しくて、でも何処かで壊れてしまう事を望み、実は元々壊れていたのかもしれないと思い知らされ、最後には「結局、ジョーカーの事は何もわからない」という最高の状態にさせられた最高の一本でした。素晴らしかった!
観客はハーレイ・クィーン
ジョーカーのオリジンは、その時々によって違う。
なぜなら、ジョーカーは正体不明なので、本人から供述を取るしかないが、その供述すら言う度に異なり、何が真実かわからないから。
今回の話も真実なのか、病院で「思いついたジョーク」なのか。
こうしてインテリでハイソでお上品な美人精神科医ハーリーン・フランシス・クインゼルがハーレイ・クィーンになったように、観客はジョーカーに同調し共感する。
もっとも、足跡の血を見ると、最後のカウンセラーはジョーカーの好みじゃなかったらしい。
理解できないさ
ホアキンフェニックスの演技と演出が凄すぎて、あっという間の120分だった。
とにかく、笑いながら全感情を出すあの演技が、凄すぎて。目の青いメイクの下で涙を流しているのが切なかった。表情がすご過ぎる。
彼女?の存在が全部妄想だった時めちゃめちゃぞわっとした。
生れながら、ではなく環境で人がここまで狂っていく姿は、養子という設定だからこそ出たのかなと思うとすごい。
タロウのバカ、ホットサマーナイツ、惡の華の、思春期特有の悪や永遠に僕のものの遺伝子的な悪ではなく、環境が作り出した悪は、どの悪よりも悲惨で切ない。
この映画を見て、犯罪が増加することを危惧するのではなく、孤独と戦う人間に手を差し伸べる人間が増えればいいのにな、と思った。
アメリカンジョークわからなすぎてごめんなさい。
そんなに特殊な映像と音楽を使ってるようには見えなかったけれど、異様な緊迫感と殺伐とした世界がリアルで目を覆いたくなるような映画だった。
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