ジョーカーのレビュー・感想・評価
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JOKER誕生の意味づけを後から考えたら、こうなりました?
とにかく、演技に圧倒される。表情、ダンス、セリフ。
ジャック・ニコルソンかと錯覚すらするほど、2人が交錯するような絶妙な演技。
でも、残念なのは精神病を匂わせる背景だ。
もともと非現実な世界観なんだから、ほかに不幸は盛れそうなのに、精神を持ち出したら、何か違くない?
超人的な何かで語ってほしかったな。
でなきゃバットマンと渡り合えないじゃない。
何なら不幸のどん底から、改造人間にでもなってくれたほうが、まだ非現実かも。
演技が凄かっただけに、虚しい感じ。
重い
全編にわたり重苦しさが続く。見終わった後は疲れた。前半はゆっくり進むが後半の展開は見事。主役のホアキンの怪演は素晴らしいが、他の役者を飲み込むほどでジョーカーしか印象に残らない。それも狙いの1つなのかな。バットマンとの接点はあるがどうしてもタイムラグが気になる。ヒース・レジャーのジョーカーのイメージが強すぎるかも。違う物語として観た方がいいと思います。ラストはちょっと残念。
凄く良かったけど・・・
別の題材の脚本にジョーカーと言うキャラを追加した感があり、ジョーカーでなければならないと言うストーリーでは?
と感じました。
端的に言うと「精神病んだ社会の底辺のおっさんが、絶望して暴走する。」話です。(笑)
ホアキン・フェニックスの演技が、凄まじく、見事にジョーカーを演じていて作品に馴染んでいるのですが・・。
個人的な見解ですが、ジョーカーであるならば、天才的で、残忍な狡猾さの一端が、何処で演出されているならば完璧だったかと。
これから備わっていくと解釈すれば些細なものなのですが。
なんと言うか、最初の殺人は、衝動的でも良いのですが、第2第3の殺人も(元同僚とデニーロ)怨恨的衝動殺人なので、ここの部分に狡猾さとか計画性を演出すれば、ジョーカー誕生の雰囲気が、もっと出たかと。(狂気しか感じなかったのは自分の視野狭窄かな?)
後、実は昔、物理学者でしたとか数学者でしたとか頭の良さを伺わせる設定とか?
批判めいた事ばかり書いていますが、とても良かったんですよ!バットマンと実は、異母兄弟?(違ってましたが(笑))みたいなところとか、恋人は妄想でしたとか。(しかも、マーヴェルキャラのドミノが(笑))
格差社会が、クローズアップされ過ぎてその被害者感が強すぎたかなと。
まあ、勧善懲悪のコミック映画より(○ベンジャーズとか)より、よっぽど良かったですが。
後、ホアキン・フェニックスは、ダイエットしたこと見せびらかしたかったのか、やたら裸のシーンが多いなと。家の中のシーンほぼ裸じゃん!(笑)
他にも思うところはありますが、キリがないので。
joker、ジョーカー。ホラー映画としては。
予告編を見て。
恐々。こわごわ。
見終わった感想はそこまでではなかったような。
コメディアンを目指しながら、いまいちな日々の中での、津々浦々。
そこから、はじまって。
ちょこちょこちょこ。
最後は、バーーッと。
まあまあまあ。
アクションとかあまりなくて。
ホラーより。
怖さときもきもな感じで。
まあまあまあ。
アクションシーンがもっと欲しかったような。
もっと、スカッとしたシーンが少なくて。
まあ、こんなもんかなと。
狂気 ✕ 妄想 + 幻想 = 現実 ?
実はず〜っと昔にBDを購入していたのに、観たつもりでいて、全く観ていなかったと云う大チョンボ(古いねw)に気付き、「ダークナイトシリーズ」を観終わった記念で、気合いを入れて鑑賞。
これから書く感想は、極めて主観的なモノなので「そんな映画じゃないよ」と思う方には、先にお詫びしておく。
さて、何らかの精神障害を抱えている人は、程度の差こそあれ、何がしかの「この感覚は、普通の人とは違うんじゃないか?」と云う、全く確証の無い《不安感》みたいなものを必ず持っている。
周り中の人が笑っていても、自分には全然笑えなく感じる事や、世間が「変わった(人の)言動」と認識している事象も、自分には《そんなに可笑しな゙事では無いよ》と思える“様な時”が、しばしば想起されるからだ。
そうすると「自分は社会一般から“逸脱して”生きているのではないか?」と云う〈不安〉に直結してしまい、周囲の誰から「そんな事ないよ、別に普通だよ」と言われても、疑心暗鬼に陥ってしまう時が少なからず有る。
この作品は、そうした精神障害の極め付けみたいな主人公が、貧富の差や治安の悪い都市とタイミング悪く絡みついてしまうと、《こんなに恐ろしい怪物が、世の中に生まれるかもしれない》と云う、想像可能な作品に成っている。
又この作品には、単なる狂気だけではなく『強い妄想』も多く含まれている。例えば同じ階の若いシングルマザーとの《淡いロマンス》や、ピエロ仲間が押し付けた拳銃の《銃弾の残弾数》、突如爆笑すると云う気味の悪い発作の《出現するタイミング》等々、物語と合致しない点(≠現実)が散見される。
そして、制作陣が語っていた本作品の舞台背景にした、1981年頃の最悪の治安状況だった頃のニューヨークは、時にリアル、時に幻想的且つ殺伐とした雰囲気を良く作り出し、それら全てを上手に絡めたことによって、この物語を『何処から何処までがリアルで、何処から何処までがウソなのか分からない』、得体の知れない『異様な現実感』を強く放つ物語として創出した。
貧困により薬を止められる恐怖、その発作が故に起こしてしまった悲しい事件、元々の精神疾患を端に発した最悪の人生を歩んだ母親、その母にネグレクトされた記憶すらも思い出せない気の毒な主人公、それら全てを覆う社会不安…、これらはいつ何処の国でも「今後、未来に出現する可能性が無いとは言えない恐怖感」に、観終わった際、自分は打ちのめされるほど圧倒されてしまった。
『悲劇は喜劇にも成り、喜劇は悲劇とも成り得る』の格言通り、悲しさや恐ろしさと気の毒なタイミングでつい笑ってしまう可笑しさが綯い交ぜに成った、宣伝文句にある通りの《狂気の傑作》が、正に本作だと思う。
コレをワーナーやDCが、良く何の注文も付けずに作らせてくれたなと、アメリカ映画界の懐の深さ(?)につくづく感心したし、「ダークナイトシリーズ」ファンもよくぞ許したなと笑ってしまったw。
そして世界中の精神疾患を抱える人達が、この作品をスルー出来たことにも驚嘆の思いがした。
個人的には「内角高めのビーンボール」みたいに感じたが、皆さん強いんだねぇw。
映像の撮り方が上手いってだけで飽きずにはいたが。
物凄く凄惨な人生を送っていたわけでもなく、仕事もあり、趣味でステージにも立てて。。
笑わせられない実力なのに笑い物にされたという被害妄想。ジョーカーに振り切るほどのことではないと思う。自分に酔っててエって思った。ジェイソンを見習ってほしい。
サタンの誕生、バットマン観なきゃ〜
アーサーが小児科に銃を持ち込んで病室の子供や看護師がシーンとなり、変な空気になるシーン。アメリカ流ブラックジョークが少し笑えた。
アーサーが自宅でランドルを殺害し、ゲイリーが逃げようとするシーン。一刻も早く部屋から出たいのにドアの鍵に背が届かず、アーサーに開けてくれるよう頼むしかないゲイリー。人を絶望に陥れる演出がすごかった。
感じたこと、考えたこと感想。
アーサーの気持ちがわかるときもあったし、出てくる人たちもっと他人に優しくしてほしいとたくさん思った。
アーサーは酷い目に遭う、でも彼の行動には共感できない。映画の中では影響されてピエロのお面を被ってる人たちがたくさんいる。不満が溜まると起こり得ると思うと怖い。
現実でもあそこまで多くはないけど影響を受けて事件起こした人がいるし。
序盤で何度かボコボコにされる。自分には心無い言葉ばかり、でも殴ってきたやつは咎められないし恵まれてる、社会が許容してるような気持ちになって個人が憎かった筈が世の中が憎いになるのかもしれない。
・いくつか感想を見て
カリスマ悪役を魅力的に感じてた人は不幸なおじさんは魅力的に感じなかったようだ。
私も見る前の期待値が高かった。映像も良さげで。
自分の中でジョーカーといえばダークナイトが最新の記憶で、テレビでも名シーンとかで見るし、カリスマ悪役で人気だからそのイメージが強かった。
ファンではないし思い入れはないけど、知ってる人の感覚で見てた。
この映画を私はもっと感動か怖い系と思ってた。
・アーサーをみて
こういう人はたくさんいると思った。不満を持ってる。うまくいってない。酷い扱いをされる。
どこにでもいる人が誰でもアーサーになるかも知れないという怖さはあるかもと思った。
タイトルを見てキャラものと思っちゃうけど、負の感情が犯罪になるその象徴の名前みたい。
彼の演技はすばらしかった。
人への思いやりが大事な理由
犯罪後のアーサーに感化される人々の多さにゴッサムの社会状況が伺える。
格差問題について考えさせられる作品でした。
あと、ホアキンの演技が素晴らしい。。。
リアル
社会的弱者を鮮明に描いた素晴らしい作品。格差や不条理が散りばめられていて、弱者であるハッピーの視点から主観的に見ると誰も助けてくれない不満からJOKERが生まれたように見えるが、そうではない富裕層の立場では、ハッピーがただの”ゴミ”で関わってはいけない異常者にしか見えてない表現がリアルで素晴らしかった。
誰かがこうして社会のリアルな不条理を表現しないと社会的弱者の気持ちが伝わることはないし、このことを伝えて欲しい人もいたと思う。しかし、実際に裕福で幸せに育った、社会の不満を知らない人たちが見るとこの映画は”ゴミ”にしか見えないんだろうなと思った。
うーん…
展開に無理があるような気がする。。。
電車でのシーンは、銃声がすごいし、さすがに人が来るのでは?と思ったし
テレビ番組にあんな形で呼ばれるかな?と思ったり。
けど、それらも全部、ラストの『ジョーク』のくだりで
どこまでがジョーカーの妄想なのかよくわからなくしてるのがずるい。
思えば、『ありえないな』と思った箇所がことごとくジョーカーの妄想だったり
誰かの嘘だったりして、何が現実かよくわからなくしてる。
『不遇の人が世界を恨む』というのは個人的に気持ちはわかるから、変に期待しすぎてしまったのかな。
誰もがジョーカーなのだ。
バットマンシリーズは見てこなかったため、
ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー演じる歴代ジョーカーを観て「予習」した上で鑑賞。
舞台はゴッサムシティで幼少の頃のブルース・ウェインも登場するのだが、
アメコミ要素をあえて削ぎ落とし、「ジョーカー」と化してしまった男の悲哀と狂気を描いたヒューマンドラマであると感じた。
どこからどこまでが主人公の妄想だったのか?
一体正しい時系列はどうだったのか?
こんなのは「ジョーカー」ではない!
・・・などと議論や物議が醸し出される作品ではあるが、私はとくにそこまでの興味はない。
観る人によっては
幼稚だとか
傑作だとか
単純に怖いとか
評価は分かれるのだろうけど、
私はそのどちらでもない。
闇堕ちしていく主人公が自分の起こした行動により世間にある種ムーブメントを起こし、社会が崩壊していくこの作品は
不満を抱え、不遇に喘ぐ者たちほど魅了されるのではないだろうか?
そんなディストピアに病的に心惹かれるのだ。
物語終盤、車窓から暴徒により社会が壊されていく様をワクワクしながら眺めるあの「ジョーカー」のように。
無敵の人
この作品内において、序盤はジョーカーは自身も障害を持ちながらも、老いた母親の世話をして、一つを笑顔にさせたいという気持ちでコメディアンを目指す心優しい青年として描かれていた。
しかし、理不尽な理由で仕事先を首になり、父親には見放され、徐々に精神を蝕まれていく。
そして、地下鉄内でのサラリーマン3人を射殺したことで決定的に壊れてしまったのだ。
↑このようなストーリー展開のため、映画の空気は終始重く、救いがない。そのため、気分が落ち込んでしまったり、人によっては不快感を覚える作品であると思う。
しかし、フォアキンフェニックスの狂気の演技はとても見応えがあり、現代の社会にも通じる内容であると思うので、まだ観ていない人には是非視聴してほしい。
疲れてる時や落ち込んでいる時にはオススメしないが(笑)
思ってたんと違う
公開当時から映画予告や観た人の感想を聞いてずっと観たくてうずうずしていたものの、怖くて観れていなかった作品。
期待値が上がりまくっていただけに、少し拍子抜けしました。
心優しい青年が追い詰められて追い詰められて失意に伏すというのを想像していたんだけど、なんというか…んー。悲惨だとは思うけど、卑屈すぎじゃない?って思ってしまった。まあ結局全てが妄想だったという見方もできるし、色々な解釈の仕方ができるストーリー展開が面白い部分だと思うんだけど。可哀想な境遇の俺!狂ってる俺!以上!っていう大発表されて、あ、ハイ…って言うしかないっていう気持ち。
自分は今どちら側か
何種類も薬も飲み、診察に行き、カウンセリングを受けます。会社では上司や周りの理不尽な言動にニヤニヤして受け答えし、1人になったら壁を蹴っています。
冒頭、私の日常が再現されているようで怖くなりました。見るのをやめようかと思いましたが、止められませんでした。
何かきっかけさえあれば誰でもジョーカーになり得ると思います。
私も人生の途中まで自分はマレーやウェインだと思っていました。
今はウェインだと思ってる人も明日になればジョーカーになるし、逆もあり得ます。
昨日まで普通に暮らしていた住人達がジョーカーの仮面を付け暴動を起こし、平気で暴力を奮っていたのも同じです。
そう思うと人生は喜劇なのだと思わされます。
誰もがジョーカーになるかもしれない
ジョーカーがどのようにして生まれたか描かれている。経済的格差や親からの虐待、周りの人々の無関心さ、冷淡さの1つ1つがジョーカーを作り上げていく。誰もがジョーカーになる可能性はある。ただ、少数ではあるが自分を気遣ってくれる人の存在に気付ければ違った道もあったのかもしれない。完璧な人間はおらず、全てが善または悪と言うことはない。
タイトルなし(ネタバレ)
最後の暴動の時のほうが、いきいきしている。
賛同を得て大勢に認められた。
自分の存在意義を感じてる。
ちゃんと笑えてる。
悲しみと憎しみを抱えて、
なるべくしてなったジョーカー。
ダンスが上手でした。
これは地獄から生還する幸せの物語だ
暗い、重い、悲惨すぎる… 映画「ジョーカー」の感想によく出てくる言葉です。
まあ確かに。映画全編を覆うトーンから、そう感じるのはむべなるかなです。しかし私にはこの映画、絶望の底から自由と解放を勝ち取る、一人の男の覚醒を描いたドラマに映りました。ですから、悪の道への“転落”ではなく“昇華”の物語であり、ならばこそ主人公は次の境地に到ったのだと思います。
「人生は悲劇だと思ってた。だが今わかった、僕の人生は喜劇だ」
劇中、何が現実で何が妄想か判然としない手法で物語が進みます。しかし、彼がアーカム州立病院で自身の出生の真実を知るあたりから、しだいに“虚構”から“リアル”な存在に固まってきたように感じます。
ザジー・ビーツ演じるシングルマザー、ソフィーが殺されたのか何もなかったのか議論があるようですが、追及は不毛です。映画監督が意図的に示さない選択をしたということ。つまりどちらでも自由に想像してくれということです。(私は“殺られた”と思いました。)
デ・ニーロ演じるマレー・フランクリンをLIVEで殺害するシーン、及び深夜のゴッサムシティーでパトカーのボンネットの上に立ち上がり暴徒たちを見下ろすクライマックスは、映画のたたみかけとしては文句なしのな展開でした。絵が美しい。内容は暗く、凄惨ですが、美しい映像の連続でした。
ラストは精神病院です。彼は面談で例によって笑い出し、それを問い質す精神分析官に「ジョークを思いついた。でも君には理解出来ない」と言います。その笑いは、もう完全に精神疾患のそれではなく、確信的な笑いです。かつての彼は、顔は笑っていても心の中は苦しみに満ちていました。しかし今は心の底から笑っています。ものすごブラックに。もうすっかり「アーサー」ではなく「ジョーカー」です。
そして唐突に血の足跡を残しながら逃亡するラストシーンへつながります。 その走り方に暗さはありません。ユーモラスですらあります。この展開こそがジョークの中身だったのでしょうか。精神分析官は何の罪もないのに殺られちゃったんですかね。殺っちゃう対象は無差別の危険なヴィランになってます。
この映画を観て暗鬱になる人が多いようですが、私は楽しめました。主人公に共感も同情もしませんでしたが、カタルシスを味わうことはできました。同時に切なさも。これはジョーカーの辿りついた、極めて異質の“幸せ映画”です。
平凡な男の話
演技、音楽、演出。全てが上質で、掛け値なしに芸術的であったと思います。
ただ、説明文にあるような、悪のカリスマを期待して観に行くと肩透かしを受けるかなと。
だって平凡な男の話なんですよ。平凡な男に不幸な境遇が積み重なり遂に爆発。彼にとってそれが殺人だっただけで、例えばそれがやけ食いやテレビゲーム、その他の趣味だったら、世にありふれた良くある話じゃないですか。わざわざ映画で観る程ではないかと。
また、彼の起こした事件が妄想か現実か分からないような演出が評価されているようですが、所謂夢オチに近しいものを感じ、乗り切れません。
予備知識無しで観るには些か物足りない映画と感じました。
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