ジョーカーのレビュー・感想・評価
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理解できないさ
社会的弱者が、悲惨な状況の中でもハッピーに生きようと頑張っている中、自分の差別や非寛容に気づかない群衆たちによりどんどん追い詰められていく。
当人たちは面白おかしくやっているだけと思っているのだろうがそれがやられた側がどのように感じでいるのかを理解できない。
追い詰められた挙句、アーサーはジョーカーとなる。
最後には貧民層に祭り上げられながら悪のヒーローとなる。
電車で警官をリンチしたり最後のシーンで街を壊す民衆が、ジョーカーに賛同してるけど、ジョーカーを作り出した本人でもあるかも知れんってことをもうちょっと明確に書いて欲しかったと思う。
いじめの傍観者は加害者であるのと同じように、また加害者は自分の加虐行為に無自覚であるように、ジョーカーをもてはやしている民衆は、自分たちが弱者に対して加害者になる可能性があるということ、また思慮が足りてないのに、声が大きいことに賛同して行動に出ることがどれだけ愚かだということをもっと描いて欲しかった。そうしなければただ、ジョーカーがかっこいい、というような感想を抱いてしまう人も多いと思う。
最後のジョーカーのセリフ、
理解できないさ
に全てが詰まっているとおもう。
映画は少し冗長でした。演技はとてもうまかったです。
理屈なき「怒り」を肯定してくれる危ない映画
※『JOKER』が強烈な映画過ぎて、初めてレビューを書きたいと思ってしまいました。かなり拙く、個人の解釈に寄っています。
今作『JOKER』を観て、何故ジョーカー(アーサー)に感情移入してしまうのかわかりました。
それは理屈なき「怒り」を肯定してくれていたからだと思います。
アーサーはあまりにも可哀想で圧倒的弱者でした。そんなアーサーを観て沸々とこのゴッサム、世間に対する不満が募っていきます。でも、アーサーがジョーカーに生まれ変わっていく瞬間にこの不満が発散されてしまいます。とても残虐なやり方だとしてもです。
アーサーがテレビショーに出て司会者を銃殺する前に、「主観」で観ればいい、笑えるか、笑えないか的なことを言っています。
この意味合いは、自分の人生悲劇だと思ってたけど、実は喜劇だったとアーサーが主観してるという意味合いでした。
でも、この部分は色んな解釈ができると思います。酷いことを言われた、酷いことをされたと思ったけど、世間は気にしてくれない、大したことだと思ってないから、「怒り」を押し殺そうとしてたけど、「主観」で観て、解放するべきだよと耳元で囁かれている気もしました。
理屈より自分がどう感じたか。
かなり危ない映画だと思います。
自分もどこかで爆発しようと考える人もいるでしょう。でも、アーサーが劇中で「怒り」を体現してくれて解放感を感じる人もいると思います。ある意味、抑止力的な映画になってるかもしれません。
ストーリーとしては普通だと思いますが、テーマ性が強い作品。
一つの映画としても面白いし、ジョーカーのオリジンとしても面白かったと思います。
誰の心にもあること。
心優しき青年、アーサーは苦しい暮らしをおくっている。そんな中に若者にボコボコにされたり、会社からは解雇され、馬鹿にされ、蔑まれ、様々な出来事が彼を次第に追い詰めていく。
この映画の根幹にあるのは、富裕層の貧困層に対する思いにある。バットマンシリーズを通し、ウェイン(ブルース)に感情移入していたが、今作でのウェイン(トーマス)はあまり良いとはいえない。
それに加え、家族問題もクローズアップ。信じたくない現実が重なり、アーサーは「ジョーカー」となってしまう。
しかし、これは誰にでも起こりうる話なのではないだろうか。そういった現実性がある所もこの映画の素晴らしい点である。
バットマンのオリジンでもある
ラストのジョーカーの行動が引き金になり、トーマスとマーサが殺されブルースは親をなくす、
ジョーカーのオリジンであると共にバットマンのオリジンストーリーでもあり宿敵のジョーカーと既に会っていようとは…
もっとドロドロしているのかと思っていたので、案外観やすかったです。...
もっとドロドロしているのかと思っていたので、案外観やすかったです。
結局この映画は、「アーサーの頭の中で起きていた妄想を観ていた。」という解釈でいいんですかね?
最後に光が見えた
その時代を生きていないからどれだけ低所得者の不満な溜まってるのがわからないので、社会の情勢を抜きにアーサーがジョーカーに変わる過程を見た。
幼い時代の虐待、母の虚言、関心のないカウンセラー、嘘つきの同僚、冷たく暴力的な見知らぬ乗客…結果的に性格的にも生理的にも健全と言えない主人公には暖かいものは何一つなかった。
ずっと「この人の限界はいつくるだろ」と思いながら見てた。
これ以上の殺戮と混乱を避けるたまに、ネタ通りマリーショーの時は自殺したほしかったのに、暴徒たちに助け出されて踊り出すアーサーには警察から銃弾打たれないかと心配してた。矛盾しまくってる。
でも結末に「あなたにはわからない」とアーサーが行った時は長いトンネルの先に光が見えた感じだった。
この人は自分から解き放たれた。
ただそれはいいことかはわからないけど。
シネマではないような気がした
観ていて、最初はアーサーが不憫で不幸な立場に置かれている可哀想な人間に思える。
しかし、最終的にはアーサーに感情移入してしまう自分が怖く思えた。
アメリカ全土の抱えるタイムリーな不安要素を問題提起した映画だった。観る人を選ぶ映画だと思う。
エンターテイメント不幸
ジョーカーは、ジョーカーという人間ができあがるまでの話だとは聞いていた。
でも本当にただそれだけのような気がした。少し物足りないので☆3つ。
辛い幼少期の過去、精神的な病を抱えて、せっかく手にした仕事もクビ、家ではお母さんの介護。
序盤のどこに怒りをぶつけていいのかわからない状況のオンパレードは湊かなえの作品を見たときと似ている。
でもかわいそうな人間が狂った殺人鬼になったわけではない、ということがようやく終盤のコメディ番組にゲストとして出演するシーンで伝わってくる。
しっかりと施したメイクと衣装で番組に出て『ジョーカー』と名乗る彼は、いつしかノーメイクで舞台に立ったときのように笑いの発作はもうおきない。
軽やかなステップで道化に徹するところはどこか堂々としている。
アーサーが生きやすいように生きてみたら、行き着いた先がジョーカーだった。
喜劇も悲劇も主観、ならもっとポジティブにとらえられたらよかったのに、それができないのがジョーカーなのだろう。
そして、その彼のもつ妙な信念、徹底された狂気に私たちは惹き付けられてしまう。
ストーリーよりも、ゴッサムシティの街並みやアーサーの近所にあるらしい長い階段など、ひとつひとつのシーンがお洒落に作られていてそこだけはずっと楽しめた。
ホアキンの演技もherの時と同一人物とは思えない、凄みを感じた。
でもこれがそんなに賞賛されるような作品なのか、よくわからない。
喜劇と悲劇は紙一重
たぶん虐待受けてたとこは本当で
生まれた頃から親も狂っててスタートからめちゃくちゃな人生で
ピエロ騒動では
富裕層にはわかりえない苦しみをかかえた人たちにまつり上げられてヒーローに
ここはなんとも言えない感動があった
本人が望んだのとは違う形でスポットライトに当たり
喜劇のヒーローを夢見たのが悲劇のヒーローになってしまった。
ただ、最後にこれもすべて妄想なのかな?って考え始めると
いま見たストーリーは何だったのかとふと脱力する。
もしかしてチャーリーチャップリンにインスパイアされてる?とか考え始めるとヒーロームービーシリーズでそれは無しだろと思うし...
モヤモヤする
なんとも形容し難いストーリー
音楽、演出が素晴らしかったのと
出演直前の生き生きとしてるジョーカーはすごくカッコよかったな。
最下層の一般市民から悪のカリスマへの変遷
バットマンシリーズをそれほど観ていない、原作コミックも読んだことが無い者の感想です。
少ない知識ながら僕の中でジョーカーに対するイメージと言えば
飄々として掴みどころがなくカリスマ性があり
その名の通りこの世の全てを馬鹿にしているような純然たる悪の権化と言ったようなものでした。
しかし、この映画に出てくるアーサーは障害を抱えつつもコメディアンになることを夢見て真面目に生きる一般市民。
最初、ジョーカーのイメージと全く結びつかなくて困惑しました。
しかし、映画が進むにつれてアーサーはどんどん狂気に飲み込まれ大衆を巻き込み混沌と化していき
その中で正真正銘カリスマ的ヴィランが誕生したのです。
その変遷を素晴らしい演技、映像、音響で見せつけられ、後半は終始、魂を揺さぶられました。
ラストでは群衆に称えられ立ち尽くすジョーカーと、両親を殺され立ち尽くす幼きブルースに熱いものを感じました。
ある意味【ヒトに優しくなれる映画】
個人的観点で言わせて頂くと
見た後、『ヒトに優しくなれる映画』でした。
そして、あまりにも切なくて見ていて涙がこぼれてしまいました。
言い方は酷いですが、
現実世界の仕事で何れだけ蔑まされても
【彼】よりは幸せなんだと、
恐怖や緊張しても悲鳴をあげる事が出来ず
笑い声しか出ず周りに理解してもらえない、
薬も福祉の打ち切りから飲む事も出来ず、
【不幸】の一言では済まされない程の、
【不運】が、がんじがらめに絡み、産声をあげた様に見えました。
そして何処から何処までが彼の空想なのか。
因みに、ラストの廊下でのダンスの後、逃げ惑う姿が滑稽に見えてしまいました♪
そして哀しい乾いた笑い声が響き、
『こう言う笑い声しか出なくなってしまったのね…』
と、切なくなってしまいました。
悲劇か喜劇かそれは主観だ
私はこの映画を観たら、もしかしたらジョーカーという人間に同情して
彼の悪を赦してしまうのではないかと心配していた。
それ故にこの映画を見る半日前からすこし憂鬱な気分になっていた。
いや、「心配」ではなく、
もしかしたらそうなることを
「この世には赦される悪もあるのではないか?」
そういうものが見れるのではないかと少しだけ期待していたのかもしれない。
しかしその期待は裏切られた。
彼は自分の人生を喜劇だと言った。
しかしこの物語を見た人は皆口を揃えて
「彼の人生は悲劇だ」と断言するだろう。
その意味を深く考え、
私達が生きるこの社会を見つめなければならないと
考えさせられる映画だった。
香港の民主化デモを彷彿とさせる映像
親に裏切られた親孝行な青年が、悪に堕ちていく姿は、
観ていて身につまされる。
暴力の連鎖に町を荒廃させていく姿は、未来の私たちの姿だろうか?
覆面禁止法が施行されて、青年が逮捕、投獄されている、隣国のニュースを見ながら
、ふと考えた。
凄みがある
ダークナイトのジョーカーは純粋な悪で、人とも悪魔ともつかない存在だった。この映画では、ジョーカーがなぜ生まれたのかを描いているが、見る前は、ジョーカーのルーツを語ることで存在が矮小化してしまわないか心配だった。
結果、バットマンビギンズに繋がるところもそうでないところもあり、バットマンという作品群の中で描かれてきたジョーカーの一つの物語という感じ。
腐敗した政治と社会が生んだ浄化作用としてのバットマンとジョーカーの根っこは同じところにあり、社会に対する怒りの表と裏のように思えるが、ジョーカーのそれの方がより暗鬱としていて庶民の苦しさに寄っている。それだけに恐ろしい。
ホアキンフェニックスの演技に凄みがある。
テレビショーの司会役でデニーロが出てきて立ちあがりそうになった!パプキンじゃないか!あれは夢じゃなかったんだね。。。
バットマンにわかですが楽しめました
この映画について、「2度と観たくないほど暗い」などのレビューを拝見し、仕事終わりに観てまいりました。
恥ずかしながらバットマンについては未視聴で知識がなかったので、事前にビギンズ、ダークナイトのみ視聴いたしました。
ウェイン家についてはビギンズを観てからの方がわかりやすいかな?とも思いますが、そもそもの視点が違うため未視聴でもさして問題は無かったかと思います。
ただし、ブルース視点からのウェイン家を観てからの方が、『視点が変われば善悪も変わる』話の重みが増すかもしれません。
『過酷な状況に追い詰められた可哀想な男が精神を病み狂ってしまうお話』と観るとバッドエンドなのかもしれませんが、
『世間より虐げられてきた男がさまざまなものから解放され、自分の存在、居場所を見つけるストーリー』として観るならば、むしろハッピーなお話なのでは無いでしょうか?
実際に、"ジョーカー"になってからは、前半の暗くどんよりした雰囲気とはうって変わって、明るいシーンが多く感じました。
正直な話、ここまでのアーサーの行動、状況を踏まえても、こうなるより幸せな道は無いのではないかと思ってしまいます。
ただ、他の方もおっしゃっているように、既存のジョーカー像とは異なった点が山ほどありますので、バットマンシリーズのファンの方々は、
『今までのバットマンシリーズの、ジョーカーのスピンオフ』としてでは無く、別世界のものとして観た方が面白いかもしれません。
乱文失礼致しました。
2回観たい
映像が綺麗、引き込まれます
1回目はどこからどこまでが
アーサーの妄想か、真実はなんなのかを
すごく考えてしまいました。
(一緒に観に行った人と話しして
意見が真っ二つに割れるくらい)
でもそんなに深く考えなくてもよかったんだと思います
1人の人間の人生の一部分、
絶望のどん底に落ちる様を
ただただ何も考えずに
見てほしい。
こんな人生だったら
こうなっちゃうよな…と
見終わったあとに
悪の英雄となってしまった
アーサーに同情して感情移入
してしまいそうな自分がいます
まんまとやられました!
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