ジョーカーのレビュー・感想・評価
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ジョーカーの狂気があなたを引きずり込む。
非常にクオリティの高い映画だった。
どのレビューを見ても評価は高く、それに値するだけのものであったと思う。
(実際私も高評価をつけた。)
それだけに、このレビューは慎重に進めなければならない。
まず最初に、「バットマン」に対する私の姿勢を示しておくと、
好きだけどそんなに詳しくはない。
これが正直なところです。
もちろん1990年頃のティム・バートン監督バットマンは何度も見たし、いわゆるトリロジーと呼ばれる3部作も大好き。けれど、コミックとかテレビドラマバージョンにはノータッチなので、元がどうとか言う話をされると
あ、そうなんだ。
ということになる。笑
最も好きなバッドマン映画は多くの人がそうであるように、クリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」で、ヒース・レジャーのジョーカーが一番魅力的だと思う。つまり、ごくごく一般的かつ"にわか"らしい立場にいる。このレビューを見て、「にわか分かってねぇわ」と感じるか「ジョーカーをそう受け取ってる人もいるのか」と寛大に捉えて頂けるかは、皆さんに委ねたい。
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ジョーカーの誕生を描くのは非常に難しい作業だったはず。なぜなら、過去に映像化されたキャラクター像が決して統一されていないから。
そもそもジョーカーの正体からして設定が違うし、細かいところを言えば口の傷の有無、肌の白さの原因、あの狂気的な性格でさえ母親が関係しているとか恋人がそうさせたとか、今作が公開される前からファンの間では度々憶測と議論を呼んでいた。
この映画を観る事でその辺りの一つの回答が得られると期待したファンも少なくないだろう。結果から言えば、どんな回答も得られなかった。
いや、映画の中で答えは示されている。しかし、映画観賞後も「こうだ!」とは不思議と言い切れないのである。
一番分かりやすい例が、あの狂気的な性格だ。
あれに母親の存在が絡んでいた事は映画を見れば明らかなのだが、逆に、
「じゃあ彼は母親の影響であぁなったんだね」
と、誰かに尋ねられた場合、きっと多くの人が
「まぁ、それも一つの理由ではあると思うけど、、、」
位にしか返せないのではないだろうか。
映画では度々、キャラクターと出来事とが非常に簡潔に結び付けられる。
この出来事があったからこのキャラはこういう価値観を持った、とか。
この怒りはあの出来事があったから。
あの一件でこの人は恋をした。
この行動はあの時の行動が伏線なんだ。
といった具合に。
ところが現実に置き換えて考えてみると、感情とか価値観、行動はあらゆる要素が互いに作用しあって生まれるし育まれるものだと思う。
トッド監督もこの点にはかなり気を遣ったようで、「JOKER」ではその部分が見事なまでに表現されていた。だから明確な答えは得られず「それも一つの理由ではある」という言い方しかできないのだろう。
"ジョーカーの狂気は彼が元々持っていたもの"
この描き方が本当に素晴らしく、何かがあって狂気が生まれたのではなく、障害(それすらジョークだったのかもしれないが)の裏に隠れた生来の狂気に素直になっていく。122分を通じて描かれたのはそこで、程度はあれど誰もが共感(或いは同情)できるし、危険だが感化されるのは自然なことに感じる。見事な脚本だ。
「ダークナイト」の一幕で
"別に俺は計算高くない。行き当たりばったりだ。そっちのが楽しいだろう?"
そんな事を言っていたジョーカーがふと浮かんだ。
気になったところといえば
・ジョーカーとブルースの変な年齢のギャップ
・ジョーカーというキャラクター像の微妙なズレ
・オマージュの多さ
2人の年齢は詳しく明かされていなかったはずだが、今作では少なく見積もっても17.8の年齢差があるように見える。これまでの作品でそこまで年が離れている印象は受けなかったので、微妙に違和感があった。
ジョーカーは"悪のカリスマ"とよく形容されるが、今作生まれたジョーカーは最終的に"悪の親玉"にはなれても"カリスマ"ではなかったように感じる。
別に悪事に対してスマートではないし、なんだったら最後の一幕も"のし上がった"というより"担ぎ上げられた"という方がしっくりくる。車上で喝采を浴びる彼が、担がれたまま調子に乗って悪事を働けばすぐに失墜し、死を見ることになるだろうなという予感が働く。
カリスマとは程遠いキャラクター像だ。
また、拳銃を多用してたのも気になった。
彼と言えばナイフや爆弾、毒薬というイメージがある。ところが今作では拳銃の力に魅入られ、フランクリンを殺すのにも拳銃を使用したし、手で銃を作って自らの頭に突きつけるシーンも繰り返された。何より、彼の初めての殺しが拳銃によるものなのもキャラクターとして微妙に思う。
映画冒頭、拳銃を持たないアーサーが悪ガキ相手に袋叩きにされる場面があるが、ここで彼は抵抗しない。
しかし、電車内でエリートに絡まれた時には拳銃を携帯していたので彼らを射殺する。
この2つのシーンの拳銃の有無は逆だった方が、よりジョーカーらしいのではないかと思う。
序盤の、精神がまだ安定してる時には拳銃を持っていようと抵抗せず
中盤、狂気に飲み込まれ始めると拳銃を持っていなくても素手で反撃し、相手を殴り殺すか刺し殺す。
という場面の比較をした方が、彼のキャラクター像を想像しやすい。
こういう今までのジョーカー像との微妙なズレが目につくシーンが多々あった。
しかし、こここそが、例の、"回答を得られなかったのに評価が高い理由"だとも言えるだろう。つまり、続きを予感させる。笑
映画が製作されるかどうかは全くの別問題として、自らの狂気に浸り悪に染まったアーサーがジョーカーに目覚めたのが今作なら、ジョーカーが真にカリスマとなる物語がこの後にあっても不思議ではない。
その道のりの中に今回あやふやになった解答が潜んでいる気がしてならないのは確かだ。
最後に、オマージュの多さについて。
今作のメガホンをとったトッド・フィリップス監督は、コメディ映画の製作に秀でた人物で、スリラー・クライムサスペンスの気分がある作品を手掛けるのは今回が初となる。
それ故、製作するにあたり、彼自身、1970〜80年代のあらゆる作品を参考にしたと語っている。
先述した、手を拳銃の形にして自らの頭に突きつけるシーンや電車内での射殺のシーン、様々な場面でのカメラワーク、フランクリンの番組セットにピエロメイクの意味の持たせ方などはスコセッシ監督の「タクシードライバー」「キングオブコメディ」を間違いなく意識してるし、音楽では喜劇王チャップリンとアーサーとをクロスオーバーさせるように「スマイル」が流れる。時代の空気感の演出も70〜80年代の映画の影響を色濃く感じた。
往年の名作をオマージュする事は決して悪いことではないし、それが粋だなと思うシーンも多々あった。
しかし、今作では量の意味であまりにやり過ぎたというか、監督の「こういう仕事は初めてだけど、俺はこんなに作品を知ってるぜ」とでも言うような、「コメディ以外にも作れるの?」という民衆の疑問に対する言い訳というか、それを言わせないための先回りというか。そういう気概を感じてしまって、終盤にオマージュが出てくるともはや少し興醒めだった。
ホアキンの素晴らしい演技と、台詞がない方がむしろキャラクターを表現しうる肉体。
観客の内なる狂気をも刺激する脚本。
これらがなければ、"どのシーンもなんか見たことある"という下らなさと退屈さを纏ってしまっただろう。
素晴らしい演技をする俳優達と素晴らしい脚本家が畑違いの監督の元に集まった。
強い言い方をすればそういう後味の悪さが残る映画でもあった。
全てが負の積み重ねになった男って感じ
ダークグリーンの髪にワインレッドのスーツっていうセンスがいい
タクシーの中のピエロ見てる時目があってる気がしてドキってした
この映画を見て学んだことは
人に思いやりを持つことが大事だけど
思いやれたいならたとえ心が病んでいても素直になるべきだということ
主人公は被害者ぶりすぎていてダメだなーと思った
自分だけでは自分が救えなくなるほど周りが見えなくにる前に自分と似たような集団の一人になれればよかったのにね
共感性羞恥の方に見てほしい
タイトル通りです。
私は共感性羞恥があるので、映画内で主人公が恥をかいたりするとなぜか恥ずかしくなり目を瞑ってしまいます。
結構な数の映画を映画館で観てますが、この映画は特に酷いです。鬱映画です。救いがないです。
ただ主人公が吹っ切れてからは爽快感があり、目を開けて見ていられました。
予習をまったくせずに鑑賞したので、ネタバレサイトを見て行ったら違っていたのかもしれません。
前半では追いかけて、後半では追いかけられる。
どこまでが妄想で、どこまでが現実なのか。
黒人の女性のシーンは途中見ていて違和感があっても、予想もしない展開でした。
逆にコメディー番組は本当に呼ばれたのか疑って見ていました。
最後の赤い足跡。
あれは何を意味するんでしょうか。
最後に出てきた方って、最初に出てきた臨床心理士の方ですよね。
すべてアーサーの妄想で、実際には起きてない出来事だったんでしょうか。
赤い足跡は臨床心理士の女性を殺害した血痕?
色々考えましたが、私はすべて実際に起きた出来事だと思います。
喜怒哀楽の楽のカリスマになりたかったアーサー。だけどジョーカーのカリスマ性は怒の部分で発揮されます。
とにかく映画館で観て、このネタバレ感想の意味を理解して頂きたいです。
そして自分自身の人生に潤いを与えようと共感して下さると嬉しいです。
どエグい悲劇を喜劇でお届け
内容最高。それは置いといて。
救いのない悲しい男の悲しい物語を喜劇仕立てに包んで「アッハッハ、どうぞ笑って晴れやかな気持ちで帰ってください」みたいにした始まりと終わり方の狂気。
バットマンと対峙してる頃のジョーカーが嫌味と悪趣味で作ったかのような不気味な演出が最高だった。
ジョーカーが生まれた夜にバットマンも…というサーガ的なつながりはさすがアメコミ映画。期待を上回った部分。
口を裂くのは別の話なんだっけ?
もっとドロドロはダメなのかな、、、
うーん、正直期待しすぎて少し肩透かしを食らった感はある。グラディエーターの時からホアキンはイヤらしい演技に定評があったけど、今回はもっとぶっ壊れを演じて欲しかったかな。その点、やっぱヒースのジョーカーはカリスマ性が凄かった。題材と役者はいいけどそれを活かしきれてない気がして残念だった。
共感できない。
僕は彼みたいな人間が大嫌いだ。
貧しい家庭環境、持病である精神疾患、自分の弱さや世間や社会、周りの環境のせいにしてアーサーは闇の中へ堕ちていく。
彼は言っていた、失うものは何も無い。それはそうだ彼はなんの努力も何もやってこなかったから。
僕は彼に共感できない。どんなに不遇な環境でも努力して生きるのが人生だ。アーサーが犯した罪は決して共感できる事でも許されることでもない。
この映画を見て共感したと思った人。それは危険な考えだ。
ただ、映像の見せ方、役者の演技力はさすがだなと思いました。
うん、知ってた
これが、ビギニングみたいに誰の映画かわからないで見たら楽しかったのかもしれないけれども、
公式にジョーカーのお話だよと前置きある状態で見たら『うん、知ってた』ってなる
ややヤバめの人が、なんやかんやあって
結局キレちゃったお話
これを2時間強、結末わかってるのに淡々と続けるにはちょっと無理があるかも知らん
2時間かけて、ただただバットエンドに起伏もなくゆるゆると連れてかれる話
後、怪演と言われるが
ヒースの演技とう言う見本があるからそれも薄れるんだよなぁ
逆に、ヒースが居なかったら凄い評価されたんでは??
誰でもジョーカーになる
ジョーカーは惨い事件を起こしていくのだが、
私は責めることが出来ず 彼に共感していた
ジョーカーとなって主人公が心を解放された
シーンを観た時は何故か涙が溢れてしまった
貧しさは心も貧しくし相手にもやさしくすることは
不可能なのだろうか?
貧困が母親が人々の心の貧しさが彼を誕生させ
恐ろしく悲しい事件が起きてしまった
観ていて心が痛んだ
バットマンは観たことがないけど
正真正銘の傑作。
相模原殺傷事件も、京アニの事件も、仕事柄「私が犯人でもおかしくなかったな」と思っているのだけど、この映画はそれを裏付けてくれたような気がする。
誰がああなってもおかしくないのでは。
苦しいときにサポートもなく、自力で這い上がるすべがなく、追い打ちをかけるような出来事が次々と起きたら。
音楽もいいし映像の雰囲気もいい。途中で妄想と現実の区別がなくなっていることをきちんと描くことで、今まで観ていたものももしかして本当のことではないのかな?と思わせるし、じゃあ本当のことって何なのかな?とも思う。何よりジョーカーの目の演技がいい。
車のボンネットの上で無理矢理笑顔を作るジョーカー。沢山の人が自分を見てくれて嬉しい、でも寂しくて悲しくて後悔もしてる、けど楽しい気もするし誇らしい気もする。相反する感情があらわれているのは、全編を通して彼にとっての笑顔、笑いを描いてきたからだと思う。
欲しかったのはハグとキスだけって言うのが一番胸にくる感じがした。
あまり感想をまとめられない映画。
やるせない気持ちになるけど、観てよかったなと思った。
これを分からない、つまらないと言える人生でありたかった。
観客の善意を笑いものにする悪意に満ちたエンターテインメント
虐待だの格差社会だのおあつらえ向きの「俺がこうなってしまった原因」を並べ立てて、「あなたがそのようになってしまったのはよくわかる、私があなただったら私も同じようになっていたかもしれない」と善意の観客に思わせておいて、すべてはジョークだと心の中でケタケタと笑ってみせる、なんとも悪意に満ちた映画である。
思えばホアキン・フェニックスも、現実に悪趣味な虚構を持ち込んで世間の不評を買ったが、まさに彼にぴったりの役であったか。
予備知識が多少いる作品
バットマンをあまり知らないで見に行くとちょっと難しい作品(かくいう自分もそうでした)
ただ、単体の作品として見ても惹き付けられるものはありました
稀代のカリスマヒールがいかにして誕生したのかを描いた映画です
会社、社会に裏切られ捨てられ、更に母親の裏切り(仕方ない所もあるが)にも合い、恋人も実は妄想とわかってこの世の全てに絶望した男の成れの果てがジョーカーという
正直、バットマンの映画なり見て予備知識入れて行かなかったのを後悔しました
分かってる人が見たらもっと面白いのかなぁ
誰もがなりえるっていうオチ展開でいいの?
今までのジョーカーになるまでっていう
大事なヒストリーがこんな形でいいの?って感じ。
そもそも今までのジョーカーの印象が
頭がいい。サイコパス。笑えないジョーク。
狂気的にみえて魅力がある。とかで
特にスーサイドスクワットのジョーカーは
色気もあってハーレーが好きになる気持ちが
ひしひしと伝わる作品だった気がする。
今回の描くジョーカーは
親からの虐待、元々の病気、精神疾患、人間不信。
どこらへんにもあるようなオチでまとめられた気がする。
まあ別に同じ病気を持っていて虐待受けたら
ジョーカーになれますか?って言ったらなれないし
そう思うと本人の本質的なところは
他人とずば抜けて違うのかなあって感じはするけど。
観客側が誰もがジョーカーになりえる
って思わせたいのはわかるけど、そんなの良くある話だし
大好きなジョーカーだからこそ
そこは身近に感じたくなかったな、個人的には。
どちらかというとアーサーの母親のほうが
サイコパス的だろうし
ストーリー展開したら面白そうだなって思った(笑)
妄想性障害って突き詰めたはおもしろそうだし、
今回のジョーカーも悲しいシーン以外は
基本的に本人の妄想で終わったしね。
最後のピエロが蔓延するくだりも妄想だったら
私はめちゃくちゃ好きだなあって感じた。
でも今までのジョーカーって頭キレてるし
妄想性障害見当たらないんだけど?
女に依存もしないしね。そこ思うと矛盾してない?
覚醒したから本人のそういった症状は
全てなくなったって考えると妥当かな?
そしたらピエロ蔓延は事実になるけど。
まあでも色々思うところはあるけど
色彩も綺麗だったし音楽も良かったし
映画館で見れてよかった!
考察も楽しかったし!
夜明けまで強がらなくていい
ある男は言った。
夜は夜明け前が最も暗い。約束します。夜明けは間近です。
夜明けがアーサーには一度も訪れなかった。
ゴッサムシティが混沌とし、弱者は弱者を虐め、仲間と呼べるものもいない。病気の母を抱えながら、孤立していく。
希望はあった。それはTVの司会者、ゴッサムの権力者、何より自分自身である。
耐え続けるアーサーは、一度のミスで職を失う。
職を失ってもアーサーは舞台に立ち、人を笑わせようとする。しかし結果は出ない。
社会はさらに不幸を押しつける。
周りから疎まれ、
さらには暴力を振るってくる。
夜明けまで待つことなく、アーサーは、
悲劇の連鎖に耐えることを辞め、引き金を引く。
ジョーカーはいかにして生まれたのか。
明確なタイミングが分からなかった。
ただアーサーは死んでいない。
いや死んでいない? 死んで(この世に)いない?
どちらにせよアーサーはジョーカーに変貌し、
ゴッサムを混乱に導く。
夜は夜明け前が最も暗い。ならそのまま。大衆はそれを望んでいる。
この世界のゴッサムに夜明けが来るのはいつになるだろう。それまで耐えるべきか。
俺は氷のスーツに着替える。
みんな狂ってる。
強がらなくていい。
タイトルなし(ネタバレ)
主人公が社会に不適合でうまくいかず、社会に裏切れ
、自分の母親にも裏切れ、友人にも裏切れ信じるものがなくなった。
そんな、主人公が暴力で世間の同じような境遇にある人達から認められて暴力こそが正しいと思う事で存在していけると思える所からこの物語があると気がしました。
一つのきっかけで共感を持つ人達からシンボルになり、小さな波が大きなに波に変わるようなそんな恐ろしさも感じました。
どこか可哀想な所もあり同情出来るような所もあるような感じがしたけど、それだけしか思って生きていけない悲しいと思えました!
最後に何故か清々しく
ジョーカーはバットマンの悪役という程度の情報で、評判の良い本作を鑑賞しました。
ホアキンフェニックスの演技にやられました。殺人は、悪い事なのに、感情移入しまくり、気付いたらアーサーを応援していました。地下鉄のヤッピー達がホント嫌味で、そんな奴ら撃っちゃえ!と←オイオイ。
アーサーが闇落ちするのは、哀しいはずなのに、最後には何故か凄いカタルシス。
謎がいっぱい。
バットマンの宿敵、ジョーカーの過去を描く。
なによりも驚きなのは、あの「ハングオーバー」のトッド・フィリップスが本作を手がけていることだ。そのことにずっと気をとられていた。
アーサー(ホアキン・フェニックス)がジョーカーになってしまう過程が緻密に描かれている。
コメディアンになりたかったアーサー。ピエロの扮装をしてサンドイッチマンの仕事をこなす。
カウンセリングを受けながら。
・・・・・
すべてがアーサーの妄想だとする説がある。
同じマンションの彼女の件りは妄想だとはっきり示されるが、ことによるとマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)もアーサーの創作かもしれない・・・。
ホアキン・フェニックスの怪演と謎が散りばめられている脚本で、リピーターが続出しそうな感じ。日本での大ヒットは必然か。
DCコミックスの映画化で、オスカー戦線に登場できるか、楽しみなところである。
悪の天才ジョーカーの誕生譚
バットマンに登場するジョーカーは、アメコミ史上最も人気のあるヴィラン(悪役)といっても過言ではない。そんなジョーカーがいかにして生まれ、悪に染まっていったのか。それが描かれた映画になります。
コメディアンを夢見てピエロの扮装で人々を楽しませる仕事をしていた主人公アーサー。周りの人を笑顔にしたいという理想とは対照的に、彼の人生は暗かった。体の弱い老いた母親と二人暮らし。自身も精神的な障害で突然笑いが止まらなくなるという発作が起こるため市の運営する精神カウンセリングを受けていた。
心やさしい男であったはずのアーサーだが、紆余曲折あって三人の男を殺害してしまう。
ゴッサムシティで貧富の差が拡大して貧困層が富裕層に敵対心を持っていたことや、殺害した男たちが一流証券会社に勤める上流階級の人間であったことなどが理由で、貧困層の人間の中でピエロ(アーサー)がカリスマ的人気を得るようになり……というのが本作の概要。
鑑賞前から「賛否両論ある作品」ということが言われていましたが、本当にその通り。これは観る人によっては殺人犯を肯定的に捉えているようにも見えるかもしれません。「ジョーカーを貧困や暴力に追い詰められて人を殺めてしまった男として描かれている」というレビューも実際見ました。
ただ、私にはそうは見えませんでした。ジョーカーは「元より犯罪者としての欲求と才能を持つ男」に描かれているように感じました。私から見たジョーカーは、「母親からの呪縛によりコメディアンを夢見る男の皮を被って生活していたが、母親を殺害することで呪縛から解き放たれた犯罪のカリスマ」です。ジョーカーの人格や才能はそもそも生まれつきだったように見えました。
また、単純な殺人犯ではなく、自分の犯罪にある種の美学のようなものを持っている描写もありました。元同僚の小人症の男を殺さずに逃がした場面が特にそうです。アーサーの台詞、「君は私の悪口を言わなかった(だから殺さない)」というのは「ジョーカーには殺す殺さないの基準が存在する」という意味で、つまりは「誰かれ構わず殺すわけではない」ということです。
日本でも過去に「津山事件」という大量殺人事件が起こりましたが、犯人の都井は全く同じ理由で村人を殺さずに逃がしたというエピソードがあります。
単なる「快楽殺人者」ではなく「犯罪のカリスマ」としてのジョーカーが丁寧に描かれており、個人的にもこの描写は高評価です。
この映画は観る人によって評価が大きく異なる映画です。大絶賛する人も多い一方で、酷評する人もかなりいらっしゃるように感じます。登場人物の心情が言葉ではなく演出で表現されるため、受け取り手によって感じるイメージが大きく異なります。自分はどう感じたのか、鑑賞した人たちが各々の意見を語り合うのが非常に楽しい作品です。多くの人に観てほしい、そんな素晴らしい作品でした。オススメです。
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