ジョーカーのレビュー・感想・評価
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現実世界は、ジョーカーを生み出す
※実は公開当日に観ましたが、様々な理由から遅くなってしまいました。
観た後、僕は呆然としました。
あまりにも内容がリアルでセンセーショナルなだけに恐ろしいです…
劇場を出た後、僕は激しい感情の入り乱れが起きました。
「凄まじい映画を観た」と興奮し、
「こんな危険な内容を絶賛して良いのか?」と葛藤しました。
さてジョーカーと言えば、今までジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレット・レトの3人が演じてきました。
その中でも僕は何と言ってもヒース・レジャーでした!
そのヒース・レジャーのジョーカーは、とにかくクレイジーな行動をしでかすサイコパスでもあり、頭のキレるという最高の悪役でもあります。
これはあくまで自分の勝手な解釈ですが、個人的にはジョーカーは「混乱をもたらす者」というイメージです。
だからこそ、この映画はだいたいイメージ通りではありましたが、ヒース・レジャーのサイコパス感とはまた違ったジョーカー像になりました。
さて、この映画で僕は2つの"怖さ"を感じました。
それは、「ジョーカーという人物」の怖さ、もう一つは「リアル」という名の怖さです。
この映画では、自分の病気や貧困問題、いじめ等の数々の問題を抱えながら生きているジョーカーことアーサー・フレックが描かれています。
ヒース・レジャーを超えたかどうかは解りませんが、ホアキン・フェニックスの演技は確かに狂気を感じるほどに凄まじい演技でした!
特に予告編でも流れていた「高笑いをした後の無表情」は本編観ると更にゾッとなります。
他にも挙げたらキリがありませんが、このヒース・レジャーとはまた違った怖さを体験することが出来ました。
そして、ホアキンの演技と素晴らしいジョーカー像と相まってか彼の行動が全然予想出来ませんでした。
特に悪に染まった後の彼の行動は得体の知れない怖さがあって常にゾクッとしてました。
今作のジョーカーは彼がジョーカーになるまでが描かれていますが、彼の心情の根幹まではそんなに触れられません。
もともと健常者だったけど自分の境遇に絶望して悪の道に外れたのか、元から悪を秘めていて自分の境遇を境にそれを解き放ってしまったのか。
このどちらかだと思いますが、どちらも共通してるのは「自分の悲劇を喜劇と捉えた」ことです。
ちなみに、この映画は「タクシー・ドライバー」と「キングオブコメディ」から影響を受けたと監督は公言していますが、僕は「タクシードライバー」のみ観ています。
なのでキングオブコメディには触れられませんが、「タクシードライバー」には確かに連想する場面が多かったです。
ゴッサムシティの息苦しく鬱々とした空気や主人公の無垢で毒を漂わせる心情等、この映画にも出演しているロバート・デ・ニーロを思わせるものがあります。
何と言っても、鏡に向かって銃を構えるシーンはそっくりです!
もう一つの「リアル」な怖さというのは、この内容が現在の社会情勢に思い当たる部分が非常に多いということです。
ゴッサムシティにおける富裕層と貧困層の分断は世界中どこでも起こっていることですし、日本でもそうです。
また、劇中でジョーカーに影響されて仮面を被ってデモに参加する光景はまさしく今の香港そのものです。
(つい先日覆面禁止法という法律が施行されたのも考えさせられます)
今作のゴッサムシティは、まさしく今の世界情勢の象徴としか思えません!
この映画は、明らかに現実世界にジョーカーを生み出したら?という内容であり、そういった意味では現実世界に現れたゴジラを描く「シン・ゴジラ」にも少し共通している部分はあると思います。
その要素を引き出したのは他でもない演出や映像のフレーミングの素晴らしさです!
ちなみに好きじゃなかった点としては、ジョーカーを頭良いところを見せて欲しかったところです。
そういうイメージが付いてたので、そこのところ物足りなく感じました。
ジョーカー、それは「混乱をもたらす者」
この世界は、きっとジョーカーという名の怪物を生み出してしまうのかもしれません。
公開初日の夜に
映画鑑賞する前にジョーカーに対するイメージがあったため、自分の中のジョーカー像と作品の中でのジョーカーの精神の変化に隔たりがありました。
あらゆる極悪な犯罪に手を染めることに何の抵抗もない、そんなジョーカーにそんなことでなっちゃうのって思ってしまいました。
人ってそんな簡単に変わらないでしょって。
あとバットマンになるブルースウェインとのつながりも要らなかったかなと思います。
ダークナイトを観た方なら分かると思いますが、年齢が合わないというかジョーカーってそんなに歳いってるのっていうか。
私は個人的にジョーカーがあのジョーカーにどうやってなってしまったかを観たかったので、そこをつなげてしまうと時代背景とか気になってしまいますよね。
他人事じゃない!!
どん底に突き落とされ、八方塞がりとなり、心の拠り所となっていたものが次々と奪われていったら、自分ならどう立ち回るんだろう?そんな絶望を抱えても生きるという選択をした場合に、真っ当に生きる道など残されているものなのか?とか…。
本作は決して犯罪者を称賛しているものでは無いし、アーサーの不幸な境遇を犯罪行為に対しての言い訳や免罪符として描いているものでは無いと言うこと。
あくまでもアーサーが犯罪者(ジョーカー)に至るまでのメカニズムを見せ、怪物ジョーカーを誕生させた責任の所在を問うているだけなのです。
生活に困窮し、絶望の果てにジョーカーに至った要因も全てアーサーの自己責任と切り捨てていいの?
アーサーを困窮に追いやった政策を打った政治家や、その政治家を選んだ有権者(投票行動を起こさず、白紙委任した人々も)の責任は全く無いの?等々…。
そんな本作も鑑賞前は格差社会を主題にした作品の主人公がジョーカーであることの必然性を感じませんでした。
しかし、お馴染みのキャラクターを起用する事で、過去のバットマン作品でブルース・ウェイン(ウェイン家)=正義の人のイメージを植え付けられた観客を本作ではジョーカー側の視点に立たせる事で、例えそれが第三者からみて歪んだものとしてみえたとしても、立場が変われば相手に対する見方も変わり、善人にも悪人でもなり得る(本作でも用いられるジョーカーのセリフ、『善と悪は主観でしかない』)事が分かり易く伝わるし、
幼きブルースがジョーカーと同じピエロに扮した名もなき暴漢に両親が惨殺されるのを目の当たりにするエピソードも、憎しみや悲しみが連鎖されていくさまを効果的に見せることにもなっていて、単に商業的成功だけを見込んでのDCキャラの登用ではないものだと感じました。
ホアキン・フェニックス演ずるジョーカーも過去のバットマン関連作品の中でも一番、等身大の人物として描かれていて本作が持つメッセージを決しておとぎ話としてでは無く、より身近なものとして受け止める事が出来ます。
そして彼が発する笑い声。誘い笑いや、ときに恐怖を感じる映画はあるけど、これほど悲哀に満ちた笑い声を聞いたことがない!!そして笑いに関する秘密が明かされたとき、私は涙をこらえる事が出来ませんでした。
※ なお、本投稿は他の映画レビューサイトで記載していた私自身の投稿が編集出来なくなってしまった為、こちらのサイトの場をお借りして同じ投稿を加筆修正したものです。
誰もがJOKERになる可能性がある
ホアキンフェニックスの演技は必見!!
題材 ✖︎ 演技力 ✖︎ 音楽 = ヘビー級鬱映画 (褒め)
救いがない
映画作品としては完璧です
ジョーカー
原作を読んでないのでジョーカーについて詳しくはないのですが、ジョーカーでした。
アメリカでは規制?警備?が強化されてるとかなんとか。
賞を受賞したとか、犯罪を正当化しようとしてるとか共感させようとかではなくて
本気で本気のジョーカーを映画化したらこうなんだろうな、というか。
なまぬるく「ジョーカー良いよね〜」とか言わせない、ジョーカーの狂気を感じました。
最後のゴッサムの荒れていく感じも本当に凄くて、「これ現実だったら超怖いな」と。
でも、わたしはこれが “映画だから好きです。”ジョーカーも。
最後の炎をバックにジョーカーを讃える映像とか、すっげえ〜…って圧巻でした。
最後の最後にDCのロゴがドーンとでたときの貫禄が…。ドルビーシネマで観たので尚更、重厚感というか。
安定のマーベル、攻めのDC的な?どっちも好きです。
こんなにヒーローヒーローなのに飽きないのは、それぞれが全く違った味をだしてくれてるからなんでしょうね。
本当に有り難いです、こんなに楽しませてくれて。
ホアキンフェニックス、ドットフィリップス、ブラッドリークーパー達に拍手ですわ。
ジョーカーの赤スーツかっこいい
皆さんご存知ダークナイトの主役であるジョーカーがまた主役で登場。今回はエピソードゼロ。
詳細やストーリーラインは省くが、この映画はダークナイトのジョーカーと何も矛盾しない。ジョーカーという設定を忠実に守ったある種スズキジムニーのような映画である。
ダークナイトのジョーカーは自分の傷の生い立ちを何通りも話す。この映画はそのうちの1つであり、全部でもあるのだ。
今回のジョーカーではこの映画で語られた全てが嘘や妄想かもしれないという演出がなされている。
映画というのは大体視点が決められていて、誰にとってのなんだったのかというものが案外明確である。今回はジョーカーの語るジョーカーの話なのだろう。
正直なところジョーカーの話をしている時に全部信じる方がどうかしている。そして、その嘘混じりの話ゆえにジョーカーのイメージを崩していない。ファンに対する最高の配慮ではなかろうか。
ちなみにこれはエピソードゼロなので我々が常に目にするジョーカーとは間違いなく異なる。なぜならまだバットマンが存在していないからだ。社会が産んだ悪が1人に向かう時、またジョーカーとして生まれ変わるのではないかなと思う。
ちなみに映画を見る前にはジョーカーの誕生秘話なんぞ伝説がチープになるからやめて欲しいな、全部語り終わった後で本物のジョーカーが出てきて主人公をぶち殺してくれねえかなとか思っていたが、とりあえず見て意見を変えた。
(マーティン・スコセッシ+ポール・バーホーベン)x社会性=本作
期待しすぎたせいか、そこまでガツンとは来なかった。でも傑作であることは間違いない。
本作はマーティン・スコセッシ魂が根底にあります。
従ってコメディ色が極めて強い。シリアスなシーンでもどこかバカっぽく撮られていて、そのバランス感覚はさすが。本作は、これに社会性という調味料をまぶして上手くまとめたなぁ、という印象。
「よくできている」のは間違いないのですが、逆に言えば、そんなに極端に尖ってもいない。
めちゃくちゃ評価が高い理由は、アメコミのお気楽映画目当てで来た客が、予想に反して凄いモノをみせられて沸騰しているだけだと思います。
タクシー・ドライバー。本作は、正にこれを目指した映画だと言わざるを得ない。その点は素晴らしい出来だと思いました。超絶シリアスな雰囲気でもなく、どこかバカっぽい・・・というか現実離れしている(精神異常者アーサーから見た世界が描かれているからか?)。このバカっぽい演出により、観客はハッと我に帰る。「本作はコメディですよ。だから真に受けないで下さいね!」という製作者側のサインがある。この辺り、ポール・バーホーベンっぽい。本作は目くじら立てて観る映画ではないですよー、と。オープニングタイトルとエンドタイトルの出し方とか、完全に観客をおちょくっているとしか思えない。
凄まじい暴力シーンでも、どこかホッとさせるシーンがあるので、安心して観ることができます(笑)。
スコセッシ映画と異なる点は、本作の社会的なメッセージ性の強さだと思う。本作は、民主主義という嘘に対する「怒り」を真正面からぶつけている。
勘違いして欲しくないのだが、本作は格差それ自体に対してではなくて、共感性をあまりにも失ってしまった人々に対する強い怒りが込められている。劇中、アーサーが仕切りに訴えていることは「少しでいいから俺たちに共感してくれ!」ということだけでしょ?彼は「金をくれ!」とは決して言わない。つまり彼は富も名誉も望んでいない。彼が望むのは「共感」だ。
この映画の中で本当に嫌だあなぁ・・・というかムカつく瞬間(製作者が意図的にそう撮っている)って、バスの中の母親とか、電車の中の人たちとか、市の職員、とか、いわゆる「一般常識のある、社会のコードになんの疑問も持たない人たち」の優しさのかけらもない共感のない行動なんですよね。つまり本作で批判されているのは我々なのです。
アーサーは「精神異常者にとって耐え難いのは社会の目だ」と言います。この言葉の真の意味は「精神異常者は社会の目から無視され続け、決して共感されないことが耐え難い」ということなのです。私には彼の気持ちは痛いほど分かります。本当に罪深いのは、何も知らない無頓着な一般人であることを、本作は訴えているのですね。
この人間の共感能力の低下は、社会問題となっている。なぜなら、人間同士の共感性のないところに民主主義など成立しないからだ。これは資本主義も同様だ。
つまり現代社会において、本当はもう民主主義など存在しておらず、体制を守るために多くの人が嘘をついている。これが民主主義の危機の要諦なのであり、本作はこの問題に一石を投じる。
素晴らしい感動作!
知り合いにオススメされて見てきました。
正直ジョーカーってキャラクター自体は、
スーサイドスクワットにジョーカーって出てたっけ?あれ同じキャラ?バッドマン???
て位の無知です。
普段あまり洋画などを見る方でもないのでこのキャストの演技が…!とかもわからず。でも素人でも分かる程、この作品のキャストは才能に溢れており素晴らしい演技をされていて、表情動きひとつひとつに引き込まれました。
予告見た時点では結構怖いのかな?と思いましたが全然そんな事なく、私にとっては胸を打たれる感動作でした。
自分の境遇と似ているからでしょうか?まあそこは人それぞれなので分かる方と分からない方がいるとは思いますが、、とりあえず最後はよかったね…!となりました。こちらも笑顔になりました。
こちらのレビューを少し拝見した所メンタルがやられているときは見ない方がいいとあり、、見た後となっては意味がわからないです。
むしろ元気を貰えましたけどね…
それとなによりかっこいいです。ジョーカーがイケメンすぎて(特に白塗りでタバコ吸うシーンなど)あまり集中出来なかったのでもうあと何回か見てきます。
最高です。
俗っぽい
バットマンは『ニンジャバットマン』くらいしか見たことないので、ジョーカーについて知識も思い入れもない。ただ、精神疾患と貧しい母子家庭(母の介護をしている)のせいもあり、毎日が苦しくどこにいっても虐げられている、それでいて町の有力者の浅ましい面も目の当たりにしているという、いかにも哀れな出自と狂気の理由を与えられと、不敵な悪役としては却って俗っぽくならないか? と勝手に気になった。テレビ番組での告白など、ジョーカーが出来上がったあとかと思いきや、もっともらしいこというので、何だかなあと。
話自体は好き。人によると思うが、六本木とか行ってストレス溜まる人間は好きだと思う。もっと陰陰滅滅としているかと思ったら(しているが)、アーサー(ジョーカー)の狂気のトリガーが割と早々に入るので、この調子でジョーカーに変わっていくのね、と妙な安心感があった。これがこの先どうなるのかわからない話だったらもっと怖かったと思う。
お前らには分からないよ
「糞が!!ゴミみたいな目でこっち見やがって、金持ち共が!!
全部、自己責任だっつうのかよ、このザマを。誰も助けてくんねぇんだぞ。
こんな映画をエンターテイメントとして観てるお前らに、俺たちを理解できるわけねぇだろ!!!」
いつしかジョーカーのメッセージは、映画を観てる我々に向けられているように感じた。
特にテレビショーにシーンは、わざと引きアングルにして、映画館の観客をショーの観覧者と同じ立場にシンクロさせているのかと。。。
あくまでジョーカーはあっち側の人間。こっちの人間にはあっちの人間のことが理解できない。でも、一番の弱者に手を差し伸べられる社会じゃないと、ゴッサムのような歪みが生じる。それは、小さくも大きくもどの国でも起きていること。
あぁ、数年はこの映画のことが頭に残るだろうなぁ。
「バットマン」の悪役として広く知られるジョーカーの誕生秘話を、ホア...
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