ジョーカーのレビュー・感想・評価
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今も世界はJOKERの掌
観賞後、ずーっと最後のオチが腑に落ちなくて。モヤモヤしてたんですわ。
で、一週間後くらいに気付く訳です。あー。やられたと。
この話、『ユージュアル・サスペクツ』と同じ構造ですね。ジョーカーの戯言ですわ。映画全体が「笑えない冗談」ですわ。最後の「fin(だったかな?)」の文字デザイン、オープニングのぶっとい骨太ゴシックタイトルに対して、レトロなshow風のあしらい。あれって日本で言う「チャンチャン!」ですよね。。。
人間的尊厳が希薄化する社会とそこで崩壊・滑落していく主人公。偶然シンボルを獲得し、それを祭り上げ、群体として思考停止にも似た状態で、高揚に絡め取られる大衆。現代社会を抽出して強烈に批判するこの物語が、すべてジョーカーの与太話という皮肉。
これからもそんな世界で生きていく我々にとって、これ以上「笑えない冗談」が他にあるか?
さらに映画を鑑賞した人のうち、少なくない人数がこの与太話に真正面から向き合い、感情を揺さぶられ、いみじくもジョーカーに同情すらしている始末。世界がジョーカーの掌で踊らされている状態が、現在進行形で続いています。
ジョーカーである必要性を感じない、という意見もあるが、これはまさにジョーカーでしか成立しない映画。『ダークナイト』のジョーカーと繋がらないという意見もあるが、このキャラクターはまさに『ダークナイト』のジョーカーそのもの。見事すぎるスピンオフです。
ここまでキャラクターの本質に立脚している映画は、そうはない。歴史に残る構造的傑作です。
ただし一つ言うならば、この妙味はあくまでメタっぽい構造に拠るものです。100分以上見せられるお話が、そのものとして優れているか、と言われれば懐疑的。個人的な「可哀想」に満たされた話は、カタルシスに弱く、言ってしまえば不幸の描き方が下手で冗長。
この辺の感想は話の構造を理解した今でも変わらない。「まぁ与太話だからね」と言われても、それとこれとは別。
映像と芝居、映画としての構造はすごい。ただし見せられたものの大半は、なかなかに退屈。あくまで変化球。諸手を挙げて称賛はできない。
と言うところでしょうか。
(マーティン・スコセッシ+ポール・バーホーベン)x社会性=本作
期待しすぎたせいか、そこまでガツンとは来なかった。でも傑作であることは間違いない。
本作はマーティン・スコセッシ魂が根底にあります。
従ってコメディ色が極めて強い。シリアスなシーンでもどこかバカっぽく撮られていて、そのバランス感覚はさすが。本作は、これに社会性という調味料をまぶして上手くまとめたなぁ、という印象。
「よくできている」のは間違いないのですが、逆に言えば、そんなに極端に尖ってもいない。
めちゃくちゃ評価が高い理由は、アメコミのお気楽映画目当てで来た客が、予想に反して凄いモノをみせられて沸騰しているだけだと思います。
タクシー・ドライバー。本作は、正にこれを目指した映画だと言わざるを得ない。その点は素晴らしい出来だと思いました。超絶シリアスな雰囲気でもなく、どこかバカっぽい・・・というか現実離れしている(精神異常者アーサーから見た世界が描かれているからか?)。このバカっぽい演出により、観客はハッと我に帰る。「本作はコメディですよ。だから真に受けないで下さいね!」という製作者側のサインがある。この辺り、ポール・バーホーベンっぽい。本作は目くじら立てて観る映画ではないですよー、と。オープニングタイトルとエンドタイトルの出し方とか、完全に観客をおちょくっているとしか思えない。
凄まじい暴力シーンでも、どこかホッとさせるシーンがあるので、安心して観ることができます(笑)。
スコセッシ映画と異なる点は、本作の社会的なメッセージ性の強さだと思う。本作は、民主主義という嘘に対する「怒り」を真正面からぶつけている。
勘違いして欲しくないのだが、本作は格差それ自体に対してではなくて、共感性をあまりにも失ってしまった人々に対する強い怒りが込められている。劇中、アーサーが仕切りに訴えていることは「少しでいいから俺たちに共感してくれ!」ということだけでしょ?彼は「金をくれ!」とは決して言わない。つまり彼は富も名誉も望んでいない。彼が望むのは「共感」だ。
この映画の中で本当に嫌だあなぁ・・・というかムカつく瞬間(製作者が意図的にそう撮っている)って、バスの中の母親とか、電車の中の人たちとか、市の職員、とか、いわゆる「一般常識のある、社会のコードになんの疑問も持たない人たち」の優しさのかけらもない共感のない行動なんですよね。つまり本作で批判されているのは我々なのです。
アーサーは「精神異常者にとって耐え難いのは社会の目だ」と言います。この言葉の真の意味は「精神異常者は社会の目から無視され続け、決して共感されないことが耐え難い」ということなのです。私には彼の気持ちは痛いほど分かります。本当に罪深いのは、何も知らない無頓着な一般人であることを、本作は訴えているのですね。
この人間の共感能力の低下は、社会問題となっている。なぜなら、人間同士の共感性のないところに民主主義など成立しないからだ。これは資本主義も同様だ。
つまり現代社会において、本当はもう民主主義など存在しておらず、体制を守るために多くの人が嘘をついている。これが民主主義の危機の要諦なのであり、本作はこの問題に一石を投じる。
狂気とそれを捉える視点
最後に語った主観の話でオチをつけるのが筋だと思うので、そこを主題と捉えました。
観客(客観)から見れば当然適切な支援を受けられずに凶行に走った哀れな精神病患者です。狂った本人(主観)から見れば、自分が狂うほど狂った社会の現状と適合する正常な人のように感じるでしょう。
利益や善悪で行動するのではなく、彼のユーモアで動くことも重要な要素だと感じます。思えば、序盤から自分の中で葛藤しているかの様な発言をしてきましたが、行動そのものは最初からイキイキと狂気のユーモアに溢れていました。
突然笑いだすのも障害のせいではなく彼自身が本当に面白く思っているからだし、結局あのメイクもクラウンとして人々に笑いを与えたいという欲求をそのまま表しているのだと思います。
最後のコミカルな殺人シーンが主観の象徴でしょうか。本人にとってはただ、面白いから楽しいからというだけ。ただのジョークだという内容だったと思います。
誰かのレビューでダークナイトのジョーカーは今回のジョーカーのフォロワーで、別人ではないかという説を読みました。その説に私も乗らせて頂こうと思います。(そうでないと流石に色々な辻褄が合い辛いですね)
演技については皆さんが語られている様に本当に素晴らしい演技でした。
ただ、演出についてはやたらと挿入されるダンスシーンがテンポを悪くしていると感じました。当然アメコミ作品らしからぬそういった点が芸術的な評価を受けているのでしょうが、それこそダークナイトの様な作品を期待していったのでそこはちょっと想定と違いました。
極論だけど、今の日本と未来の日本を感じた
自身の疾患である笑い症により、仕事があまり無くピエロをやっている普通の男性だが、会社に裏切られ、仲間に裏切られ、そして自身の母親にも裏切られ…様々な裏切りや心的病から殺人への歯止めが効かなくなり、遂には貧困層が富裕層へ抗議するための象徴になる。
この映画を見ていて思ったのが社会や貧富の差へのメッセージだと思った。
今の日本は我慢しているジョーカーだと思う、そして吹っ切れ遂には人を殺めてしまうジョーカーは近い将来の日本に感じた。
日本も我慢の限界がきて暴動が起きるのも時間の問題。
素晴らしい感動作!
知り合いにオススメされて見てきました。
正直ジョーカーってキャラクター自体は、
スーサイドスクワットにジョーカーって出てたっけ?あれ同じキャラ?バッドマン???
て位の無知です。
普段あまり洋画などを見る方でもないのでこのキャストの演技が…!とかもわからず。でも素人でも分かる程、この作品のキャストは才能に溢れており素晴らしい演技をされていて、表情動きひとつひとつに引き込まれました。
予告見た時点では結構怖いのかな?と思いましたが全然そんな事なく、私にとっては胸を打たれる感動作でした。
自分の境遇と似ているからでしょうか?まあそこは人それぞれなので分かる方と分からない方がいるとは思いますが、、とりあえず最後はよかったね…!となりました。こちらも笑顔になりました。
こちらのレビューを少し拝見した所メンタルがやられているときは見ない方がいいとあり、、見た後となっては意味がわからないです。
むしろ元気を貰えましたけどね…
それとなによりかっこいいです。ジョーカーがイケメンすぎて(特に白塗りでタバコ吸うシーンなど)あまり集中出来なかったのでもうあと何回か見てきます。
最高です。
一見の価値あり。
まず、傑作です。主役のホアキンの演技がすごい。そして、映像、構成、音楽等全てのレベルが高いです。
感情移入しすぎて危ない!と世間で言われていましたが自分はそこまで感情移入はできませんでした。
資本主義の格差社会について考えさせられる、社会派の映画のようにも感じられました。
中盤までずっと不憫な目に合っていたアーサーが、吹っ切れてジョーカーになってからはだんだん明るい描写が増えていって爽快感を感じました。
正しいか正しくないかは置いておいて、アーサーにとっては良かったんじゃないでしょうか。
ただ、そうなるしかなかった社会のことを考えると少し暗い気持ちになりますね。資本主義の終焉が近づき日本もゴッサムシティ化しないとも言いきれません。
自分の中の悪が目覚めるのでは!と世間での感想を見て不安でしたが全くの杞憂でした。映画としては楽しめました。
何はともあれ、映画の内容をついて語りたがりの批評家の方々に評価がいいのは納得です。
終始暗い映画だったので、もっとスッキリ爽快な感じが好きなわたしの好みではありませんでしたが…笑
演技等々、映画としてハイレベルで素晴らしいので一見の価値ありです!
孤独で絶望的な時代のトリックスター
大都会ゴッサムシティ。
市のゴミ収集員たちがストライキをし、巷は悪臭が満ちている。
大富豪トーマス・ウェインがこの窮状をどうにかしようと市長に立候補している。
そんな街の片隅で、コメディアンを夢見るアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)はピエロ姿で店の閉店セールの宣伝をしている・・・
といったところから始まる物語で、巻頭早々、ピエロ姿のアーサーは悪ガキどもにからかわれ、宣伝看板を奪われ、結果、袋叩きにされてしまう。
それでも、彼は笑っている、大声を出して笑っている・・・
というのも、彼は脳と神経に障害があり、突発的に笑いだすことがある病気を抱えている。
そんな彼は、安アパートで老いた母親の面倒をひとりで看ている。
ふたりの唯一の楽しみは、テレビ。
古い映画と有名コメディアンがホストを務めるトークショウ・・・
とアーサーの日常が綴られていくこの映画、目指すところは『バットマン』のようなヒーローに対する悪役の物語ではない。
アメコミの映画化の形、架空の街での物語での形を取りながら、実のところ、現代社会の病巣を描いている。
悪臭溢れる街、ポルノの看板が目立つ街、誰もスマホなど持っていないその街は、たぶん70年代のイメージだろうが、そこは貧富の差は絶望的に大きく、弱者は見捨てられている。
当初あった市の福祉施設は予算削減で閉鎖される。
弱者やマイノリティに手厚いとも思える施策をとっていた時代とはまるで別。
弱き者はどんどんと隅へ追いやられ、孤独になり、疎外感を感じるしかなくなっている・・・
それはやはり、現代だ。
そんな中でひょんなことから手にした拳銃で、アーサーは自分を袋叩きにするエリートビジネスマンを殺してしまう。
これにより、世論が動いていく。
ピエロの恰好をしたアーサーを、世の人々は認め、ある種のトリックスターへと祭り上げていく。
そして、ひとびとの奥底にあった不安や不満が終局において突如として爆発する。
(この終局の直前、劇場の看板に「BLOW OUT」(噴出)と書かれている)
孤独で絶望的な時代のトリックスター。
それがジョーカー。
嘲り笑うしかない、弱き者たちのシンボル。
それをホアキン・フェニックスは、抜群の演技でみせていきます。
現実と妄想が混濁した映像も見事。
ただし、いくつかの不満もなくはない。
ひとつめは、演技は見事だけれど、役柄的にホアキン・フェニックスが歳を食い過ぎている。
30代半ばぐらいでないと物語として成立しないが、冒頭からかなり老け込んでいるようで、ちょっと戸惑ってしまう。
大物コメディアン役は ロバート・デ・ニーロが演じているが、『キング・オブ・コメディ』を連想してしまうので、これもどうか。
ま、彼ぐらいの大物でないと映画が締まらないのだけれど。
あと、重低音の音楽がうるさすぎで、ときには無音で盛り上げる演出も欲しかったところ。
さて、『バットマン』との関連はどうなのかしらん。
元々はブルース・ウェイン(バットマン)の両親はジョーカーに殺されたことになっているが・・・
そこんところは、ちょっとヒネッてある。
また、アーサーの出自、曖昧にしてあるが、個人的はバットマンと同種(胤)とみたが、ここは観る人によって見解は異なるかもね。
アメコミの映画化と侮っていると、とんでもないものが飛び出す、サプライズボックス(びっくり箱)。
アーサーに自己を重ねると危険、要注意。
喜劇と悲劇は紙一重
たぶん虐待受けてたとこは本当で
生まれた頃から親も狂っててスタートからめちゃくちゃな人生で
ピエロ騒動では
富裕層にはわかりえない苦しみをかかえた人たちにまつり上げられてヒーローに
ここはなんとも言えない感動があった
本人が望んだのとは違う形でスポットライトに当たり
喜劇のヒーローを夢見たのが悲劇のヒーローになってしまった。
ただ、最後にこれもすべて妄想なのかな?って考え始めると
いま見たストーリーは何だったのかとふと脱力する。
もしかしてチャーリーチャップリンにインスパイアされてる?とか考え始めるとヒーロームービーシリーズでそれは無しだろと思うし...
モヤモヤする
なんとも形容し難いストーリー
音楽、演出が素晴らしかったのと
出演直前の生き生きとしてるジョーカーはすごくカッコよかったな。
俗っぽい
バットマンは『ニンジャバットマン』くらいしか見たことないので、ジョーカーについて知識も思い入れもない。ただ、精神疾患と貧しい母子家庭(母の介護をしている)のせいもあり、毎日が苦しくどこにいっても虐げられている、それでいて町の有力者の浅ましい面も目の当たりにしているという、いかにも哀れな出自と狂気の理由を与えられと、不敵な悪役としては却って俗っぽくならないか? と勝手に気になった。テレビ番組での告白など、ジョーカーが出来上がったあとかと思いきや、もっともらしいこというので、何だかなあと。
話自体は好き。人によると思うが、六本木とか行ってストレス溜まる人間は好きだと思う。もっと陰陰滅滅としているかと思ったら(しているが)、アーサー(ジョーカー)の狂気のトリガーが割と早々に入るので、この調子でジョーカーに変わっていくのね、と妙な安心感があった。これがこの先どうなるのかわからない話だったらもっと怖かったと思う。
お前らには分からないよ
「糞が!!ゴミみたいな目でこっち見やがって、金持ち共が!!
全部、自己責任だっつうのかよ、このザマを。誰も助けてくんねぇんだぞ。
こんな映画をエンターテイメントとして観てるお前らに、俺たちを理解できるわけねぇだろ!!!」
いつしかジョーカーのメッセージは、映画を観てる我々に向けられているように感じた。
特にテレビショーにシーンは、わざと引きアングルにして、映画館の観客をショーの観覧者と同じ立場にシンクロさせているのかと。。。
あくまでジョーカーはあっち側の人間。こっちの人間にはあっちの人間のことが理解できない。でも、一番の弱者に手を差し伸べられる社会じゃないと、ゴッサムのような歪みが生じる。それは、小さくも大きくもどの国でも起きていること。
あぁ、数年はこの映画のことが頭に残るだろうなぁ。
「バットマン」の悪役として広く知られるジョーカーの誕生秘話を、ホア...
ひょっとして
公開初日に観て、最後の数分の言葉が気になってずーと
考えていたが、やっぱり今回の映画は、
最後の精神病院の数分以外はジョーカーの考えた妄想ストーリーって事なのかな。
面白い話を思いついた。と言ってたからなぁ。
冒頭からいるカウンセラーの方が最後に出てきてた?
最初の精神病院を退院した経緯が不明、退院するにしてもあまり動けない母親が身請け人になれる筈がないと思う。
幼少の記憶がなぜ無い?脳の障害だから?
まず、バットマン登場前にジョーカーの名前が知れ渡っている状況は、過去の作品に無かったような。
私の無知かもしれない。
最後のシーンでカウンセラーがジョーカーがに笑った時に普通に質問している。笑う障害もジョークなのかな?
全部ジョークなら凄いね!
殆どの人を騙しているからジョーカーの手中範囲と思うとジョーカーらしいね。
主演と監督は素晴らしい作品を作ったと思う。
バットマン詳しくない勢です。
バットマンにはあまり興味は無かったのですが今作は気になって映画館に足を運びました。
感想としては人生が上手くいってないがそれでも割と良い奴で彼なりに毎日を生きてる主人公アーサー、が色んな不幸な目にあってそれに対して過激にやり返すお話。
やり過ぎだけどあんな境遇になったら無理もないよねとアーサーに感情移入する作品でした。
総合するとえらい暗い話やったな的な感想で勝手に期待してた悪のカリスマ誕生秘話ではなかったかな。
主演の方の演技は素晴らしかったです。
辛いわぁ。。
JOKERの名を借りた低予算C級映画 ただただつまらない
最下層の一般市民から悪のカリスマへの変遷
バットマンシリーズをそれほど観ていない、原作コミックも読んだことが無い者の感想です。
少ない知識ながら僕の中でジョーカーに対するイメージと言えば
飄々として掴みどころがなくカリスマ性があり
その名の通りこの世の全てを馬鹿にしているような純然たる悪の権化と言ったようなものでした。
しかし、この映画に出てくるアーサーは障害を抱えつつもコメディアンになることを夢見て真面目に生きる一般市民。
最初、ジョーカーのイメージと全く結びつかなくて困惑しました。
しかし、映画が進むにつれてアーサーはどんどん狂気に飲み込まれ大衆を巻き込み混沌と化していき
その中で正真正銘カリスマ的ヴィランが誕生したのです。
その変遷を素晴らしい演技、映像、音響で見せつけられ、後半は終始、魂を揺さぶられました。
ラストでは群衆に称えられ立ち尽くすジョーカーと、両親を殺され立ち尽くす幼きブルースに熱いものを感じました。
卒業論文のテーマにしようかな
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