ジョーカーのレビュー・感想・評価
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ジョーカーを作るのは社会の闇
もしも自分が…
怖かった。ホラーとかそういう怖さではない。
誰にでも辛いこと苦しいことはある。些細なことなら乗り切れるが、ごく稀にそれが積み重なり嫌になることがある。だが、家族、恋人、あるいは友人が救ってくれる。
ただ彼は違う。友人に裏切られ、恋人に裏切られる(現実なのかはわからない)。そして最後には家族にも。
そんなこと耐えられるわけがない。
アーサーという優しい1人の人間が転落する物語のように見えるが、それは違う。
これはアーサーの成長と成功の物語だ。
「この人生以上に硬貨(高価)な死を」
この言葉の通りアーサーは高価な死を(生物としてではく人間として)手に入れることが出来たと、目的を達成できたと考える。
音楽も演技もとても惹き付けられた。
隣の女性は終盤顔を覆うことが多かったし途中で女子高生は退出していた。
適当な気持ちで見るとただ辛いだけで終わってしまうと思う。
世界のどこかでJOKERの種は芽生えようとしているかもしれない。そう思った。知らない誰かかも、日本人かも、友人かも、家族かも、私かも…。それが、怖い。
悪の天才ジョーカーの誕生譚
バットマンに登場するジョーカーは、アメコミ史上最も人気のあるヴィラン(悪役)といっても過言ではない。そんなジョーカーがいかにして生まれ、悪に染まっていったのか。それが描かれた映画になります。
コメディアンを夢見てピエロの扮装で人々を楽しませる仕事をしていた主人公アーサー。周りの人を笑顔にしたいという理想とは対照的に、彼の人生は暗かった。体の弱い老いた母親と二人暮らし。自身も精神的な障害で突然笑いが止まらなくなるという発作が起こるため市の運営する精神カウンセリングを受けていた。
心やさしい男であったはずのアーサーだが、紆余曲折あって三人の男を殺害してしまう。
ゴッサムシティで貧富の差が拡大して貧困層が富裕層に敵対心を持っていたことや、殺害した男たちが一流証券会社に勤める上流階級の人間であったことなどが理由で、貧困層の人間の中でピエロ(アーサー)がカリスマ的人気を得るようになり……というのが本作の概要。
鑑賞前から「賛否両論ある作品」ということが言われていましたが、本当にその通り。これは観る人によっては殺人犯を肯定的に捉えているようにも見えるかもしれません。「ジョーカーを貧困や暴力に追い詰められて人を殺めてしまった男として描かれている」というレビューも実際見ました。
ただ、私にはそうは見えませんでした。ジョーカーは「元より犯罪者としての欲求と才能を持つ男」に描かれているように感じました。私から見たジョーカーは、「母親からの呪縛によりコメディアンを夢見る男の皮を被って生活していたが、母親を殺害することで呪縛から解き放たれた犯罪のカリスマ」です。ジョーカーの人格や才能はそもそも生まれつきだったように見えました。
また、単純な殺人犯ではなく、自分の犯罪にある種の美学のようなものを持っている描写もありました。元同僚の小人症の男を殺さずに逃がした場面が特にそうです。アーサーの台詞、「君は私の悪口を言わなかった(だから殺さない)」というのは「ジョーカーには殺す殺さないの基準が存在する」という意味で、つまりは「誰かれ構わず殺すわけではない」ということです。
日本でも過去に「津山事件」という大量殺人事件が起こりましたが、犯人の都井は全く同じ理由で村人を殺さずに逃がしたというエピソードがあります。
単なる「快楽殺人者」ではなく「犯罪のカリスマ」としてのジョーカーが丁寧に描かれており、個人的にもこの描写は高評価です。
この映画は観る人によって評価が大きく異なる映画です。大絶賛する人も多い一方で、酷評する人もかなりいらっしゃるように感じます。登場人物の心情が言葉ではなく演出で表現されるため、受け取り手によって感じるイメージが大きく異なります。自分はどう感じたのか、鑑賞した人たちが各々の意見を語り合うのが非常に楽しい作品です。多くの人に観てほしい、そんな素晴らしい作品でした。オススメです。
残ります
タイトルなし(ネタバレ)
きのう新宿TOHOで観たけど、内気で孤独な精神疾患患者が空想するお話し。
根暗な生徒って、自宅で学年1の人気者の空想でもしてんだろーなって感じ。
ラストの血の足跡は、暗に今後空想を実行しちゃうかもよ?って暗示なだけ。
テンポ遅くて、10分に1分のペースでウトウトしてたから何ともいえないけど。
この作品は映画向きじゃない。短編TVドラマ集の1話の15分で収まるレベル。
大きなスクリーンだと完全体のJOKERが普通のピエロって感じでダサかった笑
電車で3人に絡まれるシーン…殴られるまでが現実で、その後の反撃は空想。
JOKERに感情輸入というか…誰しも日常で『あるある!』ネタみたいなレベル。
上司に怒られてる最中に、同時に上司をギャフンと言わせる空想してる的な!
「ブチ上がった」
今年120本目。
笑い方が秀逸。ホアキン・フェニックスよくあんな演技出来るなと驚きです。「スタンド・バイ・ミー」のリバー・フェニックスの弟。兄弟で凄い。
リバーは1993年に23才の若さで亡くなりましたが薬物過剰摂取で、酒もタバコも肉も食べないヴィーガンがなぜ? 毒親の理想に巻き込まれたおかげで、と後はネットですぐに調べられます。
脱線しましたが、ホアキンはオスカー確実視されてますね。それだけの演技だったと思います。
演技と共に音楽が良かった。派手な音は少なく、重厚な音楽がアーサーが悪に染まって行く演技に非常にマッチしていました。
「ターミネーター」も素晴らしかったんですが、こちらは全く別のジャンルで突出した作品でした。ジャンルで言うと心理ドラマですね。
この作品見ると、映画はやめられないと感じました。
ジェスターと死神
持たざる者の怒り、隣人の無関心、社会の不寛容……。鬱屈とした現代社会を読み解く上で重要なヒントが描かれている映画だと感じた。
ジョーカーはニコルソン版のように殺人すらもジョークにしてしまう恐ろしさ、ヒース版のように出自や過去が明らかでない純粋な悪として描かれるキャラクターであり、本作はその誕生譚だという認識で鑑賞したのだが、良い意味でそのイメージは裏切られた。この作品で誕生した「ジョーカー」は、『バットマン』におけるキャラクターとしてのジョーカーではないと感じたからだ。
本作のアーサーが殺人を犯す動機は明確である。不当な暴力に対する過剰防衛、自分を陥れたものへの復讐が彼を殺人へと向かわせるものであり、自分を不当に扱わなかった同僚を見逃すなど、アーサーは自身の中でしっかりと線引きをしている。鑑賞直後は、このアーサーと今までのジョーカー像が結びつかず、ラストシーンに若干唐突さを感じてしまっていた。このレビューの中にも「バットマンのジョーカー」でこの作品を描く必要がないと指摘している方もいたが、私も同意見だった。アーサーの悪行を見ても、この後行うであろうジョーカーの悪行よりかは、ある意味理解出来てしまうのだ。
しかし、この映画はやはりジョーカーの誕生譚であると思い直すようになった。作中の「善悪は主観である」というアーサーの言葉がジョーカーのキャラクターとしての本質を鋭く指摘した表現である。ジョーカーはこの世の「悪」を象徴した存在であり、彼は「悪」を行うことで、我々の「善」を揺さぶる存在なのだ。本作で善を語る者=マレーの偽善をアーサーは指摘する。マレーを射殺したのは自信を嘲笑されたことへの復讐かもしれないが、それはあくまでも、自分の周りを圧倒的に支配する、「善人」によって構成された社会への明確なアンチテーゼである。ジョーカーの悪行はあくまでも手段でしかない。ジョーカーは「善」「倫理」「人間性」という、不確かだが多くの人々が信じているものを否定しているのだ。「お前が『善』と思っているものは、『真の善』ではなく、ただの『主観の善(偽善)』ではないのか?お前は『善人』なのか?ただの『偽善者』じゃないのか?」本作のアーサー=ジョーカーはこう私に投げかけてくるように感じた。
トランプのジョーカーに描かれているのは宮廷道化師、ジェスターと呼ばれる人物だ。ジェスターは王、為政者を批判するために王宮に召抱えられたものである。王とは自身の人生を歩むことのできる者であり、封建制度が崩壊した現在を生きる我々は自由に自己を表現できる「王」である。現代社会には、傍若無人な「暴君」が多く存在するように感じる。そんな中で、我々はは「名君」として、他者と寄り添い、より良い社会を作りたいと願ってやまない。そんな我々に「善とはなにか?」「人とは何か?」と、ジョーカーは常に問いかけている。
虚無
うーん、
主演の方の演技は素晴らしいけどストーリー的には微妙かな
過去のジョーカー作品を知ってるからなんとなく話合わせる事出来るけどバットマンシリーズを観てない方々からすればただの不運で上手くいかないおっさんが犯罪に走るだけの感じだし最後は妄想オチみたいな感じだし
ダークナイト観た人とかも微妙なのは分かる気します。
あのおっさんが後にバットマンと戦う姿なんて想像も出来ません
なんか題材がジョーカーだから注目されてファンも高評価にしてる様に感じます。
ジョーカーじゃなかったらこんなに高評価もなかったのでは
守るものがあるということ
社会生活を営む人間は、守るものがあることで常にルールに縛られていということを意識させられる映画。
強い者とは守るものが多い者である。
ルールを守ることによって人はその持ち物は守られている。
それに対して弱い者がとりうる抵抗、自分の存在を主張する手段とはノーガード戦法、ルールを無視した戦い(テロ)である。
人は、特に映画館に足を運べるような層は、守るものがあることの幸せさを知っていて、身近に壊されたくないものがある。そして、守るものがない人に対して同情できる。感情移入できる。
一方で、自らが抑圧されている存在として、憤りもあるし開放されることへの憧れもある。
ゆえに、JOKERに対して相反した感情を持たされる。
強すぎてとてもストレスのかかる映画であったが、観る価値のある映画であった。
すべては夢?
冒頭、アーサーが痛め付けられるシーンから作品に引き込まれ、アーサーがいかにしてジョーカーになるかと考えながら観ることになる。行政の福祉サービス、職場、恋人、母といった、アーサーと社会を繋ぐものがすべて消え去った時、アーサーはジョーカーとして覚醒する、というあらすじなのかと思わされる。しかし、恋人の家に乗り込むシーンで、今までの描写はアーサーの想像かもしれないことが示唆され、ラストシーンに繋がる。どこまでがジョーカーの想いなのか、どこまでが事実か疑問を抱かせながらエンドロールは終了する。
これから何度観ても、ジョーカーに振り回されるに違いない映画。
なるほど
不幸の連鎖が招く悲劇
周りに凄く良かったと言われるほど足が遠のいていた作品。
信じていた者に次々と裏切られていく姿が切ない。たぶん裏切られていくだけでは、ジョーカーに成り得なかったのかなと。
彼が抱える不満と彼以外の人が社会に対して抱える不満がマッチし、彼が暴動の象徴に祭りあげられたことで、ジョーカーが誕生したと思いました。
ただし、ジョーカー自身は社会に異を唱えるとかには興味なくて、あくまで自身の不満が中心になっているのが、僕たちの知る一匹狼のジョーカーの姿を上手く表しているなと感じます。
ただ、この作品は、ジョーカーがどうなるのかというオチを知っているからこそ、その過程を楽しめる作品で、ジョーカーを知らない人が観たら少し長く感じる部分もあるかもしれません。
是非劇場で確認してみてください❗️
彼は何処から来たのか 彼は何者か 彼は何処へ行くのか
ヒーロー? ダークヒーロー? アンチヒーロー?
ビジランテ? 革命家? 先導者、 または煽動者?
神か悪魔か? 堕ちた天使か?
やっぱり、…ヴィランなのか?
あなたはジョーカーを何者だと位置付けて
今回、本作をご覧になられましたか?
感情移入 してしまうほど悲哀に満ちた、悲劇の主人公?
感情移入を許さないほど非道に嘲ける、喜劇の主人公?
また、シリーズ過去作と比較したり
皆さんがすでに抱いている“ジョーカー像”と重ねてみて
「こんなのジョーカーじゃない!」
「ダークナイト最高!ヒース・レジャーこそ至高!」
と思ってしまいましたか?
どっちにしても、感情が動いた時点で
制作者側の“ジョーク”に付き合う羽目になって
鑑賞者側の感性やリアクションを問われる作品
なのだろうと、わたしはメタ的に解釈しました。
すべては【虚構上のジョークである】と…
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
給水塔に反射する夏の太陽
器用に生きる象徴としての 彼女の笑顔
汗ばんだ静動脈に巣食う 褐色の火薬じみた病理
僕が僕ではない感覚 もしくは錯覚
六十億の溜息に 巻き起こる黄砂
逃げ場なく 息も絶え絶えなムカデ
涙の濁流を這って 何処へ行こう
何処も駄目だ 居場所が無い
神様 僕は分かってしまった
空っぽの夜空が綺麗
あの黒い空白に埋もれてしまえたらって 願う
そうかもしかしたら僕は 死にたいのかな
愛は愛の振りして
全部飲み下せと刃物覗かせる
今日は今日の振りして
全部やり直しだと僕を脅かす
西日に染まる郊外の公団住宅
心臓を針でつつかれる様な感傷
及び 生きてる事に対しての罪悪感
付きまとう闇 立ちはだかる闇
赤面症の季節における リビドーの肥大
故の 現実からの逃避
妄想 妄想 妄想
遮断機に置き去りの自意識
真っ二つに割れる数秒前
赤が 光る 消える 光る 消える 光る 消える
消えろ 劣等 劣等 過去 過去 全部消えろ
神様 殺してやる
過去は過去の振りして
全部受け入れろと喉に絞めかかる
夜は夜の振りして
全部おまえのせいだとがなりたてる
空は空の振りして
全部知ってるぞって僕を見下す
人は人の振りして
全部吐き出せと僕を睨み付ける
僕は触れていたかった まだ繋がっていたいよ
ビルの屋上に立った 今更思い出すんだ
春の木漏れ日に泣いた 母の声が聞こえんだ
此処にいてもいいですか 生きていてもいいですか
amazarashi / ムカデ より一部抜粋
ヒトは誰でも日々、自分と戦っている。
他人より目立たないように。務めて普通であるように。
常にこころのアクセルとブレーキを調節して
社会に適応しているように振る舞わなければいけない…
そんな日々の暮らしのなかで、ほんの些細なきっかけで
感情に支配され、視野が狭くなり、
善し悪しの分別ができなくなるような
〈強迫観念〉に捕らわれてしまう可能性を、
誰しもこころに秘めている…
が、我々は理性を持って踏み留まる。
でも自己顕示欲が強い人種、
笑顔を届ける“コメディアン”という職種が
強迫観念に突き動かされて、笑えないジョークを
ブレーキも効かさず振り撒いたら、
それは狂気の沙汰ではないでしょう。
スクリーンに映し出されるそんな主人公を
目の当たりにした我々鑑賞者のなかには
救われた気持ちになるヒトも少なからず
いるのではないでしょうか?
なぜならば彼、ジョーカーが
作り物の〈フィクション〉または《虚構・妄想》という
オブラートに包んで意識・無意識に関わらず、
言葉にならない鬱屈した想いを、
我々に代わって雄弁に語り、
行動に現してくれたのだから…
…と思ってしまうわたしの“色相”は大丈夫だろうか?
観終わったあと余韻を引きずり過ぎたらどうしよう
生活が手に付かなくなったらどうしよう…と
過度に心配して鑑賞にのぞみましたが
「ものすごいものをみた!」という実感のほうが上回り
割りと大丈夫でした(笑)
わたしにとってそんな、色相チェック映画でしたね。
わたしはまだ、
わたしであることを、
許されているみたいだ。
みんなの評価とは、違うけど。
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