ジョーカーのレビュー・感想・評価
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誰もがジョーカーなのだ。
バットマンシリーズは見てこなかったため、
ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー演じる歴代ジョーカーを観て「予習」した上で鑑賞。
舞台はゴッサムシティで幼少の頃のブルース・ウェインも登場するのだが、
アメコミ要素をあえて削ぎ落とし、「ジョーカー」と化してしまった男の悲哀と狂気を描いたヒューマンドラマであると感じた。
どこからどこまでが主人公の妄想だったのか?
一体正しい時系列はどうだったのか?
こんなのは「ジョーカー」ではない!
・・・などと議論や物議が醸し出される作品ではあるが、私はとくにそこまでの興味はない。
観る人によっては
幼稚だとか
傑作だとか
単純に怖いとか
評価は分かれるのだろうけど、
私はそのどちらでもない。
闇堕ちしていく主人公が自分の起こした行動により世間にある種ムーブメントを起こし、社会が崩壊していくこの作品は
不満を抱え、不遇に喘ぐ者たちほど魅了されるのではないだろうか?
そんなディストピアに病的に心惹かれるのだ。
物語終盤、車窓から暴徒により社会が壊されていく様をワクワクしながら眺めるあの「ジョーカー」のように。
無敵の人
この作品内において、序盤はジョーカーは自身も障害を持ちながらも、老いた母親の世話をして、一つを笑顔にさせたいという気持ちでコメディアンを目指す心優しい青年として描かれていた。
しかし、理不尽な理由で仕事先を首になり、父親には見放され、徐々に精神を蝕まれていく。
そして、地下鉄内でのサラリーマン3人を射殺したことで決定的に壊れてしまったのだ。
↑このようなストーリー展開のため、映画の空気は終始重く、救いがない。そのため、気分が落ち込んでしまったり、人によっては不快感を覚える作品であると思う。
しかし、フォアキンフェニックスの狂気の演技はとても見応えがあり、現代の社会にも通じる内容であると思うので、まだ観ていない人には是非視聴してほしい。
疲れてる時や落ち込んでいる時にはオススメしないが(笑)
足りないのは、笑い方と笑い声。
ジョーカーは不死
ダークナイトのジョーカーが最高レベルのジョーカーであることは、この映画を見ても変わらないのだけど。
ジョーカーという悪役の存在の可能性を大きく広げる存在がこの映画のジョーカーだ。
まさに、ジョーカーとは概念的な存在であり、人々の中に巣食う心の闇、全てのやりきれない気持ちの具現化として表現することができる。
彼は死ぬことがない、なぜなら彼の存在は人間が存在する以上必ず生み出されるからだ。悪そのものであると同時に人間そのものでもあるからだ。
だから、車がクラッシュしても再び人間が救い出し、再び生き返る。
この映画をもっとある一人の男の話ということのみにフォーカスしてみてみれば、割とつまらない復讐劇であるとも言える。また、見方を変えれば、これは彼の願望の話であり、終盤の展開は妄想の世界であるようにも見える。すべてがご都合主義的だからだ。
彼が妄想癖であることは序盤から中盤でも明らかだから、この解釈はとっぴではないはずだ。
社会に絶望した男が自己を正当化するために生み出した妄想話。それがこの映画の真実かもしれない。
鬼気迫る演技で圧巻
自分は今どちら側か
何種類も薬も飲み、診察に行き、カウンセリングを受けます。会社では上司や周りの理不尽な言動にニヤニヤして受け答えし、1人になったら壁を蹴っています。
冒頭、私の日常が再現されているようで怖くなりました。見るのをやめようかと思いましたが、止められませんでした。
何かきっかけさえあれば誰でもジョーカーになり得ると思います。
私も人生の途中まで自分はマレーやウェインだと思っていました。
今はウェインだと思ってる人も明日になればジョーカーになるし、逆もあり得ます。
昨日まで普通に暮らしていた住人達がジョーカーの仮面を付け暴動を起こし、平気で暴力を奮っていたのも同じです。
そう思うと人生は喜劇なのだと思わされます。
劇場以来2度目
誰もがジョーカーになるかもしれない
ジョーカーがどのようにして生まれたか描かれている。経済的格差や親からの虐待、周りの人々の無関心さ、冷淡さの1つ1つがジョーカーを作り上げていく。誰もがジョーカーになる可能性はある。ただ、少数ではあるが自分を気遣ってくれる人の存在に気付ければ違った道もあったのかもしれない。完璧な人間はおらず、全てが善または悪と言うことはない。
何も知らない私
タイトルなし(ネタバレ)
最後の暴動の時のほうが、いきいきしている。
賛同を得て大勢に認められた。
自分の存在意義を感じてる。
ちゃんと笑えてる。
悲しみと憎しみを抱えて、
なるべくしてなったジョーカー。
ダンスが上手でした。
悲観
悲劇の種を生んでいるのは我々人間。
はっきり言うと、この一人の不遇な男がシンボルになって、荒廃していく街の惨状が痛烈に描かれた作品はすべてがBATである。この作品に共感を覚えることははっきり言えば最悪であり、必要悪にもならない。しかし問題作としては秀逸。すべてが完成されている。彼の生い立ちから行動、結果に至るまで、すべてが悲劇である。この作品を絶賛できる国があるなら、それは幸せな国に住んでいるからだろう。もし途上国で、日常的に人が死んでいくところに生まれていたなら、その人からしたら評価にも値しない。日本人というのは幸せの幻想の中で生きているとも言える。今回のこの凶悪なジョーカーに仕立てたのは誰なのか。それは周りにいた人々。普通の人たちであったはずだ。知らずのうちに悲劇の種がさらに悲劇を生み、我々一人一人が悪を生んでいることに注目すべき作品である。この作品には、評論家じみたしょうもない論評などまったくナンセンス。もっと感情的にシンプルに見ればいい。
悪だがかっこいい
これは地獄から生還する幸せの物語だ
暗い、重い、悲惨すぎる… 映画「ジョーカー」の感想によく出てくる言葉です。
まあ確かに。映画全編を覆うトーンから、そう感じるのはむべなるかなです。しかし私にはこの映画、絶望の底から自由と解放を勝ち取る、一人の男の覚醒を描いたドラマに映りました。ですから、悪の道への“転落”ではなく“昇華”の物語であり、ならばこそ主人公は次の境地に到ったのだと思います。
「人生は悲劇だと思ってた。だが今わかった、僕の人生は喜劇だ」
劇中、何が現実で何が妄想か判然としない手法で物語が進みます。しかし、彼がアーカム州立病院で自身の出生の真実を知るあたりから、しだいに“虚構”から“リアル”な存在に固まってきたように感じます。
ザジー・ビーツ演じるシングルマザー、ソフィーが殺されたのか何もなかったのか議論があるようですが、追及は不毛です。映画監督が意図的に示さない選択をしたということ。つまりどちらでも自由に想像してくれということです。(私は“殺られた”と思いました。)
デ・ニーロ演じるマレー・フランクリンをLIVEで殺害するシーン、及び深夜のゴッサムシティーでパトカーのボンネットの上に立ち上がり暴徒たちを見下ろすクライマックスは、映画のたたみかけとしては文句なしのな展開でした。絵が美しい。内容は暗く、凄惨ですが、美しい映像の連続でした。
ラストは精神病院です。彼は面談で例によって笑い出し、それを問い質す精神分析官に「ジョークを思いついた。でも君には理解出来ない」と言います。その笑いは、もう完全に精神疾患のそれではなく、確信的な笑いです。かつての彼は、顔は笑っていても心の中は苦しみに満ちていました。しかし今は心の底から笑っています。ものすごブラックに。もうすっかり「アーサー」ではなく「ジョーカー」です。
そして唐突に血の足跡を残しながら逃亡するラストシーンへつながります。 その走り方に暗さはありません。ユーモラスですらあります。この展開こそがジョークの中身だったのでしょうか。精神分析官は何の罪もないのに殺られちゃったんですかね。殺っちゃう対象は無差別の危険なヴィランになってます。
この映画を観て暗鬱になる人が多いようですが、私は楽しめました。主人公に共感も同情もしませんでしたが、カタルシスを味わうことはできました。同時に切なさも。これはジョーカーの辿りついた、極めて異質の“幸せ映画”です。
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