ジョーカーのレビュー・感想・評価
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凄い作品だった
ようやくこの作品を見る気になった。
ただ、やはり、わからないほど難しかった。
外国人の思考には文化の違いや表現の違いがあり、全体的には難しいわけではないが、解釈しようとすると途端に詰まってしまう。
アーサーの幻想の多くはわかるのだが、わからなかった部分も多かった。
精神疾患的な作品は、精神疾患者の主観が描かれる。
その主観自体がそもそもわかりにくいのだから当然だ。
この手の作品には私の妄想は通用しないようだ。
さて、
悪の化身「ジョーカー」
バットマンの敵役の誕生秘話
精神障害者
この精神障害は、なぜもたらされたのだろう?
愛する母
彼女の話と助けを求める手紙
貧困と底辺で暮らす人々
真っ先に打ち切られる州の予算
生きる上で必要な支援から先に切られていく世の中
日増しに広がる格差
アメリカという国が慢性的に抱える問題の根幹
貧困
大富豪ウェインの屋敷で雇われていた母ペニーフレック
ウェインを信じ手紙を書き続けるのは支援が欲しいから。
しかし返事など来たことはない。
主人公アーサーは、古いアパートに母と住み、ピエロで稼ぐわずかな収入で生計を立てている。
アーサーは人前で大きな声で笑ってしまうという障害を持っていた。
だから「私の笑いは病気によるものです」と書いたカードを持ち歩く。
彼は自分の病気や境遇をすべて母から教えられてきた。
しかし、母の話は全てでたらめで、彼女自信が精神疾患を患っており、強力な妄想の世界に囚われていることがわかる。
「ボクの人生は悲劇だと思っていた。でも、ボクの人生は喜劇だった」
アーサーの病気
社会から受ける冷遇
しかし、まさか愛する母親の話のすべてがでたらめだったとは…
母はそういう病気だということを、アーサーが受け入れることはできなかった。
結果がそうであった以上のことは何もない。
断罪 悲劇の根幹であり喜劇への目覚め
アーサーの精神障害は、母の恋人による虐待とネグレクトから起きたのだろう。
母の黙認 自分を責める代わりにした逃避 これが彼女の精神異常の根源
彼女の都合のいいように現実を作り上げるしかなかった。
さて、
同じアパートに住む女性ソフィ
彼女の役割は何だったのか?
ここらあたりが邦画と洋画の難しさの違いが出るところだろう。
私にはわからなかったので調べたところ、アーサーが抱いたほのかなロマンス、その幻想が描かれていたようだ。
アーサーの中の現実と妄想 これがこの作品のカギとなる。
アーサーが限界に達した時、勝手にソフィの部屋に侵入する。驚いたソフィは戻るように促す。つまり同じアパート以上に知り合うことなどなかったということらしい。
つまりアーサーには幻想世界がある。
TV番組に出演するシーン、その他いくつもの彼の幻想が描かれている。
マレーのショウ番組で彼を撃ったアーサー
逮捕され警察車両に乗せられるとき、町で暴動が起きている。
この暴動自体はニュースでもあるように「現実」だ。
しかし、パトカーに救急車が突っ込み、ピエロがアーサーを救出、彼はダークヒーローに祭り立てられるシーンは、彼による妄想だ。
アーサーもまた母と同じように、現実から逃れる妄想をすることで自分自身の精神状態を保っている。そうせずにはいられない。
最後に彼の言った「面白いジョークを考えついたんだ」とは、バットマンへとつながるのだろう。
この作品のような洋画は本当に解釈が難しい。
些細なニュアンスの違いを読み取る必要があるのだが、言語と文化の違いが難しくする。
最後は気になった部分について調べる必要がある。
しかし、
アーサーの起こした事件の背後にあった彼の思いに暴動が起きたという事実がある。
「ボクは存在しないものだと思っていた」にもかかわらず、自分にできた大きなこと。
不満
この社会に対する不公平感
この思いを持つ者の数の方が、アメリカ社会では圧倒的に多い。
アーサーはそれに気が付いたのだろう。
だから、底辺にいない「カウンセラー」には「理解できない」「ジョークを思いついた」
彼の思いついた「心の叫び」は、同調する不満を抱えた人を動かす大きな原動力となるのだろう。
これこそが「悪の力」だ。
アメリカ人含め世界中の人々の本音を表現した作品。
すごかった。
舞え軽やかに
人生は喜劇だ
これは主観だ
ハッピーなんかじゃない
僕はただハグして欲しいだけなのに
…パパ
僅かな拠りどころさえも奪われていく
あなたが人を嗤わせれるの?
どうしてみんな、母さんのことをそんな風に言うの?
これが喜劇?悲劇だろう
ざわざわざわざわ
狂気の街ゴッサム
映画が終わって席を立つ人達の間には、なんだか重い空気が漂っていたような気がした。
歴代ジョーカーを演じた役者たちはそれぞれに見事な怪演を見せたが、ホアキン・フェニックスこそ異常者を演じるのに違和感がない役者だと思う。
それは、以前からホアキンに対して抱いていた個人的な印象。
果たして、殺人鬼ジョーカーの出自となる自閉的なコメディアンという矛盾の男アーサーを、ホアキンは贅肉を削ぎ落とした肉体で鬼気迫るまでに圧倒的な説得力で演じている。
そして、精神に病を抱える弱者アーサーを追い込んでいく状況設定が、非情極まりない。
監督兼共同脚本のトッド・フィリップスという人、酔っぱらいコメディ映画しか知らなかったが、なかなかに侮れない。
ゴッサム・シティは、同じDCユニバースのメトロポリスとは対照的な、荒んだ都会の暗部の象徴。
メトロポリスは外側から悪が襲ってくるが、ゴッサム・シティは内側で悪を産み出す。
このイメージは「バットマン」コミックスの初期にはそれほど強烈ではなく、ティム・バートンの映画とフランク・ミラーのコミックによって1980年代後半に定着したものだと思う。
そして、本作でアーサーに襲いかかる災難の元凶はこの荒んだ都会の病巣だけではなく、母親の秘密にもあったという残酷な設定が、カタルシスとは縁遠い重苦しい後味を残させたと思う。
コミックのスーパーヒーローを暗いシリアスな映画にする流行は、実はあまり戴けないと思っている。
そこに持ってきて、悪役をフィーチャーしてここまで悲惨な映画を作る必要があるのだろうか、とも思う。
(もっとも、フランク・ミラーやアラン・ムーアが先にコミックにそういう空気を吹き込んだのだが)
しかし、これがコミックのキャラクターだからこそ、現実の世界に存在する狂気の沙汰が人間に作用する危険性を訴える物語を率直に受け止められる。
理不尽な暴力行為や、虐待とネグレクトなど、日常茶飯事のように報道されているではないか。
殺人鬼ジョーカーは誇張の世界だとしても、被害を受けた人の中に何が残って、それが人間形成にどのように影響していくのかを想像すると、戦慄を覚える。
本作の唯一の良心はザジー・ビーツが演じた隣人のシングルマザーだが、彼女の安否が心配だ…😟
“White Room” by Cream
正にラストでの女性との会話が行なわれている場所が“白い部屋”ということで繋がっているのかと思いきや、実際使われているシーンは“町の暴動をパトカー越しに眺める”ところだったのだが(笑
今作品のテーマ性を回想するに、表面上での経済格差、それに伴う弱者の蜂起等が掲げられているだろうが、それより特異なのは、ストーリーの建付けとして、今作品の何処までが主人公アーサーの“妄想”で、どこまでが現実設定なのか非常に曖昧となっている作りなのではないだろうか。1回しか鑑賞していない、しかもパンフレットや原作も未読なので、初見のみで判断が前提だが、前述の通り、あの白い部屋は多分精神疾患病棟内の、しかも厳重な警備での面会室であろうことを思わせる。そして、手錠を掛けられている主人公の嘯く「ジョークを思いついた」「理解出来ないさ」。手錠装着は気になるが、あのシーン迄の延々と続いたアーサーの辛く厳しく、そして“悲劇”が“喜劇”に堕天した一連の叙述詩さえも、実はあの一瞬の思いつきである“ジョーク”そのものではないのだろうかと勘ぐってしまう印象なのである。いると思っていた彼女は実は妄想であったり、所々“信用ならざる語り部”的なフォーマットが差し込まれる件は、これら全てがまるでジョーカーの頭の中で描かれた虚画を見せられた、そんな解釈を抱いてしまう。もし、自分の見立てが間違っているのならば、どなたかご指摘頂ければ大変有難い。
幾度もひっくり返るアーサーの出生事実、そして幼少期の母親からの虐待は、背中に刻まれたケロイド状の痣の痛々しさや、トゥレット障害をより一層際立たせる“伏線”であり“回収”だ。周りに幾度となく心を抉られ、社会からの保護も失われ、底まで堕ちた男の生まれ変わりは、決して大袈裟ではない演出と、地に足の付いた演技としての俳優“ホワキン・フェニックス”の力量で、それがドキュメンタリーとしての要素も帯びた重厚な内容である。分かり易いBGMの効果音や、ニューヨークを感じさせるスタンダードジャズ、そしてあのクリームの有名曲を絶妙に配置することで、否が応でも主人公アーサーへの感情移入が逃れられない。正論を吐くTVショー司会者役の“ロバート・デ・ニーロ”の表現は正に現実社会の代表的意見に他ならない。弱者への労りを無くした社会はこうして“化物”を産み出す胎盤と化すであろう・・・と、ジョーカーっぽくはないが、これもジョークなのだろうか(苦笑
アメリカンジョークが今イチ飲み込みづらい自分としては、スタンドアップコメディの面白さが今作品の鍵であると感じたので、そこがぼやけてしまう事に、自分の理解不足を恥じる部分もあるが、それ以上に“ヒトをクった”作りそのものがジョーカーらしい興味深い作品である。「この人生以上に硬貨な死を」、尤も胸に刺さる言葉である。
芸術的作品
芸術的なスタンスとしてはハイレベル!アカデミーが喜びそうな作品に仕上がってます!主演男優賞ノミネート間違いなし!でも単に映画としては超ネガティブな映画なので幸せな人が見る映画ではありません!
バットマンは出てきません
「ダークナイト」で大暴れしてバットマンを困らせた悪役ジョーカー、そのジョーカーを産んだ格差社会のお話です。
鬱な作品です。主人公が徹底的に壊されていきます。というか人間を狂気に追い込むゴッサムシティ(格差社会)への強烈なアンチテーゼ。弱者は社会保障も打ち切られ、どんどん落ちていきます。自己責任という言葉では何も解決しない。悲しいのに笑顔に見えてしまう主人公アーサーのピエロメイクが不気味で哀れ。
アカデミー作品賞向きかどうかは微妙ですが、ホアキン フェニックスには主演男優賞ぜひ取って欲しい。
終盤、暴動シーンに突然、大音量の「ホワイトルーム」、最高にカッコいい選曲で星半分おまけです。
[2/10追記]
わーい、やっぱり主演男優賞、ホアキンおめでとう。
コレ系好きなら低評価レビューは、全く読む必要ないですよ。
しかしスーツ姿のサラリーマン多いぞ〜皆さん半休なのかw
フリーパス5本目は、早朝からアカデミー賞は確実だ!のコレ
この役は、ヒース・レジャーが究極を演じただけに、オファーを引き受ける事がジョーカーだと思ってましたが・・・脚本と演出も絶妙なこれぞDCヒーロー悲哀の極み!!
コレ系好きなら間違いなく鉄板度200%、ジョーカーがいかに生まれて行くのかを見せつけられる120分を堪能する価値ありです。
バットマンの冒頭のあの有名なシーンもあり、ゴッサムシティを舞台にブルースの悲哀も始まりバットマンビギンズへと繋がる。
苦悩に満ちた素顔と痩せた身体に潜む狂気と悲哀、ホアキン・フェニックスの凄さにただ脱帽!(◎_◎;)
主演男優賞を是非獲って欲しい〜映画史に残る名演×怪演は、超必見!!
☆4.8
ホテルムンバイとジョーカー、1週間に2本凄いの堪能させてもらいました。
映画単体なら傑作。ジョーカーとしては駄作。
演技力には脱帽
妄想が現実と化していく狂気的な演出も見事
ただこれ、全くジョーカーではない。
ただの精神病患者が怒りに駆られて革命を起こす話。
承認欲求が強いように思うし、そもそも超マヌケだし、
なんか生粋のヴィランとしてのジョーカーではないと思った。
内側から胸を掻きむしられるような
孤独とやるせなさを感じた。静かに確実に忍び寄る奈落への入り口。でも最後まで、決してアーサーが狂っているとは思えなかった。おかしいのは社会と世間で、その報いを受けるのはウェインのような富を搾取する富裕層たち。だから暴力を振るったっていいんだ。
これってゴッサムシティだけじゃない、日本にも世界にも蔓延している不満。現代のネットや、ほら、あなたのスマートフォンの中にも。画面をなぞるその指の先にも。どこにだってある。
ジョーカーは悪の華とも呼ぶべき存在だけど、果たして、本当に狂っているのは誰? 世間? 社会? 仮面を付けて騒ぎ立てる人たち? それを問われているような気がした。悲哀の先に開いた白塗りの徒花を、だから私は笑えなかった。優しいハグとあたたかい言葉さえあれば。彼が求めていたのは、たったそれだけだったのに。あの長い長い階段を昇って家に帰れば、まだ人でいられた。踊りながら階段を下り、ジョーカーとして覚醒してゆく場面の巧さに唸った。暴徒が取り囲む中で最後にアーサーが見せた仕草に、心底ゾクッとさせられた。ああ、アーサーは死んだ。そしてジョーカーが生まれた。生まれてしまった。
ホアキンは素晴らしい役者になった。きっと兄のリバーも喜んでいると思う。
ああ…畜生、格好良い
開始15分、縦長に構成された背景であぁ、此処はゴッサム・シティだとわかる
これまでジョーカーはジャックニコルソン版もヒースレジャー版も完成されたヴィランだった徹頭徹”支配する側”の輝きで私たちを魅了してきた
今作はそれはもうたっぷりとアーサーが踏みつけられ、笑いものにされ、殴り倒されるシーンが描写される、観客も道連れに
だからこそジョーカーとして覚醒した彼が暴動のただ中に躍り出るのが最高に気持ちいい
アーサーがストレスを受けた時の制御できない発作笑いが泣いているようにしか見えない痛々しい笑いだからこそジョーカーのメイクの下の片頬上げるニヤリ、や燃えるゴッサムを見つめる子供のような無邪気な笑顔がゾッとするほど魅力的なんだと思う
映画の中でなら何にでもなれる
スーパーヒーローが世界を救うなら逆だって有りだろう
ジョーカーと一緒にゴッサムを燃やし尽くそう
アクション映画ではないですよ
観終わった後に、近くに座ってたカップルの方が「なんだよ、バットマンとか全然出てこねぇじゃん!」ってブツブツ言ってたのが聞こえたので、あえて最初に書いてみました笑
そうなんです、バットマンの敵であるジョーカーのお話ですが、マーベル的なヒーローやマントを着て空を飛んじゃうような人も出てきません。
でも、ただただホアキン・フェニックスのもの凄い演技に圧倒された2時間でした!
ストーリーについては他の方のレビューを参照いただくとしても、若きブルース・ウェインとの関係についても途中「マジか?そうだったの⁈」という場面もありドキドキします。
あと昔観たバットマンの映画でのブルース・ウェインが両親を目の前で強盗に殺されるというトラウマ的なシーンがどの様な背景で起こったのかという点も取り上げられており、そこの繋がりについても唸らせられました。
決してファミリー向けじゃないし、デートにも適さず、アクション映画を期待して行くと全く期待はずれになるかと思いますが、演技や映画的な画と音楽の妙技を楽しむには秀逸な作品です。
想像通りの映画の内容。想像を超えたホアキンの怪演。
ホアキンがヤバい。
ヒース・レジャーと比べてはいけないが、比べられてしまう映画。
その中でこれだけの物を観せてくれるのは凄いの一言。
笑い方、逃げ方、踊り方、階段の登り降り、その他モロモロどれも良かった。
ただ映画としては驚きもなく何度も観たくなる映画では無かった。
例えるなら、めっちゃ歌うまい人がイマイチな歌を歌っている感じ。
多分、ダークナイトに引っ張られて観てしまうので、共感と違和感が半々となってしまい、そう感じてしまうのかも。
個人的にはデ・ニーロを久々に観れて嬉しかった。
負の感情が辿り着く先。
私は本作の「狂気」という宣伝文句に少し安心しながら見始めていた。「狂気」の表現は大概、自分自身とは無縁といっていい表現であるし、物語を通して「狂気」にふれるとき、一種の怖いもの見たさのような、安全な場所から危険な様子を見て好奇心をくすぐられるような感情を楽しんでいた節がある。
ただ、実際のところ本作は「狂気」の物語ではなかった。むしろ日常にある負の感情や自身の中だけで凝り固まっていく感情が少しずつ膨張していって、「社会の中の自分」という外郭を破って出てきた自己主義的な主観風景が前に出てきてしまった、というように感じた。そうなってしまうキッカケは誰にでもあって、主人公・アーサーは運悪くそのキッカケに出会いすぎてしまった、というような感覚を抱いた。上映が始まる前の安心感みたいなものは、すぐに無くなってしまった。
この感覚を抱いてしまったのはきっと、アーサーの日常風景がすごくありきたりなものに見えたからだと思う。母と噛み合っているのかいないのかわからないような会話をしたり、テレビの向こう側の華やかな世界を見て自分もその中で選ばれた人間になれたらと妄想したり、良いことがなくて背中を丸めながら階段を登ったり…どれもアーサーの生活の一部であり、そして誰にでもあるすごくありきたりな風景だ。しかしそれは誰にも見られたくない負の感情を抱えていて、その負の感情をあそこまで生活臭のする空気感で描かれると、ジョーカーが突き進む先は私の世界と無縁の「狂気」だ、と言えなくなる。
この作品で見せつけられた結末は「狂気」という非日常の異常性ではなく、日常の中で積もっていく負の感情が辿り着いた先なのだ。そのリアリティが「狂気」とは違うゾッとするような恐怖を生み出し、本作の魅力になっているのだと思う。
アーサーを救えたのは誰か
ホアキン・フェニックスが完全にジョーカーの狂気を体現している。
ステレオタイプな完全に狂った狂人ではなく、しかし決して常人のそれではない表情、仕草に心を鷲掴みにされた。
彼の心の根底にある人間性、それ故の狂気から目が離せなくなった。
冒頭からラストまでテンションを落とすことなく描き切った製作陣も見事しか言えないと思う。
ダークナイトではまるで人間とは思えない、さながら神、邪神のようであったジョーカーを一人の生きた人間として描く本作において、彼を追い詰めていく社会は、やはり現実の社会を投影する。
搾取する者、搾取される者。
富める者、貧する者。
笑う者、笑われる者。
人生は喜劇だという、あまりにも悲しいセリフ。
自分の中にジョーカーを見つけた観客もいるのではないだろうか。
少なくとも私はそうだった。
アーサーを救えたのは誰だったのか。
側にいて優しくしてくれる誰かがいれば、彼はジョーカーにならずに済んだのではないか。
でも誰も彼には優しくなかった。
彼の生活、境遇に寄り添ってくれる者はいなかった。
しかし、彼の境遇を目の当たりにして、一緒に共感し、涙を流し、怒った人達はいるだろう。
本作の観客だ。
彼を救えたのは観客だけではなかったか。
無論、劇場のスクリーンの壁は越えられない。
だからこそ、身近にいるアーサーに共感し、寄り添うことの大切さを本作は伝えているのではないかと考えた。
この映画は煽動的とか暴力的とか言われるかもしれない。
全くアーサーに感情移入できないという人もいるだろう。
だが、その人達にはアーサーは救えない。
逆にジョーカーを生むだけだ。
アーサーに共感した人にしかアーサーは救えない。
本作の舞台はバットマンの街、ゴッサムシティだ。
だが、描かれる社会は現実にしか思えない。
アメコミが現実に寄せているのではない。
現実がアメコミに寄っていっているのではないか。
無数にいるアーサーがジョーカーにならないためにどうしたらいいか、この映画を観て考えてみるのもよいと思う。
ゴッサム・シティのカリスマが、もともと笑ってしまう病気を抱えていた...
ゴッサム・シティのカリスマが、もともと笑ってしまう病気を抱えていたという世界。
他のバットマン作品のジョーカーと同一人物かどうかは気にしなくて良い。嘘つきジョーカーに整合性を求めるなんてナンセンス。
報われない悲しい主人公。他のジョーカーを見てきた中で1番感情移入しやすかった。カリスマになった経緯も理解出来た。
バットマンの親を殺害したのがアーサーじゃないというエピソードが気になる。親を殺した犯人が後にジョーカーになる人なのかもしれない、などとロマンを感じてしまうエピソード。
BGMも構図も芸術的でとても良かった。
カメラの性能が良いだけでなく、監督の腕が抜群に良いのだろう。
悲劇だ🃏
人生は喜劇だ。
「世界の三大喜劇王」のひとり、チャーリー・チャップリンの名言。孤児院で育った不遇のときも、決してチャーリーは未来への希望を捨てなかった。そしてついに喜劇王になった。
しかし、アーサー、のちのバットマンの宿敵、ジョーカー🃏の不遇は壮絶だった。
コメディアンを目指すも、チャップリンのように才能もなく、精神障害に悩まされていた。そんな中でも前を向いて歩こうとするアーサー。しかし社会はそれを許さなかった。ある出来事をきっかけに奈落に落ちていく。
奈落の底でコメディアンとして人から注目されたいというアーサーの希望と、ゴッサムシティーの闇がアーサーの希望を変質させてしまう。そしてついにジョーカーが誕生する。
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アーサーは言う、人生は喜劇だと。
しかし私は思う、これは悲劇だと。
それほどに感情移入させてしまうストーリー、役作り、音楽だった。
アーサーの精神世界の描き方が秀一。まるで自分がそのなかにいるような感覚。アーサーの困惑、失意、怒りを感じた。
役作りもすごくて、特にあの病的な、でも力強さというか禍々しさも感じる体は仄かに黒いオーラを放っているようだった。精神障害がある方の演技も、病的で脆くて衝動的な感じ。職業柄そういう人に会うこともあって、違和感なかった。
そして音楽。徐々にきしんでいき、ついに堕ちたアーサーの心を表現しているようだった。
最後のシーンでまるで喜劇のような場面がある。でも全く面白味を感じない。それほどまでに彼の闇を感じたのだと実感した瞬間だった。
いやー、ええ映画を見たわ。
現実と妄想、喜劇と悲劇が錯綜する
最初から最後までものすごい濃密な作品でホアキン演じる主人公ジョーカーの演技は恐ろしくて素晴らしくて、笑っているのに泣いている、現実なのか妄想なのか分からない中で鬼気迫るものがある!本作監督のトッドフィリップスと制作のブラッドリークーパー(名優)とがいうレディガガのアリーのコンビが監督と制作をチェンジして挑んだ本作はいろいろとツッコミどころはありますがとても素晴らしい作品です!
映画と関係無いですが、映画マナーの案内フィルムは本編上映直前に流して欲しいですね。マナーの悪い人はギリギリか始まってから入ってくるような人達ですから。
盗撮防止ムービーよりこちらの方が重要ですよ。
また最近、特に持ち込み食品を食べる人が多く、コンビニ袋やスナック菓子のシャカシャカ音させる人がホントに多くて、映画関係者の皆さまには、特にこれの防止啓蒙をお願いしたいです。
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