ジョーカーのレビュー・感想・評価
全1561件中、621~640件目を表示
笑いながら狂っていく主人公の半端ない怖さ
笑いとは何だろう?と考えさせられた。
〝あなたの笑顔は人をHappyにするわ〟と母に育てられ、〝常にHappyな態度で笑っていないと〟という生き方をしてきた主人公。
実際は、母子家庭の貧しい家庭で、母の面倒を見ながら、そして自らは障害者でありながらも、ピエロの仕事で何とか暮らしている、母想いの優しい青年だった。
ところが、ある時仲間に裏切られ、職を失ってしまう。
落ち込む帰り道の電車内で、主人公の〝笑ってはいけないときに笑ってしまう障害〟が。。
それをバカにした〝富裕層の商社マン〟三人を殺害してしまう…。
そこから、大好きだった母の裏切りも発覚し、見事に堕ちるところまで堕ちていく。
狂ったように笑いながら、何人も殺害していく様は、狂気と最上級の恐怖を感じずにはいられない。
〝自分を分かってくれる人間がほしい〟という強い
想い。
皮肉にも、殺害し逮捕されたことでアンチヒーローになり、〝同じ立場の貧困層〟の理解を得られ、
真の意味で笑う様子は、本当に怖かった。。
どんなにひどい世の中でも、分かってもらえなくても、人を殺していいとは私は思わないので主人公には共感出来なかった。
でも、この主人公みたいな人は沢山いて、今のアメリカや日本でも同様に、ひどい世の中に対して怒りや哀しみを抱えたままの人は沢山いると思う。
社会風刺?なのかもしれないけれど、ビビりな方はあんまりオススメ出来ない。怖すぎるから。
初めて映画評論してみたくなったので書きます。
アベンジャーズ インフィニティウォーで、それまで負けることがなかったマーベルヒーロー達は悪の前に敗北する。僕の幼い頃であれば考えられないようなシナリオが現代では受け入れられる時代だ。しかし、残念ながらこれが我々が生きる現代のリアリティである。ヒーローは負けないという幻想は、もはや小学生ですら持っていない。
世の中は不条理に満ち、大抵の努力は報われず、尊い願いは叶わない。嘘つきが得をして、正直者がバカを見る。それがごく当たり前の世の中。
テレビによる洗脳はインターネットの登場により破壊された。芸能界の薬物汚染。政治家達の不正。大企業の隠蔽工作。そして自分達に都合の良いことしか報じないマスメディアの腐敗。それまで信じてきたものに裏切り続けられていた真実を人々は今、知り始めている。既得権益を持ったものは死ぬまで甘い汁を吸い続け、貧しいモノ達は死ぬまで搾取され続ける。この世の中にもはや揺るぎない正義などない。正義と悪は簡単にひっくり返ってしまう。そう、完全無欠のヒーローはもはやどこにも存在しないのだ。
トッドフィリプッス監督、ホアキンフェニックス主演、「ジョーカー」はまさに現代社会への怒りに満ち溢れた映画であるとともに、そこに生きる人々に警鐘を鳴らしている。
人々の不満や鬱憤が肥太ったネズミのように膨張と増幅を続けているゴッサムシティ。そこで大道芸人として暮らすアーサー。
「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」
という母の金言を胸に、持病を抱えながら誰かを笑わせ幸せにしたいと願うアーサー。しかし、そう願えば願うほど他者は、社会は
、世界は、彼を追い詰め、孤立させていく。たがが外れた彼はやがて、マレーフランクリンショーでの凶行へと及ぶに至る。
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。」この映画のキーポイントとなるチャップリンの名言だ。思い返せば、不良達に滅多打ちにされ顔を歪めるアーサーのクローズアップ(寄り)から始まるアバンタイトルが悲劇を象徴しているのに対し、スラップスティックコメディさながら逃げ回るジョーカーのロングショット(引き)で終わるエンディングはまさに喜劇的表現を象徴している。トッドフィリップスはこのチャップリンの名言を下に映画を作り上げていったに違いない。
さらに、この映画を語る上で参照すべき映画を二つあげるとすれば、それはマーティンスコセッシ監督の「キングオブコメディ」と「タクシードライバー」だろう。
キングオブコメディのパプキンのように中二病的な妄想を肥大化させ、タクシードライバーのトラヴィスのように、女性に対しての過剰なコンプレックスをこじらせたアーサーは、その両方から裏切られ、果てには唯一信じていた母親から虐待を受けていた事実を知る。
それは、宗教のように盲目的にすがるものや信じるものが消滅した現代に生きる我々の持つ絶望感に似ている。それ故に、我々はいつのまにかジョーカーに魅入られ、共感させられてしまう。キリストの復活をモチーフにして、ジョーカーを車から引きずりだし神のように崇める大衆がまさにそれを象徴している。現代はまさに、キリスト(ヒーロー)よりも、アンチクライスト(アンチヒーロー)の時代になってしまった。
この映画は怒りそのものである。右傾化し、自国の利益最優先で突き進む大衆ポピュリズムはもはやトランプ政権だけの代名詞ではなくなった。もはや世界中にその空気は蔓延していて我々を確実に蝕んでいっている。もはや他人を思いやる余裕はない。誰もがクローズアップで他者と関わろうとせず、ロングショットで傍観を決め込んでいる。このままでは、現代社会は本当にジョーカーを生み出すだろう。かつてのヒトラーのように狂信的な信者達を携えて。この映画はジョーカーを賛美する所か、その現状に対して高らかに警鐘を鳴らしている。
もうすでにその狂気の目と銃口は例外なく我々の背中にも突きつけられているのだと。大丈夫、これは全て喜劇だと、不気味なダンスを踊りながら、ジョーカーはもうすぐそこまで来ている。あの不敵な笑い声がもう耳にへばりついて離れない。
絶対に見逃してはいけない問題作にして、大傑作である。
アーサーは笑う、悲しみを胸に隠して
アカデミー賞最有力とも評される映画『JOKER ジョーカー』を見て来ました。
映画『バットマン』シリーズのスピンオフ、敵役ジョーカー誕生の物語です。
ほとんど『バットマン』シリーズを見ていない私ですが、本編を見てなくても楽しめると聞いたこと、Twitterで作品&主演ホアキン・フェニックスの評判が高いので気になって見に行きました。
見る前から結末は分かってるはずなのに・・・
とんでもない映画が生まれました!!!
興奮で鳥肌!!!
本当に見て良かったです
語りたいことはたくさんありますが、
とにかく!主演ホアキン・フェニックスが凄いすぎる!
演技が上手いとか、役になりきってるという次元を超えています。
もう、アーサー(ジョーカー)が乗り移ってるとしか思えない・・・
ホアキン・フェニックスの役作り、半端ないです!!!
コメディアンを夢見る心優しいアーサーが傷つき、殺人鬼ジョーカーとして悪に染まっていく(目覚めていく)様子は、とてもとても心苦しく切ないものでした。
起きる出来事がアーサーの妄想なのか、それとも現実に起きたことなのか、ストーリーが進むに連れて混乱してきますが、ここは観客に解釈を委ねているのでしょうか?
そして、アーサーが悪いことをしてるはずなのに、つい応援してあげたくなるのは、なぜなんでしょうか。
(ここが賛否両論を呼ぶ理由だと思います。残酷なシーンも多いですし、R15指定は甘い、R18指定にすべきかと)
アーサーがジョーカーとしての悪に目覚めた時、ホアキンが演じるアーサーの顔が、前作『ダークナイト』で故ヒース・レジャーが演じたジョーカーに見えてくるのも不思議でした。
あのピエロメイクをしていなくても、表情がジョーカーそのもの。
あーこんなに感想を誰かと語り合いたい映画を見たのは久しぶりです。
介護問題に弱い者イジメ、仮面を被った匿名性の怖さなどなど・・・
作品の時代設定は(たぶん)70年代のアメリカをモデルに描きながら、ストーリーに込められたメッセージは、最近の香港デモや、今の日本にも通じるものでした。
映画『ジョーカー』
あっぱれです!!!
アカデミー賞、取って欲しいなぁ
観終わった直後より,後からジワジワと…
色んな人が語っているが,自分自身の為にも単純では無かった事を形として残して置きたい❗️が為に書き込んで置く…
一寸した話によると,原作のDCコミックスには無い映画オリジナルのストーリーで描いたものという事で、見方がかなりに変わってきた。 母親に“どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい“という言葉よりコメディアンになる!と,生きてきた1人の男が、一歩,道を踏み外す事を改めて色んな角度❔からの見方をしてみた上での初めて?面白味というか深さみたいなものを感じ取れたような気がする… ホアキン・フェニックスの役の中でのあの持病だというあの笑いは,かなりに重みのある不気味ささえも感じさせる程に思えてきた。 *リバー・フェニックスの弟で芸能一家と言う事も記載しておくべき事なのかもしれない…<後から自分自身で,この文章を見直した時の為にも>
傑作で間違いない
良くできてるなあと思うの。アーサーのことを細かく描く脚本で、それに応えるホアキン・フェニックスの演技も凄い。
この映画たぶん「アーサー、解るけど、そっちいっちゃ駄目だ。駄目だよ。でも、解る。でも駄目だけど、解るわ、ちくしょう」って感情移入して観る映画なんだろうなと思ったの。
で、これは、完全に受け取る僕の問題なんだけど、そう思わなくて「いやこれ、アーサーこの道いくだろ。そりゃ当然だ。いけ、いけ」と思っちゃったのね。背景がきちんと描かれてるから、論理的帰結として、アーサーこうなるよねって思っちゃった。
あと僕は「これバットマンの話だしな」という思いが強かったんだと思う。「バットマン出てこないかなあ」と思いながら観てたし(ちょっと出てきたね未来のバットマン)。
そんなわけで、僕にとっては、面白いけど「すげえ」までいかない作品だったよ。
JOKER?
前評判高かったのでどうかな、と思っていたが、見る前に監督の某インタビューを読んでしまい、そういう意図で作られたのか、と思うと正直悪趣味としか言えない。
それとは別にジョーカーというそこそこ知られたキャラクターにしたことに疑問も感じた。これに関しては映画のプロモの宣伝に偽りありって感じかな。
ホアキン・フェニックスの演技は素晴らしいが、脚本はちょっと甘い箇所もあって(特に80年代というのにそれ?っていうシーンも)少々辛めな評価になりました。
今のアメリカを表現している
誰しもジョーカーに自分の不満を投影し、彼を悪の王と勘違いしてしまう、幻想に抱かれて現実を見ない今のアメリカを象徴している作品だと思う。
彼が優しく生きられる道があったらよかったな…と思いました。全バットマンシリーズ鑑賞済みで今回は挑みましたが、ウェイン夫妻のシーンをあそこに持ってくるのか!と思ってしまった。
素晴らしい
どうしようもないほどの救いの無さ
絶望的とはまさにこの事
誰しもがこうなってしまう可能性を秘めている
彼が本当にジョーカーになってしまうシーンは
もう彼を救う事が出来ない、絶望感と悲壮感で号泣してしまいました。
本当は彼は人を喜ばせたかっただけなのに。
心の病を持っている人には必ず胸に刺さる。
ジョーカーの狂気があなたを引きずり込む。
非常にクオリティの高い映画だった。
どのレビューを見ても評価は高く、それに値するだけのものであったと思う。
(実際私も高評価をつけた。)
それだけに、このレビューは慎重に進めなければならない。
まず最初に、「バットマン」に対する私の姿勢を示しておくと、
好きだけどそんなに詳しくはない。
これが正直なところです。
もちろん1990年頃のティム・バートン監督バットマンは何度も見たし、いわゆるトリロジーと呼ばれる3部作も大好き。けれど、コミックとかテレビドラマバージョンにはノータッチなので、元がどうとか言う話をされると
あ、そうなんだ。
ということになる。笑
最も好きなバッドマン映画は多くの人がそうであるように、クリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」で、ヒース・レジャーのジョーカーが一番魅力的だと思う。つまり、ごくごく一般的かつ"にわか"らしい立場にいる。このレビューを見て、「にわか分かってねぇわ」と感じるか「ジョーカーをそう受け取ってる人もいるのか」と寛大に捉えて頂けるかは、皆さんに委ねたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ジョーカーの誕生を描くのは非常に難しい作業だったはず。なぜなら、過去に映像化されたキャラクター像が決して統一されていないから。
そもそもジョーカーの正体からして設定が違うし、細かいところを言えば口の傷の有無、肌の白さの原因、あの狂気的な性格でさえ母親が関係しているとか恋人がそうさせたとか、今作が公開される前からファンの間では度々憶測と議論を呼んでいた。
この映画を観る事でその辺りの一つの回答が得られると期待したファンも少なくないだろう。結果から言えば、どんな回答も得られなかった。
いや、映画の中で答えは示されている。しかし、映画観賞後も「こうだ!」とは不思議と言い切れないのである。
一番分かりやすい例が、あの狂気的な性格だ。
あれに母親の存在が絡んでいた事は映画を見れば明らかなのだが、逆に、
「じゃあ彼は母親の影響であぁなったんだね」
と、誰かに尋ねられた場合、きっと多くの人が
「まぁ、それも一つの理由ではあると思うけど、、、」
位にしか返せないのではないだろうか。
映画では度々、キャラクターと出来事とが非常に簡潔に結び付けられる。
この出来事があったからこのキャラはこういう価値観を持った、とか。
この怒りはあの出来事があったから。
あの一件でこの人は恋をした。
この行動はあの時の行動が伏線なんだ。
といった具合に。
ところが現実に置き換えて考えてみると、感情とか価値観、行動はあらゆる要素が互いに作用しあって生まれるし育まれるものだと思う。
トッド監督もこの点にはかなり気を遣ったようで、「JOKER」ではその部分が見事なまでに表現されていた。だから明確な答えは得られず「それも一つの理由ではある」という言い方しかできないのだろう。
"ジョーカーの狂気は彼が元々持っていたもの"
この描き方が本当に素晴らしく、何かがあって狂気が生まれたのではなく、障害(それすらジョークだったのかもしれないが)の裏に隠れた生来の狂気に素直になっていく。122分を通じて描かれたのはそこで、程度はあれど誰もが共感(或いは同情)できるし、危険だが感化されるのは自然なことに感じる。見事な脚本だ。
「ダークナイト」の一幕で
"別に俺は計算高くない。行き当たりばったりだ。そっちのが楽しいだろう?"
そんな事を言っていたジョーカーがふと浮かんだ。
気になったところといえば
・ジョーカーとブルースの変な年齢のギャップ
・ジョーカーというキャラクター像の微妙なズレ
・オマージュの多さ
2人の年齢は詳しく明かされていなかったはずだが、今作では少なく見積もっても17.8の年齢差があるように見える。これまでの作品でそこまで年が離れている印象は受けなかったので、微妙に違和感があった。
ジョーカーは"悪のカリスマ"とよく形容されるが、今作生まれたジョーカーは最終的に"悪の親玉"にはなれても"カリスマ"ではなかったように感じる。
別に悪事に対してスマートではないし、なんだったら最後の一幕も"のし上がった"というより"担ぎ上げられた"という方がしっくりくる。車上で喝采を浴びる彼が、担がれたまま調子に乗って悪事を働けばすぐに失墜し、死を見ることになるだろうなという予感が働く。
カリスマとは程遠いキャラクター像だ。
また、拳銃を多用してたのも気になった。
彼と言えばナイフや爆弾、毒薬というイメージがある。ところが今作では拳銃の力に魅入られ、フランクリンを殺すのにも拳銃を使用したし、手で銃を作って自らの頭に突きつけるシーンも繰り返された。何より、彼の初めての殺しが拳銃によるものなのもキャラクターとして微妙に思う。
映画冒頭、拳銃を持たないアーサーが悪ガキ相手に袋叩きにされる場面があるが、ここで彼は抵抗しない。
しかし、電車内でエリートに絡まれた時には拳銃を携帯していたので彼らを射殺する。
この2つのシーンの拳銃の有無は逆だった方が、よりジョーカーらしいのではないかと思う。
序盤の、精神がまだ安定してる時には拳銃を持っていようと抵抗せず
中盤、狂気に飲み込まれ始めると拳銃を持っていなくても素手で反撃し、相手を殴り殺すか刺し殺す。
という場面の比較をした方が、彼のキャラクター像を想像しやすい。
こういう今までのジョーカー像との微妙なズレが目につくシーンが多々あった。
しかし、こここそが、例の、"回答を得られなかったのに評価が高い理由"だとも言えるだろう。つまり、続きを予感させる。笑
映画が製作されるかどうかは全くの別問題として、自らの狂気に浸り悪に染まったアーサーがジョーカーに目覚めたのが今作なら、ジョーカーが真にカリスマとなる物語がこの後にあっても不思議ではない。
その道のりの中に今回あやふやになった解答が潜んでいる気がしてならないのは確かだ。
最後に、オマージュの多さについて。
今作のメガホンをとったトッド・フィリップス監督は、コメディ映画の製作に秀でた人物で、スリラー・クライムサスペンスの気分がある作品を手掛けるのは今回が初となる。
それ故、製作するにあたり、彼自身、1970〜80年代のあらゆる作品を参考にしたと語っている。
先述した、手を拳銃の形にして自らの頭に突きつけるシーンや電車内での射殺のシーン、様々な場面でのカメラワーク、フランクリンの番組セットにピエロメイクの意味の持たせ方などはスコセッシ監督の「タクシードライバー」「キングオブコメディ」を間違いなく意識してるし、音楽では喜劇王チャップリンとアーサーとをクロスオーバーさせるように「スマイル」が流れる。時代の空気感の演出も70〜80年代の映画の影響を色濃く感じた。
往年の名作をオマージュする事は決して悪いことではないし、それが粋だなと思うシーンも多々あった。
しかし、今作では量の意味であまりにやり過ぎたというか、監督の「こういう仕事は初めてだけど、俺はこんなに作品を知ってるぜ」とでも言うような、「コメディ以外にも作れるの?」という民衆の疑問に対する言い訳というか、それを言わせないための先回りというか。そういう気概を感じてしまって、終盤にオマージュが出てくるともはや少し興醒めだった。
ホアキンの素晴らしい演技と、台詞がない方がむしろキャラクターを表現しうる肉体。
観客の内なる狂気をも刺激する脚本。
これらがなければ、"どのシーンもなんか見たことある"という下らなさと退屈さを纏ってしまっただろう。
素晴らしい演技をする俳優達と素晴らしい脚本家が畑違いの監督の元に集まった。
強い言い方をすればそういう後味の悪さが残る映画でもあった。
優しいアーサーへ日常、憧れ、夢、過去がねじれるように重なり合い、逃...
優しいアーサーへ日常、憧れ、夢、過去がねじれるように重なり合い、逃れられない現実を突きつけ、彼の心をえぐっていくように感じました。
妄想か現実か。願い。彼が求めるかたち。
自分はどこにいるのか。誰の中に存在しているのか。
彼がいくつく先に救いはあるのだろうか?
ラストシーンの彼の台詞は、あまりにも納得してしまい、彼の後ろ姿、足跡が残す意味はなんなんだろう?と。
涙が滲む作品でした。
ホアキンフェニックスの表情、身体の動きがとてもよかったです。
映画史に刻まれる衝撃作
映画史に刻まれる衝撃作と言いきって過言ない程の名作。公開を待たずして精神障害で逝ったヒース・レジャーの衝撃的な怪演を超える「JOKER」像を崩されたくなくて好奇心を抑えて観るのを敬遠してた映画。でもあまりの高評価に映画館に引き込まれ、観終わった今も残像が消えないホアキン・フェニックス版「JOKER」。不気味で精神障害を招くほど絶妙な映像と演技と音楽のコントラストと間合い。アカデミー賞間違いなしはハッタリではない。
☆ラ○ライブ☆オルタ☆(R15指定)(ネタが分かる人向け感想)
「非推奨、ミスマッチの人」
・ダークヒーロものが観たい→主人公はヒーローではないです。
・部下を引き連れて大暴れするジョーカーが観たい→DC映画、マーベル映画のようなアクションシーンはないです。
・悪をもって巨悪を制する感じなの?→違います。単純な結論はないです。
・暴力的な映像はダメ→この映画に向きません。観ないで下さい。ラブラ○ブを観ましょう。
「推奨、おすすめの人」
・社会派なの?→はい、社会派映画です!
・バットマン観たことがないけど話分かる?→シリーズ知らなくても内容分かります!
・つまらない映画、お説教くさい映画なの?→演技、編集、構成、劇伴の妙。テンポが良く映画に引き込まれます。退屈しません!
・グロテスク表現は嫌だ→殺人シーンはありますが、「手足や首を切断、皮膚がケロイドになる、内臓が飛び出る」ようなキツイ表現はないです。
・なぜラブラ○ブ?→ジョーカーが夢を叶えた物語です。むしろラブライバーはこれを受け入れる度量を持ってくれ。全員観よう!
まとめ:合う人100点、合わない人0点。
余談:私も「もう若くないし、周りのお客さんとの年齢も離れるし」とラブ○イブからの他界を考えていました。
しかし、今では心機一転!悪党を×××したような清清しい気分です。まだまだ体を鍛えて現地参加するぞ!!
拙者wオウフw早速にチケット申し込んでしまったでござるwww(ニチャア)
胸が締め付けられる
決してバットマンのサブプロットではなく、その世界観をさらに深めてくれる重厚なドラマ。ホアキンフェニックスは重苦しいまでの存在感で観客の私たちに迫り、圧倒的なリアリティを掻き立てている。それだけに、暗鬱とした気分に陥ってしまいそうになるが、ラストでジョーカーに変貌したあとのダンスがあまりにも軽やかで、なんだかホッとしてしまう。この作品は、救いようのない暗黒の中で立ち上がろうとする、ダークヒーローのサクセスストーリーだ。
全てが負の積み重ねになった男って感じ
ダークグリーンの髪にワインレッドのスーツっていうセンスがいい
タクシーの中のピエロ見てる時目があってる気がしてドキってした
この映画を見て学んだことは
人に思いやりを持つことが大事だけど
思いやれたいならたとえ心が病んでいても素直になるべきだということ
主人公は被害者ぶりすぎていてダメだなーと思った
自分だけでは自分が救えなくなるほど周りが見えなくにる前に自分と似たような集団の一人になれればよかったのにね
笑い声によって表現した演技に魅了
ダークナイトの衝撃とは全く次元の異なる心理ドラマ。
社会の片隅でひっそりと生きる孤独な男がいかにしてジョーカーとして変貌していくかを笑い声によって表現した演技に魅了されました。
自分はどこにいるだろうか。
彼が一体どこからこうなってしまったのか、お母さんの病歴からなのか、子供の頃の経験からか、環境から、社会の状況からなのか、耐えられない人生からなのか、自分のせい、他人のせい。。。だとしたら、自分の環境の中にも、彼の被害者になる可能性、彼の友人味方になるのか、更生させる立場か、別の社会の一人として排除するのか、隣人として怯えて暮らすか、崇め奉るか、もしくは彼自身のようになる可能性もあるのか。
以前NYに住んでいた経験を持ってしても、いま東京に住んで、どの立場で考えても、どれかに当てはまる確率は、想像する以上に高くなる一方だな、って思った。 そして、その時に自分は映画のどの存在を選んで、いるんだろう。 たとえ近未来、として残されたバットマンになれたとしても、本映画の中では、彼に対等できる存在は警察、親、権力者、近づける友人、身を寄せると思われる存在すらも、虚像以外に微塵もなく、もし周りにすでに彼が存在しているんじゃないかと考えると、最後まで身震いが止まらなかった。
感情移入出来る男では物足りない
私には哀れな男にしか見えなかった。
最後の方はスカッとジャパンみたい。
完璧な悪が彼の中で善でも悪でもなく常識でそして趣向であると思っていたが、ちょっと道を踏み外した男ってだけで狂気的思考が感じられなかった。私の思い過ごしだったようだ。
しかし、クライマックスに向かうあのジョーカーの階段でのダンスは凄い。
あの気迫にはワクワクしたし、何故か嬉しくて笑みがこぼれた。あの表情は完璧だった。ホアキン・フェニックスは全てから解放されたように「思っている」男を完璧に演じきった。
とはいえ猟奇さ、理不尽さの足りないことや、全てのことに動機を付した演出は過剰と感じたので「ジョーカーと名乗るある男の話」位に思っておくほうが良い。
ちょっと今(自分に)酔ってる
共感性羞恥の方に見てほしい
タイトル通りです。
私は共感性羞恥があるので、映画内で主人公が恥をかいたりするとなぜか恥ずかしくなり目を瞑ってしまいます。
結構な数の映画を映画館で観てますが、この映画は特に酷いです。鬱映画です。救いがないです。
ただ主人公が吹っ切れてからは爽快感があり、目を開けて見ていられました。
予習をまったくせずに鑑賞したので、ネタバレサイトを見て行ったら違っていたのかもしれません。
前半では追いかけて、後半では追いかけられる。
どこまでが妄想で、どこまでが現実なのか。
黒人の女性のシーンは途中見ていて違和感があっても、予想もしない展開でした。
逆にコメディー番組は本当に呼ばれたのか疑って見ていました。
最後の赤い足跡。
あれは何を意味するんでしょうか。
最後に出てきた方って、最初に出てきた臨床心理士の方ですよね。
すべてアーサーの妄想で、実際には起きてない出来事だったんでしょうか。
赤い足跡は臨床心理士の女性を殺害した血痕?
色々考えましたが、私はすべて実際に起きた出来事だと思います。
喜怒哀楽の楽のカリスマになりたかったアーサー。だけどジョーカーのカリスマ性は怒の部分で発揮されます。
とにかく映画館で観て、このネタバレ感想の意味を理解して頂きたいです。
そして自分自身の人生に潤いを与えようと共感して下さると嬉しいです。
全1561件中、621~640件目を表示