ジョーカーのレビュー・感想・評価
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ジョーカーには程遠い
楽しみにしていたので初日に観ました。
感想からするとバットマンダークナイトで強烈なイメージのカリスマの悪役誕生秘話を期待していただけに物足りない感じがしました。途中眠たくなったし。それくらいの映画でした。
結末知ってる
悪の化身になるまで
軽い気持ちで観るものではないだろうなと腹を決めてたので、その気持ちで挑んで良かったと思う。
色んな考え方が出来ると思うので、私はバカなりに思ったことをつらつらと。
ジョーカーを演じてきた人は何人かいるけど、ヒース・レジャーのジョーカーを浮かべる人がやっぱり多いんじゃないかな。(ジャレッド・レトはまたちょっと違うジョーカーだし)でもさすがホアキン・フェニックスの一言で、魂を抜かれるぐらいに魅せつけられた。
眼に惹きつけられて、ダニエル・デイ=ルイスの演技を彷彿とさせるような、それぐらいの圧倒的なパワーだった。
自分の人生は自分で作り上げられることと、そうじゃない部分が多くあることを身に染みた。
ジョーカーがジョーカーになる前のストーリーが本当によく出来ていて、すごく心が苦しい。
運命を信じたくなくなるし、残酷な未来は無いって信じたいけど、すごくリアルで、まだ自分が完成していない部分を別の人に託されて、それがあなたよって言われたら、それを信じて生きていくしかないもんね…。
アーサーが悪の化身になるまでの話には重きを置いてるけど、誰にでもアーサーじゃなくて、ジョーカーになり得るな…と思った。
映画を観てる時は緊張感で頭真っ白だったけど、いま振り返ると涙が出そう。
でも更に振り返って、これが「ハングオーバー」シリーズの監督ってことを思うと、笑いの涙にかえれそう。
「ゲット・アウト」の監督もそうだけど、コメディ系監督の闇の深さを思い知らされるなー。
2019 映画館 10
仮面
ダークナイトのジョーカーとは別物かな。。
虐げられ続けた人間の末路
誰でもシリアルキラーになり得るか?
映画で直接視覚的に描かれた不幸それ自体は、狂気の原因になるほどなのかわからない。しかし幼少期の虐待による脳の損傷がほのめかされている。機能不全家族の元で育った子供の人格形成への影響や、脳の損傷が反社会的人格障害の原因になり得ることは研究で明らかになっている。彼は生まれつきのサイコパスではないということだ。
ホアキンの演技はどの一瞬を切り取っても素晴らしいの一言だ。特に、罪を犯した後のアーサーの美しい狂気のダンスは見事だった。彼は自分に自信がなく暴力に無抵抗で、不安になると他の人を真似るが、殺人を犯すときは自信に溢れ明るい気持ちになり他の人を模倣したりしない。オリジナリティ溢れるカリスマになってしまう。
殺人が彼にとっての癒しであり自己実現であり、孤独を忘れさせてくれる向精神薬でもあるのだ。殺人が彼を肯定してしまった。
市の福祉支援がまだ続いていたら精神薬は切れなかった。権力者や資金を持っている層以外を切り捨てていくエゴの産物。
彼は理不尽に対して暴力でしか抵抗できない。後ろ立てもなく才能もない彼が身を守るため他にどんな術があるというのか。
殺される側の痛みもしっかりと描かれている。単純なカタルシスではなく嫌悪感と同情を同時に刺激される。
殺人への嫌悪感の中でも、群衆の歓声が少しでもジョーカーのあまりに傷ついた心の慰めになってほしいと願う自分がいる。
ジョーカーを讃える群衆の倫理観は狂っているが、ジョーカーファンの我々も同じことなのかもしれない。
被虐待者の(最悪の形での)解放に焦点を当てた傑作ゆえに、報じられる通り抑圧された者が後に続きかねない危険な作品でもあるのがつらいところ。
面白いけど、大絶賛…はできません
ジョーカーをあわれむ感想が多いけど果たしてどうなのかな。
現実の世界で起きる事件では、犯人と同じよう境遇の人がしばしば白い目で見られる事があります(オタクやゲーマー)が、アーサーには我々観客は同情の声を上げるものがいる。現実の事じゃ無いってわかっているから同情できるんだろうな。これが現実だったら…犯人に同情する人ってどれくらいいるのでしょうか?
見せ方も現実と虚構が交わていくのだけど新鮮味に欠ける…最近も観たな…あ、バードマンか…
虚構がバレバレで…どうせなら全てが虚構だったくらいでもよかった。
面白い、けど絶賛するほどでは無い。ただ人生の成功者から観ると…同情して大絶賛することになるのかな
赤色のスーツには意味がある
映画の内容云々は散々レビューがあるから割愛。
注目はジョーカーの服装ですよ。
今回のジョーカーはなんとスーツが赤色なんです。上下真っ赤なスーツに黄色のベストと緑のシャツ。靴は地味目のブラウンの革靴。
今までのジョーカー史の中ではかなり異質です。ジョーカーといえばやはり「紫」。高貴でかつダークな印象もある紫はコミックでも映画でも常にジョーカーのテーマカラーでした。実写TVドラマ版・バットマンでジョーカーを演じたシーザー・ロメロのスーツは紫の中でもかなりトーンが明るくともすればピンクに近かったですが、ここまで明確に「紫」を排除したジョーカーは今作が初めてです。
赤は情熱やエネルギーの象徴であり、黄色は明るさや喜びを意味します。この色の組み合わせで最も有名なものといえばマクドナルドのマスコット、ロナルド・マクドナルドでしょう。彼もまたジョーカーに並び世界一有名な道化師です。
陰鬱でメランコリーな雰囲気が全体に漂う今作において、あえて「紫」を排除し、赤と黄色という新しいカラーをジョーカーに付与したことには明らかに意味があります。
黒や灰色が象徴するアーサーとゴッサムの哀しみや絶望といった悲劇は、赤や黄色を用いたジョーカーに変身することで、喜劇へと逆転したことを意味します。それは紛れもなく今作がジョーカーの誕生を描いた異質作であるからこその変更点であると言えるでしょう。
三島由紀夫は『金閣寺』の中で「世界を変えるのは行為ではなく認識である」と述べています。一見するとアーサーはジョーカーになり行為によって世界を変えたように見えますが、実際は世界は変わっていません。不条理なままです。しかしアーサーは認識を変えてジョーカーへと変わりました。すると世界は途端に喜劇へと姿を変えたのです。その内面的変化が、今作のスーツのカラーに現れていると言えるでしょう。
ある意味今作はバットマンの長い歴史の中で最も「愉快」で「楽しいジョーカー」だったような気がします。最高でした。
きつい冗談
障害を持つ人が観たら主人公の気持ちに強い共感を抱くと思います。
周りからの反応など他者には分かり得ない苦しみがあり、その障害を持っているのも含めて自分なのに理解されず否定の気持ちで押し潰される。
そのような事を物語全体を通して描写されるので非常に痛々しく、重く、観るのが堪える映画でした。
主人公のアーサーを凄く丁寧な心理描写でこれでもかと言うほど掘り下げ、ホアキン・フェニックスの演技もあってか、かなり同情のできる人物に仕上がっていて一つの伝記映画を観てるようでした。
後半、常に無力感を味わっていたアーサーが全てのものから解放されて自己を超越し一つのシンボルであるジョーカーになった後の高揚感は共感の極致とでも言うのか、不謹慎ですが人が殺されていても感動さえしてしまいました。
街の闇の被害者であり、最終的に闇を体現した人物になった一人の男は現実でもいそうな事が恐ろしいです。
そういえば、これはどこまで現実なのだろうか
(・・;)
ホアキンの演技
これは社会的弱者からの反撃だ
ホアキン演じるジョーカーの生い立ちや、持病などの背景がしっかりと描かれていた。
結局のところ、ジョーカーというのは、混沌とした社会が作り出した精神障害者だったのだが。
その障害者に、さらに不幸が重なっていき、暴走していく。
ジョーカーの暴走をキッカケに、社会への不満を露わにし、暴徒化していく市民達。
彼らには、大きく貧富の差が開いてしまっている社会へ対して、溜まりきった不満を爆発させるキッカケが欲しかったのだ。
ありきたりの設定ではあるが、ホアキンの鬼気迫る演技が映えており、非常に説得力が出ている。
バットマンのジョーカーという事に傾斜してみると、辻褄の合わない部分などが出てしまうので、別個の作品として捉える事で楽しめた。
アメリカ劇場公開時には、映画に影響を受けて犯罪が広がらないように、警察が動員されたそう。
確かに、暴徒化している市民を賞賛するような内容なので、テロや、暴動を後押ししているようにも感じる。
アメリカに比べれば、日本の暴動騒ぎなど陳腐なものだが、もはや他人事では無い。
京都アニメーション襲撃事件のように、錯乱した精神病患者が大事件を既に起こしているし、消費税増税などの理不尽な施策などで、貧富の差はさらに開いていく。
日本も将来的にどこかでこの映画のような暴動あるんじゃないかと思いながら客観的に考えさせられる映画であった。
圧倒的名作
人生はクソだと、我々も薄々は気付いていますね。
成功した皆さんはそんなことないのかな。
私はその事実から目を逸らして何とか生きている勢なので、
こういう映画はもう、感情の置き所がありません。
もう笑うしかないよね。それが人生だ!
全てが酷い
絶賛できる前日譚、でも賛美してはいけないJoker像
公開日、朝一で鑑賞しました。
読後感が半端なく充実した映画でした。
最初からネタバレしてる前日譚。
ラストには悪が開放されるのは、周知の事実。
にも関わらず、どこかで観たことあるという既視感は微塵もなく、Joaquin Phoenix演じるArthurの苦悩を、追体験するような映画でした。
個人的なピークは、やはり母の素性が明らかになってからの展開でした。
自分の笑顔を肯定してくれ、守るべき存在であった母が、脳に障害が残るほどの虐待を傍観していたとは。
実の父の判明に抱いた僅かばかりの希望も、実際には母の妄想。
最近できたはずだった恋人との交流も、母から受け継いだ妄想の賜物。
加えて、かつて自分を褒めてくれた大物司会者にも、失敗したライブを小馬鹿にされる。
いや、そもそも大物司会者との交流の記憶そのものが、妄想なのかも。
全ての拠り所を失ったArthurは自分に嘘を付くのを止める。
遂には、衆人環視の場で、怒りや衝動を剥き出しにして殺人。
この辺の感情の流れに無理がなく、"Dark Knight"の狂気に繋がる前日譚として完璧でした。
ただ、ただ、間違えてはいけないのは、だからと言って彼の後半の振る舞いに肯定できる部分はないということ。
本当に母を殺す必要があったか?
虐待の末、子供に突発的に笑ってしまう脳障害を追わせた罪は重い。
老いた母の介護の負担も大きかったろう。
でも、母の罪を知って絶望したのなら、病院に置き去りにして去ってしまえばいい。
ここまで特別な事情がなくとも、子供は親から巣立つもの。
親殺しという決着はやはり理解できない。
また、Randallへの復讐にも正当性はない。
たしかに銃を押し付けてきて、仕事を失うキッカケや、"Wall Street Three"を殺すキッカケにもなった。
後で、自身に責任が及ばないように、上司に虚偽の報告もしたのもRandall。
母の死を悼みに来たと思いきや、銃の件の口止めしようとしたのも、いけすかない。
それでも、銃を小児科まで持ち込んだのも、踊っていて落としたのも、Arthur自身のミス。
地下鉄での惨劇も、威嚇射撃程度に収めるか、最初の一撃が人に当たるのを避けられなかったとしても、もみ合ってたせいと主張できたし、正当防衛の主張も十分可能なケース。
後の2人を射殺したのは、明らかにArthurの意思。
Randallを好きにならなくてもいいけど、殺すまで恨まなくても。
もちろんJokerは、そもそも純然たる悪役であり、理由なく惨殺するキャラであり、正当性があるはずもない。
ただ、本作は没入感が素晴らしく、Jokerにアンチヒーローとして肩入れしたくなる気分も湧くので、映画って怖いなとも思いました。
本末転倒かもしれないけど、Joaquin Phoenix版のダークナイトも観てみたいです。
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