ジョーカーのレビュー・感想・評価
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ジョーカーが如何に悪人になったか
戦場で地獄を味わった人もいるし、飢餓で地獄みた人もいるだろうし、もっと不条理な運命に翻弄された人もいるだろう。
共感できない。
あたかも、ひどい目に会わされ、グレて悪人なったと、言いたいのだろうが、同じかそれ以上のひどい目にあった人間でも、グレる人もいれば、返って善人になる事も有る。
音楽が良かった。
悪の本質に迫れていない。
迷っている方は見ない方がいいと... 思います...
この映画重過ぎる、暗過ぎる、救いがなさ過ぎる...。
メッセージ性はあるのかもしれませんが、映画を“娯楽”と捉えた場合、これではダメです。
400名収容の劇場が終始静かで、上映後もみな沈黙して劇場を後にしていました(>_<)。
特にカップルの方は他の映画を観ることをお勧めします。
自己存在の確認
自己の存在を確認できない、出生も否定された者が、反抗することで社会化されていくストーリーと理解した。現存する社会制度が肯定され、それを圧倒的に守る者が正義(=バットマン)ならば、その社会から自己存在を否定された者、自己存在を確認できない者はどこに居場所をみつければいいのか。自殺は社会から自己を抹消するという対極の行為であるが、タイ映画「ホームステイ」は自己否定=自殺の原因を自己の内部に見つけ、自己を肯定化するプロセスとして描き出した作品と言える。ピエロ(=道化師)からコメディアン、コメディアンからジョーカー(=オールマイティーのカード、あるいは52枚から外れたカード)への変身が意味するところを考えてみたい。
繊細で素晴らしい映画
細かい描写が現実感を増し主人公の心情が徐々に変化していく内容のシーンが良かったです
確かにコメントにある通りブルースの両親が違ったり執事の様が違ったりしたのは違和感がありましたが全体的に見れば素晴らしい映画なのでスッと飲み込むことができました
少しだけシャッターアイランドのような部分を含みつつ不気味な感じなのにBGMがなかったりそれでも引き込まれていくような映画です
映画というのは僕自身引き込まれたりスクリーンの中の世界にいったような感覚になればそれはかなり楽しめている証拠です
仮にホラー系でもヒューマンでも泣いたり笑ったり恐怖を感じたりということができればそれはあなたにとって引き込まれている証拠です
このジョーカーという映画引き込まれ現実社会に一石を投じるような映画近年の社会情勢たまたまだとは思うのですが台湾を彷彿させる部分もあります
悲しいけど最後にはジョーカーになって称賛されよかったと思える自分がいました
これから見る方はぜひ表面ではなくて細かく繊細な描写からこの映画の意図をくみ取って観ていただければより一層楽しめるのではないでしょうか
無敵の人
まさに日本で言う「無敵の人(貧しくて家族や恋人もいない失うものがない人)」であるアーサー。
完全に狂った男ではなく、笑ってしまう病気に苦しむ様、道化として病院の子供を喜ばせる仕事をしていたり、身のこなしが美しかったり、繊細な目をしていて、悪人に思えないのが悲しい。
この映画をみて「怖い」「狂っている」という感想しかない人もいるだろう。そうとしか思えない人がいる反面、どうしようもなく、自己投影する人もいるのが環境や性質の分断だ。
個人的には彼の動画をテレビで流して笑い者にしたテレビの人気司会者がウザかった。地下鉄で女性に絡んで、アーサーに撃たれる男たちも見覚えがある。あの人を馬鹿にしてる感じはものすごくリアル。あんな人々で巷は溢れているのだ。
自分に優しくしてくれた小男を撃たなかったのにはホッとした。
荒んだ世の中では誰でもジョーカーになるのは紙一重だ。
怯えた表情、笑い声の涙目、狂った暴力性、まさに怪演。
Clown (=道化者)の悲哀
冒頭のシーンに全てが詰まっているような気がした。
笑わせることと笑われることは一重であり、笑わせることとは、テレビショーのマレーのように、誰かをダシにして、所謂今で言うイジリ芸だったり、笑われることとは、見下され、蔑まれ、この映画の冒頭のシーンのように何をされても仕方ない側面があるのかもしれない。
狂気に満ちた殺人犯に至る過程が、とても丁寧に描かれていた。ナイーブで優しい人が、ちょっとしたことがきっかけで、今まで内に秘めていた不満が爆発して猟奇的な犯罪者になってしまうのは、決してこの映画の中だけのお話ではない。
生放送の中で、カミングアウトして、悪の主観を述べるあたりは陳腐な展開に思えたが、アーサーの切羽詰まった心情が表れていて、鬼気迫るものがあった。ホアキンフェニックスの怪演のお陰だろう。
全体的に暗いトーンで進んでいく映画で、結末はなんとなく読めるものの、常にハラハラ感が付きまとい、アーサーの心理描写が見事に描かれている映画だった。
この結末をどう捉えたらいいか思い倦ねているが、なんだかスカッとした気持ちになってしまった。
いろんな作品と見比べるべき
私が見比べた作品は…
まず「タクシードライバー」
他のレビューでも類似性が指摘されており、ハズせないところ。
閉塞感のある社会情勢や、狂気に堕ちる主人公の姿は近いものがある。
もうひとつは「帰ってきたヒトラー」
「映画」はどの作品であれ、どの時代を舞台にしたものであれ、「現代」を描いていると思う。そういう意味で、SNSで支持を集めるヒトラーは、本作のジョーカーと重なる。
クレイジーであればあるほど、支持される、というのは決して非現実的・荒唐無稽なものではなく、トランプ大統領や、N国党の主張がかなり受け入れられている現代を見れば、現実的なものと言える。
そういう意味でも、数多くの映像作家が取り組んでいる(と思う)「トランプ時代」を描いた作品の一つと言っても良いだろう。
(スピルバーグ、スパイク・リー、アダム・マッケイ、ジェイソン・ライトマン…)
ゴッサムが舞台であればなんでもやれる
な〜るほど、というアイデアの詰め合わせ。そうか、ゴッサムのジョーカーって70年代のニューヨークの膿、みたいな、つまり、スコセッシ的、フリードキン的な男のドラマにもってける、って目のつけどころはあるし、実際にデ・ニーロが出てきて、なんとも皮肉でおかしななシーンがクライマックスにあり、とは言ってもただのパッチワークではない現代性も兼ね備えたダークファンタジーになっていた。
このパターンでいけば、ゴッサムのウディアレンっぽいDCやマーベルがあっても賞もらえるのではないか。
アメコミのヴィラン映画としてはカタルシスが足りない
前評判が良かったのと、ノーランのバットマンやスーサイドスクワッド等も観に行っていたので試聴。
本作のジョーカーは、孤高の悪のカリスマのヴィランではなく、劣悪な社会環境・家庭環境により精神を病み殺人を犯してしまった哀れなおじさんだった。
勿論、ホアキンフェニックスの演技はよかったのだが、映画自体は終始暗く、ストレスはあってもカタルシスは感じられなかった。
ジョーカーというヴィランの悪性、魅力は、ほとんど感じられず、哀れなアーサー君が殺人者に身を落としていく過程が描かれていた作品。
狂気もあまり感じられない…というか、アーサーが置かれた状況で精神を病んでいれば、殺人者になってもまぁ是非もないよね!という感想。
同日に視聴した『宮本から君へ』の宮本の方が、余程狂気的で恐ろしかった。
魅力的なヴィランであるジョーカーを期待するなら、観ない方が良いだろう。
ジョーカーが誕生するに至った説得力のあるストーリーを(面白いかどうかに関わらず)観たい人なら、観に行ってもいいかもしれない。
後半に魅せる狂気のダンス
なぜ悪人になったかを描く映画は、大抵肩透かしを喰らうが、これはおったまげた。
ジョーカーの心情の変化を見事に描いている。陳腐さがなく、悪のヒーローの誕生に心が鷲掴みにされた。
あらゆる不幸を味わった末にたどり着いた彼の幸福観に、ある種のカタルシスを感じる。
悪にはあらゆるものを破壊する力があり、カオスを生むと同時に、旧態依然な社会に希望をもたらす存在でもありうる。ジョーカーの存在は単に共産主義を肯定するものではない。この腐った世界に一石を投じる気狂いピエロなのだ。
普通につまらない
話題になっているようだが
映画として面白いか
面白くないかというと
普通につまらない
と思う
気になってしまっている人はみないと
つまないとわからないし、難しいよね
あきらめてみましょう
つまらないから
誰にでもなりうるJOKER
生い立ちからJOKERになるまで、なんとも悲痛で残酷な運命。何をもって普通なのか。悪になるべくした悪か…もしかしたら誰にでもJOKERになりうる陰はあるのではないだろうか。
ホアキンフェニックスの演技力、引き込む映像、部分部分でカッコ良さすら感じさせるカットに息をのんだ。
歴代JOKERとはまた違う哀しく漂うストーリーだった。
大多数の人とは意見が違うようですが…
あまりに多くの人を安易に殺してしまうので、感情移入ができない。もっと善と悪の狭間で葛藤する様子にフォーカスしてほしかった。その上で最後に1人裏切り者を突発的に殺してしまい、その罪の重さで狂人となってしまう方が私にはしっかり来るかなと思いました。なぜあんなにフォロワーが生まれるのか、その過程や理由がほしいです。
喜劇の上で生まれたジョーカー
アメコミ原作の映画とは思えないほどの作り込まれた作品だった。
現実と幻想との境界線が消えていって、どこまでが現実だったのかがわからなくなる。
特に物語のラストシーンを見て、今まで見ていたものを全てを疑い始めてしまった。
また、今回のホアキンが演じるジョーカーは今まで他の役者が演じていたジョーカーと違い、悪のカリスマ性は無い。偶然と環境によって、アーサーの意思とは関係無くジョーカーという存在が、中身の無い偶像として貧困の人々から崇拝される。
アーサーは誰かに自分の存在を認めてもらいたい願っているのに、それとは裏腹に次第に孤独になっていき、最後には混沌の権化であるジョーカーとなってもアーサー自身は誰からも見てもらえない。まさにアーサーは道化そのものであり、アーサーが辿った人生は喜劇であると言える。
これ程難しい役を見事演じきったホアキンは最高の役者と思う。
ジョーカーの仮面を被った現代社会の絵画的メタファー
サスペンスのように明確な客観的筋書きがあるのではなく妄想と現実の境界線が曖昧な主観的世界を観る。プロット自体は予想外の展開はなく、ある程度予測がつくもので社会的弱者が世の中の不条理に絶望し、復讐を図るという筋書きがありきたりに見えた人が多いのも頷ける。これを小説にしたところでよほどレトリックに腕のある作家でなければひどく退屈なものになるだろう。
だが、演技や音楽そして映像による味付けはこの主観を増幅させ、ありきたりな筋書きにずっしりと重みを加えてくる。観客の中には二回目は御免だと感じた人も多くいたと思う。特に主人公と境遇の近い人にはなかなか堪えたのではないだろうか。
さて、ここでのジョーカーはダークナイトでの彼とは別人である。バットマンビギンズを観ていれば明らかに繋がらないことがわかる。だがバットマンビギンズとこの映画には共通するシーンがある。それはバットマンことブルースウェインの両親がなもなきチンピラに撃ち殺されるシーンである。ビギンズを観た方はジョーカーでの同じ場面を観て如何感じただろうか?私は180度違う印象を受けた。ビギンズ鑑賞当時中学生だった私は不条理さ、やるせなさを覚えたが、今回はあろうことか「ざまあみろ」と感じたのだ。弱者が強者を叩く爽快感は、現実の社会でも多くを虜にしている。日本においても「上級国民」という言葉が蔓延り、法的手続きを蔑ろにして私刑を実行しようという者が現れる始末である(某○塚幸三事件など)。ピエロの仮面を被った集団は正にインターネット上のあなたでありうる。
因みに、ジョーカーのオリジンは原作でも複数ある。アメリカンコミックでは著作権は出版社に帰属することが殆どなので、各作者が自分なりにジョーカーのオリジンを描くことができる。だから、映画の場合も複数の監督がそれぞれジョーカーオリジンを描いてみるというのもありだと思う。マーベルはMCUで広がりを持たせ、成功させたが、DCも上手くやってほしい。ジョーカーもバットマンも好きなので。
とにかく、演技力が凄かった。
ジョーカーを完璧に演技きった、
この俳優さん素晴らしい。
笑い方、タップダンス、視線、煙草。
全てにおいて哀しげで。
でも、どこか精神的におかしい。
薬を飲んでてギリギリ普通に生活出来てたの
かなぁー。
そんな自分を解ってて
自分と向き合ってきてたのに。
周りからの攻撃にとうとう、
崩れてしまった。
見てて哀しくなりました。
この人のジョーカーで
続きが観たいです。
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