ジョーカーのレビュー・感想・評価
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痩せこけた背中とダンス
アメリカ映画にありがちな、”犯人は異常者”として割り切る安易さから抜け出した映画。
あまりに過酷な状況は彼に妄想を抱かせ、妄想による癒しすら破壊する。
彼はその合間にダンスを踊る。何かのバランスをとるためだろう。痩せこけた体の踊りは見ている方もつらい。
鬼気迫る役者フェニックスのジョーカー誕生。でもこの後の展開はDC的にはどうなる。
リアリティある設定
これまでにない演出が功を奏している。ヒース・レジャーのジョーカーも深みが加わって素晴らしかったが、ホアキン・フェニックスは更に深化させ、ジョーカーという圧巻の悪のヒーローを終に完成させたようだ。アメコミ映画に関しては大して興味もなかったが、この作品はアメコミとの縁を切って、ようやく映画的な深みだ出ている。ホアキン・フェニックスは完全に兄を超えて、素晴らしい俳優になっている事実を再確認出来る演技である。
タイトル以上に深い内容。でも、UnHappyは好きじゃない。
映画・コミックとも、「バットマン」は見たことなし。その前に、アメコミ系は見る気がせず毛嫌いしてる。絵柄・図柄がきらい。
この映画が「バットマン」の悪役誕生物語だ、という予告編やCMは見たけど、この前の京王線での事件が鑑賞動機。さらに。最近の「ノマドランド」やこの「JOKER」のような、世の中の閉そく感を突き詰めていくような映画は好きじゃない。救いのない結末を持て余して、自分まで落ち込んでしまうから・・・。
でも。
監督の表現方法や出演者たちの演技には、本当に映画の中に引きずり込まれていく。主人公の心理にも共感して、何が正しい事なのか、この映画の主人公は正しいのではないか、とさえ感じてしまう。
だからこそ。この現実世界は、天はすべての人に平等に、幸福・不幸を与えているのだと信じたい。そう、強く感じさせる作品でした。
心の闇。
上手く世の中と共存出来ない空しさとやり場のない心の葛藤を描いた作品。
人を笑わせて幸せを届けるピエロに。好きなコメディアンになろうとした。でも変なところで笑ってしまうという病気もあり周りから嫌がられる。彼の妄想。殺した後、笑っているのも狂喜じみて怖かった。凄~く気持ち悪く後味の悪さが残った。
本作はキングオブコメディのオマージュでは無い 本当はリメイクなのだ
疑いもなく確信犯だ
似ていて当たり前の話なのだ
リメイクのつもりで撮っているのだから
ロバート・デ・ニーロがあの役で出演しているのはそれを宣言しているのだ
ジョーカーは確かにバットマンの悪役だ
トーマス・ウェインも幼少期のブルース・ウェインも、執事のアルフレッドさえ登場する
ブルースの目の前での両親の殺害シーンまである
20数年後のバットマンビギンズの世界にそのまま繋がるようになっている
しかし、それは偽装だ
興行的には著しい程の失敗であったキングオブコメディをリメイクするための方便に過ぎなかったのだ
本当の目的のリメイクと大ヒットした興行、数々の映画賞の受賞
まんまとこの偽装は大成功したのだ
監督の完全勝利だ
時代設定は1981年
1983年公開のキングオブコメディとほぼ同時代ということにして音楽もテロップの書体までテイストを合わせてある
しかし観てわかるように、実際は1981年じゃない
劇中にスマホもSNSもネットも登場しないのだが
21世紀の現代を本作は描いていると感じるはずだ
監督はそれを敢えてやっている
キングオブコメディのリメイクだから1980年代であるが、本当は現代の物語だ
トランプ批判?
そんなものは末葉のこと
キングオブコメディの時代より21世紀は、普通の人間はより孤立し、埋没している
成功することはより難しくなり、要求される才能はより高度に、努力はよりハードに、運はより強運でなければならなくなったのが21世紀なのだ
普通の人間にはもはや登ることすらあきらめてしまうほど高い階段になってしまったのだ
そう本作劇中に登場するあのNY ブロンクスにある、シェークスピア・アベニュー1170番地の長く高い階段のように
だからジョーカーはあの階段の下の方で踊るのだ
階段の頂上では刑事が冷たい目で見下ろしているのだ
キングオブコメディの時代
成功者のジェリー・ラングフォードの自宅の階段はまだ広くそんなに高くもなかったのだ
なのに21世紀の階段は、かくも細く高いのだ
絶望的なほどに
これをフェアじゃないと憤ったとき、その人間はジョーカーになるのだ
ジョーカーの階段
1973年のエクソシストにも良く似た長い高い階段が登場する
こちらはワシントンDC にある
つまりジョーカー階段とは悪魔が生まれるところという意味だったのだ
この物語の本当の時代は21世紀だ
本作は2019年10月の公開
日本を震撼させた京都アニメーション放火殺人事件は同じ2019年7月
ジョーカーは現実としてまず日本で現れたのだ
キングオブコメディ、京アニ事件、本作は暗黒の中で通底していたのだ
そしてジョーカーが産まれる土壌は、コロナ禍で一層増しているのだ
あと1ヵ月で京都アニ事件の三回忌
改めてご冥福をお祈りしたい
妄想
コメディアンを目指すが目が出ず、ピエロになって生活費を稼ぎ、母親の面倒を見ながら暮らす男の話。
障害があり、職場の同僚からも気持ち悪がられ、
会社も首になってしまうが、手にした銃で絡んで
きたエリート会社員を殺してしまってから、人生が大きく変わっていく。
徐々に明るみになる出生と幼少期。社会との繋がりや抑圧からの解放で人生が変わっていくように見えるが、全て妄想のようにも思える。
振れ幅が大きすぎて、ちょっと共感は難しいけど、どうしようもない悲しみは切ない。
これがジョーカーか。わたくし、アメコミも含めたマーベルやそっち方面...
これがジョーカーか。わたくし、アメコミも含めたマーベルやそっち方面には全く詳しくない。むしろバットマンだけはダークナイトがああでーこーでーと語れる程度で、他は多分ファンの方からすれば毛ほどしか知らないと思います。
そんな状態でこのジョーカーを観たのですが、もうそういう世界観の知識は全く必要無かった。むしろ、監督自身が独立した作品として観て欲しいと言っているのだから、それがラストのヒントにもなっているのでしょう(これは後述)。
さてさて、 まずは率直な感想からですが、暗い笑。とにかく暗い映画だった笑。陰々滅々。陰々滅々なんて打ち込んだのは多分初めてだよ。映画は終始暗く、でも、人によっては共感を抱くような部分をジョーカーから感じられたりして、ヤバいヤバい感化されちゃ駄目だ!なんて思いながら終盤は観ていた。ロバートデニーロには別にイラつきも何も感じなかったのに、ジョーカーが弾いた時には何故かスッキリしちゃったり。ジョーカーに飲まれてた・・のかな。
そもそも今作、全面的にはジョーカーが被害者である。不幸な家庭環境が原因で病気を患い、更にそれが原因で身を不幸にしていた中年男。
そしてもう一つ、一番大事なのがジョーカーは狂ってなどおらず全くもっての『常識人』なのだ。被害者であり常識人だからこそ、狂った世の中を直視出来てしまう。だからこそ、ジョーカーへの道が切り開かれていたのだ。
まだ信じられない方は思い出してほしい。ジョーカーが最初に妄想をするテレビ番組に出演するシーンで、母親に関する事を話す。そこで母と同居しているという件で観客から笑われるという場面がある。このシーン自体がジョーカーの妄想なので、つまりはこの歳で母親と二人きりの同居生活が世間一般の価値観からすると『恥ずかしい事』だという認識を持っている事が確認出来るのだ。
そしてこの作品の9割は、ホアキンさんの演技力で出来ていると言っても過言ではないだろう。ぶっちゃけ話の本筋とか現代社会を投影しているんだろうなあとかそんな事は忘れて、とにかくホアキン・フェニックスさんの狂気と悲しみを織り交ぜた演技に魅入っていた。大半の方もそれが本音ではないだろうか。少なくとも私はそうだった。途中からもう細かいあれが引き金でこれが伏線でとかは考えずに魅入ってしまっていた。これが『映画』。これぞ『作品』なんだなあ~と強く思わされた。細かく語るときりがないので、そろそろ本筋に入っていこうと思う。
まず、今作は3つの見方があるんだと思います。
一つ目が、バットマンファン生唾もののジョーカー誕生物語。
二つ目が、アーサーという人物を通して現代社会の問題を描いた切実なドラマ。
そして三つ目が、強大な叙述トリック物だったのでは?という疑念を抱いてから観る考察物。
ここでは三つ目に絞って語っていこうと思う。そう、今作はラストでとんでもないドンデン返しが有るのだ。それが、【全部ジョーカーの妄想だったのでは?】という示唆。これが今作を更に面白くしていて、ただの現代社会に訴えかけるお硬い映画の範疇を超えている要因でもある。
これについては私は肯定派だ。まず、根本的な事として、監督は今作をマーベル・ユニバースから切り離して欲しいと言っている。これはつまり、マーベル・ユニバースから独立した作品として見て欲しいという事だ。という事は、バッドマンビギンズには繋がらないという風にも取れる。
今作のラストではジョーカーが見ていない筈の光景を妄想するというシーンが有るが、これがまさにそれを示しているのではなかろうか。今作を観た人の大半はバッドマンビギンズに繋がる物語として、今作を観ていた筈だ。だからこそ、彼はジョーカーで間違いないと思っているし、ブルース・ウェインの登場でよりそれを実感した筈だ。
だが、それこそがトリックで、今作はジョーカーという男の別の世界線の物語なのだ。そしてそれと同時に、バットマン等というヒーローはこの世に存在しないという事を訴えかけている。バットマンという存在そのものを否定して有る種ファンに喧嘩を売るような形で、より切実に現代社会の闇を訴えかけているのだ。
それに気づいてしまった人はこの映画が更に恐ろしいものだと知り、観終わった後の感想が180度違った事だろう。最も表層的な部分ではジョーカー誕生物語。その次の層ではどこまでが妄想だったのかを探る考察物。そして最後には、全てが偽りでありジョーカーもバットマンも存在しないただの逝かれた男の妄想だったと、それに気づいてからより悲惨さが増す胸糞映画だったと知ることになる。
怖い映画。
恐るべき説得力を持つ作品。
もし自分だったら、彼と同じようにならないと自信を持って言えるだろうか?と考えさせられてしまうほどの圧倒的な説得力。映像の肌理はもはやアメコミ作品であることを忘れさせるほどに、見事に重厚な人間ドラマそのもの。世にも壮絶な悲劇である。バットマンの関連する要素が現れて「そうだ、これバットマンの世界だったんだ」と何度もハッとさせられた。
これを観て思い知らされるのは、人が生きる境遇っていうのはやっぱり無視してはいけなくて、「どんな境遇でも負けるな!強く生きろ!」という精神論の押し付けが、酷く残酷なアプローチになりうるということだ。だれかがこんな風になる前に、人の痛みへの共感的理解の力でもって、お互いに助け合える世の中でありたいと、そんなことを強く強く思わないでいられない。
責められるべきは何か
こんなことあってはならないし、勿論許されることではない。では、アーサーはどうすればよかったのか、どうあればよかったのかと、共感せざるを得ない彼の人間臭さに酷く胸を打たれた。
今現在、普通に生きていたって、馬鹿にするされる、笑いものにするされるなんてのはほぼ日常茶飯事で、行き過ぎたそれが所謂「いじめ」だとか「ハラスメント」とかとなる。こういうことに対する世論センサーは高まる一方で、少し敏感すぎるような気もするが、外野が平気で野次を飛ばしまくっているのは今も昔もそう大差ない。むしろ現在の方が、心無いSNSでのコメント1つとっても、なんとも不寛容な社会だろうと思わざるを得ない。
模倣犯が出るとか、現実社会に悪影響だとか、その外野達が相も変わらず騒いでいるが、そういうのは正直どうでもいい。現実問題、そういうことが起こりそうだと思っていること自体すでに、この「JOKER」で描かれているゴッサムのそれと今の社会が≒になっていると思っていることの証左だ。似たような事件は常日頃ニュースから流れてくる。結果として、あの世界では「JOKER」が生まれてしまっただけだ。だから、こんなこと言う人は焦っている、そうだろう。
助けてくれる人がいなかった、能力がなかった、努力をしなかった、環境が悪かった、時代が悪かった。そういった運が無かったからだ、とか、この映画はそういう話ではない。何に、救いを求めればよかったのだろう。今の社会では、何が彼を救うことが出来るだろう。
全然話は変わるが、今現在ジャンプで連載中の「僕のヒーローアカデミア」という漫画がある。皆が『個性』と言われる特殊能力を持つ社会で、ヒーローが大正義を振りかざし、悪逆大罪を働くヴィラン共をバッタバッタとなぎ倒す。圧倒的な、友情・努力・勝利。読むたびに胸を熱くさせられる、僕も大好きな漫画だ。
これまでのバットマンシリーズでおなじみのJOKERといえば、漫画にでてくるヴィラン同様、その圧倒的な悪役インテリジェンスに裏づけされたカリスマ性が魅力だったわけだが、みんなそれぞれに(※勿論ぶっ飛んではいるが)思っているところ、目指すべきところ、なすべきことを抱えて事を成そうとしている。だからと言って許されることではないのだが、そういう意味では、正義の方向性が違うだけと言ってもいい。
では、アーサーにとっての正義は、潰されてしかるべきなのだろうか。今回の劇中最大のハイライト、階段で踊るシーン。憂悲憎悪泣喜怒快無畏楽苛笑鬱とかとかとか、色んな感情がないまぜになりながらも、全てをぶっちぎった悲しみの美しさに胸が苦しくてたまらなくなった。出生や心身、社会的にもビハインドを抱えた彼にとっての「悪」は、責められるべきは、果たしてどこなのだろう。
何度でも言うけど、「JOKER」はあくまでも「結果」だ。社会の不条理や不寛容が憎たらしくて、こんなもの全然しょうがなくないだろと考える一方で、どこかしょうがないものだと思ってしまっている自分も、歪に捩れた今の社会を構成する一端になってしまっているのだなと、鑑賞後から酷く鈍い乗り物酔いのような自問自答を続けている。
解放?開放?どちらも?
何かが放たれる。何かが開かれた。そんな感想を持ちました。色々な解釈が出来るようになっていますが、どの視点から見ても解放、開放された印象を受けます。何かが吹っ切れた。自分はそう感じました。自分は3度見ましたが、自分なりの解釈を探したり、思案する事が好きな人にはぴったりの映画です。序盤は階段を上がるシーンが多かったのですが、終盤は下がるシーンが多く、そういう描写も見られ、他のところにも多くそういう対比が描かれています。そういう細かい所も見どころの一つでしょう。自分の中では何かを変える映画となりました。生涯の一作となりました。喜劇とはなんなんでしょうか、、、。
ジョーカーらしさが微塵もない駄作
ジョーカーのバックストーリーは、仮にどれほど見事に描かれていたとしても見ることに抵抗がある。
ジョーカーのもつ「底知れない」悪意が背景を伴うことで限定されてしまう可能性があるからだ。
でも、映画化されてしまったら見ないわけにはいかない。そんなジレンマを抱えながら映画館に足を運んだ。
しかし結論から言うと、全くの杞憂だった。正直ほっとした。
これはジョーカーでも何でもない。有象無象の駄作映画だった。
わかりやすくダメなポイントを2つ挙げるならば、1つはアーサーに降りかかる不幸が軽すぎること。
看板強盗を追いかけたら裏路地でリンチされた、電車で酔っ払いにからまれた、自分の母親が妄想狂だった、憧れのコメディアンに晒し物にされたなど、どの不幸エピソードもとるに足らないくだらないことばかり。ウシジマくんの債務者のほうがよっぽどひどい目にあっている。
2つめはアーサーの犯行が衝動的すぎること。電車でからんできた酔っ払いを銃殺、警察の聞き込みにあった元同僚を撲殺、ウェイン邸でブルースに掴みかかるなど、全く知性を感じさせない行動ばかり。ジョーカーの魅力である狂気や狡猾さの片鱗が見られない。最後のTV番組でも怒りに任せて撃ち殺しただけで、心底つまらなかった。
この2つのポイントはジョーカーを描くのであれば、クリアしていて当たり前のポイントである。それすらできていない本作は全くもって論外というほかない。
ジョーカーのバックストーリーを描こうと思ったら、凄惨な不幸と狂気にくわえて、さらに100歩ほど踏み込む必要があるだろう。
ドットフィリップスには、もう一生このような身の程知らずなテーマには挑戦しないでもらいたい。
エリート層の格差是正を目指す努力がなければ、社会秩序は守れない。
ジューカーの出現には、必然性があると思った。監督ドット・フィリップスは何を伝えたかったのかを僕は考える。描いたのは、ギリギリに生きている障害のあるコメディアンの悲哀じゃない。社会の底辺で努力している人間を凶悪な殺人者に変えたのは誰なのか。真っ当に生きることができなくなった社会は、すべての環境をジョークなのかと自分を騙すしか、明日を迎えられない。似たような社会情勢が今でもあると思う。いつの時代だって、格差の不満から秩序は壊れていく。この映画からそんなことを感じた。笑いたくなくても顔が笑ってしまう悲しさは、最後の精神病棟での追いかけっこに救われた気がする。この映画もう一度観てみようと思った。
ダークナイト基準での鑑賞はNG
今まで数人のジョーカーが演じられてきましたが、これはこれで1つのジョーカーって感じ。
私はダークナイト基準で鑑賞してしまいましたが、『?』が多くなり最後には『?』だらけで終わりました…。
内容も『世の中ってこんなもんでしょ…こんなんでジョーカーになるなら皆ピエロメイクしてるんじゃ…?』と感じた。
ダークナイトが基準じゃない方は多くの『?』に戸惑い無く鑑賞出来るかと思います。
でもホアキンの演技力は良かったですよ。
ホアキンのせいではないけど、ジョーカーの悪い賢さは全く見られなかったのが残念かな…。
鬱る名作
レビューそんなに書かない+鑑賞後そのままの書いたものなので拙いのは悪しからず(すみません)
20191014
JOKER
バットマン、ダークナイトといえば
悪のカリスマ、JOKER
ただの人間が悪のカリスマに至るまでを描いた作品
僕の久しぶりの一人映画は劇場の一番後ろで始まった。
劇場側がR15指定にした今作品。
スカッとするところはあまりなく、
精神疾患を抱えながらも前向きに、ひたむきに生きようとしていたアーサー。
周りの無理解、理不尽な環境、等々
次第にアーサーはより一層病んでいく。
同僚から貰った銃で悪漢3人を殺したアーサー。
しかし現実はあまりに非常。
悪漢3人は世間的にはとても素晴らしい人とされるもので、ただ襲われて正当防衛みたいなものだったアーサーは政治的な問題だと勝手に取りざたされる。
狂ってるのは、世界か、己か
アーサー主体で描かれている作品で
終始どちらが現実で、妄想か分からず。
どちらも現実で、妄想でもあるのでは?
そう感じた
我々は登場人物の誰にでもなれる。
悪ガキ、同僚、悪漢
荒んだ世の中、
他人を蔑み笑うことで己を保ち、自分はマシだと
下のものを見下す。
自分にそれがないと言えるだろうか
誰しもJOKERとなれるし
誰しもJOKERを生み出す側の人となり得る
アーサーのような妄想は1度はしただろうし、
アーサーのようなヤツを蔑みもした
してない人はいないだろう。人間なのだから。
本気でしてないという人がいたとしたら、そいつは自分の行いを自覚してすらいない。
そう、まるで地下鉄にいた3人のように。看板を奪っていった悪ガキのように。ロバート・デ・ニーロ、市長のように。
何を得たのかとか見終わった現時点では
特に言うことは出来ないが
アメコミヒーローものではない。
これは現代に警鐘を鳴らすドキュメンタリー映画であった。
ここで描かれる火種はノンフィクションだ
ホームレスに対する避難所受け入れ拒否の問題が表面化している現実もあり、弱者の視点、届かぬ声、素封家こそ優遇される社会、そんな現代社会の暗雲を劇場内でも切り離せずに見届けた。それ程に、生身の血が通う人間の、感情の起伏を根底に描かれたサスペンスであった。故ヒース・レジャーとの比較は様々な意味でプレッシャーがあった事だろう、それでも本作で新基軸を打ち付けたメイクの下の本質に、大いな賞賛を送りたい。彼はそれ程に素晴らしい表現力で魅了する。
「自分の人生は喜劇だ」 「ジョークを思いついたんだ、君には理解でき...
「自分の人生は喜劇だ」
「ジョークを思いついたんだ、君には理解できないよ」
この2つの言葉に全てが詰まってて震えた、泣いた。
喜劇だと思うしかない、彼の追い詰められた孤独と、それを同じくする者しか理解できないであろうという言葉。
美しいものを愛でるとか大事なものを大切にすることができるのは、それを持ってる人間だけなのかもしれない。
正論を言えてそれを正しく守れるのは、自分が守られた所にいて実行できる環境下だからなのかもしれない。
「正しいこと」は所詮「世間一般の求める正しい姿を守れる立場にある人間が使えるもの」なのかもしれない。
初めは銃を手にした時「だめだよこんなの」って言える人だった。でも真面目に生きようとしても虐げられ続けてそのせいで損をし続ける人生だったら、真面目でいるのは馬鹿らしくならないか?
正気を保ったまま誰にも愛されてなかった自分を受け入れられるか??
自分に当たり前に向けられる悪意や利用や侮蔑や嘲笑をただ黙って受け入れられるのか??
ジョーカーのやったことは100%悪いことだ。
だけど彼の気持ちが理解できてしまう。
テレビで語った彼の言葉に泣いてしまった。
そしてそれを理解できず笑うのが一般人だ。
この映画でまざまざと、正しく生きることは、正論は、絶対ではないのだと教えられる。
ジョーカーっぽい何か
持たざる者の持つ者への反逆、というテーマで描かれた一本の映画としては素直に面白かったです。
アメリカ、イギリス、フランスなど、先進国と言われる国で分断が相次ぐ現代にぴったりではありましょう。
でもこれがジョーカーって言われると…
私もそこまでこれまでの作品に詳しくないですが、それでもこんな取り柄なさ過ぎなおっさんでは悪のカリスマ・ジョーカーとしてはあまりに説得力なくて…あれじゃただ流れのままに祭り上げられたモブじゃんと…
私のイメージのジョーカーなら、持つ者持たざる者の分断をうまく利用して、自らの手で「最悪」を世間に見せつける…しかも実のところ持たざる者すら別にどうでもいい、ただの駒、ってな感じですかね…
ヒースのジョーカーに引っ張られ過ぎかも知れませんが…
いずれバットマンと対峙する悪のカリスマを期待していくと肩すかし喰らいます。
ハンニバル・ライジングも似たような感想だったなぁ…(まぁあちらは映画としても微妙でしたが)
危険ギリギリかも⁉
ジョーカーと言えばヒース・レジャーを思い出してしまう。
「ダークナイト」の演技は圧巻だったし作品自体が素晴らしかった。
そのダークナイト版ジョーカーを踏まえて観てしまう状況下でのホワキン・フェニックスは
実に素晴らしかった!
ヴィランへの共感という意味では危険度ギリギリ?な感じもする本作ではあるが、昨今の流れ(特にディズニー)ではヴィランへスポットライトを当て、その人の事情を理解してあげよう的な作品も作られている。
また昔は正とされていた者が実は悪(王子様とかね)なんて言うのも今は普通。
何が悪で何が正なのか?
普遍的なテーマではあるが、その捉え方も立場や環境によってそれぞれ違うのだろう。
もしかしたらそれぞれの正義なのかもしれない。
規律を守らないという点では間違いなく悪ではあるが、アーサーがジョーカーになってしまった状況は哀しいほど理解できた。
色々と考えてしまう作品ではあるが、バットマン全体がとても奥深く、より一層楽しめるようになったのは間違いない。
私は今後ジョーカーがバットマンと対峙した時、正悪の区別ではなく、きっと両者を横並びで見てしまうだろう。いやジョーカーに肩入れすることも十分考えられる。
映画には影響力がある。そして世界は広い。
本作に感化された人が暴走しないことを祈るばかりだ。
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