ジョーカーのレビュー・感想・評価
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妄想
タイトルなし(ネタバレ)
これがジョーカーか。わたくし、アメコミも含めたマーベルやそっち方面には全く詳しくない。むしろバットマンだけはダークナイトがああでーこーでーと語れる程度で、他は多分ファンの方からすれば毛ほどしか知らないと思います。
そんな状態でこのジョーカーを観たのですが、もうそういう世界観の知識は全く必要無かった。むしろ、監督自身が独立した作品として観て欲しいと言っているのだから、それがラストのヒントにもなっているのでしょう(これは後述)。
さてさて、 まずは率直な感想からですが、暗い笑。とにかく暗い映画だった笑。陰々滅々。陰々滅々なんて打ち込んだのは多分初めてだよ。映画は終始暗く、でも、人によっては共感を抱くような部分をジョーカーから感じられたりして、ヤバいヤバい感化されちゃ駄目だ!なんて思いながら終盤は観ていた。ロバートデニーロには別にイラつきも何も感じなかったのに、ジョーカーが弾いた時には何故かスッキリしちゃったり。ジョーカーに飲まれてた・・のかな。
そもそも今作、全面的にはジョーカーが被害者である。不幸な家庭環境が原因で病気を患い、更にそれが原因で身を不幸にしていた中年男。
そしてもう一つ、一番大事なのがジョーカーは狂ってなどおらず全くもっての『常識人』なのだ。被害者であり常識人だからこそ、狂った世の中を直視出来てしまう。だからこそ、ジョーカーへの道が切り開かれていたのだ。
まだ信じられない方は思い出してほしい。ジョーカーが最初に妄想をするテレビ番組に出演するシーンで、母親に関する事を話す。そこで母と同居しているという件で観客から笑われるという場面がある。このシーン自体がジョーカーの妄想なので、つまりはこの歳で母親と二人きりの同居生活が世間一般の価値観からすると『恥ずかしい事』だという認識を持っている事が確認出来るのだ。
そしてこの作品の9割は、ホアキンさんの演技力で出来ていると言っても過言ではないだろう。ぶっちゃけ話の本筋とか現代社会を投影しているんだろうなあとかそんな事は忘れて、とにかくホアキン・フェニックスさんの狂気と悲しみを織り交ぜた演技に魅入っていた。大半の方もそれが本音ではないだろうか。少なくとも私はそうだった。途中からもう細かいあれが引き金でこれが伏線でとかは考えずに魅入ってしまっていた。これが『映画』。これぞ『作品』なんだなあ~と強く思わされた。細かく語るときりがないので、そろそろ本筋に入っていこうと思う。
まず、今作は3つの見方があるんだと思います。
一つ目が、バットマンファン生唾もののジョーカー誕生物語。
二つ目が、アーサーという人物を通して現代社会の問題を描いた切実なドラマ。
そして三つ目が、強大な叙述トリック物だったのでは?という疑念を抱いてから観る考察物。
ここでは三つ目に絞って語っていこうと思う。そう、今作はラストでとんでもないドンデン返しが有るのだ。それが、【全部ジョーカーの妄想だったのでは?】という示唆。これが今作を更に面白くしていて、ただの現代社会に訴えかけるお硬い映画の範疇を超えている要因でもある。
これについては私は肯定派だ。まず、根本的な事として、監督は今作をマーベル・ユニバースから切り離して欲しいと言っている。これはつまり、マーベル・ユニバースから独立した作品として見て欲しいという事だ。という事は、バッドマンビギンズには繋がらないという風にも取れる。
今作のラストではジョーカーが見ていない筈の光景を妄想するというシーンが有るが、これがまさにそれを示しているのではなかろうか。今作を観た人の大半はバッドマンビギンズに繋がる物語として、今作を観ていた筈だ。だからこそ、彼はジョーカーで間違いないと思っているし、ブルース・ウェインの登場でよりそれを実感した筈だ。
だが、それこそがトリックで、今作はジョーカーという男の別の世界線の物語なのだ。そしてそれと同時に、バットマン等というヒーローはこの世に存在しないという事を訴えかけている。バットマンという存在そのものを否定して有る種ファンに喧嘩を売るような形で、より切実に現代社会の闇を訴えかけているのだ。
それに気づいてしまった人はこの映画が更に恐ろしいものだと知り、観終わった後の感想が180度違った事だろう。最も表層的な部分ではジョーカー誕生物語。その次の層ではどこまでが妄想だったのかを探る考察物。そして最後には、全てが偽りでありジョーカーもバットマンも存在しないただの逝かれた男の妄想だったと、それに気づいてからより悲惨さが増す胸糞映画だったと知ることになる。
怖い映画。
恐るべき説得力を持つ作品。
もし自分だったら、彼と同じようにならないと自信を持って言えるだろうか?と考えさせられてしまうほどの圧倒的な説得力。映像の肌理はもはやアメコミ作品であることを忘れさせるほどに、見事に重厚な人間ドラマそのもの。世にも壮絶な悲劇である。バットマンの関連する要素が現れて「そうだ、これバットマンの世界だったんだ」と何度もハッとさせられた。
これを観て思い知らされるのは、人が生きる境遇っていうのはやっぱり無視してはいけなくて、「どんな境遇でも負けるな!強く生きろ!」という精神論の押し付けが、酷く残酷なアプローチになりうるということだ。だれかがこんな風になる前に、人の痛みへの共感的理解の力でもって、お互いに助け合える世の中でありたいと、そんなことを強く強く思わないでいられない。
責められるべきは何か
こんなことあってはならないし、勿論許されることではない。では、アーサーはどうすればよかったのか、どうあればよかったのかと、共感せざるを得ない彼の人間臭さに酷く胸を打たれた。
今現在、普通に生きていたって、馬鹿にするされる、笑いものにするされるなんてのはほぼ日常茶飯事で、行き過ぎたそれが所謂「いじめ」だとか「ハラスメント」とかとなる。こういうことに対する世論センサーは高まる一方で、少し敏感すぎるような気もするが、外野が平気で野次を飛ばしまくっているのは今も昔もそう大差ない。むしろ現在の方が、心無いSNSでのコメント1つとっても、なんとも不寛容な社会だろうと思わざるを得ない。
模倣犯が出るとか、現実社会に悪影響だとか、その外野達が相も変わらず騒いでいるが、そういうのは正直どうでもいい。現実問題、そういうことが起こりそうだと思っていること自体すでに、この「JOKER」で描かれているゴッサムのそれと今の社会が≒になっていると思っていることの証左だ。似たような事件は常日頃ニュースから流れてくる。結果として、あの世界では「JOKER」が生まれてしまっただけだ。だから、こんなこと言う人は焦っている、そうだろう。
助けてくれる人がいなかった、能力がなかった、努力をしなかった、環境が悪かった、時代が悪かった。そういった運が無かったからだ、とか、この映画はそういう話ではない。何に、救いを求めればよかったのだろう。今の社会では、何が彼を救うことが出来るだろう。
全然話は変わるが、今現在ジャンプで連載中の「僕のヒーローアカデミア」という漫画がある。皆が『個性』と言われる特殊能力を持つ社会で、ヒーローが大正義を振りかざし、悪逆大罪を働くヴィラン共をバッタバッタとなぎ倒す。圧倒的な、友情・努力・勝利。読むたびに胸を熱くさせられる、僕も大好きな漫画だ。
これまでのバットマンシリーズでおなじみのJOKERといえば、漫画にでてくるヴィラン同様、その圧倒的な悪役インテリジェンスに裏づけされたカリスマ性が魅力だったわけだが、みんなそれぞれに(※勿論ぶっ飛んではいるが)思っているところ、目指すべきところ、なすべきことを抱えて事を成そうとしている。だからと言って許されることではないのだが、そういう意味では、正義の方向性が違うだけと言ってもいい。
では、アーサーにとっての正義は、潰されてしかるべきなのだろうか。今回の劇中最大のハイライト、階段で踊るシーン。憂悲憎悪泣喜怒快無畏楽苛笑鬱とかとかとか、色んな感情がないまぜになりながらも、全てをぶっちぎった悲しみの美しさに胸が苦しくてたまらなくなった。出生や心身、社会的にもビハインドを抱えた彼にとっての「悪」は、責められるべきは、果たしてどこなのだろう。
何度でも言うけど、「JOKER」はあくまでも「結果」だ。社会の不条理や不寛容が憎たらしくて、こんなもの全然しょうがなくないだろと考える一方で、どこかしょうがないものだと思ってしまっている自分も、歪に捩れた今の社会を構成する一端になってしまっているのだなと、鑑賞後から酷く鈍い乗り物酔いのような自問自答を続けている。
解放?開放?どちらも?
君にも見えるさ、幸運の星が
ファンの人からしてみたら色々意見はあると思うんですが、映画としては中々上質なものだと思うんです。
私のような、一切アメコミやら、ジョーカー知らなかった新参者が普通に楽しめて、終盤にがっつりストーリーが動く感じ。悪役の話だと思ってなかったです実は。
音楽と映像のマッチが絶妙で、「これ何のジャンルの映画なんだ?」と思うほど、いい意味で迷走してる気がする。スプラッタシーンが無ければヒューマンドラマのようにも感じる。
社会要素強めでしたが、この要素入れないと最後の演説(?)に説得力が無くなっちゃうので。でももう少し狂ってる人になってほしかった。いや、あの、悲劇の中を生きる彼は、全て嘘でジョークなのかもしれない。
一緒に観た友人が「全ての人生の要素において、ジョーカー引いちゃった人って感じだったよね」と言っていて、なるほど、言い得て妙。でも、悪役ってそれで良いんだろうか。結局、運が良ければ、幸運の星の元に生まれていればヒーローになれたかもね、みたいな感じが「悪役とは」という前提とあまり合ってないように感じました。
といっても、話も分かりやすくて、面白いアメコミ漫画1冊読み切った感じがした。
映画としては大成功なのでは?
個人的には最後に大爆笑してしまったことがあって、静まり返った映画館の中で笑いをこらえて涙を流した。
最後にジョーカーの気持ちがわかった。
自分の人生で1番サイコパスな瞬間でした。
紙一重
苦しくなる映画でした
母親の面倒をみて、真面目に働き、決して悪いヤツではなかったアーサーが、段々と哀しみに潰されて狂っていく
こらでもかこれでもかと押し寄せる不幸に、狂っていくアーサーを責められるだろうか
その苦しみから逃れるために、善と悪、どちらに転ぶか、人間誰も紙一重なんじゃないだろうか
笑ってほしかった、愛して欲しかった、認めて欲しかった、ただ切にそれを願っただけなのに
もちろん、不幸だからといって、その後の行動は認められない
分かってはいるけど、アーサーの気持ちが痛くて、とにかく苦しくなる
哀しみの中でも、何かを忘れるように、取り憑かれたように優雅に踊るアーサーに涙が出た
アーサーを狂わせたのは私だったのではないか、私はどちら側の人間なのか、と自分自身すら分からなくなりそうだった
清掃局のストライキで、街中にゴミが溜まっている
その風景の中を歩き、画面が絶えずごちゃごちゃとしてるのをずっと見てると、知らず知らずのうちにこっちまで気持ちが荒んでいく気がして、アーサーの気持ちに寄り添いたくなる
全てが良くできた映画でした
演技、映像、音楽、どれも惹きつける
最後white roomが流れたとき、狂っていく気持ちを煽られるというか、破滅的な衝動に駆られました
せめて映画の中ではハッピーでいたい、と思ってるんですがね、、
衝撃的な映画でした
ジョーカーらしさが微塵もない駄作
ジョーカーのバックストーリーは、仮にどれほど見事に描かれていたとしても見ることに抵抗がある。
ジョーカーのもつ「底知れない」悪意が背景を伴うことで限定されてしまう可能性があるからだ。
でも、映画化されてしまったら見ないわけにはいかない。そんなジレンマを抱えながら映画館に足を運んだ。
しかし結論から言うと、全くの杞憂だった。正直ほっとした。
これはジョーカーでも何でもない。有象無象の駄作映画だった。
わかりやすくダメなポイントを2つ挙げるならば、1つはアーサーに降りかかる不幸が軽すぎること。
看板強盗を追いかけたら裏路地でリンチされた、電車で酔っ払いにからまれた、自分の母親が妄想狂だった、憧れのコメディアンに晒し物にされたなど、どの不幸エピソードもとるに足らないくだらないことばかり。ウシジマくんの債務者のほうがよっぽどひどい目にあっている。
2つめはアーサーの犯行が衝動的すぎること。電車でからんできた酔っ払いを銃殺、警察の聞き込みにあった元同僚を撲殺、ウェイン邸でブルースに掴みかかるなど、全く知性を感じさせない行動ばかり。ジョーカーの魅力である狂気や狡猾さの片鱗が見られない。最後のTV番組でも怒りに任せて撃ち殺しただけで、心底つまらなかった。
この2つのポイントはジョーカーを描くのであれば、クリアしていて当たり前のポイントである。それすらできていない本作は全くもって論外というほかない。
ジョーカーのバックストーリーを描こうと思ったら、凄惨な不幸と狂気にくわえて、さらに100歩ほど踏み込む必要があるだろう。
ドットフィリップスには、もう一生このような身の程知らずなテーマには挑戦しないでもらいたい。
エリート層の格差是正を目指す努力がなければ、社会秩序は守れない。
ダークナイト基準での鑑賞はNG
鬱る名作
レビューそんなに書かない+鑑賞後そのままの書いたものなので拙いのは悪しからず(すみません)
20191014
JOKER
バットマン、ダークナイトといえば
悪のカリスマ、JOKER
ただの人間が悪のカリスマに至るまでを描いた作品
僕の久しぶりの一人映画は劇場の一番後ろで始まった。
劇場側がR15指定にした今作品。
スカッとするところはあまりなく、
精神疾患を抱えながらも前向きに、ひたむきに生きようとしていたアーサー。
周りの無理解、理不尽な環境、等々
次第にアーサーはより一層病んでいく。
同僚から貰った銃で悪漢3人を殺したアーサー。
しかし現実はあまりに非常。
悪漢3人は世間的にはとても素晴らしい人とされるもので、ただ襲われて正当防衛みたいなものだったアーサーは政治的な問題だと勝手に取りざたされる。
狂ってるのは、世界か、己か
アーサー主体で描かれている作品で
終始どちらが現実で、妄想か分からず。
どちらも現実で、妄想でもあるのでは?
そう感じた
我々は登場人物の誰にでもなれる。
悪ガキ、同僚、悪漢
荒んだ世の中、
他人を蔑み笑うことで己を保ち、自分はマシだと
下のものを見下す。
自分にそれがないと言えるだろうか
誰しもJOKERとなれるし
誰しもJOKERを生み出す側の人となり得る
アーサーのような妄想は1度はしただろうし、
アーサーのようなヤツを蔑みもした
してない人はいないだろう。人間なのだから。
本気でしてないという人がいたとしたら、そいつは自分の行いを自覚してすらいない。
そう、まるで地下鉄にいた3人のように。看板を奪っていった悪ガキのように。ロバート・デ・ニーロ、市長のように。
何を得たのかとか見終わった現時点では
特に言うことは出来ないが
アメコミヒーローものではない。
これは現代に警鐘を鳴らすドキュメンタリー映画であった。
ここで描かれる火種はノンフィクションだ
タイトルなし(ネタバレ)
「自分の人生は喜劇だ」
「ジョークを思いついたんだ、君には理解できないよ」
この2つの言葉に全てが詰まってて震えた、泣いた。
喜劇だと思うしかない、彼の追い詰められた孤独と、それを同じくする者しか理解できないであろうという言葉。
美しいものを愛でるとか大事なものを大切にすることができるのは、それを持ってる人間だけなのかもしれない。
正論を言えてそれを正しく守れるのは、自分が守られた所にいて実行できる環境下だからなのかもしれない。
「正しいこと」は所詮「世間一般の求める正しい姿を守れる立場にある人間が使えるもの」なのかもしれない。
初めは銃を手にした時「だめだよこんなの」って言える人だった。でも真面目に生きようとしても虐げられ続けてそのせいで損をし続ける人生だったら、真面目でいるのは馬鹿らしくならないか?
正気を保ったまま誰にも愛されてなかった自分を受け入れられるか??
自分に当たり前に向けられる悪意や利用や侮蔑や嘲笑をただ黙って受け入れられるのか??
ジョーカーのやったことは100%悪いことだ。
だけど彼の気持ちが理解できてしまう。
テレビで語った彼の言葉に泣いてしまった。
そしてそれを理解できず笑うのが一般人だ。
この映画でまざまざと、正しく生きることは、正論は、絶対ではないのだと教えられる。
ジョーカーっぽい何か
持たざる者の持つ者への反逆、というテーマで描かれた一本の映画としては素直に面白かったです。
アメリカ、イギリス、フランスなど、先進国と言われる国で分断が相次ぐ現代にぴったりではありましょう。
でもこれがジョーカーって言われると…
私もそこまでこれまでの作品に詳しくないですが、それでもこんな取り柄なさ過ぎなおっさんでは悪のカリスマ・ジョーカーとしてはあまりに説得力なくて…あれじゃただ流れのままに祭り上げられたモブじゃんと…
私のイメージのジョーカーなら、持つ者持たざる者の分断をうまく利用して、自らの手で「最悪」を世間に見せつける…しかも実のところ持たざる者すら別にどうでもいい、ただの駒、ってな感じですかね…
ヒースのジョーカーに引っ張られ過ぎかも知れませんが…
いずれバットマンと対峙する悪のカリスマを期待していくと肩すかし喰らいます。
ハンニバル・ライジングも似たような感想だったなぁ…(まぁあちらは映画としても微妙でしたが)
危険ギリギリかも⁉
ジョーカーと言えばヒース・レジャーを思い出してしまう。
「ダークナイト」の演技は圧巻だったし作品自体が素晴らしかった。
そのダークナイト版ジョーカーを踏まえて観てしまう状況下でのホワキン・フェニックスは
実に素晴らしかった!
ヴィランへの共感という意味では危険度ギリギリ?な感じもする本作ではあるが、昨今の流れ(特にディズニー)ではヴィランへスポットライトを当て、その人の事情を理解してあげよう的な作品も作られている。
また昔は正とされていた者が実は悪(王子様とかね)なんて言うのも今は普通。
何が悪で何が正なのか?
普遍的なテーマではあるが、その捉え方も立場や環境によってそれぞれ違うのだろう。
もしかしたらそれぞれの正義なのかもしれない。
規律を守らないという点では間違いなく悪ではあるが、アーサーがジョーカーになってしまった状況は哀しいほど理解できた。
色々と考えてしまう作品ではあるが、バットマン全体がとても奥深く、より一層楽しめるようになったのは間違いない。
私は今後ジョーカーがバットマンと対峙した時、正悪の区別ではなく、きっと両者を横並びで見てしまうだろう。いやジョーカーに肩入れすることも十分考えられる。
映画には影響力がある。そして世界は広い。
本作に感化された人が暴走しないことを祈るばかりだ。
生涯ベストに入るくらい
予告編を観て、傑作の臭いしかしなかった。
そしてベネチア映画祭金熊賞受賞の報道があり、
ますます期待が高まり、公開後の評判も良く、
観る前からハードルがかつてない程上がっている状態で観た。
その上がりきったハードルを、軽々と超えてしまった・・・
まいった・・・衝撃的だった。
生涯ベストに入るくらいやられてしまった!
演出も演技も全てが完璧!
なんといってもホアキン・フェニックス!
彼の神懸った演技は素晴らし過ぎます!
個人的に一番印象に残っているシーンで、
特に雇われ主であるボスに、心無い酷い事を言われた時の
狂気に満ちたなんとも言えない表情の笑みには鳥肌が立ちました。
故ヒース・レジャーが演じたジョーカーすら霞んでしまう。
この作品の良さを上手く伝える事が出来ない、
ボキャブラリーのない自分がもどかしい!
ただ言える事は、まだ未見の方は是非
マーティン・スコセッシ監督作品で
この映画にも出演しているロバート・デ・ニーロ主演の
「タクシードライバー」「キング・オブ・コメディ」
を観てから劇場に足を運んで下さい。
その方がこの作品をより楽しめます。
そしてバットマンの本名が”ブルース・ウェイン”
という事も頭に入れておいて下さい。
この作品はちゃんと「バットマン」に続いています。
悪いのは監督か、ホアキンか、JOKERか。
ポップでもクールでもないジョーカーがここに誕生した。
ノーランのバットマンでジョーカーを認知した私には、この作品をどう評価すべきか分からない。
まず、ジョーカーを美化しすぎである。病気だし、障害のある貧困層が必ずしもああやって屈折していくわけではないだろう。どんなに酷い境遇だって強く生きることができたはず。それなのに、その境遇を理由に、社会の悪になるのも仕方ない、社会が悪いんだという描き方をされても、こちらとしてはふざけるなである。ああいうやつを持ち上げる市民がいるのも世相なのだろうか。
また、本来のジョーカーのキャラとはかけ離れた(ようにみえる)キャラクターにも納得がいかない。何事も俯瞰していて計算高く、それでいて下品ではない私の知っているジョーカーのカリスマ性が全くもって現れないのだ。一人で銃をもって芝居するのは、タクシードライバーのトラヴィス?自ら髪を染めたりするのも気に食わない。
ティムバートンの描いたジョーカーはアメコミからそのまま出てきたようなポップさが魅力だった。クリストファー・ノーランの描いたジョーカーは悪と善の間で我々を翻弄する生き様が魅力だった。今回のジョーカーの魅力はなんだろう。弱いものには優しいところ?強いものには理不尽に食って掛かるところ?彼が守ったのはしょせん自分のプライドだけのように見える。結局は自分が弱いものと認められるのが嫌で、必要以上に自分を強くみせ、自分の妄想を実現させる勇気はなく、自分の立場を危うくする邪魔者はぶち殺す、そんな身勝手な人間でしかない。そんな自分にもあるレベルの感情を持たぬのがジョーカーだ。私の理解の範疇を超えたところで悪に仕えるのが、ジョーカーだ。
この映画で最も要らなかったシーンは、同じ階に住むアフリカ系女性との日々が嘘だったと発覚するシーン。回想シーンで彼女の姿が消されている映像が流れるがあれは本当にいらなかった。あのシーンが無くても十分にわかるようにできていたし、急に現実に戻された感覚と、さあここで驚きなさい、と言われている感覚に陥った。
この先、ジョーカーと同じ障害や虐待、病気や貧困に苦しむ人々が彼と同じ生き方を見つけないように願うばかりだ。
追記:
最近ホアキンがルーニーマーラちゃんと婚約して嫉妬していたのは事実です。そのため映画が始まった途端から彼に嫌悪感を抱いていたのも事実です。さらに彼の汚さが露出する度に幻滅し、ルーニーマーラちゃんを思い出してしまったのも事実です。不純な鑑賞をしてしまい不本意であります。
しかしホアキンのダンスと表情は圧巻でありました。歩き方から笑い方まで非常に研究されているなと。ピエロになった姿なんて本当にホアキンなのか分からないくらいです。
さらに追記:
随分とこの作品を責める書き方をしたが、つまるところ私は非常に傷ついた。
アーサーがジョーカーになっていく過程で、私は仲間がダークサイドに墜ちてしまうその瞬間をみた気がした。仲間が傷付けられ、社会の隅に追いやられ、ついには居場所をなくし、そんな仲間をみたくなかった。鑑賞中はずっと、彼が何かしでかすまいかと心配でならなかった。何もするなとずっと願っていた。耐えろ耐えろ耐えろと。さらに、笑うすべ、生きるすべとして悪を発見してしまった彼に絶望した。勝てなかったと思った。笑いの力は社会を変えられないし、彼を救えなかった。その事実が示されたとき私はむしろ、この映画に反抗的になっていた。
さらに備忘録:
社会のマイノリティであることよりも苦しいのは、こんな社会でも肯定して生きていかなきゃいけないこと。受け入れて生きていくこと。そこまで描ききれていないと思う。
キリングジョークを読んで:
ジョーカーの本質を知りたくて、キリングジョーク完全版(アランムーア著)を読んでみた。なるほど、わかったことがある。
おそらく、ジョーカーの孤独やら悲劇やらを語るのに、バットマンは欠かせないのでは?正には負が、喜びには悲しみが、正義には悪がなければ、その存在さえも際立たないのでは?というか、在るからこそその間で人は揺れて、学んでゆくわけだと思ったりする。だから、ジョーカー単品でのゴールというのは、本来なくてこの映画はそこ自体が不正解というか、映画単独で成り立っていないように思えてしまうんだよなあ。もうどうすればいいかわからんくらいの悪への対処って、もはや社会には出来ないと思う。今回のジョーカーだって、社会には救えなかったし、救いの場がなかったし。だから、バットマンという絶対的正義がいて、そんなバットマンをも苦しめる悪だから、ジョーカーはこの世界で輝くのではないかとおもうんです。
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