ジョーカーのレビュー・感想・評価
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バットマンを見てからが良いです
絶望感×喪失感×ほんのすこしの希望?×憎しみ×虚無
なんだろう。
この映画は一言では語れない。
自分でも不思議だけど、共感してしまう部分もある。
現代に生きるからこそ、ジョーカーの世界観にどっぷり浸れるのかもしれない。
不謹慎だが、ジョーカーの公開を合わせたように香港で覆面禁止令が出たのもたまたまか?
こんなに重い映画を見たのは久しぶりです。
しかしなんだろう。
また観に行こうとしている自分がいる。
あらかじめバットマンを復習した上で観に行くことをお勧めします。バットマンは出ませんが、バットマン誕生の1つのプロセスがあります。
ジョーカーを鑑賞した後にダークナイトを観ると、尚更脚本が腑に落ちました。
ジョーカーとバットマンは正反対の生い立ちなので、一生わかり合える事はないでしょう。
他の方の評価にもあるが、メンタルが落ちている時の鑑賞はお勧めしません。
アメコミ名作は、バットマンで始まりバットマンで終わる
単体で十分楽しめる作品だと思いますが、多少はバットマンを知ってる方がやっぱりおもしろいです。
ジョーカーはバットマン最大のヴィランでありながら、その出自がほとんど語られていないキャラクター。だからこその魅力がうまく使われた作品でした。ジャック・ニコルソンからヒース・レジャーに受け継がれ、(ジャレット・レトはあえてなかったことにして)そしてさすがホアキン、全く見劣りしませんでした。
昔からのファンの方にはダークナイト・トリロジーを認められない人もいるのはわかっていますが、やはりリアリティを追求したアメコミヒーローものは「バットマン・ビギンズ」から始まったもので、あれは名作でした。アベンジャーズはおもしろいですが、やはり超能力を持った神々に苦悩されてもしっくりきません。ただの人間であるバットマンやジョーカーだからこそ、苦悩が生きるのです。
ジョーカーの出自も、オリジナリティがあってよかった。そうなるとバットマンを生み出したのはジョーカーだったのかと思ったら、さすがにそこまでではなかったですが。真相もうまくぼかしていて、どちらともとれる展開だったのでよかった。ただ、この年齢差だとブルースがバットマンになった頃には、ジョーカーはよぼよぼだけど……。あと、アルフレッド太ってるの気になるし、A. Fleckってベン・アフレックもじった?オマージュ?
あとは"Why so serious?"が出なかったのが残念でした。
救いがなさ過ぎる…
ジョーカー観てきたよ。
ホアキンジョーカーはヒースレジャーとは違うけど、匹敵するレベルのキャラクターだった。もうホアキンの超絶演技を観るだけで100点の映画。観る価値ありです!
詠春拳をやったら強そうな柔らかい肩に目を奪われた。
どのシーンにも胸を抉られ終始泣きそうだった…この遣る瀬無い感、エクソシストに似てると思っていたらモロにエクソシストそっくりな階段出てくるし、とにかく今思い出しても泣けてくる。ここまで言ったら傑作に間違いないんだけど…
言いたい事もある。
ジョーカーがある殺しを行う。それによって人々がああなるのは少し雑で飛躍してるなーと感じた。あそこだけの話が何でそこまで広がるの?って、ホアキンの演技力でそこは気にならないくらいゴリ押しでくるけど、やっぱりおかしい。
これは今の世界情勢のメタファーというか、そのまんまだと思うけど、こういうのはちょっとどうなんだ?と思う。
感情に流され易い人間には悪影響のある映画だと思った。
正にエクソシスト、悪への導き。
生きてれば嫌な事は沢山あるけど、それを人のせいにするのを肯定してしまうのはちょっとね…
テーマ的には魂のゆくえ先に観てたからってのはあるけど、被る部分があるね。タクシードライバー繋がり。
☆5でも良いと思いますが、教育上悪影響のある映画だと思うのでマイナス1。
高評価は納得だがエンタメ的な面白さではない
痩せこけた背中とダンス
リアリティある設定
カラフルな喜劇?
ジョーカーを観た事がないままフォリアドゥを観て
個人的にはかなり刺さる作品だったため、
帰宅後配信にてこちらも鑑賞。
家庭内でも社会でも居場所を見出せなかったアーサーが
衝動的な出来事をきっかけに「ジョーカー」として崇められていく。
終盤、自らの血でピエロの口を描くシーンは鳥肌が立った。
ジョーカーの標的となっていった人間達は、
当然の報いと感じてしまったのは、
私の中にも狂気があるのだろうか。
決して犯罪を許す訳ではないが、
人間の奥底に誰しもあるドロドロの部分を
ジョーカーが体現してくれたことが、
日々の生活や社会の闇の部分とも重なり評価を得たと感じた。
音楽も素晴らしく、カラフルな色彩に惹き込まれる映画だった。
孤独とはジョーカーを生む引き鉄なのか
待望の映画「ジョーカー2 フォリ・ア・ドゥ」が10月に全国公開されるのを映画館の予告で知った✨
既にこの時点でマ王のワクワク汁が鼻から溢れて止まらない🌀
そしてコレもまた儀式的な事なんだけど改めて「ジョーカー」を鑑賞し直し、当日の期待感を昂ぶらせるのもマ王は忘れない👍
これぞマ王の鑑賞予告ホームランの作法である🏏
というワケで雨降る連休2日目は映画「ジョーカー」に決定したのよ😁
主人公のアーサーは精神を病んでいて且つ極端な孤独の中で生きている。
街の情勢も悪化しており人々は鬱憤を募らせている。
紆余曲折の末にアーサーは結局、自らジョーカーと名乗り導火線役となって法を犯し街はカオスに包まれてゆく。
ま、こんな感じの話なんだがR15にしては手ぬるい描写ばかりだった😆
浮かばれない人生を嘆く男が悪に堕ちてジョーカーが誕生する瞬間の物語、と言えば聞こえは良いが、バックにはジョーカーのパワーだけでなくゴッサムシティの荒廃も手伝っていて案外、運任せ的な要素もあったのかと思ったのはマ王だけか🤔
人生、環境、仕事、金銭、恋愛、家族、健康のどれにも恵まれなかったアーサーなんだけど、今の世の中だって恵まれてる人間の方が少ない💦
世界規模でも相当数いるし日本だって幸福度なんてのはかなり低いと聞く⤵️
そもそも、どんな定規を持ってきて幸せを推し量るのかすら失いつつある時代になったんじゃなかろうか😐
スマホ片手に街を歩けば誰かに打つかっても知らん顔して通り過ぎる、なんてのが日常化している昨今、単純で刹那の幸福を追い求めるだけを良しとし、何もしない何も産まない無感覚な人間が増殖している気がしてならない😖
ソレを孤独と解釈するなら孤独の中に生きている人間の全てがジョーカー予備軍であり、隣人に危険を感じる前に自分を鏡で見るべきではないのかなと😑
ていうかマ王もアーサー程ではないが恋愛の妄想はするクチだし(恋人募集中です)目下、孤独を愉しんでるのも否めない(離婚してから自由になった)
最後に、くれぐれもジョーカーはフィクションの世界であり現実に「ジョーカー」もどきが登場してはならない✋
良い子の皆は、変なシンパシーを感じたりして「俺もジョーカーみたいに生きたい」とか思っちゃダメだぞ🤗
映画館での鑑賞オススメ度★★★★☆
コレが「ダークナイト」のジョーカーになるの?度★★★★★
大体「バットマン」シリーズ多過ぎ度★★★★☆
タイトル以上に深い内容。でも、UnHappyは好きじゃない。
映画・コミックとも、「バットマン」は見たことなし。その前に、アメコミ系は見る気がせず毛嫌いしてる。絵柄・図柄がきらい。
この映画が「バットマン」の悪役誕生物語だ、という予告編やCMは見たけど、この前の京王線での事件が鑑賞動機。さらに。最近の「ノマドランド」やこの「JOKER」のような、世の中の閉そく感を突き詰めていくような映画は好きじゃない。救いのない結末を持て余して、自分まで落ち込んでしまうから・・・。
でも。
監督の表現方法や出演者たちの演技には、本当に映画の中に引きずり込まれていく。主人公の心理にも共感して、何が正しい事なのか、この映画の主人公は正しいのではないか、とさえ感じてしまう。
だからこそ。この現実世界は、天はすべての人に平等に、幸福・不幸を与えているのだと信じたい。そう、強く感じさせる作品でした。
心の闇。
妄想
タイトルなし(ネタバレ)
これがジョーカーか。わたくし、アメコミも含めたマーベルやそっち方面には全く詳しくない。むしろバットマンだけはダークナイトがああでーこーでーと語れる程度で、他は多分ファンの方からすれば毛ほどしか知らないと思います。
そんな状態でこのジョーカーを観たのですが、もうそういう世界観の知識は全く必要無かった。むしろ、監督自身が独立した作品として観て欲しいと言っているのだから、それがラストのヒントにもなっているのでしょう(これは後述)。
さてさて、 まずは率直な感想からですが、暗い笑。とにかく暗い映画だった笑。陰々滅々。陰々滅々なんて打ち込んだのは多分初めてだよ。映画は終始暗く、でも、人によっては共感を抱くような部分をジョーカーから感じられたりして、ヤバいヤバい感化されちゃ駄目だ!なんて思いながら終盤は観ていた。ロバートデニーロには別にイラつきも何も感じなかったのに、ジョーカーが弾いた時には何故かスッキリしちゃったり。ジョーカーに飲まれてた・・のかな。
そもそも今作、全面的にはジョーカーが被害者である。不幸な家庭環境が原因で病気を患い、更にそれが原因で身を不幸にしていた中年男。
そしてもう一つ、一番大事なのがジョーカーは狂ってなどおらず全くもっての『常識人』なのだ。被害者であり常識人だからこそ、狂った世の中を直視出来てしまう。だからこそ、ジョーカーへの道が切り開かれていたのだ。
まだ信じられない方は思い出してほしい。ジョーカーが最初に妄想をするテレビ番組に出演するシーンで、母親に関する事を話す。そこで母と同居しているという件で観客から笑われるという場面がある。このシーン自体がジョーカーの妄想なので、つまりはこの歳で母親と二人きりの同居生活が世間一般の価値観からすると『恥ずかしい事』だという認識を持っている事が確認出来るのだ。
そしてこの作品の9割は、ホアキンさんの演技力で出来ていると言っても過言ではないだろう。ぶっちゃけ話の本筋とか現代社会を投影しているんだろうなあとかそんな事は忘れて、とにかくホアキン・フェニックスさんの狂気と悲しみを織り交ぜた演技に魅入っていた。大半の方もそれが本音ではないだろうか。少なくとも私はそうだった。途中からもう細かいあれが引き金でこれが伏線でとかは考えずに魅入ってしまっていた。これが『映画』。これぞ『作品』なんだなあ~と強く思わされた。細かく語るときりがないので、そろそろ本筋に入っていこうと思う。
まず、今作は3つの見方があるんだと思います。
一つ目が、バットマンファン生唾もののジョーカー誕生物語。
二つ目が、アーサーという人物を通して現代社会の問題を描いた切実なドラマ。
そして三つ目が、強大な叙述トリック物だったのでは?という疑念を抱いてから観る考察物。
ここでは三つ目に絞って語っていこうと思う。そう、今作はラストでとんでもないドンデン返しが有るのだ。それが、【全部ジョーカーの妄想だったのでは?】という示唆。これが今作を更に面白くしていて、ただの現代社会に訴えかけるお硬い映画の範疇を超えている要因でもある。
これについては私は肯定派だ。まず、根本的な事として、監督は今作をマーベル・ユニバースから切り離して欲しいと言っている。これはつまり、マーベル・ユニバースから独立した作品として見て欲しいという事だ。という事は、バッドマンビギンズには繋がらないという風にも取れる。
今作のラストではジョーカーが見ていない筈の光景を妄想するというシーンが有るが、これがまさにそれを示しているのではなかろうか。今作を観た人の大半はバッドマンビギンズに繋がる物語として、今作を観ていた筈だ。だからこそ、彼はジョーカーで間違いないと思っているし、ブルース・ウェインの登場でよりそれを実感した筈だ。
だが、それこそがトリックで、今作はジョーカーという男の別の世界線の物語なのだ。そしてそれと同時に、バットマン等というヒーローはこの世に存在しないという事を訴えかけている。バットマンという存在そのものを否定して有る種ファンに喧嘩を売るような形で、より切実に現代社会の闇を訴えかけているのだ。
それに気づいてしまった人はこの映画が更に恐ろしいものだと知り、観終わった後の感想が180度違った事だろう。最も表層的な部分ではジョーカー誕生物語。その次の層ではどこまでが妄想だったのかを探る考察物。そして最後には、全てが偽りでありジョーカーもバットマンも存在しないただの逝かれた男の妄想だったと、それに気づいてからより悲惨さが増す胸糞映画だったと知ることになる。
怖い映画。
恐るべき説得力を持つ作品。
もし自分だったら、彼と同じようにならないと自信を持って言えるだろうか?と考えさせられてしまうほどの圧倒的な説得力。映像の肌理はもはやアメコミ作品であることを忘れさせるほどに、見事に重厚な人間ドラマそのもの。世にも壮絶な悲劇である。バットマンの関連する要素が現れて「そうだ、これバットマンの世界だったんだ」と何度もハッとさせられた。
これを観て思い知らされるのは、人が生きる境遇っていうのはやっぱり無視してはいけなくて、「どんな境遇でも負けるな!強く生きろ!」という精神論の押し付けが、酷く残酷なアプローチになりうるということだ。だれかがこんな風になる前に、人の痛みへの共感的理解の力でもって、お互いに助け合える世の中でありたいと、そんなことを強く強く思わないでいられない。
責められるべきは何か
こんなことあってはならないし、勿論許されることではない。では、アーサーはどうすればよかったのか、どうあればよかったのかと、共感せざるを得ない彼の人間臭さに酷く胸を打たれた。
今現在、普通に生きていたって、馬鹿にするされる、笑いものにするされるなんてのはほぼ日常茶飯事で、行き過ぎたそれが所謂「いじめ」だとか「ハラスメント」とかとなる。こういうことに対する世論センサーは高まる一方で、少し敏感すぎるような気もするが、外野が平気で野次を飛ばしまくっているのは今も昔もそう大差ない。むしろ現在の方が、心無いSNSでのコメント1つとっても、なんとも不寛容な社会だろうと思わざるを得ない。
模倣犯が出るとか、現実社会に悪影響だとか、その外野達が相も変わらず騒いでいるが、そういうのは正直どうでもいい。現実問題、そういうことが起こりそうだと思っていること自体すでに、この「JOKER」で描かれているゴッサムのそれと今の社会が≒になっていると思っていることの証左だ。似たような事件は常日頃ニュースから流れてくる。結果として、あの世界では「JOKER」が生まれてしまっただけだ。だから、こんなこと言う人は焦っている、そうだろう。
助けてくれる人がいなかった、能力がなかった、努力をしなかった、環境が悪かった、時代が悪かった。そういった運が無かったからだ、とか、この映画はそういう話ではない。何に、救いを求めればよかったのだろう。今の社会では、何が彼を救うことが出来るだろう。
全然話は変わるが、今現在ジャンプで連載中の「僕のヒーローアカデミア」という漫画がある。皆が『個性』と言われる特殊能力を持つ社会で、ヒーローが大正義を振りかざし、悪逆大罪を働くヴィラン共をバッタバッタとなぎ倒す。圧倒的な、友情・努力・勝利。読むたびに胸を熱くさせられる、僕も大好きな漫画だ。
これまでのバットマンシリーズでおなじみのJOKERといえば、漫画にでてくるヴィラン同様、その圧倒的な悪役インテリジェンスに裏づけされたカリスマ性が魅力だったわけだが、みんなそれぞれに(※勿論ぶっ飛んではいるが)思っているところ、目指すべきところ、なすべきことを抱えて事を成そうとしている。だからと言って許されることではないのだが、そういう意味では、正義の方向性が違うだけと言ってもいい。
では、アーサーにとっての正義は、潰されてしかるべきなのだろうか。今回の劇中最大のハイライト、階段で踊るシーン。憂悲憎悪泣喜怒快無畏楽苛笑鬱とかとかとか、色んな感情がないまぜになりながらも、全てをぶっちぎった悲しみの美しさに胸が苦しくてたまらなくなった。出生や心身、社会的にもビハインドを抱えた彼にとっての「悪」は、責められるべきは、果たしてどこなのだろう。
何度でも言うけど、「JOKER」はあくまでも「結果」だ。社会の不条理や不寛容が憎たらしくて、こんなもの全然しょうがなくないだろと考える一方で、どこかしょうがないものだと思ってしまっている自分も、歪に捩れた今の社会を構成する一端になってしまっているのだなと、鑑賞後から酷く鈍い乗り物酔いのような自問自答を続けている。
解放?開放?どちらも?
ジョーカーらしさが微塵もない駄作
ジョーカーのバックストーリーは、仮にどれほど見事に描かれていたとしても見ることに抵抗がある。
ジョーカーのもつ「底知れない」悪意が背景を伴うことで限定されてしまう可能性があるからだ。
でも、映画化されてしまったら見ないわけにはいかない。そんなジレンマを抱えながら映画館に足を運んだ。
しかし結論から言うと、全くの杞憂だった。正直ほっとした。
これはジョーカーでも何でもない。有象無象の駄作映画だった。
わかりやすくダメなポイントを2つ挙げるならば、1つはアーサーに降りかかる不幸が軽すぎること。
看板強盗を追いかけたら裏路地でリンチされた、電車で酔っ払いにからまれた、自分の母親が妄想狂だった、憧れのコメディアンに晒し物にされたなど、どの不幸エピソードもとるに足らないくだらないことばかり。ウシジマくんの債務者のほうがよっぽどひどい目にあっている。
2つめはアーサーの犯行が衝動的すぎること。電車でからんできた酔っ払いを銃殺、警察の聞き込みにあった元同僚を撲殺、ウェイン邸でブルースに掴みかかるなど、全く知性を感じさせない行動ばかり。ジョーカーの魅力である狂気や狡猾さの片鱗が見られない。最後のTV番組でも怒りに任せて撃ち殺しただけで、心底つまらなかった。
この2つのポイントはジョーカーを描くのであれば、クリアしていて当たり前のポイントである。それすらできていない本作は全くもって論外というほかない。
ジョーカーのバックストーリーを描こうと思ったら、凄惨な不幸と狂気にくわえて、さらに100歩ほど踏み込む必要があるだろう。
ドットフィリップスには、もう一生このような身の程知らずなテーマには挑戦しないでもらいたい。
エリート層の格差是正を目指す努力がなければ、社会秩序は守れない。
ダークナイト基準での鑑賞はNG
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