ジョーカーのレビュー・感想・評価
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キャラの独り歩き
バットマンも演者10人ですって
バットマンバースできますね!
今回のジョーカーは何人目でしたっけ?
アメコミ新作の仕切り直し感に慣らされて今回も前評判からして期待大でした
ところでこれ、話自体は"ジョーカー"じゃなくても成立はするんですね
ジョーカーは本来「DCのバットマン」に出てくるヴィランの一人ですが、この作品はバットマンを観てなくてもわかる仕様になっています
観ていた方が楽しめますけど
なので柵越しに対面した子供時代のブルースとのシーン
このシーンが無かったらバットマン作品世界としての成立前提を欠きます
今回、ブルースの親父との確執の展開からの初邂逅だったので、結果的にはサービスカットの印象が強くなってしまった
また終盤、ジョーカーがブルースの両親を射殺するシーンでは、ブルースが両親の死を目の当たりにするという画が(確か)なくて、そこは端折るのかともやもやした
完全に狂気のヴィラン誕生の話になっているので、同情の余地がまったくありません
生まれた境遇や生活に左右されずに困難に打ち拉がれながらも善人として生きる事に対しての違和感はないけど、それを原因として凶行を肯定するには違和感があります
世の中の矛盾や人生の不条理を正すとしても正攻法というものがあります
なので"ジョーカーの誕生"は彼の性格故の結末でしょう
この作品は社会派作品でもなく何の問題提起もしていません
バットマン誕生以前のゴッサムの世界観で生まれた一人のヴィランの話です
スピンオフでこういう事ができるのか、と
バットマンにまったくおもねっていない
これからも作られるであろうエピソードの一つとして楽しめたらと思いますね、アメコミ的には
それでも生きる…
見て後悔した。
とても楽しみにしてました。
始まるまでは…全然感情移入できない。
高評価な理由がわからない。
なんだこれは。
精神的におかしなやつの話を延々とされるのはツライ。しかも、無理矢理なご都合主義でたまたま銃を貰って、たまたま駅のホームに人がいなくて、たまたま殺人が貧困層に英雄行為と称えられて、たまたまそのタイミングで市の予算が削減されて、たまたま披露した芸がテレビに取り上げられて、たまたまそれでテレビ出演を依頼されて、たまたまその時に母親が倒れて、たまたま逮捕後に救出されて。
前評判なんてクソだと思った。
この男があのjoker?彼女すら架空だし、架空の妄想がやばすぎて犯行計画立てられないだろ。
高評価の方本当にそう思ってますか?
バッドマンの敵役だからってフィルターかかってるでしょ。
評価2でも高過ぎると思うわ。
見て損した。いや、クソつまらないという話題を得られたからその分だけましかな。
アメリカではピエロは独特の市民権を得てるけど、日本ではただの仮装。
この映画のジョーカー像が受け入れられない人に読んで欲しい。
アーサーという男の半生に哀れみや同情共感を感じている方々には、You wouldn't get itなレビューです。
単独映画のジョーカーが受け入れられなかった人に読んでほしい。私もそうだったので。
予告ではキリングジョークのジョーカーに近いものかなと思い期待してましたが、バットマンシリーズが好き、絶対悪であるジョーカーが好きな私は、正直戸惑いました。
これまでのジョーカー像とかけ離れているし、チープに感じてしまうからです。
ジョーカーに社会すらもぶち壊していく圧倒的に理不尽なカリスマ性を求めているのに、社会問題や抑圧された人間の物語をされても"これじゃない感"を強く感じてしまう。
レビューを見れば、ジョーカーかわいそう、こうやってジョーカーが生まれたんだね、誰しもジョーカーになりうるよね、日本の社会も弱者に優しい社会になるべきだというようなものが散見されてバットマンファンとしてやるせない気持ちになりました。
おそらく、過去のバットマンシリーズを観ていない方はそのような解釈になるのでしょうか。
そういった部分が注目されて興行的に成功しているようなので割り切るしかないですが、悪のカリスマジョーカーはこうやって誕生したという宣伝文句にはモヤモヤが拭えません。
JOKERを観に来ているのに、映画終盤まで全く知らない人の転落人生を見せられていることが苦痛に感じた分、ラストシーンのジョーカーをみれたことで救われた気持ちになりました。
そして映画を見てから2日たった今、やっとこの映画はジョーカーの中のバットマンへの執着を表した作品なのかと思えしました。
それは可愛くも憎らしい弟であり、間接的な要因で自分に執着する滑稽な存在。
アーサーの物語が全てジョーカーにとってバカウケなジョークだった。誰しもジョーカーになりうるとか、社会批判することも的外れだと馬鹿にして何をそんなシリアスになってるんだそんなことよりジョーカーのおかげでバットマンが生まれたと皮肉って笑っている。
作品の9割がバットマンに対するジョークで、それを理解できないアーサーに共感する人や抑圧される人が共感し暴動を起こすと憂いてる社会をも笑っているような、これぞ悪のカリスマジョーカーだと思わせてくれるラストシーンではないでしょうか。
と、正直自分の都合の良いように解釈しました。
長々と書きましたが、バットマンファン以外には、暗くてしんどい映画だけどホアキンの演技はすごかった。事前に見といたらいいのは、ダークナイトではなくタクシードライバーやキングオブコメディーだと思います。あと、バットマンはトーマスウェインの子供だよってことさえわかれば良いのでは。
丁寧に描かれた絶望
この映画を観ていて、初めて鬼束ちひろの月光を聞いた時を思い出した。
あの頃はこの世界に誰も味方がいない気がして(実際まわりにはいなかったのだけど)、毎日がとてもつらかった。そんな時に月光を聞いて、そういう風に思う人は自分だけじゃないと知り、それだけで少し心が軽くなったのを覚えている。
アーサーにとってのそれはピエロの仮面を被ることだった。自分の起こした事件を支持し、熱狂する人々の輪に入り、自分が一人ではないことを確かめることだった。
そうでもなければ生きていられない。仕事をクビにされる、仲間からは馬鹿にされる、社会保障は打ち切られる、母親はうそつきだった、恋人は妄想だった、そして心の底から憧れた人は自分の才能のなさを嘲った…。
ひとつひとつ削ぐように消失していくアーサーの生きがい、生きる意味。才能にも恵まれず、それどころか人並みに生きることすら難しい。ただひとつ世界から望まれたのが、ピエロの仮面を被って恵まれたやつらを殺すことだった。復讐心と自尊心、その両方が一度に満たされる凶行だった。
正気を捨てた方が心地よい。失うものなど何もない。ジョーカーとなったアーサーがうらやましい。自分には支持者もいないし正気を保って得られる幸せもある。振り切れた先にあるものを一度でも観てみたかった。
主演が最高、最後の終わりのセリフもいい!
主題は煽りの通りだが、主演の演技だけでみる価値あり。
人生が悲劇なのか喜劇なのかは自分できめることができるということを教えてくれる。
世間がどうプレッシャーをかけてこようとも、回りは関係ない。自分が全て。
最後の「理解できないさ」は最高のセリフ。
回りからの理解が得られようが、えまいが関係ない。自分がその価値を噛み締めておもいっきり笑えているのであればそれでいい。
話の山のもってき方や、音、カメラワークも
良いとおもった。
メモ→また世間一般で信じられていることだって、視点を変えると悲劇立ったりするのだと思う。
人の悪意をみた気がしてゾッとした。
安定しない社会の現状や言い様のない不安。ただそれだけでは人はもちろん殺人は犯さないだろうと思う。
だけどそこに身近な人に裏切られた感情を抱いたり、ひどい暴力や罵倒を受けたりしたらどうだろう。それでも良心は保てるだろうか。
おそらくグレたり、自分以外の弱い人間を探したりしてしまわないか。そんなことを考えていたら、人ごとに思えなくなった。
もちろん最後までジョーカーにはまったく感情移入できなかったが、今日本や世界で起きている残虐な行為は少しずつみんなが関わっているのではないか、だとしたらちょっとずつみんなが思いやりの気持ちを持てたらジョーカーは生まれないのではないか。とか思った。
人間の善意と悪意のあり方について考えさせられた作品。
公開初日 我慢できず出張後に鑑賞
ジョーカーの狂気には、ただの精神病のそれとはまた別の、誰よりも正気であるからこそ生まれる狂気が加わっている。
だからこそのカリスマ的佇まい、心をざわつかせる感覚が生まれるのだろう。
何度か登場した、絶望に遭遇し気だるそうな背中で階段を上がるシーン。
その階段が、完全なるジョーカーの登場の舞台として転用される。なんという効果的な脚本、演出だろうか。
踊りながら降りてくるジョーカーの姿に、鳥肌が立った。これがジョーカーだ!
これだこれ。ジョーカーを見るときのこのざわざわとした感覚。
ピエロメイクの下にある表情を、映画中何度も何度も反芻していた。
これほど心の機微を表現できるとは。
目がすごい。
狂気だけじゃない、純粋さだって、あの目の中にはあった。
美しささえ感じた。
ここから完全なネタバレ。
鑑賞前に見るのはお勧めしません。
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隣人の女性の家に入り、
女性が怯えながらアーサーって言ったっけ?と言ったシーン、
????!!!!
衝撃を受けた。
まさか、全て幻想だったとは。
はじめての人殺しに、罪悪感などはなく、清々しさ、この世の全てを手に入れた気持ちになったのだろう。
それで隣人女性も手に入れてような感覚になっていたのか。
ただひとつだけ疑問
デートも幻想だった訳だが、
香水の匂いと母親が言っていたのは。。?
母親との幸せなダンスタイムも含め幻想だったということだったのか。
お笑いライブでうまくいったような描写や、バラエティー番組で観客席からステージ上に上がるくだりも幻覚、妄想だった訳で。
たしかに、あり得ないほどうまくいった展開と、不自然なコメディアンのコメントだったもんな。
ちなみに、この妄想の中でもあったように、随所で父親を求めている描写があったのが良かった。
理不尽な世の中でも、母親との時間は貧しいながらも幸せだった。
しかし、それさえも実は虚であった。
自分が世間から疎まれ、理不尽な人生を送らねばならなくなっている元凶が、実は全て母親のせいで、最後の心の拠り所だったものさえ偽りだったことを知る。
「もう自分には何も失うものはない。」
テレビ収録で放った、ありきたりなこの言葉だが、重みのあるものだった。
愛していた母親、尊敬するコメディアン、側にいるはずだった女性、求めていた父親、同僚、カウンセラー、世間。。。
裏切られる様子が、それぞれ異なる角度からのストーリーで描かれ、まさにジョーカーの出来上がりにふさわしいものだった。
ただ堕ちて行くという後味の悪さはない。
やってることはすごいけど、後半にいくにつれ、むしろ正気になっている。研ぎ澄まされて行く感じ。
後悔なんてある訳ない。それが当然、社会が狂ってる、そんな潔さと清々しさがあり、ドキドキが止まらなかった。
どうしてもノーラン監督のダークナイトと比較してしまうところはあるのだろうが、並べてみても少しも劣らぬ映像であった。
クリアさ、映像から伝わる細かな琴線の揺れ。
シロウト目ではあるが、間違いなく最高の撮影だと思う。
そして音楽。カッコよすぎる。
最後の、血で口裂け笑顔シーン、最高だった。
階段降りてくるシーンもう一回見たい。
鑑賞後、そのままノーラン ダークナイトを観たいという衝動に駆られた。(後味が悪かったからではない。ジョーカーにずっと浸っていたかった)
20191008追記
鑑賞後4日たった今も、心の中のざわざわした感覚が消えない。
予告を何度も見たり、ダークナイトをもう一度見てみたり。。常にジョーカーの痕跡を探してしまっている自分がいる。
これはもう一度映画を観に行くしかない。
何だろうこの、心が捕らわれてしまった感覚は。
こんな感想を見た。
「圧倒されすぎて、寝ても覚めてもジョーカーのことばかり考えてボーっとしてしまう。でも誰かと話したい~!」
本当にこんな感じ。
これがジョーカーへの陶酔というものなのかもしれない。
ホワキン、お見事!
ジョーカーと言えば、ヴィランの象徴であり、バットマンの舞台である、ゴッサムシティになくてはならない存在。アメリカ人には染み付いている、強烈な狂気を象徴する存在。なかなか日本ではうまい例えが浮かばない、サイコパスの極地に居る、独特の存在だ。
ゴッサムシティの話なので、ただでさえ救いようが無いところに加えて、さらに底辺の生活から、いかにジョーカーが生まれたかの物語。
ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャーが名演している強烈な役だけに、真っ向勝負では、彼らを超えるのはなかなか難しい。本作ではジョーカーの誕生に焦点を当てて、少しバットマンと距離を置いての構成であるものの、やはり過去作との比較はされてしまう。ホワキン・フェニックスは今年観た「ゴールデン・リバー」で"やらかす弟"役で観ていた。相応の演技だったが、正直ジョーカーのイメージでは無かったので、少し懸念はあった。
しかし、見始めて数分で疑念は雲散、凄いねホワキン・フェニックス。亡くなったリバー・フェニックスの弟という称号を見事に脱出した。ガリガリに痩せていて、どうやっているのかわからないが、肩や腕が変形していて、役作りが、極まっている。ロバート・デニーロも重要な役で出ており、こちらは華がある役で、ホワキンとの対決は見ものだ。
昨日「惡の華」を観たので、内容は違うもの狂気という共通のテーマがあるので、なかなか辛いものがあった。グロテスクさでは、ジョーカーの方がソフトだったかな。ともあれ、重くて濃い作品なので、相応の覚悟を持って見てほしい。
笑っているのか、それとも、泣いているのか
JOKER
恥ずかしながらバッドマンは未見で観に行ってきました。でもLEGOバッドマンは観たことあるという謎。
話的には、バッドマン未見でも、楽しめると思うしDC映画好きな人ならより楽しめると思う。最初はただの不運な男の半生を描いている映画の印象がありました。
ただ後半戦から一転、なにこれ!?めちゃくちゃやべーやつじゃん。ってなりました。
あと、後半戦は「パージ」がチラつきました。
この映画の恐ろしい、よく出来てたなと思う所は実際に事件が起こりそうなとこ。
貧困、差別、障がい、誰しもが抱えるかもしれない問題をとりあげているのがすごいと思いました。人の半生を描く映画は結構観たことがあるけど、ここまではっきり悪人になるまでの経緯を書いてあるのは珍しいと思う。
JOKERがいるだけで圧倒的存在感があった。
体ガリガリで骨見えそうなのになんとも言えない美しさ。
JOKERが誕生するまでの半生が全て描かれてる映画でした。あと、ピエロメイクが狂気を増幅させてていい味出てた。
恐ろしくて((⛄))
少し不満なところ。
非常に巧みに作りこまれた映画で概ね絶賛されている皆さんと同じ感想なのですが、気になって頭から離れなかったことがあります。それは、(彼がジョーカーであるとした場合)ジョーカーに感情移入できてしまうということに対する違和感です。こんな環境でこんな育ち方をしたらこうなってしまっても仕方ない、なんて気になったり。
ところでブルースウェイン少年が庭の遊具からポールをくるっと廻って降りたのはTV版へのオマージュ?
笑みと無表情の裏で
バットマンとジョーカー、闇と光、善と悪、虚構と真実、アーサー・フレックとジョーカー、ブルース・ウェインとバットマン、無表情と笑い、富と貧困。
これははコインの裏表のように真逆でありながら、くるくると何度もひっくり返される度に互いが同じものであると認識されていく。
これはティム・バートン版バットマンで描かれたことだが、バットマンの登場しない本作でもジョーカー=バットマンであることが否応無しに突きつけられるのだ。
人は誰しも表の顔と裏の顔、表情とは違う心情をかかえていたりもする。
ダーク・ファンタジーであったバートン版と違い、あくまで現在のリアルに根付いた『ジョーカー』は人の笑みや無表情の裏の感情を想像できない事が何を引き起こすかを物語っている。
スーパーヴィランのジョーカーではないジョーカー
バッドマンを一作目から観てるわけではないので、僕にとってのジョーカーは、ダークナイトでヒース・レジャーが演じたジョーカーこそがジョーカーだった。
あの知性的な狂気こそが、ジョーカーがスーパーヴィランである理由であり、崇高なヒーローに対峙可能な要素だ。
と言う前段を踏まえて観ると、全く違うジョーカーにガッカリする。
ホアキン・フェニックスが演じるジョーカーは、バッドマンに対峙するためのジョーカーではなく、一般市民がなりうる可能性を秘めたジョーカーだ。
彼を狂気に貶めたのは、『貧困』と、『孤独』であり、人々を誘導したのは『カリスマ性』ではなく、『一般的な不満』だ。
この映画を観て、秋葉原通り魔事件を思い出した。
犯人は『貧困』だったかはわからないが、『孤独』だったのは確かだ。
また今日こんな記事が出ていた
『12年勤務して手取14万円 「日本終わってますよね?」に共感の声』
貧困とは言えないけど、社会に対する不満は誰でもあると思う。
この映画の怖さは、不満は誰でも持っていて、不幸が積み重なった結果、誰でもそこに行き着く可能性を感じることだ。
社会的問題を炙り出そうとしている作品としては面白いが、ジョーカーの人物像の映画としては失格だ。彼はバッドマンを困らすことの出来るスーパーヴィランのはずで、苦悩をテレビカメラの前で吐露する人物像ではない。
彼がいかに成長しても、バッドマンに対峙する姿は想像できない。
ジョーカーというアイコンを使うなら、もっと徹底的な狂気を見せて欲しかったという感想で、⭐︎3っつ。
劇薬。ただし一部の方には効きにくい場合がございます。
狂う=仮面を外す
社会全体が貧しい時代。貧困層は切り捨てられつつある。ここで間違えてはいけないが、富裕層は決して、意思を持って「切り捨てよう」としているわけではない、ということだ。差別は無知や無関心から生じるもの。富裕層も状況を改善したいと思っているが、具体的な行動を起こすわけではない。また、貧しい彼等のことを知ろうとしないので、何をすべきかもわからない。ただ社会に心を痛め、上っ面の言葉を並べるだけだ。寄り添うことはない。しかしそこに、悪意は無い。
さてこれは、映画の中だけの話だろうか。
正直に言うと、私にはこの映画、あまり刺さらなかった。彼に感情移入できなかったから。狂う程追い詰められた経験が、結局私には無いと悟った。そして劇中の富裕層のように、何も感じず、何も行動せず、それでいて社会を悲しむ(ふりをする)、自分を恥じた。
depressed
ひたすら切ない
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