ジョーカーのレビュー・感想・評価
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合わなかったかなぁ。 可哀そうなおっさんの半生を描いた映画なら良いが、「joker」としてどうなの?これ。
映画としては及第点なので3点献上。ただ、、、絶賛されているほど感情移入できなかったなぁ。ジョーカーってもっとインテリの頭いいキャラじゃないの?頭が良すぎるがゆえにバットマンらLOW側の欺瞞とかキレイなお題目に飾られてはいるが何の役にも立たないクソ世界を笑い飛ばし、深遠なる犯罪計画でヒーローをおちょくりまくって世界に疑問符やノーを突き付けまくる。
少なくともダークナイトでのジョーカーにはそんな悪のヒーローを見た気がするのだが。。。
私のジョーカー像が間違ってるのかな?
今回のジョーカーさん。だたの可哀そうなおっさんでした。いや確かに境遇には同情するよ?
気が狂うほどの孤独や悲しみや向けられる憎しみ、そして無関心。人間だれしもそんな境遇に置かれたら殺人だって厭わない人間になるだろうし、「世界に絶望する」とはまさにこのことだろうと想像できる。彼を精神異常者とするかは微妙なところ。誰にでも境遇さえ間違えば「ああなるかもしれない」という怖さを体験する映画という点では優秀な映画だったと思う。
しかし、これ、ジョーカーである必要あるの?
超優秀な人間が絶望の末に悪落ちするから深みが出るのであって、境遇の可哀そうなただのおっさん(あんまり優秀でもない)が祭り上げられたところでペラい感じがどうしてもぬぐえない。残念。
言葉が出ない
完璧です。
狂気に満ちた悪のカリスマ・ジョーカー。彼が何故生まれ、何故笑い、何故ピエロでいるのか。笑顔の仮面の下にあった初めて知るジョーカー誕生の経緯に胸が締め付けられ、孤独な男の苦しみに震え、あらゆる瞬間に涙が溢れましたが、この涙の理由は説明が難しい…。様々なジョーカーの姿、台詞、表情が脳裏に焼き付いて、まだ錯乱状態です。
細部まで練られた巧みな脚本、緊迫感と狂気、そして哀しみを蔓延させる音楽、バットマンの時代とは異なる背景により荒んだゴッサムシティ、そしてホアキン・フェニックスによる圧倒的なパフォーマンス。全てが完璧です。
特にホアキン演じるジョーカーが、物凄い。内に秘めた狂気とエネルギー、神経まで研ぎ澄ませて創り出される表情、あの笑い声、そして一人の孤独な優しい男だったアーサーの僅かな希望が残る目。ガツンとやられました。何も言えません…ただただ、圧倒的でした。
そしてジョーカー誕生の物語は、ジョーカーらしく、フェイクとリアルが入り乱れ、どれを真実と捉えるべきか一筋縄ではいかないのもまた凄い。彼に弄ばれているようで、でもやっぱり真実らしきものが色濃く見えて、なんとも魅力的。
とにかく、とんでもない映画でした。
ジョーカーの喜劇的妄想が現実を侵食する恐怖と悲哀
「ハングオーバー」3部作のトッド・フィリップス、喜劇畑の職人監督という認識だったが、アメコミのヴィランを題材に、これほど深い人間洞察と確かな時代性とトリッキーな作劇を融合させた心理サスペンスを完成させるとは!
精神障害を持つ無名コメディアンが、ゴッサム市を恐怖と混乱に陥れるジョーカーになるまでを描く。彼が憧れる喜劇人役にロバート・デ・ニーロ。監督は「タクシードライバー」「キング・オブ・コメディ」の影響を公言しており、2作を鑑賞済みなら気づく点も多い。実在の連続殺人犯ジョン・ゲイシー(幼少から障害に苦しみ、成人後に道化師の装いで大勢を殺害)の影響も。
序盤でアーサーの妄想癖が提示される。最初は明示的だが、次第に妄想と現実が曖昧に。その過程はまるで彼の狂気が映画の現実(と観客)を侵食していくかのよう。終盤の暴動は格差社会で虐げられた人々の下剋上であり、トランプの時代に重なって映る。
キング・オブ・ナッシング
恐ろしい映画だった。
現実的で乾いた暴力描写が恐ろしい。
主人公アーサーの狂気じみた所作が恐ろしい。
だが何よりも、アーサーの抱える
憎悪とそこから生じた暴力を、
『理不尽だ、身勝手だ、間違っている』と
否定することができないという点が最も恐ろしい。
僕はやわな人間で、憎悪から来る暴力など何の解決
にもならないと否定したい。もっと優しい道がある
はずだと信じていたい。だけど――
...
こんなにも悲しく切実な憎悪を
一体どうやって否定しろというのか。
周囲から物笑いの種にされ、
鬱憤晴らしのために殴られ、
誰も本当に庇ってはくれず、
隣で笑ってくれる人も無く、
生みの親からは棄てられ、
拾った親からは虐げられ、
誰にも求められず、誰からも愛されず、
この世に確かに生を受けたはずなのに、
誰からもその存在を認められなかった男。
笑うことで、笑い続けることで、
その地獄にずっと耐え続けてきた男。
アーサーの考えたジョークは自分の悲惨さや
鬱屈した気持ちを必死で笑い飛ばそうとする
ような重苦しいジョークばかりだった。
彼がコメディアンになりたかったのは、
自分や自分が(かつて)愛した母親と同じように、
笑うことで少しでも救われる人がいるはずだから、
それができれば自分にも存在する理由があるはず
だからと信じたかったからなのだろうか。
痩せ骨ばった肉体を捻じ曲げて舞踏する姿。
必死に自分の肉体が、この世界に
存在することを主張するかのように。
...
ずっとずっとずっと受けてきた酷い仕打ちを
安物の拳銃で遂に爆発させた彼は、そこから
いよいよタガが外れていく。
悲惨な境遇の彼が必死にすがってきた夢を、
憧れた男は茶の間のジョークとして愚弄した。
自分を“ハッピー”と呼び愛してくれていると
思っていた母は、自分の“ハッピー”にしか
興味の無かった赤の他人だった。
世界でただひとり、自分の隣で笑ってくれた
女性は、あまりに孤独な心が生んだ幻だった。
衝動的に起こした富裕層殺しが、同じ怒りを抱えた
多くの人々を焚き付けたことを知り、彼はやっと自分
が世界に存在することを是認されたと感じたんだろう。
テレビカメラの前で遂に彼は自分の笑いを見出だす。
己を物笑いの種にし続けた者達を貶め、傷付け、笑う。
それこそが、彼の見出だした至高のジョーク。
日々の貧しさ、富裕層の侮蔑、
親の暴力と無関心、世間からの疎外。
ありとあらゆる世の不公平を一身に受けた男は、
何も持たず誰もその存在すら認めなかった男は、
空っぽに真っ白な顔を道化の形に塗りたくり、
同じように世界から存在を無視し続けられた者達
にとってのイコンとなり、最後に彼らの王となった。
...
名優ホアキン・フェニックスの凄まじい演技が圧巻。
痩せさらばえた山羊のような肉体はアーサーの
境遇と存在に問答無用の説得力を与えているし、
泣き顔を無理やり笑顔に引き伸ばす冒頭や、
冷えきった目のまま放つ機械のような笑い、
引きつった苦しげな笑みが少しずつ
自然な笑みに変わっていく様が怖い。
一方で、恋人や子ども達などに時折見せる
本当に優しそうな微笑があまりにも悲しい。
彼にはもっと優しく生きる素質もあった筈なのに。
...
あらゆる不公平を暴力で笑い蹴散らす
“ジョーカー”は恐るべき怪物だが、彼は
何もない所から自然発生した怪物などでは無い。
彼を生んだのは拡がり続ける貧富の差や
社会的弱者への侮蔑と無関心に他ならない。
この映画がスクリーンに焼き付けているのは、
形有る暴力、そして形無き暴力の生む憎悪が
更に激しく渦巻く暴力の炎へと発展する様だ。
その火種を消す為に我々には何ができるのか?
“ジョーカー”のような悲しい怪物を生まない為に
我々自身にできることがもっとあるのではないか?
“良薬は口に苦し”という諺を信じるならば、
『JOKER』は脳天が吹ッ飛ぶほどに苦い劇薬だ。
<2019.10.04鑑賞>
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余談1:
レビュータイトルはメタリカの曲から
ではなく、本作が影響を受けたと監督が
語っていた『キング・オブ・コメディ』から。
デ・ニーロ主演だったりそっくりなシーンも
あったりと共通項も多い傑作なのでご鑑賞あれ。
余談2:
『バットマン』のイメージは捨てて観るべきか
と考えていたので、意外や『バットマン』との
絡みの多い展開にも驚いた。劇場裏での悲劇を
そう繋ぐとは。
けどトーマス・ウェインが侮蔑的な富裕層の
代表みたいに描かれている点は、原作ファン
からは複雑な気持ちで取られてるかもね……。
地球の真実?
映画が終わって劇場を出る時、半端ない重苦しさに気分が悪くなりそうであった。ジョーカーの悲惨な生き様は余りにも悲しい。その悲しいジョーカーを今の社会システムでは、おそらく救いきれない残酷さがある。その残酷さにこのサイコパスは何故か飄々と立ち向かって行く。そのパワーは人間が持ち合わせている悪魔の力が表出しているかのようだ。
しかし、この悪魔の力も、地球を牛耳っている金融システムをつかさどるわずかの人間に対しては、正義になることもある。
私たちはその操っている側の人間にも、時にはしぶとく立ち向かわないとやられてしまうことがあるから気をつけなければならない。
いずれにしても世界でたった6%の人間が全世界の富の59%を所有し、その6%がアメリカ国籍の人間であり、80%の人間は標準以下の居住環境を余儀なくされ、
70%の人間は文字が読めません。50%の人間は栄養失調に苦しみ、1%の人間が瀕死の状態にあることを、忘れてはいけないのである。
この作品は復讐心が殺人引き起こすという意味では、自らの宿命の改善には何も役に立っていません。むしろジョーカーはただの悪党です。
ただ、私たちにはジョーカーの不幸から見えてくる、社会システムの悪と戦う必要性は多分にあると考えます。
どいつもこいつも…!!
バットマンの悪役であるジョーカーが誕生するに至った物語で原作にはないオリジナルの話。
コメディアンになりたいメンヘラなパーティークラウン=派遣ピエロのアーサーが、ゴッサムシティの不条理に押しつぶされていくストーリー。
バットマンが登場する十数年前の話だし、ここから狂気に満ち残忍になっていくのかも知れないけれど、言動の訳がわかってしまったし、頭のキレや賢さみたいなものは感じられず。
家庭や友人に恵まれない上に不器用で精神的に病んでいる哀しい男が、荒んだ社会の中で歯車が上手く噛み合わず堕ちてしまった悲運な話としては非常に面白かったけど…確かにジョーカーなんだけど、これジョーカーですか?という感じがあった。
周りの人々が、世界の不満がジョーカーを表舞台へ押し上げる。
バットマンの悪役として有名なジョーカー誕生までの秘話を描く。(バットマン側もあるよ。)
内容は予告編にて想像出来る内容ですので、ドンデン返しを期待する方はご注意を。
今回、ホアキン・フェニックスは過去ジョーカー役を演じたジャック・ニコルソン、ヒース・レジャーに劣らないほどジョーカーを演じ切ったと言えるでしょう。
あのカラフル(赤、橙、緑)なスーツが断然カッコいい。
ジョーカーになる前のアーサーだが、今回描かれた人生が哀しすぎる。痩せ過ぎたあの身体と甲高い笑い声は見事。
彼の人生何もかもを全否定される様な描写は心打たれる。
しかし、その妬みや僻みを肥やしにしてアーサーは自己的にジョーカー化している訳では無い。
同じ様に考える周りの人々が、世界への不満が、ジョーカーを表舞台へ押し上げている。そうこの映画では感じるのです。
周りが共感が出来る。だからこそ、ジョーカーがヴィランなのに愛されるのでは?とこの映画で再認識させられました。
ロバート・デ・ニーロ扮するマレーとのクライマックスシーンは特に良かったです。TVならではセンスも有り。
イジリを勘違いしてイジメを行っている奴らはゾッとするでしょうw
褒める事ばかり書きましたが、私星評価はまずまずです。
アーサーの不幸話に面白みや深みが足りないし、もっと周り(隣人のシングルマザーなど)が絡んでも良かった気がします。
また、ラストシーンは右側の窓を爆破でぶっ壊して頂きたかったから。(ああいう妄想ラストだっただけに。)
ジョーカー&バットマンシリーズ好きは楽しめると思います。
絶対正にはシラケるけど絶対悪はかっこいい
評判が良いので、バットマンビギンズとダークナイトだけ観てから行きました。このふたつは観てから行った方が良いかと。
元々アメコミ映画はあんまり観ません。正義が悪を打つみたいな単純なイメージと、アメリカ人が好きそうな自己犠牲とか愛国心のイメージがあるから。
ただ、今回はJOKERを観るために鑑賞です。
まず、バッドマンのJOKERは、絶対悪に鳥肌。悪とはこうあるべき。今まで観てきたどのキャラより悪。まさに完全悪に鳥肌。
この映画のJOKERはとても人間的。自分もそうなるかもと思ったし、周りにもこういう人がいるかも、とも思った。
人間が完全悪になるきっかけというか、瞬間がたまらない。
どうしてそうなったのか、、、というストーリーですが、その理由がとても人間っぽく、日本でも身の回りに起きるような話で、逆にゾッとしました。
残忍なシーンもありますが、どちらかというと人間の内面の醜さの方がキツい。
あと、この話は文字にするとそんなすごい話ではないと思う。映像と音楽、、そして演技でここまで凄いものができるのだと、改めて映画が好きになった。
あとは、とにかくJOKERがセクシーでかっこいい!
普通の大人は完全な正義を見せられると白けてしまいますが、完全な悪には憧れてしまうということがよく分かった。
最後まで釘付け。足を組み直すのも忘れるほど。個人的にはシン・ゴジラ以降初。
正直全然おもろしろくない。
この映画をおもしろいと言わない人間は映画を分かってない人間だ!
と言わんばかりの評価が並ぶなかで私は言いたい。
全然おもしろくなかった。
27歳男性の感性でこう感じました。
意味わかんねえーって思いながら最後まで観てました。
俺だけじゃねぇはずだ!
え!?俺だけ!?
社会が生み出したダークヒーロー
率直な感想としてめちゃくちゃ面白かった。ランキングをつけるわけではないが、近年で観た作品の中でもトップクラスに面白かった。
なぜそこまで面白かったのか、やはり人間誰しも弱さや不安を抱えているのであろう。決してジョーカーの行いは賛同できるものではない。だけど共感してしまうところがあり、いやその共感こそも本来良くないのかもしれないそうやって自分と葛藤して観ることができた。
なぜ葛藤するのかそれはアーサーも語ってたが自分の中の正義や悪は果たして大衆も同じな物差しなのか分からないからであろう。
だから今ある正義が明日には悪にはなり、悪が正義にもなりうる。今ある喜劇が数秒後には悲劇となり、悲劇が喜劇にもなるのだろう。
まさしくアーサーだって同じだ。環境が違えば大衆に支持されるコメディアンになっていたのかもしれない。かれをダークヒーローに導いたのは家庭環境だったり、まさしく社会である。社会が裕福な者だけに幸せを求め過ぎた。求め過ぎたからこそ喜劇からの悲劇の転落であろう。
真反対のことがちょっとしたきっかけで起きてしまう。そのエネルギーは誰しも持っている。そんな事をハラハラしながら観ることができた。
ただこの作品はジョーカーの事だけに共感するわけではない。やはり彼の行いは結果としては悪である。
その暴走する悪に、将来制裁してくれるブルースの存在が分かっているからこそ楽しく観れるのであろう。
最後にホアキンのジョーカーも非常によかった。独特のサイコ感がたまらない。天国のヒースレジャー、ジャックニコルソンもさぞ喜んで観賞しているのではないか。
アーサーの世界、僕達の世界、そして、ジョーカーの世界
時に自分の言葉や表現が耐えられないほど不足していると感じることがある。
この物語を言い表そうとしている今もそうだ。
この作品を観る前に、気になって海外の映画評を検索して、すごく印象に残るものがあった。
そして、観た後に、これほど、アーサー/ジョーカーを端的に上手く表現したものないと感じたので、ここに紹介させてもらいたい。仮に、これを事前に読んだとしても、決して邪魔にはならないと思う。
(映画チケットサービス関連サイトFandangoの、Erik Davis氏のツイッターから)
アーサー/ジョーカーは「内面(心)が死んで初めて生き始めた、虐げられた男だ(an abused man who doesn't start living until he's dead inside)」
アーサーの心は、映像のバックで奏でられる、スローで頭にギーギー響く音楽や音のように、ゆっくりゆっくり、そして、何かにギューっと押さえつけられるように、深みに落ちていくように死んでゆく。
アーサーの世界は、僕達の世界だ。
弱者や異端者を痛めつけ、暴力に溢れ、欺瞞や偽善が世の中を覆い、愛する人や信頼する人、尊敬する人でさえ裏切りをする。
母親も、そして、自分自身も、自分を偽っていたじゃないか。
ジョーカーが言う。
これは悲劇じゃない、喜劇なんだ。
悲しいのに、おかしくもないのに笑ってしまうアーサー。
道化師(クラウン/ピエロ)のメイクは笑っているが、一筋の涙を一緒に描くではないか。
矛盾だらけの世界は、僕達の世界と同じだ。
僕達の世界の良心は、もう既に死んでしまったのかもしれない。
もしそうであるならば、僕達の世界はジョーカーが俯瞰して見た世界と同じだ。
作り笑いでもして、達観できないと生きてゆくのは難しいのだ。
遠巻きに眺めている程度がおすすめだ。
でも、この世界は向こうから、こちらに迫って来る。
ジョーカーが僕達の耳元でつぶやいている気がする。
努力?
冗談でしょ。
優しさ?
うそでしょ。
平等?
何それ、初めて聞いたよ。
悲劇?
いやいや、これは喜劇だよ。
一緒に演じてみないかい?
血糊の足跡が、このジョークの未来への標だ。
これが、壮大なジョークであることを願わずにはいられなくなる。
※ 丸の内ピカデリーのドルビーシネマのオープン初日の深夜上映で鑑賞しました。
ドルビーシネマはすごいです。システムの宣伝でも流れますが、黒が美しく、他の色も鮮明で、ある意味3Dより、迫って来る感じがします。
機会のある方は是非。
悲劇と喜劇の中で産声を上げたキング
スゴい映画を観たあとは、言葉と疲労感と余韻が混同するもので、このJOKERという物語はまさにそれに等しい作品である。
ハンマーで頭を殴られたかのような衝撃とホアキンのJOKERはこの世の何処かに存在してるかのような、迫真と怪演なる演技は終始、観ている者の心臓をえぐり出され見せつけられる禍々しさを感じた。
狂気に満ちどこか美しく滑稽、そして切ないJOKERの姿はロバート・デニーロが演じた「タクシードライバー」のトラビスを彷彿とさせ、本作の元ネタとされたこれまたスコセッシ監督の「キング・オブ・コメディ」からのオマージュもとあるシーンで至る所で見かけ、大道芸人で孤独な男アーサーとコメディアンのパプキンに共通する笑顔と妄想。キャラクターとしては対比してる双方の描かれ方も本作の監督で「ハングオーバー」でコメディを得意としてたトッド・フィリップス監督ならでは、タクシードライバーで有名な額に手で銃の形作りバーンとする仕草もある種、この映画でJOKERへと変貌する引き金となっている部分も非常に興味深かく、今作でたまたまなのか?出演して、コメディ番組のテレビショーで司会役を務めるロバート・デニーロとスコセッシへの恋文の様な沢山の敬意と愛を感じざる得なかった(笑)
·····がそれだけに留まらず。
JOKERというキャラクターを現代社会でリアルに蔓延し誰しもが持ち合わせる。弱さや孤独、苦しみ、貧困、差別、未来への不安等。社会の抱える闇へ落とし込み浸透させ訴えかける力は生半可ではなかく確信に迫り鬼気迫るものさえも感じさせられた。その点ではダークナイトのヒース・レジャーが演じたJOKERと重なり、バットマンという物語があることも根底に描かれている点でホアキン・フェニックスはジャック・ニコルソンやヒース・レジャーという名優たちが演じてきたJOKERの歴史の1ページに加わったことは間違いなく、新たなJOKERへの新たなる解釈から土台となった作品「キングオブコメディ」「タクシードライバー」「バットマン」「ダークナイト」全ての要素を上手く融合させ、新生キングJOKERを誕生させたトッド・フィリップス監督に心から賞賛を贈りたい!
この作品を観たものは、幾度となく想像を何倍も超えてくる波のように凄まじい衝撃と衝動の連続に胸が張り裂け、高鳴るような痛みをリアルに感じ。社会の闇に埋没し悲劇と喜劇の混沌とした世界で産声を上げたキングJOKER誕生の瞬間を目撃することとなるだろう!
約2時間の前振り+ラスト2分のオチ
これは一本取られた!笑
まさか映画全体が一つのジョークという構造になっていたとは。。。
ジョーカーの有名なセリフで、ダークナイトでもカバーアートに使われた「Why so serious?(何故そんなに真面目なんだ?)」というセリフがあるんですが、ジョーカーというのはジョークを言う人を指しているんですね。
人生なんて喜劇で、世の中全てジョークだろ?
映像・音楽、全て強烈な印象を残す映画だった。
ホアキン・フェニックスは色々と奇行が目立つ俳優だったが、彼が演じるジョーカーの説得力はハンパなかった。
そしてロバート・デニーロの配役は明らかにマーティン・スコセッシ監督の「キング・オブ・コメディ」を意識しており、基本的なストーリーの構成はこの映画を下敷きしていると言っても良いだろう。
「キング・オブ・コメディ」の主人公ルパートはラストで自分の身に起こった悲劇を喜劇として笑いに変える。
本作「ジョーカー」のラストでは主人公アーサーは、悲劇を喜劇に変える為、自らの血で笑いの仮面を被るのだ。
映画のストーリーをどこからが妄想でどこまでが真実なのか?と追っていくが、(演出的にはちょうどアーサーの薬が切れ始めたころから妄想が始まるが。)、ラストで全てがひっくり返る。
これは一本取られた!とベネチア国際映画祭の審査員達は思ったのだろうか笑
最高に危険で最高に楽しめる劇薬映画だった。
かつて悪が立ち上がる瞬間でこれほど感動することはあっただろうか。
「立て、立つんだ!ジョー!カー!」
映画を見ながらこれほど身震いしたのは初めて
映画を見ながらこんなに身震いしたのは初めてだ。これはDCコミックの超有名ヴィランの誕生秘話の域を超えて、現代社会の喉元にナイフを食い込ませるかのような狂気と絶望に満ちた作品だ。ホアキン・フェニックスのあの肉体からしてどうだ。幾度も映し出される半裸の姿は、痩せているのになぜか肩のあたりが異様に隆起し、たったそれだけで彼の精神面での変動が透けて見えてくるかのよう。同じ半裸の男と拳銃の文脈でいうとスコセッシの「タクシードライバー」が脳裏に浮かぶが、もう一つ忘れてはいけないのがその対をなす「キング・オブ・コメディ」の存在だろう。ぶっ飛んだコメディを手がけてきたトッド・フィリップス監督がこれほどスコセッシとデ・ニーロを引き合いに「ジョーカー」を奏でるとは。やはり我々の暮らす今日の現代社会は混沌としたあの頃へ逆戻りしているのか。日常を侵食するこの感覚が僕らを狂わせる。誰しもの心の中にジョーカーはいる。
ジョーカーを作るのは社会の闇
明るく楽しい映画が好きなのでちょっと観るのを敬遠しておりましたが、大ヒットしているので気になり観てまいりました。
たしかに救いようのないほどのネガティブなストーリーでしたが、なるほど大ヒットしていることだけありますね。とても面白かったです。
映画は登場人物に共感できるかどうかが物語に入り込める重要なキーだと思いますが、この映画がヒットするということは誰しもが少なからず世の中の理不尽さに気づいているからかのかもしれません。けして犯罪は許されませんがついつい主人公ジョーカーの応援をしてしまうのは、法律では正義とされる権力の中に潜む社会の闇のせいなのでしょうか。
見終わった後の余韻がハンパない映画です。
ぬるい設定ながら熱演に称賛
素晴らしいと感じたのは、ホアキン・フェニックスの演技や存在感は言わずもがな。画の取り方、魅せ方が素晴らしい。
多少目に余る設定のぬるさを感じたもののそれをカバーするに足る、総じて良い印象だった。
・いちいち画になる
階段をダイナミックに踊りながら降りていくジョーカー、
マレーの番組出演直前にたばこをふかしつつ闊歩するジョーカー、
大衆の歓声を受けながら血で裂けた口を描くジョーカー、
廊下窓から後光を受けながら踊るラストシーンのジョーカー、
いちいち絵になるし構図がかっこいい。そこにBGMなんて流されたら映画ってやはりいいなあと思わずにはいられない。
・ヒース・レジャーとはまた違った趣
ホアキン・フェニックス本人が真にジョーカーのような生い立ちを背負ってきたのではないかと錯覚させられそうになる程に彼の演技は突き抜けており、演技力だけでなく表情や顔の作りまで説得力のある存在感を放っていた。特に冒頭のシーンとラストシーンで笑い狂う、彼の深い彫の奥に青白く光る瞳に映える一縷のハイライト、観ているこちらまで吸い込まれてしまいそうな、闇に引きずられてしまいそうな恐ろしさを醸し出している。そんな力をもった役者にはなかなかお目にかかれないだろう。
・「笑う」斬新な設定
楽しい嬉しい幸せの表現である筈の「笑う」という行為に対してこんなにも特殊なイメージを持ってしまうことがあっただろうか。もちろんホラー映画で怪物に笑われたら恐ろしいが「恐怖」だけではない。彼の笑いには悲しみ、怒り、やるせなさとった様々な感情が入り交じる。「笑いたくない場面で笑ってしまう」「病気で笑ってしまう」という設定はなかなか斬新だと感じたし今回のジョーカー像にもハマっていてうまいなと思った。
・ぬるい設定2選
1:地下鉄の殺人をきっかけに若者や貧困層の熱気に火がついた、という設定にやや無理を感じる。いくら富裕層を粛清したとはいえ、只の殺人である。それを上回る共感を得られたというのがちょっとよくわからない。
2:マレーの番組で起きた事件を通じてジョーカーが英雄になった流れになっているがあの番組での言動や行動も只の自意識過剰な異常者にしか映らない。デモを起こしている大衆はどこにシンパシーを感じたのであろう?更に言い合いでは堂々たる姿勢で正論を述べるマレーにやや分があるような状況となり、ムキになって喚き散らして挙げ句にカッとなって引き金を引いてしまった(ような)アーサーには共感し難い気持ちになる。
もうちょい我々鑑賞者を巻き込んで同情や憐れみややるせなさを誘うような、そんな現状を浮き彫りにしてしまうような話があのシーンで出ていれば、ジョーカーにもより説得力が増すんじゃないだろうか?
要するに大衆がジョーカーに突き動かされる流れがかなりいい加減な印象だった。
・ジョーカーの信念は感じない
地下鉄にしても番組にしてもアーサーの信念の発露というよりは、彼の内なる葛藤やトラウマ(このトラウマもインパクトちょっと弱いしもっと驚愕の内容にしても良かった)によって(半場)衝動的に起こされたものであり、ダークナイトのジョーカーのような、大衆を陽動するような、何か革命を起こしてやろうとでも言うような、外に向けてのエネルギーの発露みたいなものをほとんど感じない。ジョーカー誕生の物語であるからそこまで描けないであろうことはわかるが、だからこそ大衆を引き入れてカリスマへと押し上がったという流れに無理矢理感を感じた。
まとめるとストーリー単体でみるとややパンチが弱く、強引である。とはいえ、それがあまり気にならなくなる程にホアキン・フェニックスの演技は奇々怪々であり、圧倒的だった。
骨ばった背中とダンス 加筆
やっと2回目鑑賞(11/29)。チェロ演奏と全体の構成の素晴らしさに気づくことができた。どれがアーサーの妄想でどれが現実か、遅ればせながら分かった。でも分からないのもある(観客に任せられている?)。または全部が妄想?
ホアキンのかっこよさ、アーサーの孤独、両方にやられた。
…………………
ガリガリの背中と、なめらかなのか、ぎこちないのかわからないダンスと、走る姿と古き良き時代の音楽が頭から離れない。階段、鏡、化粧しながらの涙、倒れて左胸の薔薇から吹き出た水も強烈で忘れられない。
豊かと貧困、拍手と怒号、「普通」と「普通」でない、嘘と本当、虐めと優しさ、笑いと怖い、話してるのに聞いてくれない、全部が隣り合わせのこの町は虚を超えた現実の私達の町。余韻が大きすぎて頭がまだ混乱状態。この映画がきっかけで暴動が起きるのではとアメリカで懸念されてる。そういう世界にした言い出しっぺは誰?
頭、混乱してるけどこの映画好きだ。
誰の心にも彼がいる
ジョーカー・シリーズ第1作。
第79回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞作。
IMAXで鑑賞(字幕)。
原作コミックは未読。
とてつもない痛み。迫り来る狂騒。…
「人生は喜劇だ!」とうそぶき、笑いの仮面を被った平凡な男は、狂気に満ちた悪のカリスマへと変貌を遂げていく。
ひとりの男が悪に堕ちる様をリアリティーたっぷりに描き、アメコミ映画の枠に留まらない圧巻の人間ドラマであった。
喉元にナイフを突きつけるかのように、現代社会の病巣を鋭く抉っている。今の時代は何かと窮屈で生き辛い。社会不安はそのまま人々の不安となって世情が乱れていく。
アーサー・フレックが直面する出来事は誰にでも降り掛かって来る可能性のあるものばかりではないかなと思った。
社会の暗黒面がこれでもかとアーサーを追い詰める。拠り所だった母親にも裏切られ、絶望した心に醸成される狂気。
やがて、常に口許に笑みを湛えた悪のピエロが誕生することに。階段を踊りながら降りるシーンがとても神々しかった。
彼を狂わせた不条理な社会は現実とも陸続きで、だからこそ身に摘まされたり、心を痛めたりすることが出来る。
ふとした瞬間、彼の痛みに共感してしまう。つまり私の中にもジョーカーの因子が潜んでいるのだとハッとさせられた。
ホアキン・フェニックスの渾身の演技に魅せられた。とにかく役づくりの徹底がすごい。あの痩せ具合と言ったらない。
絶望と狂気の淵に立ち、悪へ変貌していく男を文字通り鬼気迫る熱演で表現していて、終始鳥肌が立ちっぱなしだった。
ピエロのメイクに隠された闇は底無しで、彼をつくり上げた事柄の罪のなんと重いことか。それがひしひしと伝わる名演である。血を塗り広げて笑みをつくる場面がヤバい。
観る者に全てを委ね、「おいおい、マジか、まさかの…?」などんでん返しを彷彿とさせるラストシーンも秀逸だった。夢であれ現であれ、彼の狂気の舞踏は果てしなく続く。
[追記(2020/02/10)]
アカデミー賞主演男優賞受賞。おめでとうございます。
この受賞は言わずもがな。彼以外に誰が獲る!?(笑)。
※修正(2024/10/19)
狂気に満ちたゴッサムという街。その犠牲となった道化の物語。
『バットマン』シリーズ最大のヴィラン、犯罪界の道化王子こと「ジョーカー」の誕生譚。
財政難に喘ぐゴッサム・シティで、大道芸人として生活するアーサーが、日々の苦しみと絶望から次第に狂気を帯び始め、後に「ジョーカー」と呼ばれる怪物へと変貌していく様を描いたクライム・サスペンス。
監督は『ハングオーバー』シリーズや『デューデート』のトッド・フィリップス。
主人公アーサーを演じるのは『グラディエーター』『her』のホアキン・フェニックス。本作にてオスカーを獲得。
アーサーが憧れる大物コメディアン、マレー役には『世界にひとつのプレイブック』『マイ・インターン』の生けるレジェンド、ロバート・デ・ニーロがキャスティングされている。
製作には『ハングオーバー』シリーズでフィリップス監督と共に仕事をしている、ハリウッドスターのブラッドリー・クーパーが参加している。
👑受賞歴👑
第92回アカデミー賞…作曲賞・主演男優賞(フェニックス)の二冠を達成。
第77回ゴールデングローブ賞…主演男優賞(ドラマ部門:フェニックス)・作曲賞の二冠を達成。
第76回ヴェネツィア国際映画祭…最高賞である金獅子賞を受賞。
第43回日本アカデミー賞…最優秀外国作品賞を受賞。
公開前から楽しみにしていた『ジョーカー』。初日から鑑賞しました!
平日昼間というのにお客さんはやはり多め。期待値の高さが伺えます。
ちょっと前置き。
色々なレビュアーさんのレビューを読んでいて、この映画を勘違いされている方が多いことに驚きました。
これ、『ダークナイト』とはなんの関係もないから!!
ジョーカー=ヒース・レジャーという方が多いでしょう。確かに『ダークナイト』は名作でした。
しかし、映画でジョーカーを演じた俳優はヒース・レジャーだけではありません。
『バットマン』のジャック・ニコルソン。
『スーサイド・スクワッド』のジャレッド・レト。
そして本作のホアキン・フェニックスです。
(余談ですが、マーク・ハミルがゲームやアニメでは声優を務めていたりします。)
演じた役者全員がオスカー俳優という、凄いキャラクターなんですよ、ジョーカーは。
この4人のジョーカーはそれぞれ設定バラバラだから!見た目も全然違うし、生い立ちも全然違うから!性格も違うから!
だから、「こんなのダークナイトのジョーカーじゃない!」って言う意見は問題外です。
そもそも、本作のジョーカーはかなり『キリングジョーク』という原作に近いです。
真面目なコメディアンが、ある悲劇により闇落ちしてしまうというのは原作から持ってきたモチーフな訳です。
だから、「ジョーカーの過去とか蛇足!」という意見も論外なわけです。だって原作にあるんだもん。
むしろ『ダークナイト』のジョーカーが異質であると思ったほうが良いです。めちゃくちゃかっこいいけど。
(まぁ、その後のコミックではヒースの見た目や性格に寄せたジョーカーが登場してますけど。『ジョーカー』とか『バットマン:ノエル』といったコミックはほぼノーラン版のバットマンの世界観だったりします。)
ジョーカー愛から長々と前置きしてしまいました💦
以下本文です…
この映画で最も評価すべきは、ホアキン・フェニックスの悪魔的な演技でしょう!とにかく凄かった!
表情の演技が最高。「HAHAHA」という笑い声もジョーカーのイメージにぴったり。
この映画のために20kg以上の減量を行なったということですが、骨と皮だけと言っていいほど絞り上げられた身体はまさに狂気的。裸姿の背中のカットだけで、アーサーという男がただならぬ何かを秘めているということが伝わってきます。
そもそもホアキン・フェニックスはメイクしていないスッピンの状態でも、すでにコミックのジョーカーぽい顔立ちをしています。
彼以上にこの役をうまく演じられる役者は現時点ではいないでしょう。
映画の内容は暗く陰鬱。
ストレスを感じると声を上げて笑ってしまうという障害を持っているアーサー。そのせいで周りからは不気味がられる。
道化として働いているが、才能はなく、仕事ではヘマをしてばかり。
そんな彼に対して、ゴッサムという街は優しくはない。
精神的にも肉体的にもボコボコにされていくアーサー。
唯一の安らぎは、愛する母との交流である。
とにかく映画の全半はひたすら虐げられるアーサーを見なくてはならず、精神的にかなり辛い…。
悪いのは自分か?それともこの社会なのかと自問自答をしながらも、コメディアンになるという夢は忘れず日々を直向きに過ごすが、ある出来事が彼の運命を変えてしまう。
この出来事を契機に、彼に少しずつ変化が訪れるわけですが、この心理的な変化をホアキン・フェニックスという役者は完璧に演じ切ります。
アーサーの良心の崩壊と、彼の内に秘められた凶暴な暴力性が滲み出る様が痛烈に伝わります。
徐々に闇に身を落としていくアーサーですが、それとは対照的に彼自身はどんどん開放的になっていきます。
そして、社会の爪弾き者だった彼が、あの犯罪道化へと完全に変貌を遂げた瞬間のカタルシスたるや!
カルチャー史にその名を残す最凶の悪魔がここで誕生するわけですが、我々観客はこれまでのアーサーの鬱屈を知っているので、つい彼に感情移入してしまいます。
完全にしがらみから解放された彼を見た瞬間に心の中でガッツポーズをしてしまいました。
これまでゴッサムという街は、どこか寒々しく、空も鬱々とした天気がずっと続いていたのですが、ジョーカーの誕生からは空は晴れわたり、街もどこか輝きを放っているように見えます。
まるでゴッサムが怪物の誕生を祝福しているかのように…。
アーサーが憂鬱そうに登っていた階段を、ジョーカーは軽やかに踊りながら降りていきます。
ここで流れるゲイリー・グリッターの「ロックンロール・パート2」という楽曲がとんでもなくかっこいい!
この楽曲とジョーカーのダンスのコンビネーションを見るだけでもこの映画の価値はあります。
いやー、完全にジョーカーとしてのメイクと衣装を施したホアキン・フェニックスのかっこよさといったら。神々しい…。
クライマックスのジョーカーとデニーロとのやりとりは心に響きます。悪のはずのジョーカーの言い分の方に分があると思ってしまう。
悪と善とは主観に過ぎないというジョーカーの言葉の通りです。
ゴッサムで起こる暴動は、まさに現在進行形で世界中で起こっているデモと同じです。
香港のデモのニュースは、日本でも連日報道されており、この映画の内容はフィクションとは思えない生々しさを放っています。
最凶の悪を生み出すのは社会であり、民衆もどこかでそれを望んでいるのでは?と思ってしまった自分もこの映画に毒されているのでしょう。
観る人間の心を確実に蝕んでいくこの映画。
鑑賞には覚悟が必要です。
ジョーカーの悪の本質に迫る衝撃作
予想を遥かに超えた凄い作品だった。アメコミヒーロー・バットマンの悪役として有名なジョーカーの誕生秘話を、一切の虚飾を排除した容赦ない描写で綴っていく。悪役の誕生秘話を描いた作品は多いが、そういう作品とは全く異質な衝撃作である。
主人公・アーサー(ホアキン・フェニックス)はゴッサムシティで年老いた母と暮らす、孤独で優しい青年だった。彼は、笑顔で人を楽しませなさいという母の言葉に従って、ピエロとして生計を支え、コメディアンを目指して必死に生きていた。しかし、それでも貧困から抜け出せず、彼の心は次第に荒んでいく・・・。
全編、心地良い気分になることはないが、衝撃的な展開に画面から目を離すことはできない。格差社会、貧困、差別、社会への不満など、現代社会にも当てはまる負の要素を背負って、主人公は生きている。それでもなお、前向きに生きようとするが、度重なる理不尽な出来事が、主人公を次第に追い詰めていく。生きる選択肢を一つまた一つと消していく。
主人公役のホアキン・フェニックスが、時に体全体を使った激しい演技で、時に表情だけの繊細な演技で、変幻自在に主人公の心情を演じ切っている。非常に難しい役どころを見事に熟している。
本作で象徴的なのが、階段のシーンである。前半、主人公は、家路に着くために、肩を落としながらも黙々と階段を上っていく。その先に善なる未来があることを信じて。終盤、今度は、その階段を軽やかなステップを踏みながら下りていく。受難の果てにどう生きていくかを定めた姿に開放感が溢れている。
主人公のジョーカーへの変貌を肯定はできないが、否定することもできない。主人公は悪を自ら選んだわけではない。悪にしか生きる選択肢がなかったのである。生きるために悪に辿り着いただけである。それ程に、主人公の受難は、壮絶であり救いがない。
本作は、受難の果てに悪に辿り着いた男の壮絶な半生を通して、悪の本質に迫る問題作である。
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