「ジョーカーから見た世界」ジョーカー ヒロさんの映画レビュー(感想・評価)
ジョーカーから見た世界
見終わった直後と時間が経過した後で印象が変わる不思議な映画だった。
初見、「いやいや、ウェイン家金持ちやん!」という壮大なツッコミ映画だと思った。
ブルース含めウェイン家が行う正義は社会の底辺及びはみ出してしまった人には届かない。彼らから見たウェイン家の正義は偽善、ナルシズム、自己利益の追求に映る。
バットマンという存在の欺瞞を暴く作品というのが本作初見の印象。
それと併せて、
・暗がりの地下鉄車両内で引き笑いを浮かべながら銃を撃つ男
・自分の家の居間にぼうっと居る隣人
・自分が実の息子だと言い寄ってくる男
等、その場面だけ切り取れば確実にヤバい奴なのだが、その前後に理由があるとヤバさが薄らぐ。
つまりどんなにヤバい奴でも主観にすれば感情移入出来るでしょ、という凶悪犯罪者ジョーカーへ感情移入してしまう危険な映画だと思った。
その後、多くのこの映画の評論を聞いた。最も興味深かったのはライムスター 宇多丸さんの批評だった。彼の批評を聞いてこの物語そのものが信用できない語り手、ジョーカーの視点から語られているということに気づいた。
つまりこの作品、どこからが真実でどこからが嘘・妄想なのか分からないということだ。
確かに序盤、中盤、ラスト、3回カウンセリングの場面が出てくる。この時、3回とも同じカウンセラーのように見える。おかしい。
序盤と中盤は保健所のような行政機関の無料カウンセリングでの問診、ラストは精神病院の問診だ。全て同じカウンセラーな訳が無い。
そもそもこの映画のラスト、カウンセラーにジョーカーが語っているということは客観では無くジョーカーの回想、ジョーカー視点の物語だということだ。
そしてジョーカー視点の物語の中でなぜジョーカーが立ち会っていないブルースウェインの両親が殺される場面が入るのか?ジョーカーが夢想したものか。
また、ジョーカーがシングルマザーとの間に見ていた淡い恋。これが妄想だと分かる。
そう、ジョーカーは妄想癖のある奴でその妄想が現実と区別が付かなくなる病を抱えている。
恐らく幼児期の虐待による脳障害からそうなってしまった。
この作品の中でジョーカーにとって都合の良い事象は恐らく妄想だろう。
自分の考えでは、
・母の入院記録を奪い、出生を知る場面
・コメディショーに呼ばれる場面
・市民の希望となるジョーカー
この辺は妄想色が強い。
ダークナイトでジョーカーが口が裂けた理由を色んな人に話すが、話すたびに理由が違う。一体、何が本当で何が嘘なのか分からない。もしかしたら全部嘘なのかもしれない。
それって最もジョーカーを表していないだろうか?
自分が感じたのはジョーカーは恐らく瞬間、瞬間に浮かぶ妄想を現実として話しているのでは無いかと思う。
今日のジョーカーはこういう妄想だけど明日は違うかもしれない。
そして自分がこの映画が凄いな、と感じたのはそういう妄想症の人間が感じる主観を観客が追体験出来る様に作られている。
監督のトッドフィリップスはハングオーバーで有名だが、あの作品も失われた真実を主人公達が探っていく話だった。本作は観客自身が一体何が真実なのか探る、考える話なのだと思う。
そして自分は全てが嘘だと思う。
コメントありがとうございました。好意ある内容に唯々感謝の一言です。
貴殿のレビューの”微に入り細に入り”な評論に、甚だ敬服致します。
クリスファー・ノーランの”ダークナイト”シリーズは、新たなバットマンへのフォーカスを構築しました。それとは別のアプローチで今作は”寓話性”の強い作品として完遂していると思っております。どちらも素晴らしいです。
私も酷いペシミストなので、”ジョーカー”というキャラクターに看過できぬ魅力を感じてしまいます。”アナーキスト” ”社会にコミットしない姿勢”に、ビランとしての矜持を強く感じて、靡いてしまう自分がマズいと思っていることが目下の不安ですw