「善と悪、真実と嘘。その曖昧なものの上で成り立つヒーロー論」ジョーカー yossさんの映画レビュー(感想・評価)
善と悪、真実と嘘。その曖昧なものの上で成り立つヒーロー論
この映画は彼が様々な境遇の中で「悪」に染まったという話を描くものではなく、「正義」とは何かを描いた話。倫理的に「善」とされている行為だけが正義ではなく、例えば人々を喜ばせることが正義であれば、彼はその役目を全うし、この世に存在している意味を成したことになる。「正義」なんてものは、所詮は利己的な思考性に基づくものであり、その証拠に視点を変えるだけで、「善悪」なんて概念は簡単に入れ替わる。
そして現実世界では「真実」と「嘘」も同様。所詮は人それぞれの視点で、都合よく捻じ曲げることだってできる。何が真実で何が嘘なのか、そんなことを当事者はおろか、視聴者の我々に判断できるわけもない。それくらい曖昧なもので一限的に「正義」を語るんじゃない。。。という近年のアメコミヒーローブームへの風刺メッセージにも思えた。
彼自身の正義(=彼が成し得たいこと)は、映画の序盤と終盤で変わったのだろうか?実は何も変わっていない。自分の社会的立ち位置をまざまざと認識し、物事の捉え方がほんの少し変わった、そして目的に向かうための行動を変えた。
ジョーカーがスクリーン越しに問いかけているようだ。
敵を倒して、人々を喜ばせる。『これの何が悪い?バットマンだって同じだろ?』と。
そして、後のバットマンとジョーカーの因縁を匂わせる描写。
「正義」だなんて言ってるけど、『結局、みんなキッカケは個人的な動機なんだろ。俺と同じだろ』と。
『なぜバットマンは「ヒーロー」と呼ばれ、俺は「ヴィラン」と呼ばれるんだ?』と。
バットマンに救われる人間もいれば、ジョーカーに救われる人間もいる。バットマンを生んだのはジョーカーであり、ジョーカーを生んだのはバットマンということを改めて理解するとともに、世の中でよく使われる「必要悪」という言葉も改めて考えさせられる。
ただ、この映画を見てジョーカーという「存在」をわかった気になるのは少し違う気もする。多分彼の言う通り、本当の意味では「理解できないさ」ということなのかもしれない。