「名作かつ音楽(音響)も秀逸」ジョーカー ロイさんの映画レビュー(感想・評価)
名作かつ音楽(音響)も秀逸
映画を観た人の意見が2分されているようですが、忘れてならないのはこの映画がバットマンというコミックスに登場するジョーカーの話であるという点。彼がいかにジョーカーになったのか?がドキュメンタリー仕立てで描かれ、進行して行きますが、架空の人物の物語であり、決して現実の話ではないのです。 とは言え「映画の中の話」では済まないというか、いつでも現実に起こり得るリアルさが充満しています。現実として捉えたら単純にかわいそうな狂人、でもアメコミ映画の1キャラクターとして捉えたら、まさに悪のヒーロー誕生の物語。どちらと捉えるか?が評価の分かれ目でしょうか。
さておき、ジョーカーと言えば当初冷酷でサイコパスな性格の設定キャラクターでしたが、50~70年代は残虐さを抑えたいたずらキャラに、70年代以降は再びダークなキャラクター性に戻っています。そういった意味で、バットマンにおけるジョーカーの設定は曖昧な部分があり、ある意味いろんなタイプのジョーカーが生まれても不思議の無いところですが、本作では薬品の影響で完全にイかれてジョーカーになったという基本設定すらなく、善良な男が社会の被害者としてジョーカーに生まれ変わっていく様が描かれています。またジョーカーにとっての犯罪はジョークであり、それに常にレスポンスをしてくれるバットマンのことを最高の観客、最高のツッコミ役、最高の遊び相手と捉えていますが、そのような関係性に結び付く要素も皆無なため、ほぼこれまでのジョーカー像を刷新しています。
犯罪をジョークやある種のアートのように行う悪党=ジョーカーではなく、社会に見放された人間がやむ無く法を犯して行く様を、非常にリアルに、社会の被害者として描いています。ジョーカーは超人的な能力を持たないので、極悪になるためにたがが外れる理由が必要ですが、そういう意味ではこの設定も個人的には納得。
やっていることはもろ犯罪ですが、最後には「自由になれて良かったね」と思って観ている自分がいました。ただし本作のジョーカーがバットマンと戦う姿は想像できません。
バットマン・シリーズから離れ、1本の単体映画として観た場合、配役、演技、演出、映像、どれをとっても最高の出来です。
中でもHildur Guðnadóttir(ヒドゥル・グドナドッティル)の音楽(と音効)が最高に素晴らしかったです。「この曲を聴くとあのシーンを思い出す」というようなキャッチーさはありませんが、物語のシーンの内容と演技、映像と混然一体となって、胸にダイレクトに訴えかけてくるような音響演出がとにかく秀逸。
最近は何でもかんでも某シンセサイザーの音で埋め尽くされがちなハリウッド映画にあって、さすがはチェリスト!と唸るまさに珠玉のサントラでした(← あくまでも映画の演出としての音楽という意味で、音楽だけを聴いて楽しめるかというと、暗過ぎ・ヘビー過ぎで疲れ果ててしまうでしょうが)。
それにしてもトッド・フィリップス監督はコメディ畑の人だと思っていましたが、いやぁ凄い監督さんですね。
この映画の解釈は幾通りも考えられ、夢落ちだと考えている人もいらっしゃいますが、個人的には、ラスト・シーンがすべての事の始まりであり、アーサーの妄想含め、全てが現実に起きたJoker誕生へと繋がるストーリー(と言っても映画の中の)なのだと思いました。
※ 余談ですが、私は70年代をNYで過ごしました。当時のNYはまさにこの映画に描かれているように、貧困がもたらす犯罪が横行している危険な街でした。沢山の良い思い出がありますが、沢山の悲しい出来事にも遭遇しました。
安全で豊かであるはずの日本でも、子どもの貧困、下流老人、貧困女子などの言葉を聞く機会が増えていますが、社会弱者に対するケアや意識を変えて行かないと、日本でもジョーカーのような人が出てくるかも知れませんね。