「展開に現実味がない。演技、演出はすごい。ある解釈のおかげで救われたストーリー。」ジョーカー スイトさんの映画レビュー(感想・評価)
展開に現実味がない。演技、演出はすごい。ある解釈のおかげで救われたストーリー。
演技、演出がすごく、飽きずに観ることができた。
ホアキン・フェニックスの笑う演技や体づくりにはある種の戦慄を覚えるほどだった。
それだけに、
「自衛のためにと同僚から銃を渡される」
「衝動的な殺人を犯したのに捕まらない」
「バーの舞台で披露したネタがきっかけでテレビ出演することになる」
など、現実的でない展開が続くためどうしてもストーリーに没入できなかったのが残念。
アーサーが解雇されるときその連絡をなぜか公衆電話で受けていたり、上半身裸で冷蔵庫に入って自殺を図ったアーサーがその最中に掛かってきた電話になぜか上着を着て応対していたりと、「なんでそうなった?」と描写の雑さを感じるところも多かった。
主人公は金がないのにいつもタバコを吸っているという点も、タバコが登場するたびに「なぜタバコを買えているのだろう?」という疑問が頭をよぎり物語に集中できなかった。
精神疾患の薬を7種類も処方されていたのに、福祉プログラムの削減で処方を受けられなくなったことによる行動の変化も描かれていないのも、「薬のエピソード、必要だった?」と後から首を捻ることとなった。
端々に雑さが見られ十分に作品を楽しむことができなかった。
たぶん私の考えすぎに因るところが多いのだろうが・・・。
結末については、あるサイトで「アーサーは架空の人物で、アーサーの物語は全てジョーカーが考え出した『ジョーク』である」という説を目にした。
この説では「本物のジョーカー」が登場するのはラストの病院内のシーンのみとなり、トッド・フィリップスやホアキン・フェニックスへの諸々のインタビューの内容とも整合する。
そう仮定すると現実味のないストーリー展開にも説明がつく。
私の中ではこの説が一番しっくり来ている。
アーサーがテレビ出演時に放った主張は、なんと言うか「普通」でジョーカーらしくないと感じた。
精神疾患と貧困で苦しんだ男が犯罪の自己正当化のために語った、ありきたりな犯罪動機だったためだ。
「アーサー = ジョーカー」として、この犯罪動機がジョーカーの根源だったならば、敢えて「バットマンのジョーカー」として描く必要がない。ありきたりでどこにでもあるクライム映画になってしまう。
しかし、全てがジョークだったのであれば、「ジョーカーの頭の中を描いた作品」という見方ができ、ジョーカーは依然として正体不明のままとなるが、彼の闇の深さや魅力は増すのではないかと考えている。
何よりも彼の本名が明らかになったりしていて、ジョーカーが「手に届く位置」にいる存在に格落ちするのが嫌だったというのが本心だ。
そのため「アーサー ≠ ジョーカー」の説を信じたい。
この説を採用すると、なぜジョーカーがウェイン夫妻の死に方を知っていたかが謎になる。
そこは、トーマス・ウェインに間接的に復讐を果たしていたというところも含めて『ネタ』の一部なのだろうということで。(雑解釈)
上記の説を知って私自身は救われたが、映画を見終わった直後の感想としては「★2」だったので、採点はそのまま。
監督は、時が経ったらこの物語の真相に関する「答え」を提示するとインタビューで公表している。
それがいかなる内容でも「なぜ?」が付き纏う出来の作品のような気はするが、その答え次第では私の評価を覆す必要があるかもしれない。