「孤独で絶望的な時代のトリックスター」ジョーカー りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
孤独で絶望的な時代のトリックスター
大都会ゴッサムシティ。
市のゴミ収集員たちがストライキをし、巷は悪臭が満ちている。
大富豪トーマス・ウェインがこの窮状をどうにかしようと市長に立候補している。
そんな街の片隅で、コメディアンを夢見るアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)はピエロ姿で店の閉店セールの宣伝をしている・・・
といったところから始まる物語で、巻頭早々、ピエロ姿のアーサーは悪ガキどもにからかわれ、宣伝看板を奪われ、結果、袋叩きにされてしまう。
それでも、彼は笑っている、大声を出して笑っている・・・
というのも、彼は脳と神経に障害があり、突発的に笑いだすことがある病気を抱えている。
そんな彼は、安アパートで老いた母親の面倒をひとりで看ている。
ふたりの唯一の楽しみは、テレビ。
古い映画と有名コメディアンがホストを務めるトークショウ・・・
とアーサーの日常が綴られていくこの映画、目指すところは『バットマン』のようなヒーローに対する悪役の物語ではない。
アメコミの映画化の形、架空の街での物語での形を取りながら、実のところ、現代社会の病巣を描いている。
悪臭溢れる街、ポルノの看板が目立つ街、誰もスマホなど持っていないその街は、たぶん70年代のイメージだろうが、そこは貧富の差は絶望的に大きく、弱者は見捨てられている。
当初あった市の福祉施設は予算削減で閉鎖される。
弱者やマイノリティに手厚いとも思える施策をとっていた時代とはまるで別。
弱き者はどんどんと隅へ追いやられ、孤独になり、疎外感を感じるしかなくなっている・・・
それはやはり、現代だ。
そんな中でひょんなことから手にした拳銃で、アーサーは自分を袋叩きにするエリートビジネスマンを殺してしまう。
これにより、世論が動いていく。
ピエロの恰好をしたアーサーを、世の人々は認め、ある種のトリックスターへと祭り上げていく。
そして、ひとびとの奥底にあった不安や不満が終局において突如として爆発する。
(この終局の直前、劇場の看板に「BLOW OUT」(噴出)と書かれている)
孤独で絶望的な時代のトリックスター。
それがジョーカー。
嘲り笑うしかない、弱き者たちのシンボル。
それをホアキン・フェニックスは、抜群の演技でみせていきます。
現実と妄想が混濁した映像も見事。
ただし、いくつかの不満もなくはない。
ひとつめは、演技は見事だけれど、役柄的にホアキン・フェニックスが歳を食い過ぎている。
30代半ばぐらいでないと物語として成立しないが、冒頭からかなり老け込んでいるようで、ちょっと戸惑ってしまう。
大物コメディアン役は ロバート・デ・ニーロが演じているが、『キング・オブ・コメディ』を連想してしまうので、これもどうか。
ま、彼ぐらいの大物でないと映画が締まらないのだけれど。
あと、重低音の音楽がうるさすぎで、ときには無音で盛り上げる演出も欲しかったところ。
さて、『バットマン』との関連はどうなのかしらん。
元々はブルース・ウェイン(バットマン)の両親はジョーカーに殺されたことになっているが・・・
そこんところは、ちょっとヒネッてある。
また、アーサーの出自、曖昧にしてあるが、個人的はバットマンと同種(胤)とみたが、ここは観る人によって見解は異なるかもね。
アメコミの映画化と侮っていると、とんでもないものが飛び出す、サプライズボックス(びっくり箱)。
アーサーに自己を重ねると危険、要注意。