「精神的に"ジョーカー病"に感染させるウイルス」ジョーカー 神社エールさんの映画レビュー(感想・評価)
精神的に"ジョーカー病"に感染させるウイルス
トッド・フィリップス監督作品は「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」 のみ観賞済。
DC作品は、バットマン~バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲、ダークナイト三部作、ウォッチメン、DCEUの各作品、レゴバットマン、ニンジャバットマン観賞済。
バットマンアーカムシリーズ4作品プレイ済。
公開前から各地でスタンディングオベーションを受け、名作と言われているのを聞き、ハードルが上がりに上がった中での日本公開に、どんなストーリーなのかと早速観に行ってみた。
観る前に"気持ちが落ち込んでいる時は観るべきではない"との書き込みを見ていたので構えていたはずなのに、上映後は素晴らしい出来であるにも関わらずスタッフロールが終わるまで、終わってからも心にもやもやとした霧が立ち込めているような気分のまま劇場を出た。
それはこの作品はヴィランが主役の作品でありつつヴィランのジョーカーは基本虐げられる側で、"実際のヴィラン"が上流階級である政府(市長)やトーマス・ウェイン、上級国民であるって構図が今の日本と重なるところがあったからだと思う。
映画はその時に作られる理由がある、その時の政治状況を描き出す作品が多く本編に含めそういう見方もしてしまうので、アメリカ本国では公開初日に厳重警備が敷かれたらしいけど、日本で同じ処置をしない事がアメリカよりも問題を問題とも思わない、より重大な段階にいるように感じる。
前半の鬱屈とした日常の中で昇っていく階段は、背景の黒さも相まってまるで死刑台に昇っていく囚人に見えたけれど、ジョーカーになって階段を降りていく様は背景も明るく、最悪な状況とは打って変わって人生最良の日に見える良い比較のシーンだったと思う。
ジョーカーの造形としては、DCオリジンとは境遇が違うにも関わらず、シーンによってジャック・ニコルソンや故ヒース・レジャー、ジェレッド・レトなど各ジョーカーとダブって見えてしまう程の見事なジョーカーで、且つ地下鉄の殺人後のトイレでのダンスはホアキン・フェニックスのジョーカーと言えばでこれから例えられていくんだろうなと思わせる鳥肌の立つ素晴らしい演技だった。
ジョーカーのオリジンに関してはMARVELがマルチバースを扱ってるのと同じくDCもマルチバースなので、これが正史ってよりもある世界軸のゴッサムシティではこんなジョーカーもいたのかも知れない…位の認識だった。
アーサー(ジョーカー)がブルース(バットマン)と兄弟+αって設定は今までの作品内では光と影の様な存在としての描かれ方はあったもののこの設定は新鮮で、且つこの設定なら後々の二人の関係性が強固になる、今まで見たDCの映像化作品の中で「ダークナイト」や「レゴバットマン」と一二を争うほど素晴らしい設定だった。
劇中でチャーリー・チャップリンの「モダン・タイムス」や、その中で使用されている「Smile」を引用しているのを見て調べてみると、80年近くも経っているのに関わらずテーマ性は重なる部分が多く「Smile」の歌詞もまるでジョーカーの為に作られたんじゃないかと思うほどピッタリなことが、人類が同じ過ちを今この瞬間も繰り返していると感じさせる。
観終わって一週間経った今も、ふとした瞬間に「Smile」が頭の中で流れ、ふとした瞬間にアーサーの特徴的なダンスの様な動きをしそうになる自分に気付くと自分がジョーカー的思想に頭の中を侵食されていく様に感じる。
この危機感を持てている今はまだ大丈夫だと思う反面、この危機感の無いままにジョーカー的思想に染まってしまう事が恐ろしいのと、その光景をジョーカーが"HAHAHA!!"と遠くから見ているような幻想に襲われそうになる。