「負の感情が辿り着く先。」ジョーカー すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
負の感情が辿り着く先。
私は本作の「狂気」という宣伝文句に少し安心しながら見始めていた。「狂気」の表現は大概、自分自身とは無縁といっていい表現であるし、物語を通して「狂気」にふれるとき、一種の怖いもの見たさのような、安全な場所から危険な様子を見て好奇心をくすぐられるような感情を楽しんでいた節がある。
ただ、実際のところ本作は「狂気」の物語ではなかった。むしろ日常にある負の感情や自身の中だけで凝り固まっていく感情が少しずつ膨張していって、「社会の中の自分」という外郭を破って出てきた自己主義的な主観風景が前に出てきてしまった、というように感じた。そうなってしまうキッカケは誰にでもあって、主人公・アーサーは運悪くそのキッカケに出会いすぎてしまった、というような感覚を抱いた。上映が始まる前の安心感みたいなものは、すぐに無くなってしまった。
この感覚を抱いてしまったのはきっと、アーサーの日常風景がすごくありきたりなものに見えたからだと思う。母と噛み合っているのかいないのかわからないような会話をしたり、テレビの向こう側の華やかな世界を見て自分もその中で選ばれた人間になれたらと妄想したり、良いことがなくて背中を丸めながら階段を登ったり…どれもアーサーの生活の一部であり、そして誰にでもあるすごくありきたりな風景だ。しかしそれは誰にも見られたくない負の感情を抱えていて、その負の感情をあそこまで生活臭のする空気感で描かれると、ジョーカーが突き進む先は私の世界と無縁の「狂気」だ、と言えなくなる。
この作品で見せつけられた結末は「狂気」という非日常の異常性ではなく、日常の中で積もっていく負の感情が辿り着いた先なのだ。そのリアリティが「狂気」とは違うゾッとするような恐怖を生み出し、本作の魅力になっているのだと思う。